2005年12月31日土曜日

人生50年大晦日の歴史~12月31日深夜の寝台特急で同窓会に集まった職業は?~

私が子供の頃は、今の子供達と違って夜更かしの習慣が無かった。

それが、何歳だったか記憶は定かではないが、初めて12時過ぎまで起きて
除夜の鐘を耳にしたのは、結構遅かった。

2年続けて、睡魔に襲われ失敗していた。
元旦の朝に起きて、お袋に‘なんで起こしてくれなかった’
と八つ当たりすると、‘何度も起こしたよ’と言い返されていた。

他のことならば、いくらでも取り返しがきくが、何しろ除夜の鐘は1年待ちだから、
自分でもやりきれない。
おまけに、次の年もやっぱり失敗してしまった時には、相当落ち込んだものだ。

そして、ついに初めて生の鐘の音を聞いたときは達成感を味わったが、やはり直ぐ寝てしまった。

中学以降になると、真夜中に友達と初詣に出かけるようになった。

一年中で唯一‘夜遊び’感覚を堂々と味わえる貴重な時間だった。

‘盆と正月’と言うが、子供の頃は、まさにそのふたつが毎月の小遣い以外の
‘臨時収入’に恵まれる数少ない機会だから心が躍ったものだ。

‘もういくつ寝るとお正月♪・・・はやくこいこいお正月♪’
という童謡があるが、別に凧を揚げたり、コマを回したりするのはいつでも出来る訳で、
欲しかったのは‘お年玉’だったのだ。

‘たしかに我が家の愚息も今日は妙にイイ感じだった’

大学を卒業して、銀行に勤め始めたが、まだあの頃は、土曜日も半日働いていたし、
年末も31日まで出勤していた。

銀行員1年目も31日まできっちり働き、冬のボーナスで両親のために買った、
カーディガンとマフラーをバッグに詰め込んで、その夜の寝台特急で帰省した。

列車の通路の折りたたみ椅子に座って、ビールを飲んでいると高校の同期に何年振りかに遭った。
入った大学は知っていたが、就職先は知らなかった。

尋ねると、やはり某都市銀行だった。

で、ふたりで酒盛りを始めていると、またひとり同期が現れた。

仕事を尋ねると、これまた某都市銀行だった。

そして、もうひとり(私は顔と名前は知っていたが話したことはなかった)が現れた時は、
もう疑うことは無かった。

案の定、某信託銀行員だった。

別に全車両をチェックした訳ではないが、同期の連中で遭ったのが全員、
銀行員という‘必然’に苦笑した。

もし、飛行機の中でスッチーが医者を探すように、
‘お客様の中に、銀行員のかたはいらっしゃいませんか?’とやったら、
もっとゾロゾロ現れていたに違いない。

当時は、帰省といえば時期が集中し切符を確保するのも大変だったが、
電車の中で新年を迎える寝台車は人気がなく、簡単に切符が取れた。

ナヌッ!
そんなに銀行員ばかりが乗っていた乗り物は寝台車じゃなく‘護送船’だったんじゃないかって?

確かに、そんな時代でしたなぁ(笑)

それでは、みなさん、良い年を!

2005年12月28日水曜日

ゲッ、こんなにいっぱい‘わたしを狙ったスパイウェアたち’~パソコンも大掃除~

ウィルス対策は、いちおう熱心にやっていたんだけどね。
と言っても、Windowsのupdateをきちんとやり、後はノートン君に任せているだけだけど・・・

テレビよりパソコンをオンにしている時間の方が多い生活を送っているが、
ウィルス被害にあったのは、春先に価格コムのサイトで感染した(サポートは最悪だったなぁ)位だ。
あとは掲示板の2ちゃんに行くとスレッドによって、ノートンが誤反応するケースがある。

スパイウェアというのは、知っていたが、ウィルスと違い特に対策を講じていなかった。

先ずはスパイウェアについてWikipediaでお勉強。

いつものことながら、読んでもわかったような、わからないような自分の理解力に苛立ちながら、
年末ということもあり、大掃除の意味も込めてスパイウェアの検出・駆除をやってみた。

最近は駆除サイトを装ってスパイウェアをインストールさせるサイトもあるそうだから、
(まるで二重スパイだな)気をつけないといけない。

有名どころはのSpybot S&DとAd-Awareのふたつらしい。

Ad-Awareはローマ字読みをすると‘哀れ’になりそうなので・・・(-_-;)、先ずはSpybotを・・・。

解説サイトは、2,3みつけて較べた結果『アダルトサイト被害対策の部屋』と言う、
なんとも怪しげなタイトルのサイトが一番わかりやすかった。

‘う~ん、俺は関係ないが、思い当たるスケベェも多いだろうな(~_~;)’

そこにある『Spybot S&D 1.4によるスパイウェアの除去方法』に従ってやってみたが、
説明が丁寧だから、問題なくインストールできた。

で、いよいよスキャン開始。

いつものことだが、2台PCがあるので、先ずは古い方のマシーンで試してみる。

チェック中の表示がされている中、問題箇所が次々と・・・

‘ありゃ、こんなにいっぱいのスパイウェアが狙っていたのか・・・’

結局、検出された問題箇所は、なんと23もあった。

CasinoPopup.Stuff
Sex.list
Sex Tracker
XXXToolbar

見ただけで、アダルトサイトっぽいとわかるものも幾つかある。

‘あれ、おかしいな、そんなサイト一度も行った事ないのに・・・(=◇=;) ギクッ’

もう1台のマシーンもやってみた。
こっちは、買ってから1年チョットだからな、少ないだろう。

ナヌッ!44問題箇所検出ってなんだよ・・・(  ̄っ ̄)ムゥ

さて、こうして、思いがけない‘大漁’に震えながら、削除の作業だ。

いかにも、怪しげなものは躊躇がないが、削除によって、使えなくなるソフトがあるかも知れない。

私の俄か勉強で言えば、
Windows Security Centerが付くものは削除しなくても良い。

あと新しい方のマシーンで44個の検出のうち、31個の原因になっていたのは
CnsMinというのだが、これはJWordという検索サービスに絡んだものでスパイウェアではないので、
削除しなくてもいいらしい。
参考サイトはこちら

まあ、そう考えると、実質は11個ということになるが、
それにしてもこんなに多くのスパイウェアが潜んでいたとは驚きだ。

実際、それらの悪さによって、何か‘実害’を蒙ったか‘自覚症状’は無い。

しかし、ネットバンクを悪用して実際に被害が発生したり、個人情報が流出したりしている。

考え方によっては、ウィルスより質が悪い代物だ。

ところが、世の中はウィルスに対しての啓蒙は進んでいるのに,
スパイウェアに関してはイマイチのような気がする。

出てくる奴には対策をしてるが、隠れている奴は放置なのだ。

私も全然勉強不足だが、今日は取り敢えず初めての検出・駆除をやってみた。

きょうの私の記事を読んだ人で、未対策の人は、
これをきっかけに是非年内に大掃除をしてみてはいかが?

‘まあ、そのうち’と言う人は、一生やらないかもよ。

因みにAd-Awareの方は、ノートンと干渉するらしくインストール出来ていない。
もう少し研究してみる。

2005年12月27日火曜日

松井秀喜がWBC出場辞退はノー・サプライズ~松井叩きに必死なネオ・ナショナリストどもの笑止~

松井秀喜が、WBCへの出場を正式に辞退した。

某日刊ゲンダイ風に言うならば‘かねてより本紙が報じていたように・・・’となるが、
ナリポンも早い段階で、松井の不参加を予想し記事を書いてきた。

今月の中旬以降は、世間の見方も出場辞退に固まってきていたから、今日報じられても、
まったくの‘想定内’のニュースだった。

相場の世界でいう‘織り込み済み’或いは‘Buy the rumor, sell the fact.’の典型だ。

まあ、そうやって先手先手で攻めていくのが優れた相場師なのだが、何故か世の中には、
ここぞとばかりに松井叩きを続けている、つまらない輩がいる。

松井は出場しようか否かはほとんど悩まなかったのではないだろうか。
心の振れとして、五分五分なんてことは一度もなく、精々7:3で悩んだ程度だったのでは・・・。

松井は初めから、乗っていなかった。

そして、ヤンキース‘最後の打者’になってからは、
益々シーズン重視の姿勢になったのではないだろうか。

好条件でヤンキースと再契約したことで、
さらにフォア・ザ・チームの責任を感じているのかも知れない。

そういう意味では、松井の決断はクリアーだった。
‘日の丸を背負って戦う実感が湧かない’というのも正直な気持ちだったのだろう。

そこを捉えて、あたかも‘非国民’扱いしている連中もいるが、
松井にとっては所属チーム優先なのだ。

WBCに否定的なオーナーの意向を酌んだ‘消極的な理由’ではなく、本人も言っているように、
‘積極的な理由’がある。

‘(ヤンキースの一員と日本代表という)二つの目標を追うことで、
ヤンキースでワールドチャンピオンになるんだという米国行きを決断した時の
大きな夢がおろそかになるのを恐れる’

この判断を、この決断を私は支持する。

まあ、最終決断というか表明を引っ張り過ぎた感は否めないが・・・。

イチローは、あっさり出場を快諾した。

歴史のない大会だが、一回目が無ければ二回目はない、だからこそ初めは大事、としているが、
それが彼の価値観であり、それに基づいて決断をした。

要するに、松井もイチローも自身の信念に基づいて行動しているだけだ。

それなのに、偉そうに松井を‘非国民’と叩いている‘ネオ・ナショナリスト・モドキ’は、
笑止の至りだ。

私の個人的な見解で言えば、やはり開催時期が良くない。

料理で言えば、まるでアミューズと言った感じで、オードブル以前のタイミングだ。
むしろ、デザート感覚で、ワールドシリーズ決着後で良いのではないか。
その上で、将来的にはサッカーのワールドカップのようにシーズン中の開催も検討するとか・・・。

後はキューバ問題のような政治問題を絡めている限り、真の国際大会とは呼びにくいだろう。

まあ、松井が出ようが出まいが、野球大好きオッサンの私が観まくるのは間違い無い。
幸い、例のMLB.tvが全試合カバーしそうだから楽しみだ。

どの程度、燃えるかは自分でもまったく不明だ。
たぶん、素直に日本を応援するだろうが、ドミニカも面白い。

‘でも、私が真剣に燃え始めるのは日本時間4月4日午前11時5分だ’

それにしても、便箋15枚って、私の長い人生でも書いたことがないぞ。

2005年12月25日日曜日

大昔‘ジャネット・リン’、ちょい昔‘伊藤みどり’、今‘よりどりみどり’~結局はロッテ・シスターズが代表に~

女子フィギュアスケートと言えば、素直に札幌オリンピックのジャネット・リンだ。

当時高校生だった私は、素直にあのブロンドのショートヘア―、あの笑顔に魅了された。
フリーの演技で、転倒した後も満面の笑みを見せながら、演技を続け、かえって感動を呼んだ。

翌日の朝日の4コマ漫画、サトウサンペイのフジ三太郎は傑作だった。

三太郎がジャネット・リンが転んだ場所の氷を削って、
それでオン・ザ・ロックを飲むというものだった。

当時は、勿論アルコールの味は知らなかったが、極めてわかり易い感覚だった。

但し、所詮スポーツとしては余り興味がなかったから、単なる俄かファンで終った。

次に登場するのが、伊藤みどりである。

トリプル・アクセルを女子選手として初めて公式戦で成功させたように、
とにかくジャンプ技術が優れていた。

アルベールビル五輪では一度は失敗しながらも、2度目に成功し銀メダルを獲得した。

ただ、当時の口の悪いマスコミの中には、
‘伊藤みどりは、滑る前に登場しただけで、芸術点が減点される’
等と、私の言いたいことを見事に表現しているものもあった・・・(゜o゜)

その後は、オリンピックなら一応見るかなと言った程度で、フィギュアスケートに関心は無し。

それが、ここにきて、なんともミーハー的に盛り上がっている流れに、すっかり乗せられてしまった。

基本的には、浅田真央という新星の登場によるものだが、他の選手もなかなかで
‘よりどりみどり’と言える。

真央ちゃんは素直に可愛いいし、柔らかく軽い。
演技中は目の動きが歌舞伎役者並みに動くが、普段の仕草もあどけなく愛らしい。

ミキティはちょっと太り気味だが、大きな目が魅力的だ。
ただ個人的には私服の時の方が魅力的に見える。

荒川は何となくタイ人のニューハーフっぽい。
マルシアにも似ていると思ったが、今日は髭を剃って髪を切ってヤンキース入りをした
ジョニー・デーモンにそっくりに見えた(笑)

中野はどこか‘特ア風’の顔つきだ。

恩田は、どうも技術的にも芸術的にも印象が薄い。
顔は‘水曜どうでしょう’の大泉洋に似ているか。

不思議なのは村主だ。
私服で、ジャンクスポーツとかに出ているのを見ると、別にどってことのない顔だし、
しゃべりもシャープではない。
ただ、スケートをしている時の表情は情感に溢れ、妙に惹かれるものがある。
ほくろといい、半開きの口元といい、何故か見ていると切なくなる。

と言う訳で、私の‘指名’で3人選ぶとすれば、浅田真央、村主、安藤なのだが、
真央ちゃんは年齢的に足りず‘淫行’になってしまう。

世界のシニア大会で一位になったのに、ルールはルール。
諸外国からは出場を求める声がたくさん聞かれたのに、肝心の日本が協会として動かなかった。

城田強化部長が矢面に立たされたが、彼女が見た目も発する言葉も、
見事な‘叩かれキャラ’だった。

確かに霞ヶ関の官僚臭い言動だった。

‘なんか予め既定の路線が決まっていて、そうならないと困るって感じだな’

騒動の中で動揺したのか、昨日は男子の採点ミスにも絡んでいたようだ。

そして、終に今日最終選考の日本選手権が終わり、女子代表3人が選出された。

安藤、荒川、村主の3人だ。

‘そうそう、これが城田さんの描いた既定の路線か・・・(-_-;)’

既に、この3人を‘想定内’にしたように、ロッテのCMが作られ、流されていた。

感覚的に言えば、最近台頭してきた中野は不満だろう。
なにしろ、安藤との直接対決では3戦全勝だ。

フィギュアは前回のソルトレイク五輪でも、不正なジャッジが問題となった。

スポーツ大好き人間の私が、こういう採点競技は余り好きでないのはそういう理由だ。

客観的な数字で争える競技はクリアーに勝敗や順位が決するから潔い。

まあ、採点競技だからこそ、今日の私のように、顔やスタイルだけで論じても許されるかな。

どうせなら、エキジビションのひとつとして、ノーメイクで競うってのはどうかね。
スピン対決ならぬ‘スッピン対決’・・・(^o^)/

2005年12月24日土曜日

クリスマスはその時々を投影する‘人生の縮図’~あぁ、50回目はノー・イベント~

今の若いジェネレーションーの人間には信じられないだろうが(ジジクサイ)、我々がガキの頃は、
1年中で、ケーキを食べられる機会というのは、誕生日とクリスマスしか無かった。

我が家は4人家族だったが、誕生日の並びが最悪だった。
11月30日から1月8日の間に全員の誕生日があったのだ。

従って、1年365日のうち、ケーキを食べられる期間がこの40日間に集中していた。

おまけに、両親の誕生日は12月の20日と26日だったのだ。

えっ、1週間に3回?と思いきや、おとなの論理はいつも‘狡猾’だ。

20日の分は‘もうすぐ、クリスマスでしょう’と言われ、
26日の分は‘クリスマスで食べたばかりでしょう’と言われる。

振替休日制度が無い頃、祝日が日曜日と重なると、思いっきり損した気分になったものだが、
この誕生日とクリスマスのケーキも同じように損した気分だった。

祝日はその年によって変わるが、誕生日は不変だから、毎年同じ不幸に襲われていた。

それでも小学校の頃は、一時期、誕生会が流行り、おかげで夏にもケーキを食べられた時は、
感激したものだ。

段々と自我に目覚めると、食い気より関心の対象は異性に向けられるが、
カードやチープなプレゼントを交換する程度で、クリスマスは引き続き家族と過ごしていた。
メイン・ディッシュは鶏のモモだった。

それが、高校卒業後、上京して一人暮らしをすると、状況は一変する。

野郎同士で鍋パーティなんてのもあったが、そのうち誰か女性と過ごすようになっていた。
積極的にホワイト・クリスマスを求めて、スキー場へ行く事も何度かあった。

結婚して、直後にシンガポールに転勤になり、妻が3ヶ月遅れでやってきたのが、
ちょうどクリスマス・イブだった。

確か、今思えば余りにも臭すぎて、ここに披露する勇気も無い言葉を吐いた筈だ・・・(-_-;)

海外で味わうクリスマス、街のイルミネーションは華やかで心が躍ったが、
何しろ常夏の国、気温30度の暑さとクリスマスを結びつけるのには違和感があった。

30代の一時期は‘第二の青春時代’を満喫していた。

有名レストランの予約に奔走し、2日間で、昼、夜あわせて3回のメシを
違う相手と喰ったりした過激な年もあった。

日本のディーラーはクリスマス期間は海外市場が休場だから、ヒマなのだ。

その後、ガキが生まれ、ちっちゃなツリーも飾ったりしたが、
それも彼がサンタがいると信じていた頃の話だ。

私の心臓が冒されてからは、それなりに食材には投資をするが、ずっと家メシだ。

そして、今日・・・50回目のクリスマス・イブ

先ず、朝一番でぶっ飛んだ。
辛坊がやってるウェーク・アップが年末大激論というのをやっていたので見た。

私が無能と決め付けている岩田のほかに、コメンテイターてんこ盛り状態だった。

朝っぱら、ここまで不機嫌になれるのかという、禿げの三宅に驚いていたら、
今日、初めて知った‘化け物’を見て頭が割れそうになった。

川条志嘉という女で先の衆議院選挙で初当選した。

全身が選挙カーの拡声器みたいな感じで、声がでかいだけで、論理も何もありゃしない。
三宅に‘あんた、馬鹿か?’と言われていたが、馬鹿というより、
精神的に病んでいる感じだった。

‘精神科医の香山エリも同席していたけど、一度診てもらったら・・・’

どうせ、タイゾーのように比例区だろうと思ったら、なんと大阪2区じゃないか。

2,3分話しただけで、十二分に‘カミングアウト’していると感じたのだが、
私の感覚がずれているのだろうか。

彼女のような人間を選んだ選挙民が正直理解できない。

それにしても、この前の証人喚問での渡辺‘無能’といい、今日の川条志嘉といい、
なんであんな奴等が議員をやってられるのだろうか。

‘イブの朝一番で、トナカイならぬとんでもない志嘉(シカ)を目にしてしまったな(笑)’

