2005年11月9日水曜日

老夫婦が焼却炉で心中~壮絶にして完璧な自己完結の人生~

今日の記事も病気や死に関係する。

[焼却炉内に2遺体]1人は80歳男性 自殺の可能性

福井県大野市七板の旧火葬場の焼却炉内で7日、白骨化した2人の焼死体が見つかった。県警大野署の調べで、歯の治療痕などから1人は近くに住む無職の男性(80)と断定。もう1人は行方不明になっている男性の妻(82)とみて身元の確認を急いでいるが、同署は状況から自殺とみている。

 調べでは、7日午後2時ごろ、近所の人が、火葬場横に、エンジンがかかったままでクラシック音楽が流れている無人の乗用車が止まっているのを不審に思い同署に通報。駆けつけた署員が焼死体を発見した。

 車は男性の所有で、車内にあったガソリンスタンドの給油伝票7枚の裏面には、親族への思いのほか、「午後8時ごろ、妻とともに家を出る。火葬場で1時間待つ。炭、たきぎの準備をする」などと書かれていた。また、男性の自宅からは日記帳も見つかり、11月7日の欄には「午前0時40分ごろ点火する」などの記述があった。

 さらに8日になって、男性から同市役所に郵送の手紙が届き、中には「遺産はすべて市に寄付します」などと書かれていたという。同署はこれらの状況から、7日ごろ、自ら火をつけて自殺を図った可能性が高いとみている。

 近所の人によると、男性は妻と2人暮らし。子どもはおらず、妻が数年前から糖尿病を患い足が不自由だが、男性が一人で介護を続けていた。旧火葬場は平屋のブロック造り。地区の共同墓地近くにあり、30年ほど前まで地区住民が使っていたが、現在は使われていないという。


色々な捉え方が出来る出来事だ。

自殺そのものの是非を語る人もいるだろう。
こういう老人が、こういう選択しかできなかった福祉、政治に問題があるとする人も居るだろう。
益々深刻化する‘老老介護’の限界を示す好事例だとすることも出来るかもしれない。

恐らく、冷静な分析としては子供もいない老夫婦が‘老老介護’の結果
共倒れになり死を選択した、で‘正解’かも知れない。

私にも、勿論‘正解’は解らない。
まあ、ずるい話だが、社会問題としても政治問題としても語らず、或いは道徳問題にもせず、
ひたすら、この二人が実際に死に至る情景だけを思い浮かべてみる。

周到に計画され、その計画通りに躊躇も無く実行されている。

燃料になる炭や薪を準備する。
準備を終えて、実際に点火するまで、ふたりはどんな会話をしたのだろうか。
内側からは閉められない焼却炉の扉を閉めるために縄を用意していたらしい。
点火は二人が載った、金属の隙間から容易にできたらしい。

熱さは病苦より苦しくなかったのだろうか。

具体的にどの曲かはわからないが、自分達へのレクイエムを流す演出も怠り無い。
しかし、生きたまま焼かれるふたりの魂を落ち着かせ、鎮めるのに十分だったかはわからない。

専門家が何故白骨化したか疑問だとしているが、とにかく二人は真っ白になった。

そして、その翌日、遺産は市に寄付する旨の手紙が届く。

私は、この男の壮絶にして完璧な自己完結の人生に、ある種のシンパシーを覚える。

勿論この実行が、男の独断的な美学ではなく、妻も納得していたという前提だが・・・。

もう、何年前の話か忘れたし、細かい事は記憶に無いが、
夫が既に死んでいるのにアルツハイマーの妻が何日間も食事を与えていたという事件があった。
発見された時にも、温かな食事が置かれていたという。

私の両親は‘幸い’4年前と1年前に他界している。
母に先立たれた父は、我が家が下野して面倒をみた。

我々夫婦の場合はどうか。
もう既に病気の私だが、もし‘億が一’80過ぎまで生き延びて、
同じような状況になったら妻はこう言うに違いない。

‘死んでも嫌よ、あんたとなんか・・・’

そうなのだ、先ずありえないことを考える前に、熟年離婚のことでも考えるべきだ(笑)

2005年11月8日火曜日

ふと思い出した映画‘スウィート・ノベンバー’~本田美奈子とシャーリーズ・セロンを重ねた?~

昨日、自分でも取り上げるとは思っていなかった本田美奈子だが、
今日になっても‘つばさ’や‘いのちをあげよう’を繰り返し、繰り返し聴いていた。

テレビでも、引き続き関連ニュースをやっている。
想像以上の波紋を呼び、遺作も品切れ状態になっているらしい。

そんな気分の中、ふと思い出したのが‘スウィート・ノベンバー’という映画だ。

あらすじはこんな感じだ。

サンフランシスコの一流広告会社に勤める仕事人間のネルソン(キアヌ・リーヴス)は、ある日、自動車免許の更新場で出会った風変わりな女性サラ(シャーリーズ・セロン)から、この11月の間、1ヵ月だけの恋人になることを唐突に提案される。彼女の強引な態度、加え一緒に住むこと、仕事を一切してはいけないことという一方的な条件に困惑するネルソンだが、まもなく承諾。そして彼は次第に彼女に惹かれ、恋におちていく。やがてプロポーズ。だがサラは、実は末期ガンであった。それを知ったネルソンは看病を申し出るが、サラは彼への愛ゆえに拒否。マフラーだけを残し、そのまま彼の前から姿を消してしまうのであった。


