昨日の記事を書いた後、グリーンスパンでブログ検索を行ってみたが、そこで気付いたのは、
世の中に外国為替証拠金取引に嵌っている人々が結構居るという事だ。
正直、記事の内容にもバラつきがあり、きちんと勉強している風情の人も居れば、
FRBもFF金利も何もわかっちゃ居ないという感じの人も居た。
個人が株式取引を行うことは極普通のことだが、
FX取引は長い間外為法の規制下にあったせいか馴染まない。
私が現役ディーラーだった頃、友人や知人によく浴びた質問がある。
‘今後の為替見通しは、どうですか’
特に異業種の人達との会話では頻繁に交わされた。
そりゃそうだ、自分もそうだが相手の専門分野について質問するのはある種の‘礼儀’とも言える。
でも、相手の‘礼儀’に対して、私の答えはいささか‘無礼’だった。
‘いやぁ、それが判る位なら銀行でディーラーなんてやってませんよ。
個人でやってますよ’
実際、客の取引の絡まない純粋な‘スペキュレーション’だけで、年間ン億円稼ぐ。
何十億も稼ぎ出すディーラー達も居る。
彼等が手にするのは、そのうちの何パーセントのインセンティヴ・ボーナスだ。
当時でも、日本では規制下にあったが、海外の銀行を使えば、
個人でも‘マージン取引’という形で取引する事は可能だった。
でも私には個人のアカウントで取引するガッツはなかった。
‘相場なんてあんな恐いもの、他人のアカウントでしかやれませんよ’
ディーラーに相場見通しを訊くのも、ろくな事ではない。
朝一番には‘どう考えても買いだろう’と言っていた奴が
昼には‘売るしかない’とやっているのがディーラーの本性だ。
ディーラー達の言う、短期的見通しとは‘1日’のことであり、中期的でも‘2~3日’、
長期的で‘1週間’と言ったところだろうか。
逆に、常にそうやって売り材料、買い材料に柔軟に反応するのが資質のひとつかも・・・。
金利に関しての相場は、見方を間違えなければ、比較的安心してポジションをキャリーできるが、
為替は日足に現れない折れ線の動きがあり、そこが面倒だ。
それでも、近年は相場の幅や動きは昔に較べればおとなしい。
20年前には、例のプラザ合意があり、10年前には79円75銭の円高があった。
下が5の年はなんかありやと思いきや、2005年の今年は何も無いのか、これからあるか。
昔は情報ベンダーに信じられない高額の料金を払って、各種の情報を買っていたが、
いまやネットでかなりの情報が無料で入手できる。
そういう意味でも、個人が為替取引をする環境は整っているかも知れないが、
一方で色々な問題もある。
当局もそれなりに、法整備をしているにも拘らず、悪徳、悪質業者が蔓延る。
連中の甘いトークにのせられて、安易にリスクを取っている人々も多そうだ。
レヴァレッジの効いている分、実際の自分の現物資産と抱えているリスクの違いを実感できずに、
失敗する人も居るだろう。
負けを取り戻そうと、次第にポジションが大きくなる人も居るだろう。
そして、最後には・・・
‘ポジション張っても、命は張るな’
この前、ニュースで‘りんご(ふじ)が1万4千個盗まれた’というのをやっていた。
そして、その被害額が100万円と聞いた瞬間、妙な感情に襲われた。
何ヶ月に渡り丹精込めたりんご農家は勿論、1万4千個のりんごをつるが取れないように
(取れると商品価値が無くなるらしい)盗んだ泥棒さえも、ある意味‘実業’だ。
その実業の価値が100万円。
株やFXの個人トレイダーがうまくやれば1日で100万稼げるかもしれない事が、
なんとなく‘虚業’に見えてしまう。
自分がディーリングで20年間メシを喰ってきたのに変な感じだが、
病気と加齢のせいで枯れてしまったのだろうか。
2005年11月3日木曜日
2005年11月2日水曜日
FRBはサプライズ無しの利上げ~gradualistグリーンスパンは14連続‘パー’でホールアウト?~
アメリカではFOMCが開かれ、フェッドファンズの目標値が0.25%引き上げられ4%になった。
市場でも広く予想された通りで、全くのノー・サプライズで為替相場も膠着した。
それにしても、さすがグリーンスパンのやり方という印象だ。