今夜のメニューは?と聞いたら、なんと塾があるので(6~9時)、
食事は3人バラバラになるとのこと。
(冬場は妻が車で送迎するので、彼女は酒を飲むためには塾終了後に食べる。)

だから、クリスマスメニューは明日だそうだ。

いま、こうして過去50回のクリスマスを振り返ってみると、素直にその時、その時の人生が、
縮図のように投影されているような気がする。

病気になってノー・イベントな毎日を送っている私のクリスマスに、
何も劇的なことは起こらないのは当然だ。

いやぁ、待てよ。
今年の生活で大きく変わったとすれば、このブログの存在だ。

そうそう、読者のみなさんメリークリスマスbuta-kun-santa

特に、今日の記事を読んでくれた人にはプレゼントだ、ほれっ!santa-01

2005年12月23日金曜日

♪これっきり、これっきりの‘ゆずきり’~ゆずきりと言えば竹泉が‘最愛の人’~

今日の昼は蕎麦屋に行った。
当地で最も江戸風の流儀の蕎麦を提供している店だが、昨日と今日限定で、
変わりそばの‘ゆずきり’を喰うことができる。

と言っても、事前に予約した人限定であるが、我々は早々に予約していた。
私はゆずきり、妻は3色盛りだ。

出てきたゆずきりは、見た目は色が薄く、蕎麦もやや細すぎたが、
食べてみると、香りはほどよく、歯応えも、喉越しも悪くなかった。

店主の話では、来年の冬至まではやらないそうだ。

しかし、こうして、ゆずきりを食べたのはほぼ5年振りになるだろうか。

私の‘ゆずきりロスト・バージン’は、西新橋にある竹泉という蕎麦屋だった。
当時は、本陣房という店名で営業していたが、新橋駅よりにある本陣房本店の系列店だ。

この‘初体験’で、いきなりの‘快感’を味わった訳だが、その‘初恋の相手’が
いかに素晴らしいかは、その後、他の相手を試してみて、実感を深めていった。

先輩格にあたる本陣房本店と較べても、ゆずきりに関して言えば、
私の舌では、竹泉の方が優れているように感じた。

竹泉はキャパが小さいので、昼も夜も大混雑だった。
特に夜は、みんなが酒を飲むから、満席だと1時間待ちも覚悟だった。

そういう時は、ぷらぷら歩いて、本店に行ったりしたが、どうしても‘初恋の人’の方が
お気に入りだから、何となく落ち着かない。

竹泉では、三色もり(変わり、せいろ、田舎)が人気だった。
3段一度に出てくるのではなく、1枚ずつ順番に運ばれるのも、きめ細かい心遣いを感じた。

私は、基本的には‘田舎嫌い’なので、2色もりを頼んでいた。
ある時、ゆずきりを堪能しようと、1色で頼んだが、何となく途中で飽きてしまった。

そこが、変わり蕎麦の限界なのかもしれないが、やはり2色や3色にした方が、
お互いの味わいを引き出す効果があるような気がする。

まあ、パスタでも数種類の盛り合わせにすると、味の違いも楽しめるし、量的にもいとおしいから、
より美味しく感じるものだが・・・。

‘死ぬまでに、もう一度食いたい、ゆずきり部門では、この店が圧勝だな’

蕎麦屋にしては珍しく、刺身系が充実しているので、夜は飲み屋としても重宝な店だった。

柚子というのは、皮のひとかけらだけでも、鴨汁相手に、或いはラーメンスープを相手に、
果敢に存在感を示す。

一方で、その香りは気高さも感じるほど上品で、洗練されたイメージがある。

世の中の‘ゆずきりバージン’は是非この冬、試してみてはいかが?

東京地区に住んでいる人々には、この本陣房系列はおすすめだと思う。

ナヌッ?
‘ゆずきり’が一瞬‘ゆきずり’に見えただって

う~む、実は書いてる私も何度も・・・(-_-;)

2005年12月22日木曜日

白夜のやうな人生

白夜のやうな人生


暗い
夕方の5時ともなれば
真っ暗だ

今日は夜が最も長い
闇の深い一日だ

摂理に従い
まるで何かの意図を持って
当然のように
昼と夜の配分を変える四つの季節

生きていると言う
激しい実感
生きて行かなければならないと言う
微かな焦燥
生きて行けるのかと言う
漠たる不安

だからと言って白夜のやうな人生が
果たして望むべく最善だろうか
陰画と陽画があってこそ
真に光沢に満ちた人生が…
可能になる

或いは
そう信じることによって
この暗い時を忍従しているのだ

2005年12月20日火曜日

動物愛護団体よ、ったく、またおまえらのせいで好物のフォアグラが食えなくなるかもしれないじゃないか

私は肝臓が大好きだ。
豚、牛、鳥の肝臓は、まあ普通に手に入るが、カモやガチョウの肝臓、フォアグラは値が張るから、
覚悟しないと食べられない。

それでも、ネット販売を知るようになってから、手軽に入手できるようになり、
値段も比較的安定している。

ところが、このフォアグラの生産に関しても、何かと規制の動きがあるのだ。

フォアグラのフォア(foie)は肝臓を意味し、グラ(gras)は「太った」「脂肪性の」という意味である。

ガヴァージュと呼ばれる手法で、カモやガチョウを閉じ込めて、トウモロコシなどの飼料を大量に
強制的に食べさせて、脂肪肝を発症させるのだ。

このやり方が、一部の動物愛護団体からみれば動物虐待に該当すると大騒ぎしているのだ。

実際、シュワちゃんのカリフォルニア州では、2012年以降、
ガヴァージュにより作ったフォアグラの生産、販売を禁止するそうだ。

それまでに‘人道的’な別な生産方法が確立させれば、そのフォアグラはOKということらしいが、
そんな方法ってあみだせるかな。

今年の10月にはイスラエル政府が、やはり動物虐待との見地から、フォアグラの生産を禁じた。

そんな流れの中、世界生産の80%を占めると言われるフランス政府も動いた。

フォアグラは保護すべきフランス文化・料理の貴重な遺産であるという法案を可決したのだ。
EUの家畜保護規定は各国の宗教・文化的な伝統は規制の対象外としているため、
今回の‘文化遺産’宣言によって批判をかわせるという発想らしい。

‘う~む、なんとしてもがんばってもらわなければ・・・’

今日初めて知ったけど、日本って世界で2位のフォアグラ消費国なのね。

ただ、レストランに行くと、フォアグラをでぇ~~~んと扱ったメニューは少ないような気がする。

前菜で、パテやテリーヌにするとか、メインでもビーフの上にチョコンと乗っけたロッシーニ風だとか、
(このロッシーニってあの作曲家と同一人物なんだよね、料理人に転向したそうだ)
気に入らない。

良い店だと‘メインとして125gをソテーで頂きたいんですけど・・・’と頼むと
応じてくれたが、かなりのお値段になってしまう。

お洒落なグルメは、いろいろ弄った料理が好きなんだろうけど、
わたしぁ、やっぱど~~~んと、フォアグラのソテーという直球勝負が好きなのだ。

最近はもっぱら家で食べるが、50gのフォアグラをワンピースと牛フィレ30g位のステーキを盛る。

主役は飽くまでもフォアグラだから、ビーフはそれ以下の量に留めるが
食感を変えるにはあってもいい。

‘まあ、なんだな、ラーメン食ってる時のチャーシューみてぇーなもんだ’

ソテーにするなら、絶対ガチョウのほう(フォアグラ・ド・オア)がいい。
カモのほうは結構解けてしまう。
そうでなくても、加熱すると縮んでしまって、寂寥感に襲われるのに、解かしてしまったら、
さらに悲惨だ。

動物愛護団体のせいで、不自由にしか食べられなくなり、しかも値段も暴騰したものに鯨がある。

‘なんか、俺の好物って狙い撃ちされてるな’

日本も負けずに、鯨を食すのは‘歴史的文化遺産’だと宣言しよう。

2005年12月19日月曜日

中国よ、ったく、またおまえらのせいでキャビアが高騰するじゃないか~アムール川汚染問題~

プロフにもあるように、私は魚卵が大好きだ。
たらこ、筋子、いくらはまあ、普通に食べられるが、からすみとキャビアは値が張るから、
覚悟しないと食べられない、

特に、そもそも高いキャビアは世界的な品薄のせいで、値段が高騰しっぱなしだ。

そこに、更なるバッドニュースが飛びこんできた。

11月13日に中国の吉林省の化学工場で爆発事故が起こり、それによってベンゼン等の
有害物質が、中国北部を流れる松花江に流出した。

ベンゼンは医薬品や染料・香料・爆薬などの合成原料となる無色揮発性の液体で、
人体には有害だ。
発がん性があり、白血病などの原因ともなるそうだ。

その川の下流には中国とロシア国境を流れる黒龍江(アムール川)がある。

汚染のせいで、中国、ロシアの周辺住民の水道問題が発生しているほか、
生態系にも深刻な影響がでそうだ。

世界自然保護基金(WWF)ロシア支部のミタソフ情報局長は、
「アムール川では多くの魚が死ぬほか、川底の植物などにも多大な被害が出るだろう」と述べた。

その被害のなかに、チョウザメがいる。
アムール川は、いわゆるオオチョウザメが獲れる数少ない地域で、
キャビアでもっとも大粒のベルーガが取れる。

それが、この汚染により漁業の操業停止が実施されている。

操業再開についての情報もなく、1年くらいダメじゃないかとの見方もある。

これで来年以降の、キャビアの相場が上昇するのは、間違いないだろう。

実はキャビアだけじゃなく、アムール川床で産卵したサケとかへの影響も懸念されるし、
そもそも、川を下ったあとは日本海に通じる訳だから影響は予測不能だ。

米国産牛肉再開で、再び食の安全が話題になっているが、ベンゼンという‘透明な毒’が
果てしない範囲で拡散された場合は根が深いだろう。

日本もいわゆる高度成長期には、公害問題が深刻だったが、中国もまさに高度成長を続けている。

‘国土の広さで、毒が希釈されると思ったらエライことになりまっせ’

と言う訳で、値上がり前にキャビアを‘食い溜め’しておきましょう。

2005年12月18日日曜日

スペインに行ったら、まずこれを食え!世界最強の生ハムJamon Serrano(ハモン セラーノ)~日本にいても一度は食ってみよう~

私が初めてスペインに行ったのはスペイン系の銀行に転職した1992年の秋だ。
それ以降、退職するまでの8年間、毎年秋に、チーフ・ディーラー会議出席の
ためにスペインに行った。

初めて行った時からいきなり、嵌ったのがハモンセラーノだ。

生ハムなのだが、それまで味わった事のない独特の香りと味わいがあるのだ。

‘なんか、イタリアのプロシュートなんて目じゃありませんよ ’

初体験で虜になるのは、別に私に限った事ではない。

ナリポンとは似ても似つかない顔をしている坂口憲二(ナンカ変)が、何年か前に
‘とんねるずの食わず嫌い王’に出演した時に語っていた。

「仕事で初めてスペインに行ったんですが、食べ物が美味しくて、
特にハモンセラーノという生ハムが・・・毎日通いつめました」

その後しばらくして、石橋貴(俺はキライ)が質問する。

「生ハム以外には何か美味しいのは?」

「いやぁ、とにかく生ハムが美味しかった、なんでも美味しいんですけどね・・・」

良い人イメージの坂口だから、気を遣っているのだろうが、
彼にとっては要するにハモンが群を抜いて美味かったのだ。

‘でも、彼の感じ、すげぇ、わかるなぁ’

私もバルでもレストランでも必ず注文していた。

天井から、何本もの脚が吊るされている風景が壮観だ。
専用の台にはめ込み、これぞ職人技という感じで一枚、一枚、削ぐように切っていく。
値段もばらつきがあるが、やはり安すぎると味が落ちる。

3,4日の会議期間中の昼飯は銀行の役員食堂みたいなところで食べるが、
その時も、食事前に食前酒とともに、ハモンが必ず供された。

一流とは言えない銀行だったが、出されるハモンセラーノだけで格付けすれば
トリプルAだった(笑)

2年目には、私のハモン好きが有名になり、
副部長がおみやげにブロックを密閉パックしたものを用意してくれた。

当時は、実は日本への持込は禁止されていたが・・・(-_-;)
そして、3年目からは、実費を払って彼の奥さんに買ってもらうようになった。

‘自分の国のものを美味い美味いと言われるのは、いい気分なんだろうな’

でもハモンを楽しめるのは、出張期間中とおみやげがある1ヶ月くらいだ。

日本でハモンセラーノ作りに挑戦した人もいて、2度ほど試してみたが、
値段も安くないし味的にも満足できなかった。

そして2000年、私が大病して、6月には退職し、スペインに行く機会も体力も無くなったと
悲しんでいたら、なんのことはない、ハモンの輸入が解禁されていた。

ハモンの醍醐味はやはりあの塊を、都度スライスすることにあると思っていたし、
マドリッドの空港で買った、真空パックのスライスの印象は余り良くなかった。

ところが、何年か前に、フォアグラの購入のついでに買った、ハモンセラーノのスライスが、
予想外の大当たりだったのだ。

‘そうそう、この香りだ、この風味だ’

スペイン在住経験のある友人にも贈ってあげたが、彼女も中々の出来だと喜んでいた。

私の食べ方のオススメは、ただひたすらシンプルにハムをそのまま食べる、である。
焼いたバケットとの相性は悪くない。

ただ、生ハムと言えばメロンというような発想は、ハモンには合わないと個人的には思う。

ある程度空気にさらして、表面がしっとりとしてきて、輝いてきたら食べ頃だ。

ここ2,3年、日本のグルメ関係者の間では、イベリコ豚が大人気だ。
ハモンの中でも、イベリコを使ったハモン・イベリコと言うのがあって、最高級品とされている。
グラム当たりで較べても、セラーノの4~6倍の値段はする。
ただ私の好みから言えば、イベリコは脂がきつすぎるし、熟成しすぎた感じでしつこい。

‘大トロより、ほどよく赤身と脂が混じっている中トロの方が美味い’

もし、同じ値段で手に入るとしても、セラーノを選ぶだろう。

これから、クリスマス、年末・年始を迎える。

チョッと‘脱日常’を味わうには、ハモンセラーノは悪くない。

取り敢えず、この手ごろなスライスを試して、次に原木を試して、
将来的には現地スペインに食べに行く。

これがハモン食いの進化の過程だな。

すると、私の場合は逆に退化していることになるな(笑)

‘ハムの人’を漢字にすると‘公人’(ナンチャッテ)

2005年12月16日金曜日

名将、智将というより‘一緒に酒を飲みたい人’仰木彬氏逝く~日本人メジャーリーガーの父~

私が仰木さんの訃報を聞いたのは、昨夜の報ステの中だ。
悲しいお知らせがありますと言う、前置きの後で、顔写真が映し出されて驚いた。
死因が癌だと聞いて二度驚いた。

以前から癌に冒されていたのは知らなかった。
というか、つい数ヶ月前までユニフォームを着て監督を務めていたのだから、
そんな想像もできなかった。

急性心筋梗塞とか突発的な病気なら考えられるが・・・

記憶が思いっきり曖昧だが、今年の春、開幕前の仰木監督をどこかの女子アナが屋台で
酒を飲みながらインタヴューする番組を偶然観た。

最初はビールでスタートして、途中で日本酒にチェンジ。
本当に美味そうに飲んでいるし、女子アナが隣でご機嫌だ。
で、屋台のオヤジが次の一品を出した時の一言が素晴らしい。

‘ああ、これはやっぱりビールだな、もう一回ビールに戻ろう’

その一品が何だったのか、もう忘れてしまったが、観ていた時には私もビールに合うなと
思った料理だったのは覚えている。

テレビの収録中だと普通は遠慮しがちだろうが、彼はおかまいなしだった。

‘う~ん、一緒に酒を飲むならこういう人だな’

しかし、今考えてみれば、これぞ仰木さんのデフォなのだろう。
どのつまみにはどんな酒が合って、美味さを引き出すかと言うことを真剣に考えることは、
選手の育て方、起用法にも通じる。

選手の個性を尊重し、それを伸ばすことが得意だった。
そのためには、つまらない既成概念には拘らなかった。

彼の元から育ったメジャーリーガーが多いのも偶然ではないだろう。
パイオニアの野茂をはじめ、長谷川、イチロー、田口、吉井・・・中村紀はOrz
日本人メジャーリーガーの父と呼んでもいいのではないか。

‘あの’イチローも仰木さんには心から敬意を払い、感謝し、心を開いているような気がする。

シアトルで訃報を聞いて、コメントできないくらいショックを受けているらしいが、無理もないだろう。

私が一緒に酒を飲みたい仰木さん、飲みたくないイチロー
その二人が美しい師弟関係にあるだけでも、仰木さんの懐の深さがわかる(笑)

報ステで訃報を知ったが、前身のニュース・ステーションの本番中に、
小宮悦子を口説こうとしたのは有名な話だ。
彼女もいまなら口説かれても良かったかな,と思っているかもしれないね。

安らかに眠って下さい、と祈ってみても
‘酒はうまいし、ねーちゃんはキレイだ♪’と天国でも‘本領’を発揮しそうだ。

思わぬ訃報に動揺した今日、私は予定通りに、CTスキャンの検査を受けた。

《追記》
マスコミを含め、他のブログ記事を読むとイチローの名付け親としているが、
登録名の変更のアイデアを出し、進言した実質の名付け親は新井宏昌コーチであり、
それを認めたのが仰木さんと言うのが、事実らしいですよ。

2005年12月15日木曜日

【電凸】部会の禁煙化も出来ない自民党に‘改革’は無理だろ~タイゾー、さつき、ゆかりからも返事無し~

12月6日に、自民党新人議員で構成する「83会」(土屋正忠会長)が、
たばこ税の増税を働きかけることで一致したという記事を目にした。

特定の新人議員をまるで芸能人のように追い回すマスコミには辟易としているが、
この83会は10月にも、たばこに関するアクションを起こしている。

自民新人、禁煙申し入れへ

 先の衆院選で初当選した自民党の新人議員83人でつくる「83(ハチサン)会」は19日の幹事会で、部会など多数の議員が参加する党の会議を禁煙にするよう、近く武部勤幹事長に申し入れることを決めた。83会の会員は党の会議中の喫煙を控えることも申し合わせた。

 女性の出席議員から提案があり、「込み合った部屋で隣の人にたばこを吸われると迷惑だ」「民間では会議中の禁煙が常識になっている」などと同調する声が相次ぎ、異論なく決まったという。

 自民党の会議では卓上に灰皿が置かれるのが通例で、部屋中がたばこの煙で白くかすむ光景も珍しくない。(共同)


