先ず何故休んでいたかについて書くのが筋だろう。
私が使った所謂‘一身上の都合’というやつだ。
去年の12月6日に私は大腸の内視鏡検査を受けたが、そこで大小複数のポリープが発見された。
一番大きなものは20~25ミリあって、癌化している可能性があるから
早急に切除する必要があると言われた。
癌という響きに私は素直に怯えた。
心臓に関しては身障者認定までされている謂わば‘上級’の病人なのだが、
癌に関してはまったく初心者だ。
心臓をやってしまった後、何人かの人に、無病息災ではなく‘一病息災’という励まし方をされた。
ちょっとした病気のある人のほうがからだに注意するので、
健康な人よりもかえって長生きするという意味だ。
確かに心臓は低位だが安定するようになり、身体的にも精神的にも負荷をかけない生活で、
案外このまま、なんとか普通に生き延びられるのではと思っている自分がいたのは確かだ。
それが‘一病’ではなく‘二病’になると話は一変する。
‘二病’だと‘息災’ではなく‘即災’といった感じだろうか。
心筋梗塞や心不全のような病気での死は突然矢を射たれた感じで‘狩猟民族的’だ。
一方、癌の場合は朽ちて枯れていく草木のようで‘農耕民族的’だ。
クリミナル・マインドというドラマの中でジェーソン・ギデオンがこう言う。
癌というのは影無き敵だ
いつの間にか身体を蝕んで
気がついた時にはもう負けが見えている
癌の可能性を指摘されただけなのに
気分は完全に‘ナリポン・オン・ステージIV’になってしまった。
年賀状の中で暗喩として使った‘象の背中’も末期癌に因んだものだ。
奇しくも事実が発覚した翌日(12月7日)の私のブログは文字の無い
写真が2枚だけのものになった。
これは松井秀喜のファンとして‘絶句’してしまったせいもあるが、
私自身が精神的に‘無口’になってしまったことが大きい。
そして‘無口な精神状態’ではブログを続けるのは不可能と判断して
休筆を決意したのだった。
(続く)