米国中央銀行のグリーンスパンFRB議長が来年の1月の任期満了で退任するようだ。
私が市場を離れてもうすぐ5年になるが、ディーラーにとってこのFRB議長という存在は
最も相場に影響力のある存在だった。
私がディーラーになりたての1982年当事は、ポール・ボルカー氏が議長を務めていた。
私が未熟なせいもあったが、このボルカーのコメントはいつもパズリングだった。
「アメリカ経済が、もし、うんちゃらかんちゃらにむかうという前提で言えばFRBは
かんちゃら、なんちゃらしないわけではなくはない。」
そんな内容がロイターやAP通信でニュースとしてフラッシュする。
勿論、英語だから益々わかんない。
ニュースのせいでドルが売られても、A型のナリポンは自分で納得しなければ参加できない。
ゆっくりとニュースを読み、専門家の解説や解釈が出てきて、やっと意味が分かった頃は、
ひと相場終っていた。
ボルカーはインフレファイターとして市場の信任も厚く、身体もでかく威風堂々とした。
彼が辞める噂は何度となく飛び交ったが、その度に必ず株式も債券も売られた。
ボルカーの時代はFRBの将来の金融政策を予測することは中々難解だった。
そこでFed watcherという専門に連銀の動きを観察するプロがいた。
当事、絶大なる人気を博し、市場参加者に影響力を持っていたのは、
ソロモン・ブラザーズのヘンリー・カウフマンだった。
彼の分析、見通しは、今思えば、十分にインサイダー取引になるような影響力があった。
1987年、ボルカーは8年務めた議長を退任。
7月に就任するのが、アラン・グリーンスパンだ。
私は初めて、彼の写真を見たときに映画監督であり俳優でもあるウディ・アレンを思い出した。
野球で替わったところにボールが飛ぶというが、彼の場合はいきなり凄まじい
‘悪球’が飛んできた。
10月19日のブラックマンデーだ。
(因みにこの日は、ナリポンが最初の転職をした初日だった。)
ただ最初の試練を、彼は市場に潤沢な流動性を供給することをいち早く宣言し難局を乗り越えた。
初めての窮地でのファインプレイに次第に市場の信任を勝ち取っていく。
彼は、ボルカーと違って極めてわかりやすい言葉で話す。
金融政策も極めて柔軟だ。
当時の日銀は、一旦金利をいじったら、ある一定の期間逆の政策は発動しない不文律があるなど、
極めて硬直的だったし、発動のタイミングもいつも市場からせがまれ、追い込められた段階で
やるので、効果が十分ではなかった。
それに比べると、グリーンスパンのやり方は、何かの懸念材料があれば取り敢えず動いてみる。
そのうえで更に必要ならば、動く。
動き過ぎて逆に何らかの弊害が生じると直ぐに政策の転換を図る。
時には自分で判断がつかず迷っている場合はその心情を吐露することもあった。
彼の言葉で流行語にもなったのが、96年の12月に過熱した株式市場に対して発した
‘根拠なき熱狂’=Irrational Exuberanceだ。
市場では彼が株を仕込み忘れたので、この発言で下げさせて仕込むのではとの声もあったが(笑)
兎に角、ボルカー時代を経験した人間からみれば、彼は素直でわかりやすかった。
なにしろ、この私でも‘アメリカの金融政策からみた為替の展望’なる題目で講演を
数度したくらいだから・・・。
フェッドウッチャー達も失職していった。
そういえば、世界中のディーラーが年に一度どこかの都市に集まる世界フォレックス大会と
いうのがあるが(今もあるのかな)、そのヘルシンキ大会に出席した時の話。
宿泊していたホテルの朝食ビュッフェ、トレイを持って並んだら前にいたのが
あのヘンリー・カウンフマン氏、夫人と一緒にいた。
もう、なんか感激して思わず、Good morning, sir! 彼もMorning.
そうそうヤンキースの松井君が必ず第一打席で審判とキャッチャーに挨拶する感じ。
食べながらも、彼の姿をみながら、彼がボルカーの‘なんちゃらかんちゃら’を解説して
くれたんだなぁ、と感慨深いものがあった。
グリースパンもなんだかんだで18年、いまや大統領の次に力を持つと言われているが・・・。
‘ボルカー!俺も男だ’を見事に実現したね。
引退後は20何歳年下の再婚相手とゆっくり暮らすのかね。
それとも、民間に請われてどっかいくのかね、引く手数多だろうね。
2005年5月16日月曜日
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