いまどき、まだのうのうと会議で喫煙可能としている旧態依然とした体質に唖然としたものだ。

そこで、実際に部会の禁煙化が実施されたのか確かめようと思ったが、
会長の土屋議員のメルアドを発見できなかった。

そこで、83会の目玉的存在の3人にメールを送ってみた。

片山さつき、佐藤ゆかり、杉村太蔵の3議員だ。

件名:たばこ税増税大賛成

はじめまして・・・

83会でたばこ税増税を働きかけるとの報道に喜んでおります。
拙ブログでも、以前から増税の主張をしております。

大増税、大賛成!あぁ、たばこ税限定だけどね~1箱1000円で一石三鳥~
http://plaza.rakuten.co.jp/naripon/diary/200510300000/

ところで、ひとつお尋ねしたいのですが、10月19日に同会が、部会等の会議における
全面禁煙の申し入れをした筈ですが、実施されているのでしょうか。

上記ブログにも書きましたが、禁煙化も出来ずに‘改革’でもないと思います。

ご活躍期待しております。


メールを送ったのは12月6日の夜10時過ぎだ。

いくら‘人気者’3人でも、ひとりくらいは返事をくれるだろう、と思った。

ところが、まったく返事がない。
そこで、12月12日夜10時過ぎに、再びメールを送った。


件名:たばこ税増税大賛成(再送・返答待ち)

お忙しいでしょうが、下記質問に是非お答え頂けないでしょうか。

単純にYESかNOで結構です。

> ところで、ひとつお尋ねしたいのですが、10月19日に同会が、部会等の会議における
> 全面禁煙の申し入れをした筈ですが、実施されているのでしょうか。


そんな中、14日になって、たばこ税増税のニュースが飛び込んできた。
1本1円という、なんともへタレな増税だが、増税見送りの可能性が高かった中での、
打っちゃり劇だった。

税の使い道が、公明党の政策支援だから、実際のところはどの程度の影響力があったかは
不明だが、タイミングだけで言えば83会の影響も微かにはあったかと思わせる。

‘そうだ、83会はたばこ政策で何か先進的なことをするイメージを
定着されせばいいのではないか’

そう考えると、益々、部会の禁煙化が実施されているか否かが気になる。

そこで14日の夜11時に3度目のメールを3議員に送った。

件名:たばこ税増税大賛成(再々送・返答待ち)

度々恐れ入りますが、何故この程度の質問にお答えいただけないのでしょうか。
メールは本人、もしくは関係者に読まれているのでしょうか。

放置されて、いるのでしょうか。
もしこのメールに返事を頂けない場合は、その‘顛末’を拙ブログで公開します。

> お忙しいでしょうが、下記質問に是非お答え頂けないでしょうか。
>
> 単純にYESかNOで結構です。
>
>> ところで、ひとつお尋ねしたいのですが、10月19日に同会が、部会等の会議における
>> 全面禁煙の申し入れをした筈ですが、実施されているのでしょうか。


いまだに誰ひとりからも返事は無い。

何故、ここまでやられても3人ともシカトを決め込むのか。
単にメールなんて無視しているのか、或いは禁煙化されて無い事実を明かしたくないのか。

結局今日、部会等での禁煙化が実施されているかどうか、自民党本部へ電凸すると、
担当へ変わります、と電話を回された。

ところが、そこへ登場した男は質問に対して
‘どうかなぁ、わかんないんなぁ、いま忙しいから・・・’
と言いながら、ガチャと電話を切られた。

‘おいおい、なんだよこいつ、突然ガチャってマジかよ’

温厚で有名な(ウソ)私も、さすがにムカついたが、そこは再び代表へ電話を架けてやり直した。

二度目にアテンドした女性は、男の非礼を詫びた上で、
直接2,3の部会に連絡を取り、事実関係を調べてくれた。

部会は全部で13あるそうだが、禁煙化はされていないそうだ。

党で決めるとすれば、幹事長レヴェルで先ずは決定する事項で、
実際83会の要望書も武部幹事長宛だった。

肝心なところではNOというのね、あの‘痛いなぁ’イエスマンは・・・(-_-;)

それにしても、健康増進法が施行されてから2年半がたち、国家としても今年2月に
たばこ規制枠組条約が発効しているのに受動喫煙の防止という意識がまるでない政権与党。

というか、実社会で言えば、同席する人間から‘たばこを吸わないで下さい’と言われても、
平気で吸い続ける傍若無人な輩と同じだ。

加えて、議員に再三メールを出しても読まれているかも怪しいし、返事もない。
党本部の担当者に電話を架けてもいきなりガチャっと切られる。

今回の増税幅は、ゴルフでいえば、あたかもグリーンまで300ヤードあるのに、
パターを選んでいるようなものだ。
それでも、一打は一打として数えられる。

こんな増税が妙な実績になって次の増税が遠のくようでは、かえってやらない方がマシだ。

そういえば、民主党の「次の内閣」会合では1本20円の増税をしろ、と景気がいい。

なおかつ、部会等では‘原則禁煙’だそうだ。
電凸で、確認したら愛想良く即答してくれた。

たばこ政策だけなら民主党支持でよさげだが、何しろ、数で圧倒されているし、
カレーライスとライスカレーと揶揄されるくらい存在感が無い。

たばこ政策は福神漬けやらっきょうの違いといった程度か(笑)

しかし、こんなヘタレ値上げじゃ、禁煙の動機にはなりにくいだろうな。

2005年12月14日水曜日

強度偽装の証人喚問が‘勧善懲悪劇’にならない苛立ち~元凶は質問者のロー・クオリティ~

強度偽装建築に関わる、証人喚問が行われた。

合計で7時間近い‘ドラマ’をテレビで完全中継だ。

真相の解明をして欲しいと言うのは、建前で、当事者でもない私は、
単純に悪者達が窮地に立たされる‘勧善懲悪劇’を見たいというのが本音だ。

ドタキャンが懸念された姉歯も出席し、さあいよいよ始まったと思った瞬間、
絶望の嵐に襲われた。

‘なんじゃ、こいつ・・・まったく使えないな’

先陣をきった、自民党の渡辺具能議員のへタレぶりは群を抜いていた。

40分の時間を与えられながら、30分は自分が喋り捲り、えらそうに説教している感じだ。
それでいて‘時間が限れていますので・・・’を連発するアフォっぷり。

別にこれだけで、議員としてのクオリティのすべてを否定する訳ではないが、
証人喚問の質問者としては‘具能’ならぬ‘無能’丸出しだった。

テレビでも鳥越氏あたりは強烈批判していたし、自民党への意見・要望サイトが一時的に
パンクしたらしいから、私と同じように感じた人はかなりいたのだろう。

そもそも、期待していなかったが、自民党議員は、全滅だった。
‘人数いても人材不足だな、それとも党の方針か?’

結婚式の挨拶のように、つまらん前置きをするし、材料的にも‘新ネタ’は無く、
我々素人でも既に知っているようなネタしかないから、相手も動揺しない。

一連の流れで、何かと関連付られて語られる公明党の高木議員は、
その関連を‘偽装’するためか(笑)、
一応まともな質問をしていたが、内河相手には勢いが無かった。

結局、使えたのは民主党の馬淵議員と共産党の穀田議員くらいかな。

馬淵氏は全体の流れを充分把握しているし、独自の裏も取っていたし、
臨機応変に声のトーンも変えていた。

証人達の様子は様々だ。

まさに久々に露出した、姉歯は相変わらず淡々とした口調だが、
逆にふっきれた表情にも見えた。

木村建設の木村は、それが意図的かどうかは別にして、
とにかく田舎の爺さんを上手に‘利用’していた。

肝心な質問になると‘耳が遠いのですいましぇん’とやる、これぞ‘現場力’か(笑)

計画倒産ではないかと責められ‘命以外の個人資産を差し出す’と言わされていたが、
それほど単純ではないだろう。

篠塚は、まあのらりくらりで言質を取られないように必死だ。
そしてついに出ました、歴史的必殺技‘記憶にございません’

あと、社長が激白しそうになると微妙にサインを送っていたような風情もあった。

最も待ちわびていたのが内河証人だ。
証人というよりは、典型的な‘越後屋、おぬしも悪よのう、わぁははは’キャラの悪徳商人だ。

短大時代には演劇部だったといわれるが、自民の生ぬるい質問に対しては、はきはきと答え、
寧ろ優勢な立場を示していたが、馬淵氏の厳しい攻撃を浴びると、
突然‘あの~’を連発するようになった。

‘あの~’と言えば、鈴木宗男だが、あの証人喚問でも共産、民主に新ネタを出されて狼狽した。

喚問はあの2つの政党がお得意だが、普段は力をまったく感じないなぁ。
まあ、数が違うから仕方がないが・・・(-_-;)

しかし、時々居眠りしながらも、全中継に付き合ったが、虚しさ一杯だ。

やはり、法的なバック・グラウンドが希薄だと迫力がない。

2005年12月13日火曜日

本屋の棚から消えていった作家、石川達三を懐かしむ~‘幸福の限界’か‘蹉跌’か‘失敗’か~

もう、石川達三という作家がいたことを知らない世代も多いかも知れない。
第1回芥川賞の受賞者で、歴史的には一世を風靡した時代もあったのに、
そこからの凋落度は激しい。

数年前に何かで目にしたが、文庫本での取り扱いの変遷の中で、
消えていった作家のランキングのかなり上位に位置していたような記憶がある。

確かに、私が、高校、大学生の頃は本屋の文庫コーナーでも、
石川達三は堂々とベスト・ポジションを確保していた。

私は読書家とは程遠い人間だったし、その後はさらに本を読まなくなった。
そんな私が、読破したと言っても大袈裟ではないのが(←コウイウトキハ、ホトンドオオゲサ)
松本清張と石川達三だ。

19歳の頃、日記と呼ぶには余りにも頻度が低いノートに書いた文がある。

友人の中にも、石川達三なんて文学的レベルからみれば、かなり下級の作家だ、
と言うのが何人か居る。
僕には、醜悪にまで巧妙な氏の人間表現、平凡な読者が巡り合う数多くの
自己投影的主人公は捨て難い。

彼は極めて常識派という評価を受けているが、実際のところ、
彼のレベルを超越する生活を営んでいる人間がどれほど居るだろうか。
ひょっとしたら、友人の中で達三批判をする奴は、いわゆる夢多き人間で、
バラ色の人生を歩まんとしているのに、達三さんがあらゆる方法で
その種の人間の挫折を描いているもんだから、
不快になってそういう発言になるのではないか等と勘ぐりたくもなる。

僕はどうかと言えば、氏の影響は大と言わなけらばならない。
結婚にあまり憧れなくなったのも、ずっと独身で居るのも悪くないと
思うようになったのも、結婚するにしても早婚は良くないと思うようになったのも
氏の影響だろう。

自己防衛が強くなったのも、恐らく彼の作品の所為だ。
常時、身辺を無傷の状態にしていたいのだ。
かすり傷でも許すと、何時か致命傷になるのではと考えてしまうのだ。
だから、日々、俺は面白くも無い男になってゆくのかも知れない。


なんか30年経っても、書いている文書の程度が進歩してないのが一目瞭然だが・・・(-_-;)

結果的に、結婚は早いほうだったが(笑)、石川達三の影響はあった事はあったかも・・・。

‘常識を愛し、平凡を排する’がナリポンの価値観だからだ。

実際調べてみると、いま買える本は恐ろしく少ないのは事実だ。

古典にも成り切れず、今の時代、普通に読むには古めかしく、人気が無いのだろうか。

映画の原作としても、数多くの作品が使われている。

私も映画はさすがに70年代の‘青春の蹉跌’‘金環蝕’しか観たことはない。

私と違い、いまだに図書館通いで‘濫読家’の妻に、石川達三で読んだ作品を尋ねたら、
即答はできなかった。

作品名を言ったら‘それは読んだかも・・・’と言われたが、
やはりその程度なのかと実感した。

だからと言って、好きだった作家がこんな境遇になったから、
腹が‘たつぞう’なんてことはない(笑)

2005年12月12日月曜日

人間が○○放題をエンジョイするには相応の‘能力’が必要~‘飲み放題’を楽しんだ日々は今何処~

公私にわたり忘年会でお疲れの人々も多い季節だ。
‘公’はともかく‘私’の方では、飲み放題の料金設定だと幹事も安心だろう。

私も、若くて元気な頃はこの‘飲み放題’と言う響きには、惹かれたものだ。

それが、病気をして歳も取ってくると、さっぱり魅力を感じない。
理由は簡単だ、元をとれなくなったからだ。

食べ放題はともかく、飲み放題では、我ら夫婦は数々の武勇伝を持っている。

なにしろ、平気でビール大瓶10本はやっつけていたから、
‘ボーリング・カップル’と呼ばれていた。

それ以上飲めるのだが、肉体的な理由ではなく、むしろ経済的な理由でストップをかけていた。

武勇伝の中でも、最も印象に残っているのは、シンガポール在住時代の話だ。

日本人が経営するKOBEという、すき焼き、しゃぶしゃぶ屋があった。

年に何回か、生ビールの飲み放題のキャンペーンをおこなっていた。
1杯分を払えば(約500円)何杯飲んでもOKという奴だった。

キャンペーン期間は週末に始まり、翌週末までの9日間だったが、
平日は仕事があるのでノーチャンスだ。

そのかわり、週末は2週続けて通った。

で、ある時、土曜日に出かけ、翌週の土曜日も出かけた。
それはいつものパターンなのだが、その時はキャンペーン最後の日曜日にまた出かけたのだ。

理由は簡単だ。
家で飲むより安いからだ・・・(^_^)

勿論、ビールだけを注文することはできない。
しゃぶしゃぶかすき焼きを注文しなくてはならない。

神戸牛を使ったコースは、4000円くらいしたが、NZビーフだと1200円のコースがあった。
我々はいつも、このNZを頼んでいた。

しゃぶしゃぶだと流石に1人前の肉は少ないので、肉は追加注文する。

で、その日も追加のNZを2人分追加した。
届いた肉の一部を鍋に入れた時に、日本人の主人が慌てて走ってきた。
鍋の肉を見ながら

‘あの~、ご注文頂いたのは、ニュージーランド牛ですが、
こちらの手違いで神戸牛をお出ししてしまいました。
どうぞ、味の違いを較べてください。お代は勿論8ドルで結構です’

‘えっ、そうなんですか、ラッキー’

さらに、主人の淋しげな後ろ姿に向かって、妻が叫んだ。

‘すいませ~ん、あとビールのお代わり2杯お願いします’

まるで、死者に鞭打つような強烈な一発だった・・・(-_-;)

1回行くと、ふたり合計で大体ビールは40杯くらいやっつけていた。

すると、この日の決算(当時の1シンガポールドル=100円で計算)は・・・

支払ったお金
ビール代 1000円
しゃぶしゃぶ 2400円
追加の肉代 1600円

合計支払額 5000円

メニュー上のお値段
ビール代 20000円
しゃぶしゃぶ 2400円
追加の肉代 7200円

合計金額 29600円

差額 24600円


我ら夫婦の姿をみると‘総会屋’に睨まれたみたいな感じの主人が、
‘連日の攻撃’を受けて、金縛り状態になって、牛肉まで間違えてしまったのかも・・・(-_-;)

なんか、いまこうして書いてみると、若かったせいか我ながら‘無粋’だね。

それが最後だったかどうかは判然としないが、そのうちビールのキャンペーンは止めてしまった。

今の私はビールは500ccがいいところだから、飲み放題なんて絶対元が取れない。

食べ放題は、学生の頃は、980円で焼肉(接着剤肉使用?)とか食べていたが、
そもそも余り好きではなかった。

いやしいから、どうしてもたくさん食べようとしてしまい、それほど美味くもないものを
無理に胃袋に入れるのは、寧ろ苦痛だ。

そもそも、ナリポンの基本は‘暴飲小食’だったのだ。

大好きだったのは、ホテル等での朝食ブッフェだ。
特にスキーで泊まるときは、カロリーの摂取も必要だから、洋食バージョンの後に
和食バージョンを食べ直したり、普段食べないヨーグルトまで食べたりしたものだ。

他では値段は張るが、ホテルの中華料理店がやっていた、
通常メニューからオーダーできるのは悪くないと思った。

フカひれと北京ダックを頼めば、先ず簡単に‘回収’できるから気分が楽だ。

ただ、今はとにかく、食が細くなったので(その割りに身体は太いままだが・・・(-_-;))、
食べ放題には惹かれない。

食べたい物をピンポイントで狙う方がいい。

‘飲む’‘食べる’もそうだが、そもそも○○放題をエンジョイするには、
それに充分な‘能力’が必要なのだ。

2005年12月11日日曜日

松井秀喜は‘WBCに出たくない’‘裏切り者にもなりたくない’~NY Timesの記事は‘露払い’~

今回のWBC日本代表発表について、アメリカのメディアは、AP通信等の配信記事を
利用しているだけで、面白みがないと思っていたら、
ニューヨーク・タイムズのジャック・カリー記者が独自の記事を書いている、

それを、スポニチが報じている。

松井秀“WBC出場”へプレッシャー?

 来年3月に行われる国別対抗戦「ワールド・ベースボール・クラシック」(WBC)への出場要請を受けながら態度を保留しているヤンキース・松井秀喜外野手(31)に関して、10日付のニューヨーク・タイムズ紙が注目記事を掲載した。

 同紙では「秀喜はWBCには出たくない。ただ彼は日本でとても人気のある選手なので、王監督や日本のメディア、さらに(1次リーグをMLBから業務委託されている)読売からプレッシャーをかけられている。もし彼が今“自分はWBCに出場しない”と言えば、裏切り者扱いされるだろう」とのヤ軍・広岡勲広報のコメントを掲載。さらに代理人のアーン・テレム氏の「秀喜は大会でのケガの可能性と、WBCに出場したうえで公式戦162試合に全試合出場できるかということをとても心配している」との談話も紹介している。

 “側近”ともいうべき2人が出場に否定的な見解を示したように、松井自身も当初から出場には強い難色を示してきた。その背景には当初から開催時期、さらに商業主義が見え隠れするWBCの大会趣旨に全面的に賛同していないことがある。

 ただ、日本代表チームの指揮を執る王監督からの熱い出場要請、さらにファン心理なども考慮した上で現在は再考中というのが実情で、松井も苦しい決断を迫られている。


ニューヨーク・タイムズ紙のオリジナルの記事はこれだ。

Matsui Not on Japan's Roster

Hideki Matsui was not included on the initial roster for the Japanese team in the World Baseball Classic, and there were indications he would rather not play in the tournament. Matsui is concerned that the timing of the event will detract from his preparations with the Yankees in spring training.

"Actually, Hideki doesn't want to play for the W.B.C.," Isao Hirooka, who handles Japanese media relations for the Yankees, said in an e-mail message.