去年の6月に、ほぼ1年間1%という超低水準に据え置いていた金利を0.25%引き上げたが、
それ以降、年8回開かれるFOMCすべてで0.25%の利上げを実施、
今回で12連続という事になる。
どこがグリーンスパンらしいかといえば、先ずはこのジリジリとした上げ方だ。
FOMC開催時に一度もスキップもしなければ、逆に上げ幅を0.5%とかにもしなかった。
就任直後のブラックマンディの教訓を活かしてなのか、彼は典型的なgradualist(漸進主義者)だ。
もうひとつは、市場に対して、FRBが何をどう考えているのかよく説明することだ。
金融政策の変更もFOMCのスケジュールに合わせて行われるし、
なぜそうしたのか、そして今後はどういうスタンスで行くのかまできっちりと説明してくれる。
彼の前任者のボルカーは、市場環境の違いもあったが(FF金利が20%の時もあった)、
市場にサプライズを与えるような政策をすることが多かったし、
自分達が何を考えているかについても、謎めいたことしか言わなかった。
だからこそ、いわゆるFEDウォッチャーなる専門の職業も花形だった訳だ。
その点、グリーンスパンは市場にわかりやすい形でメッセージを送るから、
どんなアフォなエコノミストでも次の政策を予測する事ができる。
‘まあ、ディープ・インパクトの単勝100円元返しみたいなもんだ’
投資家にとっては安心感があるだろうが、短期的な混乱を望むディーラー達には面白みは無い。
ハリケーン・カトリーナという予期せぬ出来事があったのに、
やや無理矢理、当初の規定通りのアクションを取った感もある。
来年1月末の退任までは、12月13日と、1月31日の2回、FOMCが開催される。
まあ、ゴルフに例えるならば、過去12ホールは全部パーだった。
残りの2ホールも‘グリーン’にきちんとオンさせて‘スパーン’とパーを決めて、
引退の花道とするつもりかもしれない。
インフレ・ターゲティングを推進する後任のバーナンキを必ずしも、
最大の適任者と考えていない節もあり、
その前に自分の手で、やりたいこと、やるべきことをやるのではないだろうか。
すると、FF金利は4.5%、歴史的に見ても、まあ中立的な水準と言えるのではないか。
ナリポンの個人資産は、ビル・ゲイツには及ばないが(笑)、その一部は米ドルで持っている。
証券会社のMMFだが、ここ1年半のような金利上昇局面では、
それが直ぐ利回りに反映されるのはメリットだ。
約0.4%という外貨としてはミゼラブルな時もあったが、今回の利上げで3.4%位になるだろう。
日本は日銀が‘緊急避難的’にゼロ金利政策を採用してから、もうすぐ7年目を迎える。
7年間も‘緊急避難’している異常さに、そろそろ気付いてもいい環境が整ってきたのではないか。
過去の関連記事
ボルカー!俺も男だ~グリーンスパン来年1月退任までの18年~
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それにしても、さすがグリーンスパンのやり方という印象だ。
去年の6月に、ほぼ1年間1%という超低水準に据え置いていた金利を0.25%引き上げたが、
それ以降、年8回開かれるFOMCすべてで0.25%の利上げを実施、
今回で12連続という事になる。
どこがグリーンスパンらしいかといえば、先ずはこのジリジリとした上げ方だ。
FOMC開催時に一度もスキップもしなければ、逆に上げ幅を0.5%とかにもしなかった。
就任直後のブラックマンディの教訓を活かしてなのか、彼は典型的なgradualist(漸進主義者)だ。
もうひとつは、市場に対して、FRBが何をどう考えているのかよく説明することだ。
金融政策の変更もFOMCのスケジュールに合わせて行われるし、
なぜそうしたのか、そして今後はどういうスタンスで行くのかまできっちりと説明してくれる。
彼の前任者のボルカーは、市場環境の違いもあったが(FF金利が20%の時もあった)、
市場にサプライズを与えるような政策をすることが多かったし、
自分達が何を考えているかについても、謎めいたことしか言わなかった。