なにしろ、マトリックスの面白さをまったく理解できなかったナリポンには、
ベタな内容のこの映画はある種の安堵感を与えてくれた。

私が健康でスキーをやっていた頃、どうしてもコブコブの急斜面は克服できず
それがどうしても歯痒く、不満だった。
ただある時期を境に、チャレンジするのを止めた。
おかげで、スキーを100%楽しめるようになった。

映画も、なにしろ昔は映画研究会に所属していたくらいだから、
難解な映画を好んで観ようとしていた時期もあった。

今は、スキーと同様に無理をしなくなった。

そんな訳で、マトリックスを理解できなかった時も、執拗に追及することなくあっさりと諦めていた。

そうは言っても、本心はややめげていた部分もあったが・・・。

そして、次に観たキアヌ・リーヴスがこの‘スウィート・ノベンバー’だったと思う。

エンヤの歌をつかった音楽もいいし、風景というか色合いのきれいな映画だと思う。

そしてこの映画の最大の魅力は、ヒロインを演じたシャーリーズ・セロンだ。
笑顔を含めた豊かな顔の表情が素敵だし、その顔が死期が近付いてきて次第にやつれていく。

スレンダーな身体には、どんなさり気ないファッションもよく映える。

そう、スレンダーな身体と言えば、亡くなった本田美奈子もそうだった。
美しい長い腕をしていた。

一般人によるリヴューサイトでは、この映画の評価はメタ糞だ。

どうやら、マトリックスを簡単に理解できる‘映画上級者’には、
物足りない駄作という評価をすることが、あたかも‘上級者の証し’であるかのように
叩かれている。

心の赴くまま、感じたままに映画を観るようになった私は好きな映画だ。

2005年11月7日月曜日

2005年のマリリン‘夭逝’した本田美奈子へのせめてもの‘ご褒美’

ナリポンは別に本田美奈子のファンでもなんでもない。
世代的に違うし、そもそもデビュー当時は日本にいなかった。

だから、知っていると言えば、陳腐ながら例のへそだしルックで歌って
大ヒットした‘1986年のマリリン’や‘oneway generation’、
その後ミュージカルに進出し‘ミス・サイゴン’でキム役を演じた事ぐらいだ。

しかし、昨日この訃報を知ってからは、何故か悲しい気持ちでいっぱいだ。

それは何故なのか・・・

見た目で言えば‘夭逝’と言ってもおかしくない若さのせいなのか。
不治の病と言われた病気が治る病気と認識され、
実際に彼女も克服したかに思えた後の急死だったせいなのか。
アイドルから脱皮し、常に向上しようという強い志を持ち、ミュージカル、クラッシック
と成長・進化を遂げていながら、志半ばで逝ってしまった無念さが伝わってくるせいなのか。

彼女の死に、コメントを寄せていた工藤夕貴にもそういう、志の強さを感じる。
映画‘ヒマラヤ杉に降る雪’でのハツエはなかなかのものだった。
ラスト法廷のシーンは何度もリプレイで観た覚えがある。

テレビでは訃報を伝える時に、本田美奈子自身が歌う‘アメージング・グレイス’を
BGMで使っていた。

18世紀に生まれた曲だが、日本でポピュラーになったのはテレビドラマ‘白い巨塔’で
使われたお陰かもしれない。

病院を舞台にしたドラマか・・・。

自分の葬式に使って欲しい曲ランキングでも、この曲は常に上位に入る。

‘実際の彼女の葬儀ではどんな音楽が使われるのだろうか’

‘臍だしルック’でブレイクした彼女が‘臍帯血移植’で一度は元気になった、
という言葉遊びは我ながら下品だ。

しかし、若くして逝ってしまった彼女には‘ご褒美’もある。
その悲劇性を伴った死のせいで、残した作品がいっそう感動的にフリーズされたまま、
永遠に残るのだ。

もっと生きて、もっと色々な活躍を期待したかっただろうが、もう逝ってしまったのだ。

それでも、彼女の作品は、歌声は永遠に残る。

尾崎豊もそうだし、hideもそうだし、ナリポン的には例のジム・クロウチがそうだし、
マイナーだが大塚博堂もそうだ。

私は今日はじめて聴いた、彼女の曲の虜になった。
ひとつは‘つばさ’という曲だ。
もう1曲はミス・サイゴンで歌った‘いのちをあげよう(I'd give my life for you)’だ。

正直、彼女の死の直後に聴いたことにより、感動が増幅された可能性は高い。

特にファンでもなかった私の心にもこれだけ響くのだから、
本当のファンには堪らないだろう。

考えてみれば、私は、約2年間帝劇のあるビルにあった米銀にいた。
ミス・サイゴンのポスターも見ていたし、帝劇のすぐそばの洋食屋やうなぎ屋には
よく通っていた。

今の私は、何故リアルで彼女の舞台を観なかったのかと思っているが、
人生後からそう思うことはいっぱいある。