Because Matsui is such a popular player in Japan, Hirooka said, he is being pressured to participate by the Japanese news media; Sadaharu Oh, who is managing the team; and the Yomiuri Giants, his former team.

"If he says, 'I don't play for the W.B.C.' right now, he will be a traitor," Hirooka said.

Oh told The Associated Press that he was "100 percent sure" that Matsui would agree to play and left a roster spot for him.

Arn Tellem, Matsui's agent, said Matsui had still not made up his mind about whether he would join Ichiro Suzuki on the team. Although Tellem said Matsui would "probably like to play," he cited the possibility of injuries and how Matsui "wants to come back and play 162 games for the Yankees."

Matsui signed a four-year, $52 million contract last month. The Yankees were against the idea of having their players play, but Derek Jeter, Alex Rodriguez and Robinson Cano have agreed to compete.


先ずは、スポニチの記事とオリジナルの記事で、ややニュアンスが違う。
テレム氏曰く‘松井は多分出場したいのだろうが’と言う部分が省略されている。

それでも、私が昨日の記事で書いたように、松井自身がこの大会の‘価値’を余り認めていない、
大会出場によって、本来最重要だと考えているシーズンへの悪影響を懸念している、
ことは事実のようだ。

しかし広岡広報は何故取材に応じたのだろうか。

ニューヨーク・タイムズはニューヨーク・ポスト紙が松井にかなり辛口イメージなのに較べると、
是々非々な評価で松井の記事を書いている印象がある。

‘だからと言って、なぜ一紙だけに、このような核心に触れるようなことを打ち明けたのだろうか’

松井と広岡氏の緊密な関係から察するに、このメールを送ったことを松井も承知しているだろう。

もっと言えば、動きの取れなくなった松井を支援する‘意図された作戦’とも取れなくない。

こういう記事が、海外というフィルターを通して届くことにより、世論をタッピングできる。

辞退しても、その理由が既にこういう形である程度説明されているし、
結果的に参加となれば、悩んだ挙げ句よく決意してくれた、ということになる。

しかし、私はこういう‘手口’に不満だ。

松井秀喜の魅力のひとつは、試合後必ず自分の言葉で語ることだ。
チャンスで凡退したり、致命的なエラーを犯して‘戦犯’扱いされるような場合でも、
欠かさず真摯に語る。

ところが、このオフの再契約交渉からの松井は、
常に誰か‘代理人’の影に隠れているような印象だ。

‘裏切り者扱い’を恐れるなら、自分で正直に語ればいい。

2002年、FAでメジャー挑戦の意思表明をした時だって、苦渋に満ちた顔で
‘巨人ファンからは、裏切り者と呼ばれるかもしれないが・・・’
と自ら語ったじゃないか。

そりゃあ、今回辞退したら、失望するファンはたくさんいるだろう。
でも、それは1回だけのことだ・・・。

むしろ、最近のような微妙な‘変節’が‘本格化’する方が恐い。

まあ、私のドタ勘では、広岡氏のメールが記事が‘露払い’になり、
松井が態度を明らかにするのも、案外早い時期に実現するような気がする。

断れば‘グッド・ガイ’の称号に傷がつく?

‘なあに、かえって免疫力がつく’

2005年12月10日土曜日

29人のWBC代表選手より目だってしまった松井秀喜の躊躇と優柔不断

第1回「ワールド・ベースボール・クラシック」(WBC)の日本代表の29人が発表になった。

ところが、何故か話題の中心は代表の29人ではなく‘選ばれなかった一人’である。

その一人とはヤンキースの松井秀喜である。

本来30人の発表を予定した訳だが、松井のために1人分の枠を空けておくという変則事態だ。

私はトップページにもあるように、自他共に認める‘超’のつく松井ファンだ。

しかし、今回のような形で、松井が‘主役の座’を占めているのには、激しく違和感を覚える。

ギリギリまで粘ったヤンキースとの契約交渉の時も感じて書いた・・・。

松井秀喜は‘変節’したのか、人間らしくなったのか~ヤンキース残留交渉での印象~

松井は何度も態度を保留しながら
‘さまざまな要素を総合的に判断して決めたい’と繰り返しているが、
もう9月に日本が正式参加を決めた時から、いくらでも考える時間はあった筈だ。

実際、今月2日には出版社の企画で、王と飲食店で対談しているし、
その場でも直接ラブコールを受けている。

今までの私の人生経験から言えば、
‘じっくり考えたいので、時間を下さい’と2度言われたら、
それは実質的には‘NO’と言われているのと同じだ。

一体何が彼を躊躇させているのだろうか。

ヤンキースの‘無言の圧力’を指摘する声も多いが、それはどうだろうか。

キャッシュマンGMも早い段階で、こう言っている。

『WBCに関しては我々は何もコメントしたくない。
ただ、ヒデキが出たい、と言えば、それは彼自身が決めたことだ。
チームとしては何も言わないのがポリシーだ。』

まあ、それは規約上WBCに関しては、チームは選手を拘束することができないことに
なっているから、当然の発言なのだが・・・。

オーナーのスタインブレナーが出場を好ましく思っていないという説もあるが、
実際、ヤンキースの選手でもキャプテンのジーター、MVPのエー・ロッド、お騒がせのカノーが、
出場の意向を明言しているから、特に問題はないだろう。

むしろ、ワタツネが偉そうに
『松井君が来れば大成功だ。何とか頼まなきゃいけないな。
(ヤンキースのオーナー)スタインブレナーに電話でもするか』
と、勘違い発言をしている方が問題だ。

そもそも、WBCの主催者はMLBと同選手会であって、だからこそ、ボンズ、プホルス、
オルティス等一流の選手を含む177人が既に参加の意思を表明している。

そうなると、松井自身が、単にこの大会に価値を認めていないのではないか。
本人も『日の丸を背負って野球をすることへ実感が無い』と言っているし、
投手の投球数が制限される(可能性あり)ことについても、
『そういうものを、果たして野球と呼べるんだろうか』
と首をかしげていた。

そして、帰国後、番記者と野球をした後にも冗談とは思えない本音をポロリ。

『草野球とはいえ勝つと最高に気分がいいね。
でも右ひじが痛い。こりゃWBC辞退だな』

年俸が大幅にアップした1年目に、どんなことがあっても良い成績を残したいという気持ちが強く、
そんな中、WBCというような未体験の‘不確定要素’を排除したいのかも知れない。

もしそうだったら、その気持ちを素直に世間に伝えれば良いのではないか。

少なくとも、私は、このまま態度を保留し続け、優柔不断と言われても仕方が無い松井より、
明確に自分の考えを明らかにする松井を支持する。

ほら、お見合いだって(経験はないが)、断りの理由が言いにくかったり、
あまりに早く断るのはとためらいがちだが、
断る場合こそ早くするのが‘礼儀’だとされるじゃないか。

しかし、ふと考えるのだが、もしミスターが脳梗塞に襲われずに元気で、
このチームが王ジャパンではなく、長嶋ジャパンだったら、松井はどうしていたのだろうか。

個人的には、快諾していたような気がする。

因みに戸田菜穂の誕生日が3月13日で、それが大会日程と重なるのが
最大のネックだとする説得力ゼロの説もある(笑)

2005年12月9日金曜日

顔が見えない‘存在感’のない巨額損失事件の痛々しさ~みずほ証券誤発注事件~

みずほ証券が、株式の注文の操作を誤ったために300億円を超える損失(未確定)を蒙りそうだ。

20年近く、ディーラーとしてメシを喰ってきた経験のある私としては、
様々な損失事件を見聞きしてきたが、今回のような単純な事務的なミスで
巨額の損失が発生するのは、不謹慎だが正直‘存在感’が無く、単に痛々しく見えるだけだ。

歴史的にみてディーラーの損失事件には‘存在感’があった。

1982年、私がディーラーとしてシンガポールに赴任した直後、
第一勧銀のシンガポール支店が外為取引に失敗し、97億円?の損失を出す事件が発覚した。

張本人とされたK氏とは面識がなかったが、その後、何年かして、
ロンドンのマネーブローカーだったK氏と初めて対面し、
さらに何度か会い食事を一緒にしたこともあった。

ディーラー仲間からK氏の評判は耳にしていたが、本当に人間的に素晴らしいという
印象を与える人物だった。

ポジションやロスのリミット等の管理がまだ確立されていない時期に、支店の収益をあげようとし、
発生した損失を何とか取り戻すそうと苦闘し、結果的に損失を拡大させてしまったのだろう。

金銭を個人的に着服するような事は無い。
強いて言えば‘敏腕ディーラー’と呼ばれる名声を手にしたがったのかもしれないが、
実際会うと、そういうタイプの人間にも見えない。

波乱の人生の結末は予想以上に早くやってきて、その訃報は世界を駆け巡ったが、
『プレジデント』?に掲載された、彼の死についてのレポートは涙をさそうものだった。

84年には、富士銀行ニューヨーク支店で、115億円の為替損失事件が発覚する。
ドル高の中ドルの売りポジションを積み重ね、金利差のキャリングコストも膨らんだ。
85年だったら9月に例のプラザ合意で、急速な円高が進む訳で、
一歩間違えば頭取賞ものだったかもしれない。
このディーラーのN氏とは何度か電話で話した事があった。
また、事件発覚後、ニューヨーク支店長が肩を落とし、寒さに震えている写真が
‘フォーカス’されるが、それをやったのが実は大学時代の同級生だった。

こう言った損失事件の背景には、当時はディーリング業務の管理体制が未熟だったことや
過剰な収益目標設定があったと思う。
邦銀のディーラーなんて、当時は別に儲けてもインセンテイヴ・ボーナスがある訳でもなく、
ひたすら会社の収益のために不眠不休で働いていた訳だ。

そういう責任感は、逆に言えば損失の発生を隠蔽したくなる弱さを生んでいたかも知れない。

ただ、同じディーラーとして、損失が拡大していく過程での彼等の葛藤や苦悩を想像すると、
色々なことを考えてしまう。

100億が巨大損失と騒がれたが、それから10年たつと、さらに巨額化した事件が発生し、
どの程度の金額が巨額かわからなくなってくる。

昔はDカップで巨乳だったのが、今はIカップとか言われて思わず指折り数える・・・(-_-;)

1995年、大和銀行ニューヨーク支店の井口俊英が10年以上に渡り米国債の取引の失敗を
隠蔽し続け、結局1100億円余りの損失を発生させる。
彼の場合は、隠蔽の仕方もより悪質で、勝手に保有有価証券を売却して穴埋めに使ったり、
一部個人的にポケットに入れたりした‘犯罪’だった。

直接頭取宛に事件を告白していながら、大蔵省を巻き込んで情報開示が2ヶ月以上遅れたのも
国際的に問題視された。

ただ為替市場では、損失分を手当てする大和のドル買いの噂はあり、
4月に80円割れの円高をつけた反騰局面で、榊原氏の介入を支援する形になった。

また井口氏の上司は以前シンガポール時代に知っていた人物だったが、
発覚後間もなく地下鉄で偶然出会った時、彼の髪の毛が真っ白になっていたのが印象的だった。

そして翌年には、住友商事の浜中泰男が、銅取引で大損した事が露見する。
全世界の銅取引の5%のシェアを占める‘ミスター5%’と持てはやされ、
ブローカーとも不適切な関係を持ち、損失の穴埋め、隠蔽のための不正取引を続けた。
最終的には2850億円という、まさに空前絶後の巨額損失事件になった。

実はある友人が住商に勤めており、一時期浜中氏と同じ部で働いていた。
一緒に飲みながら‘尋問’してみたが、やはり口は重かった。

大和銀行にしても、住友商事にしても、驚くのは、損失の額だけでは無い。
海外のディーラー仲間によく言われた点は、あれだけの損失をしても
日本の企業が平気で存続している事だ。

同じ時期に英国王室御用達の名門マーチャントバンク、ベアリングズ社を、
ニック・リーソンという1人のトレーダーが潰してしまった。

シンガポールのSIMEXで日経平均の取引に失敗、約1400億円のロスを出したのだ。

これらの損失事件の一部は小説になったり、映画になったりもしているが、
彼等の顔が見えるし、追い込められた時の人間の心も窺える。
要するに‘存在感’があるのだ。

それに較べると、2001年電通株でのUBSウォーバーグ証券のチョンボや
今回のみずほ証券のミスは、余りにも単純過ぎて‘存在感’がまるで無い。

まるで無い‘存在感’の割には、損失は取り返しのつかない巨額なものになり、
株式市場の大混乱も招いた。

そのミスマッチが余りにも痛々しい。

インプットを間違えた社員は一体どんな心境なのだろうか。

‘なあに、かえって免疫力がつく’だって?

そりゃ、無いでしょう(笑)

2005年12月8日木曜日

第1回個人向け国債(5年固定)の利率は0.8%~見通せない国の見通せない金利動向~

世の中の富裕層は、ややバブル化している株式相場や商品相場でウハウハだろうが、
昔気質の手堅い運用(元本保証)をしている人々には長い冬が続いている。

‘緊急避難的’な日銀のゼロ金利政策がもう7年に及ぼうとしている。

定期預金の1年ものが0.03%だから、100万預けて税引き後の利息は240円だ。
銀行に往復する、体力や消費ガソリンを考えたら、まさにナッシングだ。

そんな中、なんとか少しでもマシな利率の商品はないかと探すと無くはない。
当然長期になるが、ここ一年をみても知っている限りで言えば、3年で1%、5年で1%、
10年で1.5%とか定期預金のキャンペーンはあった。

あとは新生銀行が口火を切った、デリバティブを利用して5年か10年のオプションを
‘身売り’して、表面金利をお化粧した商品もうまれ、地銀の一部にも広まっている。

預金以外では、個人向けの国債がある。
商品については財務省のHPを参照して下さい。
最初に出来たのは10年の変動金利型で、2003年の春に発行された。

第1回~3回の初回の適用利率は、0.05~0.09%と悲惨だったせいで
売れ行きもイマイチだったが、第4回はいきなり0.77%に飛び跳ね、私も飛びついた。

私の買った第4回債は、0.55~0.77%で平均で0.668%だから、劇的ではないが悪くもない。

第13回債の初回適用利率は0.68%だ。

そして今回から、新たに5年の固定型が発行された。
本日適用金利が発表になったが、0.8%だ。

証券会社のセールスから電話を貰ったが、
‘0.8で固定は嫌だな、1%あったらチョッとは考えるけど・・・’と答えると
‘1%だと我々も売りやすいんですけどね・・・’

実際、定期預金で(解約不可)5年もの1%はある。
石原慎太郎の新銀行東京だ。

平均株価がボトムのほぼ倍にまで回復し、為替も円安が進行し、商品相場も高騰している。
消費者物価も上昇傾向にあるし、昔の教科書通りなら、早々に金融政策の変更があっても
おかしくないのだが、動かざること‘日銀’の如しで、よく読めない。

まあ、ボーナス時期でもあるし、個人向け国債はひとつの運用の選択肢とはなるだろう。
銀行や証券会社もいろいろなキャンペーンを実施している。
基本的には100万につき、1000円相当の金券が標準だ。
金券の代わりジャンボ宝くじをくれるところもあり、
スルガ銀行や(100万で5枚)イートレード(50万で5枚)は率で言えば金券よりお得だ。

ところで、国債の場合、当然ながらデフォルトのリスクは存在する。

かつては燦然とAAA(最上格)に輝いていたのに、今は、チリやボツアナと‘好勝負’している(笑)

テレビのCMでは、固定型の方を、今回、初起用されたモックン(本木雅弘)が担当している。

コピーは‘5年先まで見通したい’だが、まさに見通せるなら買っても良いかも知れない。

一方、10年変動の方は、引き続き小雪が担当。

こっちのコピーは‘10年先まで楽しみたい’となっている。

この台詞って、なんか熟年離婚が流行する中で聞くと、或る夫婦のつぶやきとも聞こえなくない(笑)

2005年12月7日水曜日

‘恐怖マンション’に公的支援は大英断か、拙速に走った愚策か~生命安全の確保を‘人質’~

耐震強度が偽装された‘恐怖マンション’に公的な支援が行われることが決まった。

‘もし、今地震が起きて居住者及び周辺住民の生命の安全が損なわれたらどうする’
と言う危機感にたてば、誰もが‘生命・安全の確保が最優先’だとする意見に対して
‘YES’としか言いようがない。

その点から言えば、政府が異例のスピードで支援策を発表したことは称賛されるべきであろう。

しかし、当事者でもない私にとっては、いろいろな意味で違和感がある。

話題はやや飛ぶが、去年の春先、マスコミをにぎわせた言葉があった。
2004年の新語・流行語大賞のトップテンにも選ばれたが、何だか思い出せるかな。

‘自己責任’だ。

イラクで人質になった3人の日本人に対して、否定的な意味で使われた。
政府の勧告を無視して、イラク入りしていたのだから、自業自得だとし、
彼らを救出するために国が多額のコストをかけることに疑問を投げかける世論が台頭していた。

その後、ややその動き自体を反省する動きもあったが‘自己責任’と言う言葉は、
一般的にも世間でよく使われていた。

そういう意味では、もしあの頃、今回の事件が発覚していたら、世論も微妙に違っていただろう。

恐らく、今回の被害者は100%被害者なのだろうが、
基本的には相場より、恐ろしく安い物件を買った者の‘自己責任’はどうなるんだ。
‘安物買いの銭失いの典型だよ’と言われてお終いだったかも知れない。

実際今回の公的支援が発表になってからは、そういう議論になりやすい。
一部居住者の発言には、被害者意識が強烈すぎて、
‘おまえ、少しは我慢しろよな’という気分にさせるものもある。

‘生命の安全’を文字通り‘人質’にして過剰な要求を続ければ、世間は離れるし白ける。

世論は命の危機には同情するが、経済的な損失については色々な見方をするだろう。

対象にならなかった物件の持ち主からすれば、不公平感の議論も噴出するだろうし、
そもそも、天災でもないのにこういう支援がされるのは異例なのだから、
他の納税者から見れば納得できないと感じる人も多いに違いない。

張本人である業者への責任追及が甘いのも気に入らない。
支援策では、取り敢えず国や自治体が出費し、後で業者に請求するといっているが、
その支払い能力に疑問が残るから、結局は税金を使うことになる可能性が高いだろう。

すると、逃げ回っているヤクザな小嶋(敬称・蔑称略)のケツを拭くのに公的資金投入という
最悪の構図になってしまう。

国交省が迅速に動いたのは、自らの監督責任への追及をかわす意味もあるとする向きもある。
そうでなくても‘官から民へ’をウリにしている小泉政権としては大問題だ。
公的資金を投入するということは、官としての監督責任を認めているということになるが、
関係者の処分等の話は一切出てきていないのも納得がいかない。