だからこそ、いわゆるFEDウォッチャーなる専門の職業も花形だった訳だ。
その点、グリーンスパンは市場にわかりやすい形でメッセージを送るから、
どんなアフォなエコノミストでも次の政策を予測する事ができる。
‘まあ、ディープ・インパクトの単勝100円元返しみたいなもんだ’
投資家にとっては安心感があるだろうが、短期的な混乱を望むディーラー達には面白みは無い。
ハリケーン・カトリーナという予期せぬ出来事があったのに、
やや無理矢理、当初の規定通りのアクションを取った感もある。
来年1月末の退任までは、12月13日と、1月31日の2回、FOMCが開催される。
まあ、ゴルフに例えるならば、過去12ホールは全部パーだった。
残りの2ホールも‘グリーン’にきちんとオンさせて‘スパーン’とパーを決めて、
引退の花道とするつもりかもしれない。
インフレ・ターゲティングを推進する後任のバーナンキを必ずしも、
最大の適任者と考えていない節もあり、
その前に自分の手で、やりたいこと、やるべきことをやるのではないだろうか。
すると、FF金利は4.5%、歴史的に見ても、まあ中立的な水準と言えるのではないか。
ナリポンの個人資産は、ビル・ゲイツには及ばないが(笑)、その一部は米ドルで持っている。
証券会社のMMFだが、ここ1年半のような金利上昇局面では、
それが直ぐ利回りに反映されるのはメリットだ。
約0.4%という外貨としてはミゼラブルな時もあったが、今回の利上げで3.4%位になるだろう。
日本は日銀が‘緊急避難的’にゼロ金利政策を採用してから、もうすぐ7年目を迎える。
7年間も‘緊急避難’している異常さに、そろそろ気付いてもいい環境が整ってきたのではないか。
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2005年11月1日火曜日
こりゃあ、一生ゴールド免許確実だな~無事故・無違反・‘無運転’~
運転免許証の更新の知らせがきた。
ナリポンが免許を取ったのは、大学4年生の卒業直前の冬だ。
その時期、他の連中は、海外旅行するのが流行っていた。
免許の発行、普通は自宅へ郵送なのだが、いち早く手にしたく出来上がりの日に
府中の試験場まで態々取りに行った。
車を持っている友人と一緒だった。
そして、免許証を手にした私が運転をして戻ってくる筈だったが、
小一時間運転したらぐったり疲れてしまい、結局は友人が運転した。
‘俺って、運転に向いてないかも・・・’
それから1年後の冬、仕事が終った週末スキーをしに苗場に行った。
通常ならば、私は運転しないのだが、その時は連れが睡魔に襲われそうになり、
前橋を過ぎた辺りで運転を代わった。
まだ関越道なんて高速は無い時代の一般道だ。
トラックが2台私の前にいて、さすがの私も追い越そうとした時だ。
1台目を追い越そうとした時に、その前の1台が急に停車しようとした。
取り敢えず1台と思っていた私は慌てて2台目も越そうとしたのだが、
その時対向車(トラック)がやって来て、激しいパッシングと警笛。
よく覚えていないが、私は一瞬死ぬと思って頭を下げたかもしれない。
結果的には、トラック2台に挟まれて‘川の字’状態になったものの接触は無かった。
車を停めた私は全身が震えて止まらなかった。
その一件以来、マジで運転が嫌いになったというか恐怖を感じてしまった。
シンガポール支店に転勤になってディーラーになった。
他の部署の日本人は3台あったカンパニー・カーに分乗して通勤していたが、
ディーラーは朝早く、夜遅かったので自力で運転するのが慣行だった。
そこで、何年ぶりかに運転するのだが、その時間帯の道は空いていたのでなんとかなった。
ただ週末の買い物とかは駄目、混雑するショッピングセンターの高層駐車場とかはパニックだった。
4ヶ月後に、妻がやってきた。
彼女は大学1年の時に免許を取得、中古車ながら直ぐに車を持って、
以来、輝かしい運転歴を有していた。
‘あぁ、この女と結婚してホントによかった、一生俺のショファーだな(笑)’
通勤も朝はカンパニー・カー、帰りはタクシー利用ということになり、
私は車の運転から完全に解放された。