加えて、この支援策でもっとも恐れるのは‘後遺症’だ。
今後更なる広がりをみせて、80億なんて桁では済まなくなるのではないか。

‘前例’を作ったことにより、今後発覚する同様の物件に対しても‘例外’とは
言えなくなるだろうし、‘何故マンションだけなんだ’という声も高まるだろう。

いや、違法建築だけではなく、監督官庁の責任を問えるような様々なケースで、
政府の支援を当てにする風潮が助長されるかも知れない。

財政再建こそ緊急の課題と言いながら、こんな事をしていたら、
益々安易な増税に拍車をかけるだけではないか。

北側国交相は公明党所属だ。
公明党と言えば、日本のみならず、欧米からも‘世紀の愚策’と叩かれまくった
‘地域振興券’で、7000億円をバラまいた‘前科’がある。

弱者に優しくしたがるのはわかるが、現状、日本で最大の弱者は‘日本’そのものだよ(笑)

2005年12月5日月曜日

宮里藍、Q-schoolを‘主席’で卒業~日本のマスコミの大騒ぎはデフォだが、現地マスコミはどうか~

宮里藍がアメリカ女子プロゴルフツアーの最終予選会で優勝し、来シーズンの出場権を獲得した。
向こうでは、Q-school(qualifying school)と言う言い方をする。

藍ちゃんは初日の首位タイから5日間、首位をキープする完全優勝だけではなく、
2位と12打差というのも、1975年に記録された9打差を上回る新記録となった。
(但し当時は54ホール、90ホールになったのは去年から)
legendsコースで文字通りの、伝説的な成績を残し、Q-schoolを‘主席’で卒業した。

LPGAの公式ページにも、この大会は肉体的にも(5日間)、精神的にも(出場資格をかける)
最もタフなものだと説明している。

去年の優勝者は、今年のLPGAの賞金ランキングで2位だったポーラー・クリーマーで
11アンダーだったが、藍ちゃんはそれを凌駕する17アンダーだった。

向こうで最大注目の、17歳で全米アマ・チャンピオン、かつ全米女子オープンで2位だった
モーガン・プレッセル(6位タイ)に藍ちゃんは14打差をつけている。

所詮予選会で過去にも森口祐子、小林浩美がトップ通過しているが、上記の内容からしても、
思わず藍ちゃんの、来シーズンでの本格的な活躍を期待してしまう。

マスコミにとっても商品価値の高い藍ちゃん、日本のマスコミが大騒ぎするのはデフォだが、
現地マスコミではどういう感じで書かれているのだろうか。

先ずは、彼女を追い掛け回す日本のマスコミの過熱振りをやや揶揄している。

なにしろ今回発行された96の取材許可証のうち、62が日本のメディアだというから呆れる(笑)

ホールアウトすると、あっという間に日本のメディアに囲まれ彼女の姿が見えなくなる。
最終日、新記録で優勝した時も、一番喜んだのは、日本のマスコミ軍団だったと報じている。

そんな感じで、別に今回に限った事ではないが、やり過ぎの日本のマスコミには冷淡だ。
それは裏を返せば、宮里藍はそれだけ絶大な人気を誇っているという証左にしている。

向こうの記事で、藍ちゃんの枕言葉的に使われているのが‘pint-sized’という単語だ。
‘小さい’と言う意味だが、英々辞典で調べてみると余りフォーマルな言葉ではなく、
ニュアンスとしては‘チビ’といった感じだ。

ただ別に悪意がある訳ではなく、あんな小さな身体なのに、ゴルフは強いと強調したいのだろう。

日本では女タイガー・ウッズと呼ばれ(ホントカヨ)人気抜群のスーパースターだ。
なにしろ、去年タイガー・ウッズがダンロップ・フェニックスで優勝した時、
宮里も優勝したが、テレビの視聴率は3倍も高かった、と紹介している。

‘やっぱり、あっちではなんでもウッズを引き合いに出したがるなぁ’

そして記事にはこうある。

アメリカでは、まだ人気はないが、今回のようなゴルフをすれば人気者になるのは難しくないだろう。
無駄の無いスゥイング、驚異的なパットも素晴らしい。
それよりなにより、あの思わず引き込まれてしまう魅力的な個性だ。
100万ワットの笑顔(megawatt smile)、サングラスを外した時の表情豊かな瞳が良い。
4日目と最終日、宮里と一緒にラウンドしたFutcher(フッチャー?)が、
藍ちゃんはとてもフレンドリーだとして、エピソードを披露している。
4日目に、藍ちゃんが、おにぎりをあげて、次の日は彼女がお返しにサンドイッチをあげた。
宮里は中身が何かを剥がして調べて(ピーナッツバター&ゼリー?)、
3口であっという間に平らげたそうだ。
(ピーナッツアレルギーが無くて良かったね・・・(^_^.))

‘藍ちゃんの笑顔や性格はワールドクラスだな’

あと、これは私の勝手な判断で裏はとれていないが、使っている単語からみて、
藍ちゃんは通訳なしで、自分の英語力で語っているような気がする。

これも何にでもチャレンジングな藍ちゃんらしいし、習得するのも速そうだ。

今年の2月に、ワールドカップ女子ゴルフ優勝に関して
藍燦燦 瑠衣散々という記事を書いているが、奇しくもタイトルが・・・(-_-;)

実際、宮里藍はこの1年間燦然と輝き、来年からのアメリカ挑戦の権利を見事に勝ち取った。
一方、北田は賞金ランキング60位(前年3位)でシード権を失い、散々だった。

しかし、こういう優勝劣敗の厳しさこそ、スポーツの醍醐味だ。

そうそう、しのぶちゃん、国内シード獲得もそうだけど、しぶとい強さがあるね。

2005年12月4日日曜日

フィンガーボウルの水を飲む人をかばうのは本当に美談か~失敗して‘経験値’を高めるのが人生だ~

口内炎もようやく治まってきたので、今日の昼は外食をした。

いわゆる、町の中華屋さんといった店で、夫婦ふたりでやっている。

ここの店主は、仕事が丁寧だが、作るのはいつもひとつずつしか作らないから、
ちょっと混み始めると異様に待たされる。

私達が頼むのはいつも決まっている。
タンメンとチャーハンだ。
特にチャーハンは美味で、あのパラパラ感は自宅では味わえない
オカミサンも水を持ってくると‘いつもと一緒?’で通じる。

私達の後に、男子高校生がふたり入ってきた。
どうやら、初めての来店のようで、壁に貼られたメニューを真剣に見ている。
ひとりは、あっさりとラーメンに決めるが、もうひとりはかなり悩んでいる。
‘ねぇ、タンメンって何?’と相手に訊くが‘タンメンはタンメンだよ’
‘ねぇ、中華丼って何?’と相手に訊くが返事無し。

‘チャーハンでもいんだけどなぁ、ねぇ、天津丼っってカニ玉だよな’
すると、相手は‘知らねぇ、一応聞いてみれば・・・’

結局、店の人に聞かずに‘天津丼ください’と注文した。

‘こいつ、タンメン、中華丼を知らずに天津丼は知っているのかよ、何たる跛行性だ’

その後のふたりの会話で、ふたりは私の出身高校の後輩でいま3年生、
タンメンを知らない奴は医学部狙いだという事が分かった。

タンメンを知らなくても医者にはなれるだろうが、
今どきの若者にして、あまりの食の知識の無さには唖然とした。

そういえば、もう30年以上前だが、我々が高校の修学旅行で関西に行った時のことを思い出した。
京都のいかにも修学旅行専門旅館といった感じの宿に泊まった時の夕食はすき焼きだった。

取り皿には生卵があったが、S君が卵を割ってかき混ぜたまでは良かったが、
そこに醤油をドバッと入れてしまったのだ。

それを発見した誰かが(オレジャナイヨ)
‘おい、こいつ生卵に醤油入れてるぞ’と大騒ぎ。

それを聞いた連中が一斉にここぞとばかりに、彼をなじりまくり馬鹿にした。
徹底的に攻撃されたS君は越境入学で、いわゆる郡部の出身だった。
素直に知らなかったと言えばいいのに、必死に誤魔化そうとしたから始末が悪い。

当時の英語の教科書には、こんな感じの話が載っていた。
ある王様が晩餐会を開いた時に、ゲストのひとりがフィンガーボウルの水を飲んでしまった。
他のゲストはそれを見て驚くが、ホストもすかさず水を飲んだことにより、
他のゲストも追随して水を飲んだ。
これが、相手を思いやる真のマナーだ。

英語としてだけでなく、何処か教訓的な美談として取り上げていたのだろうが、
そんな‘効果’は、まったく無かった・・・(-_-;)

この事件がきっかけになったかどうかはわからないが、S君は京大を受験し見事合格した(笑)

S君は大恥を掻いたことで2度と同じ間違いを犯さなかっただろう。

一方、フィンガーボウルの水を飲んだ人は、その場は救われたかもしれないが、
無反省に一生、飲み続けたのかもしれない(笑)

そう考えると、あの逸話はやはり、ああいう階級の世界のああいう場面での話であって、
いかにも‘上から見た論理’とも言えなくない。

実社会では、失敗は失敗として、時には恥も掻きながら‘経験値’を高めていく方が
より実践的な生き方だと思う。

正しい事を知らない、知らせない、よりは、知っている、教えてあげる方が良いのではないか。

因みに、フィンガーボウルを使うときは片手ずつというのが正式だって知ってました?

2005年12月3日土曜日

セレッソ、あと数分で‘桜散る’、ガンバ‘長い春’の果てにJ1初優勝~やはりスポーツは劇的だ~

サッカーは国際Aマッチだと嬉々として観るが、Jリーグはたまにしか観ない。

Jリーグで特に応援するチームは無い。
むしろ個人的に親交のある、岡田審判が笛を吹いているのを見つけると、その試合を観たりする。
彼とは、異業種の会で知り合い、1ヶ月に1回会っていた。
フランスW杯の時は、壮行会と慰労会をやったし、私が穢土を離れる時は送別会に来てくれた。

まあ、Jリーグに対しては、その程度の思いしかないのだが、そもそもスポーツ観戦狂だから、
今日の大混戦優勝争いには、当然のように飛びついた。

すると、なんのことはない、ガンバ大阪vs川崎フロンターレは
その岡田審判が笛を吹いているじゃないか。

ガンバはイケメンのツネ様(宮本)に加えて、W杯予選で大ブレイクした大黒のおかげで
チームとしても相当ファンを増やしたのではないか。

‘そういえば、なぜか「大黒様」って流行語大賞の候補にもなってなかったな’

試合はガンバが先行するが、川崎もしぶとく追いつく。
2-2の同点から、決勝点になるのは、なんとPKだった。

岡田審判を知っているせいで、どうしても彼のジャッジが気になるが、あのPKは文句なし。

一方のセレッソは終始リードを保っていたのに、なんと終了3分前に同点に追いつかれた。

ガンバは逆に決定的な追加点をあげ、4-2にする。

そして、長居には非情のホイッスルが響き、直後には等々力に歓喜の声が轟く。

アトランタ五輪でブラジル戦で勝利しても、クールなイメージだった西野監督もインタヴューでは、
泣きっぱなしだった。

宮本も日本代表で見せる顔とはまったく違い、情緒溢れる表情だった。
ユース時代からのガンバ一筋、本人も言っていたように‘次元の違う喜び’だったのだろう。

長すぎたかどうかは別にして、初めての春を味わったガンバ、
それにたいして、桜色の夢が寸でのところで破れ、5位に散ったセレッソ。

それぞれの熱いファンにはそれぞれの感慨があるだろうが、私も一スポーツファンとして、
今日の5チーム大混戦は想像以上に堪能できた。

思えば、MLBのア・リーグだって、上位4チームのうち3チームの勝敗数が
まったく同じという劇的なものだった。

ところで、今日気付いたふたつのこと。

チョッと前、高校生だったと思っていたら(笑)、松波ってもう31で引退するのね。

あと、Jリーグ発足の時、各チームのネーミングの由来は覚えたつもりだったのに、
(コンサドーレは笑った)ガンバは盲点だった。

単純に、がんばれの意味だと思っていたら、それ以外に
ガンバ(GAMBA)はイタリア語で‘脚’を意味するとか洒落をきかせていたのね。

私の昔のディーラー仲間に、野球は阪神、サッカーはガンバという、
当時は辛い思いばかりしていたマニアがいるが、今年はさぞかし良い年になったことだろう。

2005年12月1日木曜日

引き上げゆばを家庭で味わう乙なひと時~‘ゆばのIT革命や~!!!’(ヒコマロ風)~

広尾にある、箱根暁庵という蕎麦屋をよく利用していた時期があった。
蕎麦屋といえば、古い造りの店を訪れることが多かったが、ここは箱根湯本ホテルがオーナーで、
中々おしゃれな雰囲気だった。
(観月ありさと遭遇したこともある)

蕎麦は、あの「翁」の高橋邦弘氏が山梨にいた頃(現在は広島に移ったみたいだ)、
弟子入りして修行した人が打っていた。

蕎麦屋では無論、一杯やってから蕎麦になるが、
その酒肴で気に入っていたのがここの‘生ゆば刺し’だった。

オーダーをする時に、先ず‘今日はゆば刺しあります?’が口癖だった。

確率的には5割と言った感じで、無いと多少めげ、あればそれだけで、
ちょっと幸福な気分になったものだ。

それが、最近では簡単にしかもメチャ安で、自宅で楽しめるようになった。

我が家では数年前から、タイシというメーカーの500mmペットボトル入り(無調整豆乳)を
使って、自宅でゆばを作るようになった。

卓上コンロに、小さいな土鍋をつかい、ゆばを一枚ずつ作っては、家族がかわりばんこに食す。
当時は、息子も無邪気な頃で、作ることも楽しんでいた。
実際、たこ焼きをひっくり返すがごとく、コツをつかむ楽しみはある。

ポン酢か本わさび醤油で頂く。

今年の夏になって、紀文から‘ゆばにゅう’という新製品が出た。

早速、試してみたが、中々良い感じだった。

というか、恐らく豆乳そのものはタイシのものと大差がないと思われるが、
ゆばの作り方についての説明が優れていたのだ。

‘表面にゆばが張り出したら火を止め、そのままにします。’

それまでも、弱火にはしていたが火を止めるまではしていなかった。
そのせいで、最初のうちは、いいのだが、次第に焦げ臭くなってしまっていたのだ。

ゆばを楽しんだ後は、おぼろ豆腐を作ったり、豆乳鍋を作ったりできる。
紀文のほうは豆腐を作る際、にがりを準備する必要あり。
タイシは、にがり付きとにがり無しの両方がある。

我が家は基本的に、豆乳鍋にする。
出し汁を加えて、豚肉と野菜で豚しゃぶとして食べる。
豆腐をいれると、周りがレアチーズクリームのようになって‘ともあえ’状態になる。

若い頃は、ヘルシーという謳い文句を聞くと、逆に拒否反応もあったが、
いまや加齢とともに、食の嗜好そのものが自然とヘルシーなものになっている。

タイシにせよ、紀文にせよ値段は約200円と家計にとってもヘルシーだ。

引き上げゆばを家庭でこんなに簡単にできるなんて‘ゆばのIT革命や~!!!’(ヒコマロ風)

スーパーへの普及度はイマイチの感もあるが、売り場は、豆腐売り場にあるのが基本。

興味のある人は、是非お試しあれ!
少なくとも、豆乳鍋の素を買うくらいなら、絶対にこっちだ。

2005年11月30日水曜日

美しく歳を重ねたふたりの女性のCM~オノ・ヨーコとオードリー・ヘップバーン~

テレビCMで気になるのがある。
共通点は、ふたつとも、美しく歳を重ねた女性を主役にしているところだ。

ひとつは、フジフイルムのオノ・ヨーコだ。
BGMにはジョン・レノンのイマジンを使っている。
彼女とジョンの昔の写真を次々と映し出しながら、極めてシンプルなコピーだ。

PHOTO IS

PHOTO IS LOVE.(写真は愛)
PHOTO IS YOU.(写真はあなた)
PHOTO IS MESSAGE.(写真はメッセージ)
PHOTO IS MEMORY.(写真は思い出)
PHOTO IS SMILE.(写真は笑顔)
PHOTO IS PEACE.(写真は平和)

PHOTO IS


勿論、曲も良いし、存在感たっぷりの彼女のおかげもあるが、このシンプルさは魅力だ。
フジフイルムといえば、もう何十年にわたって樹木希林を使った面白CMがあるが、
あれはあれでいいが、こっちはぺペロンチーノというか、もりそばというか、
簡素ならではの奥深い味わいがある。

ここにいくと、CMが見られる。

もうひとつは、もしかしたら全国で放送はされてない可能性があるが、
オードリー・ヘップバーンを起用したユーリーグという耳慣れない会社のCMだ。

まずは、テレビではみられないロングヴァージョンのCMを見てください。
(オードリー・ヘップバーン篇をクリック)

どう、悪くないでしょ。
ナレーターは森光子さんだ。

59歳のその人は、
素顔のままで自らのその先の時間を
飢えた子供たちに捧げたのでした。
その子たちは、
その人がかつての世界のヒロインとも知らず、
澄んだ瞳で見つめ返すのでした。
さあ、勇気を出してあなたもご一緒に美しい歳を重ねませんか。


オードリーの姿は、若い頃のスティル写真が1枚あるだけで、他はすべて59歳以降のものだ。

それは、この広告主の商品が50代以上の人間をターゲットにしているから当然なのだが、
皺だらけの彼女を全面に出す‘勇気’は今まであまりお目にかかったことが無い。

その昔オードリーの晩年、スイスの自宅の庭で、ほうきを持って掃除している姿を
写真週刊誌がスクープした。

タイトルは確か‘魔法使いのおばあさん’ってな感じだった筈だ。
確かにその写真の彼女は老いていたし、やせ細っていた。

悪意に満ちた記事を読みながら‘消火器’を持って出版社に乗り込もうかと思ったほどだ(笑)

私はオードリー・ヘップバーンのビッグ・ファンだった。
というか、これだけ広範囲の世代に支持された女優も少ないのでないか。

ローマに行っても‘ローマの休日’巡りをする人は多いだろうが、私も素直に楽しんだ。

頭の中には、やはりあの美しいプリンセスの姿を描いてしまう。

しかし、このCMを見ながら、改めて彼女の美しさを感じてしまった。

59歳になって、ユニセフの活動を‘人生の最終章でもらったボーナス’として熱心に行った
心の美しさのせいなのかも知れない。

美しく歳を重ねる人達は羨ましい。

2005年11月29日火曜日

新たな病気のリスクが発覚~かるくヤヴァイと‘口内炎’、かなりヤヴァイと‘顎下腺癌’~

10月に、肺に黒い影がありCTスキャンを受けて、結果的には‘無実’が証明された。

2~3日前から、舌の左側の付け根の辺りに痛みを感じ、
今朝起きたら更に痛みが酷くなっていたので、どうしようかと思い、
考えあぐねた末、取り敢えず近所のかかりつけの歯科医院に行ってみた。

そこの医師曰く、唾液の出る管が詰まる‘唾石症(だせきしょう)’の可能性があるので、
‘口腔外科’で診察してもらった方がいいと奨められた。
私の場合は慢性の心臓疾患をもっているので、
同じ病院が望ましいとの判断で紹介状を書いてもらった。

一旦帰宅後、先方の大学病院に電話をして今日の診察が可能と言われ、早速出かけた。

普通のX線撮影を行った結果、医師曰く
‘唾石らしいものは無い、唾液も良く出ている、広範囲に口内炎が出来ている’

それを聞き、チョッとホッとしたのも束の間、
‘顎下腺(がっかせん)に腫れがあるので、CTとMRI検査をしてみましょう’

‘なんか不気味なニュアンスだな’

そこで、男性医師はいなくなり、検査日程等を女性医師と調整した。

検査日程が混雑していて、CTで12月中旬、MRIは1月中旬にしかできないと言う。

‘えぇ~~~~~~~~~、そんなぁ、リスクが確定しないのは最悪ですよ’

私に、他に病気が無いのなら、他の病院を当ってみることも可能だが、
何しろ、身障者1級の心疾患を抱えているから、同じ病院で解決する方が何かと楽だ。

色々と質問してみたが、きちんと答えてくれた。

‘かるくヤヴァイ’シナリオは単なる‘口内炎’で、時間の経過とともに治る。
‘かなりヤヴァイ’シナリオは‘顎下腺癌’ということみたいだ。

で、癌だとすると顎下腺を手術で全部摘出する必要があるそうだ。
手術による問題は、顎の下に手術跡が残ることと言われた。

‘あぁそんなの全然、今までの人生でもルックスでは勝負してませんから・・・’

人間は(少なくとも私は)、不安になると普段にも増してジョークを言う癖がある。

口内炎に効く薬は特に無いと言われたが、粘ると、うがい薬の‘イソジン’を処方するとの事。


‘あぁ、お菓子屋さんの奴ね’

‘よく知ってますね’

‘その昔、イソジンがエイズ予防に効くって囃して株が買われたことがあったんですよ’

‘えぇ~、効かないでしょ’

‘風俗嬢が良く使っていることからの連想だったみたい・・・わかります?’

‘何となく・・・(-_-;)‘


どうせ何を食べても美味しく感じないので、昼飯は家に戻って冷凍讃岐うどんにすることにした。

病院から戻ると、きちんと液体ソープで手を洗い、うがいをするのが習慣になっているが、
今日はさっそく、イソジンでうがいをした(してしまった)。

程なく、うどんが・・・(―_―)!!

どうせ味がよくわかんないからいいけど、やっぱり冷静さを失っていたのかも・・・(-_-;)

せっかく松井が帰国したのに面白くも無い病気ネタにしたのは、前回もここで‘小騒ぎ’したら、
結果が良かったことにあやかってのことだ。

う~ん、それにしても検査するまで長いなぁ。
救急車でも呼んじゃおうか(笑)

2005年11月28日月曜日

ジャックが日本にやってきた!~ドラマ『24』のキーファー・サザーランドは‘寿限無’だった~

人を不眠症にさせてしまうドラマ『24』の主人公ジャック・バウアーを演じている
キーファー・サザーランドが先週、初来日していた。

このドラマ『24』については、以前も1度記事を書いている。
ドラマ『24』TWENTY FOURの醍醐味は24話を一気に見ること~シーズン4はお預け~
で、お預けにしていたシーズン4も無事観終えた。

とにかくこのドラマは少しでもネタバレされると、途端に面白みが減じてしまうので、
ここでは感想を含め具体的には何も書かない。

来日して空港に姿を現した彼だが、やはりドラマの中とは随分イメージが違う。
シーズン1の頃より、随分痩せた感じで、顔もシャープに見える。
いつも走り回っている彼が、ゆっくりと歩いているのも違和感がある。

そして、話す時も相手に分かるようにゆっくりと話すが、これまたドラマの中では
超早口なのがデフォだから、不思議な感じだ。

私も、映画を字幕なしで観るほどの英語力はないが、逆に字幕を観ながら英語でどう言ったかを、
考える事はできる。

それでもジャックを含めこのドラマのの登場人物は、早口な役が多い。
それが、またドラマのリアルな時間の流れ、めまぐるしい動き、漂う緊張感を演出する。

最初の頃は、何を言っているのか聞き取りにくかったが、さすがにこれだけ付き合っていると、
彼の英語に慣れてきてある程度聞き取れるようになる。

ヤンキースの試合を観続けていると‘YES’の実況アナのマイケル・ケイの英語が
段々と分かるようになるのと同じだ。

で、ドラマの中では‘ジャック’と極めて短いしポピュラーな役名だから呼びやすいのだが、
本名のキーファーというのはやや馴染みがない。

それどころか、彼の本名は実際フルネームにすると大変な長さになる。

Kiefer (ファースト・ネーム)
Willam (ミドルネーム)
Frederick (祖父の名前)
Dempsey(祖母の旧姓)
George (父のマブダチ)
Rufus (本人も分からない人)
Sutherland(ファミリー・ネーム)


由来は記憶が定かではないが、とにかくフルネームだと、
Kiefer Willam Frederick Dempsey George Rufus Sutherland
となる。

ああた、もし、彼が『24』でこの本名を使ったら、て~へんなことになりまっせ。

落語の『寿限無』の落ちは、喧嘩してコブが出来たのに長い名前を呼んでいるうちに
コブが引っ込んでしまうという‘平和的結末’だけど・・・。

『24』でそんなことしていたら、ジャックが、いやアメリカ国民が
何人死んでしまうことやら・・・(-_-;)

でも‘寿限無’の意味を調べてこれまたビックリ。
寿とは命のことであり、これが限り無しなのだから‘無限の命’という意味だ。

‘つーことで、ジャックは不死身だな!(^^)!’

それにしても、向こうの人があの時期に日本にやってくるとは驚いた。
11月24日は、Thanksgiving Dayだよ。
連中にとっては、家族で過ごす最大のイベントであり、家にいることが最大のプライオリティなのだ。

本人もターキー料理とかパンプキン・パイを作れるとか自慢していたけど・・・何故。

娘がいると聞いていた(24のスタッフに使おうとしたが結局ファイヤー)ので、
てっきりファミリーがいると思っていたが、2度の離婚で今は独身なのね(‘_’)

そうそう、実際見ていないので、何ともいえないが、
TBSの‘アッコにおまかせ’では酷い目にあったらしい。

禁煙も続かず、英会話の勉強も続かなかった典型的‘意志薄弱女’と珍妙な英語で
やりとりをさせられ、タバコに火をつけさせられたらしい。(まあ彼もスモーカーだが)

憤慨したファンからは局へ抗議の電話があったらしい。

って、またTBS批判?
偶然ですよ、偶然。
でも何故かアクセスログに今日もあったなぁ、TBS
もちろん、偶然だと思うけど(笑)

あ~ぁ、まだ『24』を観た事のない人がうらやましぞ。
こっちはまた1年待ちだよ(ノ_∂。)クスン

2005年11月26日土曜日

鮮明で美しいハイビジョン放送に感動~心は早くも来春の松井秀喜のピンストライプ姿に~

昨日の夕方、契約しているケーブルテレビのチューナーをデジタル対応のものに交換した。

今まで3台の契約をしていたが、1台はそもそも去年亡くなった父親用のものだったし、
テレビにD端子が無いので、今回それはキャンセルした。
と言うのは表向きの理由だ。
実際は息子専用のテレビと化している環境を破壊して、
ザッピングをしながら当ても無くテレビを観続ける彼が、少しでも早く2階に上がって
間違って勉強でもしてくれればという、父親の実に‘浅はかな計らい’である。

先ずは、居間のSONYの32型のテレビをやっつける。
デジタルテレビではないが、D3端子がある。

続いて、私の部屋のSANYOの15型だ。
こっちは、値段も安かったせいもあり、どっちも2000年の7-12月生まれなのに、
D1端子しかついてない。

で、チャンネルの設定等が終わり、最初に合わせたチャンネルがNHKのBS-hiだ。

すると、色鮮やかな青紫の座布団が乱舞しているではないか。
最近はが朝青龍が強すぎて、彼が勝っても座布団が飛ぶが、この飛び方は尋常ではない。

‘つーことは、朝青龍が負けたってこと’

すると、インタヴューに現れたのは、なんと今や注目度ナンバーワンの琴欧州ではないか。

‘ふたりがきょう直接対決とは知らなかった・・・(-_-;)’

それにしても、なんと感動的なのだろう。

勿論、琴欧州が勝ったこともあるが、もっと感動的なのは画面の美しさだ。

彼の真っ白い肌の所々が、紅潮している。
その紅潮の仕方の微妙な違いも胸毛もくっきり見える。

肝心の一番だが当然VTRをやると思いきや、時間の都合でやらずじまい。

そして、画面では女子のアルペンスキーが始まった。

へぇ~、なんて綺麗なんだ。

いや、選手の顔じゃなく、映し出される映像だ(-_-;)

白銀の斜面の微妙な凹凸部分がはっきりわかる。
色取り取りの服装の観客達の姿も実にカラフルにクリアーに見える。

ここで、D端子について少し学習してみよう。

・D端子(D1~D5)
 最近の大画面テレビやDVDプレーヤー、ハードディスクレコーダーなどのAV機器に搭載されている端子です。コンポーネント端子を1つにまとめたものと考えるとよいでしょう。

 対応する映像の方式や走査線数によって、D1~D5の5種類があり、数字が大きくなるほど上位の形式に対応しています。このうち、D5に対応する1080pの形式で放送されている番組はまだありません。

 また、下位互換性があり、D4の端子でD1対応の番組を見ることは可能です。

 それぞれ、対応する形式(有効走査線数と方式)を示します(カッコ内は総走査線による表記)。

D1 480i (525i)  地上波アナログ放送
D2 480p (525p)  DVDビデオとBSデジタル放送の標準番組
D3 1080i(1125i)  BSデジタル/地上波デジタル放送のハイビジョン番組
D4 720p (750p)  BSデジタル放送のハイビジョン番組
D5 1080p(1125p)  現在はまだ放送されていない

 たとえば、地上波デジタル放送を高画質で視聴するには、D4またはD3に対応したD端子が必要です。D1のみに対応したD端子でも視聴は可能ですが、画質は従来の地上波並みの標準画質となってしまいます。

 D端子とコンポーネント端子は原理が同じなので、従来のハイビジョンテレビとBSデジタルチューナーの接続などでは、アダプターケーブルを使うことによって、そのまま接続することが可能です。


私の部屋のテレビはD1端子だ。
上記の説明では、画質は地上波並みと書かれているが、見た目には明らかに違う。

居間の方はD3端子だが、作業に来たオニイチャンに言わせれば、
D4との差は殆ど感じないそうだ。
むしろ、速い動きの映像の場合はブラウン管の方が優れているとも言っていた。

と言う訳で、居間のテレビを買い換える必要は当面無し。
そもそも、私は1日1~2時間しか居間にいないし・・・(-_-;)

その点、私の部屋の方はD1だし、昔ほど見ないとはいえ一日中居るし、
買い替えの必要はあるかも・・・。

ただ、来年になると、ブラウン管と液晶のメリットを合わせた新しい方式のテレビも発売されるし、
そもそもパソコンと同じで、後になればなるほど、より高いスペックのものがより安くなるから、
タイミングを考えてしまう。

‘今日買うか、一生買わないかだ’と言う名言もあるが・・・

きっかけがトリノオリンピックと言うのは無難だが平凡すぎるなぁ。

まあ、それでも4月までには買うかも知れない。

松井秀喜のピンストライプをハイスペック・ハイビジョンで拝みたいからだ。

NHKは城島がマリナーズに入団した事で、
より一層マリナーズに‘偏向’した編成にする可能性がある。
まあ、普段は時差の関係でそうそう被らないが、
今年もハイビジョンだけでヤンキース戦をやったことが、何度かあったように記憶している。

BS1とBS-hiの同時放送でも当然来シーズンからは、より高画質を楽しめるhiだ。

そういえば、松井が東芝のCMに出ていたなぁ。
買うとなんか松井グッズとかついてこないかな~、
な~んてCMのキャラクターが動機で電気製品なんか絶対選ばないぞ。
♪たぶん選ばないと思う、選ばないんじゃないかな、まあちょっと覚悟はしている♪(笑)

因みに、ヤンキースが来シーズンの日程を発表した。
初戦は現地4月3日、OAKと敵地で戦い、ピンストライプを着るのは11日のKC戦だ。

2005年11月21日月曜日

スポーツ紙の一面争奪バトルに関するお話~今朝は高橋尚子圧勝だったが~

さすがに高橋尚子は人気がある。
昨夜、記事をアップ後、ブログ検索しても余りのヒット数に途中で諦めてしまった程だ。

マスコミの扱いも昨夜の7時のNHKが一般ニュースの2番目に取り上げていた。
今朝のスポーツ紙も、全紙の一面が高橋尚子だったようだ。(ネット版でしか見てないが)

実は、他にもニュースは盛り沢山だった。

・男子ゴルフでウッズ優勝
・女子ゴルフで宮里藍優勝
・女子フィギュアスケートで浅田真央初優勝
・男子スピードスケート500mで加藤条治が世界新
・ロッテ27万人Vパレード

何れも世が世ならば堂々と一面を飾って不思議の無いものだが、高橋尚子の圧勝だった。

もちろん今回の勝利は単なるマラソンで1位と言うよりは、
2年間苦労した彼女が見事な復活劇を遂げた事で、ニュースヴァリューが増幅された。
と言うか、そもそも彼女のネームヴァリューが高いことで、一面をさらったのだろう。

日本の女子マラソンと言えば、アテネで金を取り、先日のベルリンで日本新を出して優勝した、
野口みずきがいるが人気は明らかに落ちる。

9月にベルリンで優勝した時も、スポーツ紙で一面にしたのは、
弱すぎる巨人に自暴自棄になっていた報知だけで、大半は‘楽天監督に野村氏’だったそうだ。

ただ高橋尚子も、2000年のシドニー五輪で金メダルを獲得していながら、
翌日の一面を飾れなかった。

同じ日(9月24日)に、巨人が9回裏4点のビハインドから江藤の満塁HRで同点にし、
二岡のサヨナラHRでリーグ優勝を決めてしまったからだ。

時間的にみて、マラソンは朝の7時スタートで、
当日のうちにマスコミで散々大騒ぎされて、鮮度が落ちたのがひとつの敗因だろう。

あとは単に巨人ではなく‘長嶋巨人’だったからだと思う。
長嶋ブランドはやはり強力なのだ。

スポーツ紙の一面争奪で記憶に残るのはやはりこれだろう。
1992年10月、日本シリーズで西武がヤクルト相手に日本一に輝くが、一面は
‘貴花田(現貴乃花)と宮沢りえの婚約’に奪われ、裏一面に回された。

まあ、当時の西武は強すぎたし、森監督の野球も面白くないという定評だったから
仕方ないとも言えるが、野球関係者には屈辱的な出来事とされた。
数ヵ月後にはその婚約も解消されるというおまけつきだった。

私が個人的に好きな一面エピソードは、柔道の野村忠宏のこの発言だ。

金を取っても新聞のトップを飾った事が無いです。
いつもヤワラちゃん。
シドニーもアテネも一面は金メダルのヤワラちゃん。
ショックだったのはロスも‘ヤワラちゃんまさかの銀!’がトップ記事で、
自分は3回とも金メダルなのに一度も無し。
自分はオリンピックで勝ったけど、ヤワラちゃんには負けてます。

まあ、このネタでしっかりバラエティ番組でも自分を売り込んだから、
元は取っているんじゃないの。

2005年11月20日日曜日

どん底の‘Q地’から見事な復活を果たした高橋尚子が再び光り輝いた日~東京国際女子マラソン優勝~

むかし、或るマラソンランナーが言っていた。
日本人は沿道で応援する時に殆どの人が『がんばれ』としか言わない。
声援は有り難いが、自分は十分にがんばっているという自負があるから、
時に鬱陶しく感じることがある。

このコメントを聞いたときは、それなりに納得したのだが、きょうの高橋尚子の復活劇を観ていたら、
あのコメントはやはり二流の選手のもの(名前は忘れたが男)だと実感した。

高橋尚子は1998年に悪条件のバンコク・アジア大会で圧勝して以来、一気にブレイクし、
2000年のシドニーオリンピックでは、驚異的な高視聴率の中、見事に金メダルを獲得した。

彼女はアスリートにしては饒舌で、話す内容も素直で受け入れ易く、
師弟関係にあった小出監督とのからみでも人気があった。
その人気や好感度に押されたのか、不人気の森喜朗内閣が勢いで国民栄誉賞まであげてしまう。

しかし、2003年、今日走った同じ大会で、2位に敗れると(日本人1位)、一転する。

まあ、格上だし、なんだかんだいってもアテネ五輪の代表に選ばれると
自他共に思っていたのに反し、代表選考で漏れたのだ。

その後は心身ともに不安定な状態が続き、現役続行すら危ぶまれる状況もあった。

あれだけの人気があり実力もあったのに‘走らない高橋尚子’は、
まるで人が棲んでいない家が荒れていくように、輝きを失った。

あれだけ人々を感動させた彼女の発する言葉も、同様に輝きを失い、
何処かわざとらしく嘘っぽく聞こえてくるし、Qちゃんスマイルもどこか白々しく見える。

今回も直前になって、突然の記者会見で右足を故障しているが強行出場する旨を発表した。
彼女らしい正直な言動も‘負けた時の言い訳’じゃないかと‘下衆の勘繰り’を呼んだ。

そして今日の本番だ。
完走すらできないのではと懸念する声もあった中、強い強い勝ち方を見せた。

3人での並走から、一挙にスパートをかけ、おまけに見る見る内にその差を広げていった時は、
正直‘玉砕的’にも思えたのだが、結局後続に追い上げられることもなく、独走でゴールインした。

2年間のブランクを埋める雪辱の勝利に、インタヴューでも饒舌だった。

2年間走ることができなかったが、多くの皆さんに支えられて
ここに帰ってくることができた。
沿道からの声援も背中を押してくれました。

この6月にチームQを結成してから、
唯一つ、高橋尚子復活とか順位だとかタイムとかって言うよりも、
この2年間本当に皆さんに支えられて、
一度は陸上を辞めようと思った時にも、
本当に暗闇の中でも夢を持つことで、
本当に一日一日を充実した、時間を過ごすことが出来ました。
なので陸上関係なく、今暗闇にいる人や悩んでいる人、
本当に一日だけの目標でも3年後の目標でも
なんでも目標を持つことで、凄く、一歩一歩、一日が充実すると思います。
どうか夢を持って、一日を過ごして欲しいと思います。
そして、小学校中学校の子は勿論なんですけれども、
30代、そして中高年の皆さん方も、24時間という時間は
皆さん本当に平等に与えられたチャンスの時間です。
もう二度と来ないこの一日の時間を精一杯、
そして充実した楽しい日にしてください。
今日は皆さんのおかげで私はとてもいい日になりました。