日本に帰国後は車を所有しなかったが、その後、子供ができたのを機に購入。
そこで一念発起し、再度運転に挑戦したが、結局長続きせず駄目だった。
近所のゴルフ練習場に行くのが関の山だった。
‘要するに、運転が下手糞、それを知っているから余計に不安になる’
その後、心臓をやってしまったから、今の車は10cmも動かした事がない。
‘健常な頃だって、ドキドキ運転だったのに、今じゃ一発で心臓発作だよ’
おかげで人生、無事故・無違反。
ゴールド免許制度が出来て、何度目の更新だろう。
‘実態の無いメッキだらけのゴールドだな’
もはや、返上してもいいのだが、身分証明書としての価値はある。
当然だが、人生で一度も女性をドライブに誘ったことが無い。
つーか、運転しながら口説くなんて芸当は絶対無理だし、
ハンドルを汗べっとりにして運転している余裕の無い姿をみて惚れる女なんて居ないだろうし(-_-;)
ナリポンが免許を取ったのは、大学4年生の卒業直前の冬だ。
その時期、他の連中は、海外旅行するのが流行っていた。
免許の発行、普通は自宅へ郵送なのだが、いち早く手にしたく出来上がりの日に
府中の試験場まで態々取りに行った。
車を持っている友人と一緒だった。
そして、免許証を手にした私が運転をして戻ってくる筈だったが、
小一時間運転したらぐったり疲れてしまい、結局は友人が運転した。
‘俺って、運転に向いてないかも・・・’
それから1年後の冬、仕事が終った週末スキーをしに苗場に行った。
通常ならば、私は運転しないのだが、その時は連れが睡魔に襲われそうになり、
前橋を過ぎた辺りで運転を代わった。
まだ関越道なんて高速は無い時代の一般道だ。
トラックが2台私の前にいて、さすがの私も追い越そうとした時だ。
1台目を追い越そうとした時に、その前の1台が急に停車しようとした。
取り敢えず1台と思っていた私は慌てて2台目も越そうとしたのだが、
その時対向車(トラック)がやって来て、激しいパッシングと警笛。
よく覚えていないが、私は一瞬死ぬと思って頭を下げたかもしれない。
結果的には、トラック2台に挟まれて‘川の字’状態になったものの接触は無かった。
車を停めた私は全身が震えて止まらなかった。
その一件以来、マジで運転が嫌いになったというか恐怖を感じてしまった。
シンガポール支店に転勤になってディーラーになった。
他の部署の日本人は3台あったカンパニー・カーに分乗して通勤していたが、
ディーラーは朝早く、夜遅かったので自力で運転するのが慣行だった。
そこで、何年ぶりかに運転するのだが、その時間帯の道は空いていたのでなんとかなった。
ただ週末の買い物とかは駄目、混雑するショッピングセンターの高層駐車場とかはパニックだった。
4ヶ月後に、妻がやってきた。
彼女は大学1年の時に免許を取得、中古車ながら直ぐに車を持って、
以来、輝かしい運転歴を有していた。
‘あぁ、この女と結婚してホントによかった、一生俺のショファーだな(笑)’
通勤も朝はカンパニー・カー、帰りはタクシー利用ということになり、
私は車の運転から完全に解放された。
日本に帰国後は車を所有しなかったが、その後、子供ができたのを機に購入。
そこで一念発起し、再度運転に挑戦したが、結局長続きせず駄目だった。
近所のゴルフ練習場に行くのが関の山だった。
‘要するに、運転が下手糞、それを知っているから余計に不安になる’
その後、心臓をやってしまったから、今の車は10cmも動かした事がない。
‘健常な頃だって、ドキドキ運転だったのに、今じゃ一発で心臓発作だよ’
おかげで人生、無事故・無違反。
ゴールド免許制度が出来て、何度目の更新だろう。
‘実態の無いメッキだらけのゴールドだな’
もはや、返上してもいいのだが、身分証明書としての価値はある。
当然だが、人生で一度も女性をドライブに誘ったことが無い。
つーか、運転しながら口説くなんて芸当は絶対無理だし、
ハンドルを汗べっとりにして運転している余裕の無い姿をみて惚れる女なんて居ないだろうし(-_-;)
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