単なる苦労人の言葉では響かない音も、辛酸を舐めた勝者の言葉は数倍響く。

やはり沿道からの声援は力になるのだ。
特に今日の彼女には大きかっただろう。

実は、私は未明から体調を崩し、超久々に心臓がバクバクして、完全に病人モードだった。
食欲も無く、テレビを観るのもしんどかったが、このマラソンは気になって後半から観た。

彼女のレースっぷりに感激し、ややメソメソしてしまったが、おかげでやや元気を取り戻した。
ブログ更新も病気を理由に数行で流そうと思っていたが、
ちゃんと書こうと思わせる高橋尚子ネタを見つけることができた。

しかし、所属先のファティンという会社から優勝したら1億円の特別ボーナスが出ると言う
契約になっていたことは余り話題になって無い。

もしお金がインセンティヴだったとしても、それはそれで素晴らしい事だ。

2005年11月19日土曜日

あのしし座流星雨の感動からちょうど4年~数多の叶わぬ夢、稀有な叶った夢~


    
流星の雨


流れ星の雨は
まるで田舎暮らしのご褒美みたいで
おまけに暖房のきいた二階の部屋の窓から
今までの人生で見た流れ星の総数を
数分で超越する数の星が
目の前で、不規則に、流れる

一個一個が貴重である筈の
流れ星が
余りにも簡単に
おびただしい数現れる

次に現れる流れ星を期待して
首尾良く願い事をするのも
なんとも造作無いことだ
と言うより、星の数に較べたら
願い事の数なんか
たかがしれていて
次第に追い込められて行く

お金も入れていないのに、
ボタンを押したら
続々と商品がでてくる自動販売機を前に
最初は嬉々としていたのに、
段々と不安になっていく感じ

本当に欲しいもの、本当の願いなんて
案外限られているのかも知れない





2001年11月19日、一生に一度あるかないかと言われる規模の
しし座流星雨を観たときに作った詩だ。

当地の新聞の「詩壇」に投稿したら採用されたのはいいが、
選者の余りにも見当外れな評に閉口し、以後投稿はしていない。

この4年間、数多の夢が叶わずに終ったが、
まあこうして生きていられるだけでも現実的には幸福と感じている。

2005年11月18日金曜日

日本は‘タバコ後進国’の汚名を返上せよ!~禁煙条例で急性心筋梗塞30%減少の‘即効’~

昨夜はほぼ2ヶ月ぶりに、飲み会に出かけた。
私の体調を十分理解しているメンバーは勿論タバコを吸わないし、場所を決める時も考えてくれる。
近年では一般化してきた、個室系の居酒屋だった。
個室系というのは、完全な個室ではなく空間の3面は閉ざされているが、1面は開いている。

それでも、傍の個室には誰もいなかったので、快適に過ごし、
いつもなら2時間余りで失敬するのに話も弾み長居をした。

ところが3時間を過ぎた頃、隣の個室に4人客が登場し、3人が喫煙者、
そのうちの1人がチェーン・スモーカーだった。

無遠慮な煙が一番奥に陣取っていた私を容易に襲った。

程なく、店を出て帰宅したが、帰宅後も気分が優れず、頭も痛かった。

病気になって、間もなく6年になるが、心臓の状態は小康を保っているのに、
タバコの煙への‘耐性’は年々確実に弱っている。

今日の環境は、飲み屋としては比較的良好な方だとも言えるのだが、
それでも数人の‘ニコチン依存症患者’の登場で、あっという間に‘辛いガス室’と化した。

改めてのタバコの煙害について実感していたら、タイミングよくふたつの記事を見つけた。

ひとつは今日の日経新聞の社説だ。

安すぎないか日本のたばこ(11/18)
 
 たばこが健康をむしばむのは、もはや医学の常識。本人はもとより、家族など周りの人が煙を吸ってしまう「二次喫煙」の健康被害も考えるなら、政府は喫煙者を減らす方向へ誘導すべきだろう。

 禁煙誘導の有力な手段は増税による価格の引き上げである。財務省はこれに慎重だが、与党内で、たばこ税増税論が浮上してきた。真剣に検討してほしいものである。

 日本のたばこ税は欧米に比べ低くそのため小売価格は著しく安い。20本入りのたばこ一箱にかかるたばこ税は日本では157円で、標準的な製品の小売価格(マイルドセブン)は270円。これに対し英国はたばこ税が611円で、日本の消費税にあたる付加価値税も17.5%と高いので小売価格は約1000円になる。日本の約4倍だ。ニューヨーク市はたばこ税が370円で価格が735円。ドイツ、フランスも日本より税金、価格とも高い(財務省調べ、今年1月現在)。

 20年前、民営の日本たばこ産業が誕生してから一昨年までに、たばこ税を3回増税したが、いずれも小幅だった。このため、この19年間の消費量の減少は約6%で、なお年に約2900億本が煙になる。

 たばこは肺気腫、肺がん、心筋梗塞(こうそく)などの原因になる。その治療に税金が使われている現実も考えれば、たばこ増税は税収増と医療費抑制の両面から財政収支改善に役立ち、人々の健康に資する。

 仮にたばこ税を英国並みの水準まで増税し、当面は消費量が減らないとすれば国と地方のたばこ税収2兆2000億円弱は8兆8000億円になる。マイルドセブンは約740円となるが英国より200円以上安い。家計への影響が大きいので一気にそこまで増税するのは無理としても、毎年の増税規模全体をみながら、例えば年々数千億円程度ずつ増税するような方針を決めるべきではないか。

 一方、医師会などの一部にある「たばこ税を増税し税収を医療費に充てる」案は、医療費を抑制しにくくなる恐れもあるなど問題が多い。

 財務省は所管のたばこ生産者に配慮しがちだが、それより優先すべきは第一に国民の健康であり、次に国・地方の財政難の緩和である。


内容的には、私が以前書いた
‘大増税、大賛成!あぁ、たばこ税限定だけどね~1箱1000円で一石三鳥~’で書いたものと変わりが無く、新鮮味は無いが、こういう社説が頻出することにより、
実際の議論が活発化し実現に向けて拍車がかかることを希望する。

もうひとつの記事は日経BP MedWaveにあったものだ。


◆喫煙禁止条例の施行後に急性心筋梗塞が30%近く減少--コロラド州 
 
 米コロラド州プエブロ市では、全面的な喫煙禁止条例の施行後に急性心筋梗塞の患者が30%近くも減少したことが分かった。現在、コロラド州では州として喫煙禁止法の立法化を検討しているが、ブエブロ市での成果は大きな影響を与えそうだ。同市のCarl Bartecchi氏らが11月14日のセッション「Prevention: Health Policy and Outcomes Research」で発表した。

 研究グループはまず、ブエブロ市がSmoke-Free Air条例を施行した2003年7月1日の前後3年間の急性心筋梗塞の発生件数を調べた。その結果、2002年1月1日から2004年12月31日の間に、ブエブロ市内の病院に入院した急性心筋梗塞の患者は1112人だった。このうち、市内在住の患者は690人、市外在住の患者は165人だった。

 喫煙禁止条例の施行後の2003年7月1日から2004年12月31日までの期間と、施行前の同じ期間に分けて、市内在住の患者数と市外在住の患者数を比較したところ、市内在住の患者は399人から291人に大幅に減少していた(施行後に対する相対危険度は0.73、95%信頼区間0.63-0.85)。これは施行後に、27.1%も急性心筋梗塞の患者が減ったことになる。

 一方、市外在住の患者は、89人から76人に減少していた(相対危険度は0.86、95%信頼区間0.63-1.16)。だが、市外在住の人が急性心筋梗塞で入院するオッズ比(対市内在住の人)は、1.76(95%信頼区間1.37-2.24、p<0.001)と有意に高かった。

 なお、同様の禁止条例を施行していないエルパソ郡についても同様の期間で調べたところ、984人から955人と、ほとんど減少していなかった(相対危険度は0.97、95%信頼区間0.89-1.06)。

 これらの結果から研究グループは、「公的な喫煙禁止制度は十分な効果を挙げている」と強調、「(喫煙禁止禁条例は)公衆衛生の政策上、重要な意味を持っている」と指摘した。


この記事のキーワードは、私の心臓を今の状態にした急性心筋梗塞、
その危険因子だった喫煙になるが、実は極私的には‘コロラド’もそうだ。

私のプロフィール
☆ほしいもの☆
健康な心臓(期間限定可)
コロラドのアスペンに行ってスキー三昧したい。

アスペンに行ったのは、1990年と1995年、いつも一緒に行っていた友人と
2000年はどうしようか、なんて話していた矢先に急性心筋梗塞を発症したのだ。

アスペンに行くには、先ず西海岸のサンフランシスコかロサンジェルスに行き、
そこからデンバーへ飛び、アスペンには小型機に乗る。

95年にデンバーの空港に到着すると、新空港になっていて全館全面禁煙になっていた。
当時、最も禁煙が進んでいた西海岸でも、空港の建物の外に出れば、吸える場所があり、
日本人が群がっていた。(私もひとりだったが)

デンバーで係りの人間に喫煙場所を訊いて、何処にも無いと言われた時は、
ひとりで憤慨していたものだ。

‘ったく、コロラドは何を考えているんだよ、吸える場所くらい確保しろよな’

いまや立場は‘真逆’で‘煙害’を‘憤慨’する人間になった。

‘ったく、コロラドはあれから10年も経つのにまだ州として禁煙にしてないのかよ’

話を本筋に戻すと、喫煙を禁止にして、こんな短期間にこんなに顕著な即効性が
あるなんて素晴らしいことではないか。

逆に言えば、禁煙化が少し遅れるだけでそれだけ多くの人間が従来通りに、
死のリスクに晒されるということになる。

日本も躊躇なく、禁煙化を加速化し‘タバコ後進国’の汚名を返上するべきだろう。

ところで、自民党が新人議員につきつけられた、会議での禁煙化はどうなったのかね。
こんな簡単なこともできずに‘改革’でもあるまい(笑)

2005年11月17日木曜日

松井秀喜の本音を引き出している日経の朝田氏のグッド・ジョブ~それにひきかえ番記者は・・・~

松井秀喜がヤンキースと再契約を結んだ、公式記者会見があった。
そこでの松井の発言は、いつもの松井らしい誠実さを感じさせるものであった。

ところで、この交渉の過程で、サンスポのようにいかにも売れそうな
危機感を煽るタイトルの記事を乱発したところもあるが、
逆にしっとりとしっかりと松井秀喜を語っているところもあった。

経済紙である日経新聞である。
日経ニューヨークの朝田武蔵という人が書いている。
読んだ方も多いかもしれないし、ブログで取り上げるにはややタイミングを失った感じもあるが、
未読の人には是非読んでもらいたい。

その朝田氏の記事だが、松井とのインタヴューで気になったところがいくつかある。


-シーズン終了からほぼ1ヶ月。一番印象に残っている場面は?
「思い出すのは最後の打席。それしかないですよ。」


これは、まさにそうだろうな。
もし、HRを打てば逆転のチャンスだったし、惜しい当たりではあったが、
一塁へ駆け込んで、アウトを宣告されて時に、ヤンキースの2005年が終った訳だから・・・。
自分が活躍してヒーローになった良いシーンより、こういう悪いシーンの方が、
特に松井の場合は心に残るんだろう。


-敗戦後、ジョー・トーレ監督話した?
「(遠征地からニューヨークに着いて)飛行機を降りた時に一緒になった。
僕はあの試合打てず、チャンスで凡退したから謝った。『I'm sorry 僕の責任だった。』とね」
「そしたら『NO、NO、NO』って言ってました。『お前のような熱いハートを持ってる選手は、なかなかいない。常にチームのことを考えてくれる選手はいない』って言ってくれてた。」


まあ、この辺は二人が築き上げてきた信頼関係を考えれば、驚くべきことではない。
今回の残留でも、トーリは現場の声として松井の必要性を主張しただろうし、
松井も記者会見で言及しているように、トーリが監督として残ったのは、
ヤンキース残留を決心するひとつの大きな要因となった。


-3年目を終えてヤンキースへの思いは。
「ヤンキースっていうのは、やっぱりみんなのものですよね。
僕はヤンキースの選手かもしれないけど、選手はヤンキースというチームに何も期待しちゃ駄目です。
それほど特別な存在です。巨人と比べて?ちょっと違うなあ。もっと特別な存在だと思うなあ。
世の中にいろんなスポーツのクラブチームがあるでしょうけど、ある意味総合的には世界中で一番かもしれない。ヨーロッパに野球はないですけどね。」


読解力の無さと、生来の‘遅読’のせいで未だに半分くらいしか読んでいないが、
先日手に入れた本‘くたばれ!ヤンキース’を読んでいると、
ヤンキースの‘突出した特異性’は、想像を超越している。
その真っ只中にいる松井が‘特別な存在’と感じるのは当然だと思う。


「契約延長?正直まだ決めてない。選手として一番評価しれくれるところでやりたい。
ニューヨークだから、この街にいたいというのはあんまり無い。あと、ある程度は勝ちに近いチームにはいきたいですよね」


この記事が掲載されたのが、11月8日だが、ヤンキースに拘泥しないニュアンスを
思いっきり出している。
この辺が、ひとつの戦術としての‘ブラフ’にも見えてしまったのだが・・・。


-今の夢は。
「そうやっていわれると、これっていう夢はないですよ。毎年、勝ちたいし、もっといい選手になりたいけれど、
それが夢かっていわれるたら、分かんないですよね。ほかの人たちに夢を持って頑張ろうとかいってるかもしれないけれど、自分の夢は何かといわれたら難しい。夢っていうよりも、自分の夢が使命みたいになっちゃってますよね」


この辺の答えが、いつもの松井に較べると‘歯切れの悪さ’を感じる。
子供たちを集めては‘自分の夢を持って頑張りましょう’と言っているのが松井だ。
ただ、私は、この松井の‘歯切れの悪さ’に、逆に本音ベースの人間味を感じてしまう。


-松井秀喜とは。
「松井秀喜でいることによって、自分の感情のままに動けない事は多々あります。しょうがないことですよね。
松井秀喜は公共物?認めざるをえないですよね。窮屈な思いもしなくちゃいけない。
自分にとって、受け入れたくないことっていっぱいあるじゃないですか。でもそれは受け入れなくちゃいけない。
自分自身としてはある程度、なんでも我慢できる」

「本当の松井秀喜っていうのは、自分でも何なのかよくわかっていないですよ。多重人格だと思われるかも
しれないけれど、自分でもいろんな側面の松井秀喜がいると思っている。でもそれによって、いろいろなバランスを取っているんじゃないかと思っている」

「松井秀喜をやめたくなったことはないです。楽しいときは楽しいですよ。僕しか出来ないことは、いっぱいあるわけだから。
ヤンキースのユニホームを着て、ヤンキースタジアムに立てる人間なんて、そんにいないわけだから。最高に幸せな一瞬だし。」

「今幸せか?難しいですね。世界一の環境で野球ができるってことが幸せって感じるんだったら、幸せでしょうね。
それができるんだったら、何でも我慢できるっていう人間だったら、間違いなく幸せでしょうね。
そういう意味では幸せかもしれないですね。


松井らしさを醸しながらも、本音ベースも窺えるのが良い。

‘松井秀喜は公共物?認めざるをえないですよね’はまさに至言だ。

‘本当の松井秀喜っていうのは、自分でも何なのかよくわかっていないですよ’
も正直な本音だろう。

松井番としていつも松井の傍にいながら、真髄に迫るような記事を書けない連中に較べると、
この日経の朝田氏の記事はまさにグッド・ジョブだ。

やはりある程度距離感があったほうが、モノはよく見えるのか・・・

2005年11月16日水曜日

松井秀喜は‘変節’したのか、人間らしくなったのか~ヤンキース残留交渉での印象~

9月はほとんど毎日がヤンキース、松井ネタだったが、2週間以上書いていない。
書こうと思えばいくらでも書くことはできた。

松井がヤンキースと再契約するのか、或いはFAになってどこか他のチームに移籍するのか。
日米ともにマスコミがその交渉の成り行きに関して憶測記事、飛ばし記事を書き続けていた。

‘野球は途中の展開が面白いし魅力だが、今回の交渉事は結論しか興味がない’

そうは言いながらも、一応記事はチェックしていた。

特に、決裂・移籍シナリオを煽っていたのはサンスポだが、
逆にサンスポの記事が現地のメディアのソースに使われたりしていた。

松井の本心が‘ヤンキースがどれだけ自分を真剣に必要としているか’
という純粋なものであっても、
現実的には‘誠意をみせろ’⇒‘金を払え’になる。

嫌な言い方だが、ヤクザな人間が恐喝、脅迫に問われないために
‘誠意をみせろ’と言うのは常套手段だ。

無論、松井はプロの野球選手であり、その価値はお金で評価されるのは承知しているが・・・。

私は、野球をしている時の松井は‘無条件’にサポートする。
活躍している時は勿論だが、逆に不調に泣き、世論の嵐に晒されている時も、
心底応援している。

そうやって、今シーズンは全試合をライヴ視聴した。

但し、今回の契約交渉で見え隠れする松井には少なからず違和感を持っている。

ジャイアンツ時代の松井が、余りにも‘良い子’過ぎて一発サインのイメージがあったせいか、
今回の‘ゴネル子’の松井の印象がしっくりこないのだ。

弁護士に周到に助言を受けた被告・原告のように、
やり過ぎ代理人テレムに‘洗脳’され、すべて細かく指導されているかのような言動だ。

勿論、松井自身が今回のやり方こそ、メジャー流と納得し、
‘新生松井’として主導的に動き‘拘った’のであればなんら問題はないのだが・・・。

私も現役ディーラーの時は、3度の転職でしっかりと‘交渉’したし、
いわゆるパフォーマンス・ボーナスを巡ってもマネージメントとやり合った。

米系で経験したネゴの仕方を、欧州系で発揮するとあっという間に
‘ハード(タフ)・ネゴシエーター’の‘称号’を貰った。

まあ、私は、賃貸マンションのエア・コン壊れてホテル暮らし~クレイマーの真骨頂~にあるように、
基本的にそういう類の人間なのかも知れないが・・・。

いや、そういう私だからこそ、逆に松井にはそうなって欲しくないんだよね(-_-;)

彼の野球のプレイスタイルのように,常に真摯で愚直な感じが魅力なんだが・・・。

契約成立後に
‘ヤンキースでのプレイを望んでいたし、ユニフォームを脱ぐのもヤンキースで’
と言われてもなぁ。

愛しているなら妙な駆け引きは不要だろ。

‘愛する相手の愛を試すようなことは粋ではない’

って、私があまりにも勝手に松井を神聖化しすぎかも・・・。

松井自身もゴネルし嫉妬もする普通の人間に少しだけなったのか。

過去3年間、年俸7Mドルが安すぎたと言えば安すぎたが、
これからは13Mドルのヴァリューを発揮しなければならない。

個人的には、松井が引き続きピンストライプのユニフォームを着るのは嬉しいし、
新年俸に相応しい活躍を信じている。

2005年11月15日火曜日

NTT局のデモマシーンでも10MしかでないハイパーファミリーBフレッツ~hyperのもうひとつの意味~

平日の日中にかかってくる電話は基本的には、主婦や老人を対象にしたものが多い。
マーケティングとしても、私はターゲットではない。

だから、妻が不在の時しか電話に出ないが、先週取った電話はNTTからのものだった。
ハイパーファミリーBフレッツと光でんわの売込みだった。

これは久々に興味のある内容だったので切らずに話を聞いた。

私の通信環境はCATVだ。
上りはそもそも最大でも2Mbpsだが下りは20Mbps前後をキープしている。

去年、親父が死んで、親父名義の固定電話の始末をつけるためにNTTを訪ねた時に、
Bフレをデモのマシーンで試したところ、下りで10Mbpsぐらいしか出ていなかった。

それは、ハイパーになる前の普通のBフレッツ・ニューファミリーの時だった。

ハイパーが導入されたのは、ちょうど1年前で、個々の最大は100Mbpsと変わらないが、
共有するアクセスラインが100Mbps⇒1Gbpsと10倍になったのだから期待してしまう。

実際、コールセンターの彼女のPCでは70Mbpsくらいの速度が出ると言われ、
‘わかりました、デモを試しに行ってみます’と答えた。

そして、今日の昼、当地で最もマトモなダブルスープのラーメンを出す店を訪ねたついでに、
NTTに寄ってみた。

デモのコーナーにPCは5台、1年前は確か色々なメーカーのマシーンがあったような気がするが、
今回はすべて同じモデルのソーテック(SOTEC)だった。

まあ、激安パソコンのイメージだが、それでもむしろスペックは1年前よりは良いだろう。

で、いつも使っているサイトで測ってみたら下りで9.4(ナンジャコリャ)

他の測定サイトを4つ試したが、最大でも13足らずだった。
隣のマシーンで測っても9.8と差が無い。

スタッフの女性に
‘これって、ハイパーですよね’

‘はい、そうです’
と、なんとも屈託のない笑顔(^_^.)

そんなにニッコリされると、こっちがやりにくいんだけど・・・(-_-;)

その女性は、スピードが出ないのはルーターのせいとか言い訳している。

‘折角電話セールスを貰って、体感しようとやってきたのに
一年前の、ニューファミリーの時と変わらない低速だし・・・。
車で言えばここはショウ・ルームでしょ、このパソコンは試乗車みたいなもんでしょう。

スーパーの生鮮食品だって、照明を工夫したり、霧吹きを使ったりして
美味そうに見せようと努力しているじゃないですか。

あなたが子供の頃、ロウ細工で出来てるエビフライの見本を見て、
いざ頼むと見本より全然小さなエビが出てきたでしょう。

例えばここで測れば70~80Mの速度が出て、実際開通させると家では
40Mくらいしか出ない、そういういい意味での‘狡さ’があってもいいんじゃないの。

ともかく、ここでは最高の状態を見せるようにしなきゃ・・・

ハイパーはいちおう平均でも32Mでしょ。
デモでそれ以下の10Mしか出ないってのいうのは話にならんでしょう。

もしルーターに問題があるってわかっているのなら、ルーターを交換するとか、
1台は直結するとか、いくらでも改善できると思うんだけど・・・。

超高速通信とか謳いながら・・・ε=( ̄。 ̄;)ウダウダ’

言いたい事の100分の1も言ってなかったが(-_-;)
妻が‘また始まったよ’と言う(‘_’)をしていたので止めた。

止めて正解だった。

彼女は
‘お客様の貴重なご意見として、上の者に伝えておきます’

私が、もし30分しゃべっても、どうせこの一言でかわされていたに違いない。

昔の私なら、
‘じゃあ、上席と直接話をさせてください’とか
‘あなたがどう上司に伝えるか、ここでやってみてください’
とさらに責めているところだが、何しろ病気もして年もとって丸くなったから・・・(ドコガ)

でも、マジな話これは余りにもお粗末でしょう。
ITの世界の良いのは、波及するのが速いことだ。
6年前、電話回線で56kbsで始めて、いつの日か常時接続を夢見ていたら、
その後、あっという間に常時接続が常識化し、さらに高速化した。

サーヴィスの提供も当地のように県庁所在地であれば、都市部にそれほど遅れを取らない。

それなのに人的資源が伴っていないと、今回のような事態を招く。

ハイパー(hyper)の意味は、[ギリシャ語hyper-(超えた)]からきた「超越して」「過度の」だが、
名詞としては宣伝係;誇大宣伝屋の意味があり、今回はまさにピッタリになってしまった(笑)

2005年11月14日月曜日

本名は小野二郎、店名は‘すきや橋次郎’~そんなジローに魅せられて~

昨日の記事で、道場六三郎が『現代の名工』に選ばれたことを書いたが、
なんのことはない、同時に小野二郎氏も受賞していた。

日本料理人 おの じろう
小野 二郎
(八十歳) (有)すきや橋次郎  江戸時代以来のにぎり鮨の伝統を踏まえながらも、常に新しい工夫を怠らず、さらに美味しい鮨を目指し、江戸前のにぎり鮨の型と魂を継承している。氏の店は一九九四年一〇月「ヘラルド・トリビューン・インターナショナル」誌の世界のレストランベスト六位に選ばれるなど、内外より高い評価を得ている。


寿司屋の方が、職人と呼ばれる分‘名工’という表現との違和感は少ない。

実は、この‘すきや橋次郎’はナリポンにとって思い出深い店だ。
とは言っても、行ったのはたったの一度だけだが・・・。

我々家族が、穢土を離れ当地に移住したのは2001年8月だが、
たった一度の‘次郎’を味わったのは7月の下旬だった。

穢土を離れる前に、是非行っておきたい店、
と言っても私も病人だから出かける機会は限られていた。

そこで厳選した数店の中のひとつが‘すきや橋次郎’だった。

私が食べ物に興味を持つようになったひとつのきっかけは、
山本益博の‘東京味のグランプリ’だ。

当時のグルメ本は当たり障りのない表現が多く、マスヒロのゲリラ的で先鋭的な
評論には胸を躍らせたものだ。
その後は、彼自身がメジャーになりすぎて、当初の面白みは無くなってしまったが・・・。

一時期は、彼の書いたポケット・グルメ本を常にセカンドバッグに入れていて、
夜な夜な行動するバイブルとしたものである。

そんなマスヒロ信奉者だったから、彼が信奉する‘次郎’は
当然真っ先に訪れていて不思議がないのだが、何故か未体験だった。

ディーラー仲間で、年下だが、私のグルメの指南役だったK君と話していて、
彼と最後のメシは‘次郎’にしようということになった。

K君は、まあ常連の部類で、確実に‘小野二郎’に握って貰うためにお店と交渉してくれた。

昼の営業の開始直後なら大丈夫と言われ、平日の昼、妻を伴って出かけた。

大手町界隈の古いビルと同じような、かなりシャビーなビルの地下1階に店はあった。

カウンターに3人で座り、名人・小野二郎がつけ場に登場。
おまかせで出てきたのは

ひらめ
あじ
赤貝
とり貝
しまあじ
あおりいか
かつお
車えび
まぐろ(赤身)
まぐろ(中トロ)
まぐろ(大トロ)
こはだ
蒸しアワビ
ミル貝
穴子
ウニ
イクラ
卵焼
コバシラ


追加で、我々は中トロ、K君はかんぴょう巻きを注文(お裾分けしてもらった)、飲み物はビール2本。

一番感激したのは、大きな車えびで、えびの真髄は加熱物にありと思わせた。
次は追加で注文したまぐろ(中トロ)だった。

じっくり味わいたいと思うこっちの気持ちとは裏腹に、主人の握るペースはやや速すぎた。

何回か話を振ってみたが、最低限の返答しかしてもらえず、ノリの悪さに私の方が途中で諦めた。

‘まあ、初陣の私じゃ無理かな’

K君の話だと、常連客にはそれなりに愛想は良いらしい。
ミスター円とかは常連らしい。

それでも、寿司そのものは素直に美味いと思ったし、穢土で味わう最後の寿司屋が‘次郎’で、
しかも小野二郎に握ってもらったことには感慨深いものがあった。

常連に言わせれば、オヤジが握ったのと息子が握ったのでは全然違うと言う。

会計はちょうど6万、ひとり2万だった。
息子が同じネタを握っても同じ値段なのだろうか。

当地で一番お気に入りの寿司屋でも、つまみなし、酒なしの握りだけで、
調子に乗ると12~15千円はするから、次郎の2万は決して高くはない。

食べ終えた後、私の東京での、或いはもっと大袈裟に言えば‘人生でのメイン・バー’だった、
オールド・インペリアル・バーまで歩いた。

いつも通りに、タンカレー・マティーニ・ロックを頼んだ。
何回通ったか概数でもよくわからないが、妻を連れて行ったのは初めてだったかもしれない。

今は六本木ヒルズにも出店し、次男が主人を務めているらしい。
いかがわしい‘蛭ズ族’の連中が‘ウニの軍艦1ダース’とか頼んでいたりして・・・(笑)

2005年11月13日日曜日

永田基男(千花)>>>野崎洋光(分とく山)>>>道場六三郎(ろくさん亭)~名料理人って‘名工’なの?~

厚生労働省が表彰する『現代の名工』で、料理人の道場六三郎氏が選出された。

料理人は職人ではあっても、名工という表現にはチョッと違和感を覚えるが・・・。

実はナリポンは彼と一度会ったことがある。
シンガポール在住時代、贔屓にしていた寿司屋の主人が現地の弟子を修行させるために
「銀座ろくさん亭」に送り込んできたのだ。

その弟子は中国人だったが、ボートで本国を脱出、途中から泳いで香港に
辿り着いたという根性の持ち主だ。

実際シンガポールの店でも、努力家で他の日本人の若造より余程気の利いた動きをしていた。

その彼が日本に来て、私に連絡してきたのだ。
早速店を訪ねたが、その時、道場氏にも会い、恰も親代わりのような気分で挨拶をした。

修行を終える前に、もう一度訪ねたが、彼に会う目的以外ではあの店を訪ねた事は無い。

店内の空間も料理そのものも、再訪したいと思わせるものではなかった。

それから数年して、テレビの‘料理の鉄人’に道場氏が活躍するようになると豹変する。

‘あっ、俺会った事あるし、あの店にも行った事ある、実はシンガポールから・・・’
としきりに吹聴していた。

まあ、人間なんてそんなものだし、私もその程度だった。

実際、道場氏は材料を目の前にしての即興的な料理の才能があったのかもしれない。
鉄人で裏付けられた事で、あの店を修行先として選んだ寿司屋の主人に改めて感心した。

鉄人ブームの中、赤坂に「ブラッセリー六三郎」をオープンさせた。
会社から10分程度の徒歩圏内だったが、予約が取り辛く、そこまで苦労して行きたいとも思わず、
前を通ると女性だらけだったのにも気後れし結局食べずじまい。
(その後店名は「ポワソン六三郎」に変更)

予約が取り辛いのに必死になって行った店は、野崎洋光氏の「分とく山」(わけとくやま)だ。
一応本家にあたる「とく山」時代は冬場のフグ目当てに4回行ったことがある。
4回のうち、2回山城新伍が美女と一緒にいたのは見かけたが、
野崎氏はまだ顔が売れてなかったせいもあって存在は特に覚えていない。

「分とく山」に行ったのは、移転前のキャパの少ない方だから、本当に予約が取りにくかった。

料理の印象は、懐石料理らしい控えめな味付け、出汁の加減は絶妙、
ご飯類が美味いって感じだった。

食べ終えて、店を出ると、野崎氏の‘お見送りの儀式’がある。(今もやってのかな?)

‘あれで、結構参っちゃう’

野崎氏は長嶋茂雄とも親交があり、長嶋氏の強い要請でアテネでは
長嶋のいないナガシマ・ジャパンの食事の担当もした。

道場氏がギョロギョロのギラギライメージなのに比べ、野崎氏はぼよよ~んとしているが
中々の商売人である。

永田基男氏は京都の割烹料理店「千花」の大主人である。
私が訪ねた時は、彼がまだ現役で料理を作っていたし、建物も古いものだった。

それっきり一度だけだが、その印象は衝撃的だった。

旅先での多少の興奮があったのか。
祇園のあの小路を入っていく風情が良かったのか。

盃のような入れ物にいれた酒肴にふさわしい料理の数々。
じゃがいもの酢の物とか、それまで味わった事のない工夫。
確か20数品の料理が出てきたが、ハーフタイムに出てきた‘いなり寿司’の絶妙のタイミング。

デザートはフルーツのジュース、そこで白衣姿の主人が登場する。

‘なんか、こっちの胃袋の状態をすべて知り尽くされているような感じだった’

見送られて、ふたたび小路を歩いて大通りに出る。
何か別世界の味わいだった。

現在の「千花」は長男が引き継ぎ、次男は「千ひろ」という店を経営しているとのこと。

しかし、これだけの乏しい経験なのに、おまけに素人の私が勝手に‘不等号の向き’を決めて、
なおかつそれを堂々と情報として発信している。

なんとも物騒といえば物騒な話だが、杉村太蔵の一挙手一投足を伝えようと腐心し、
まるでそれが重要だと確信しているらしい大マスコミの情報よりはマシだと自負している。

2005年11月12日土曜日

つねに正しい時を刻み、ずっと休まず動き続ける電波式・ソーラー腕時計の味気なさ~忠誠心のないやつだ~

病気で現役を退いた後は、いわゆるスーツを着る必要が無くなった。
スーツを着るときに使っていたお気に入りの腕時計があった。
ある人からプレゼントされた、キクチタケオのデザインのやつだ。

10年近く使っていたが、最初の内は2年に1回ペースでやっていた電池交換だが、
次第に‘老衰’したせいか、或いはそれをくれた人と会う機会が無くなっていったせいか、
電池交換のインターバルが短くなっていた。

おまけに、この電池交換は街の便利屋さんでは無理と言われ、
ちゃんとした時計屋に行く必要があった。

スーツを着なくなって、その時計をしなくなって、ある日見たら、死んでいた。

‘道具って、使わないと死ぬよな’

カジュアルで使っていた時計は、スキーヤー仕様の物だった。
マリーンスポーツが大の苦手で潔癖症のナリポンは、
どうしてもダイバーズ・ウォッチをする気にならなかった。

‘水深200Mまで大丈夫って言われてもなぁ、きっと普通に死んでるし~(-_-;)’

で、ある日偶然見つけた、スキーヤー仕様の時計・・・、即購入した。

何処が、スキーヤー仕様かと言えば、先ず着込んだ上からでもはめられるようにベルトが長い。

それになんと氷点下30℃でも大丈夫としてある。

‘はめている私が氷点下30℃でどれだけ生きていられるかは別問題だが・・・(-_-;)’

そういう意味ではマグロの冷凍庫の管理人はどうしているのだろうか。
あそこはマイナス50℃の世界だ。

ところで、今年の春ある人から貰ったカタログで選べるギフト(たぶん2万円)で、
腕時計を手に入れた。

これが、いわゆる電波時計ってやつでいつも正確な時刻を示す。
おまけに、太陽電池で充電するタフソーラーとかいう仕組みで、電池の交換が要らない。

その昔、クォーツ腕時計が初めて発売された時の値段は45万で、大衆車1台より高かったそうだ。

電波時計も最初は10万以上したが、いまは数千円で買えるものもある。

正確であることを競ってきた歴史があるわけだが、電波時計のように、
常に正確な時を刻むのもある意味味気ない。

待ち合わせに遅れても、時計に責任を転嫁することもできないし、
予め5分程度故意に進めておいて、少しだけ余裕のある行動をしようなんて考えも通用しない。

正確なだけでなく、光がある限り動き続けるのも便利だがある意味可愛げがない。

‘ご主人様が逝った後もぬけぬけと生き延びるなんて、
なんて忠誠心のないやつなんだ’

悲しみの余り、発狂してとんでもない時刻を示すとか、
ご主人様の臨終を告げる医者の声にあわせて、その臨終の瞬間でチクタクを止めるとか、
何か人間味に溢れ、面白みのある時計はないものか。

次の主人を探した所で、こんなもんは形見としての価値も無いから、
一生虚しく、誰の腕の温かさも知らず、無意味に正確な時刻を刻み続けるだけだ。

2005年11月11日金曜日

『今日も‘病気’だ、たばこがうまい』病人は病院へ行くべし~禁煙治療に医療保険適用へ~

先日循環器学会などが、たばこを吸うのは‘ニコチン依存症と関連疾患からなる喫煙病’と、
喫煙行為そのものが‘病気’だと断じたばかりだが、その病気の治療が保険の適用になる。


禁煙治療に保険適用へ、医療費削減狙う 厚労省方針

 
厚生労働省は8日、医師による禁煙指導を「治療」と位置づけ、公的医療保険の
給付対象とする方針を固めた。禁煙指導の促進により、喫煙率は今後15年間で
最大、男性26%(03年は47%)、女性9%(同11%)程度まで下がると同省研究
班は試算。肺がんをはじめ、心筋梗塞(しんきんこうそく)や脳卒中などの生活習
慣病を引き起こすとされる喫煙を減らすことで、15年後の医療費は少なくとも
約1846億円抑制できるとみている。

 禁煙はこれまで個人の意志や努力の問題とみられてきたが、「ニコチン依存症」
という病気に対する治療ととらえて、積極的な対策に乗り出す。

 9日の中央社会保険医療協議会(中医協)で提案する。保険を適用する治療内容
を検討し、06年4月の実施をめざす。

 対象は、禁煙治療プログラムを受けたいと希望する人で、ニコチン依存度テストで
「依存症」と判定された人。同省のモデルでは、2または4週間に1回通院してカウン
セリングを受けるほか、肌にはったパッチからニコチンを吸収する置換療法を受ける。
約3カ月で初診も含め計5回ほどの通院を想定している。

 これまでも、一部の病院が独自に「禁煙外来」を設けていたが、保険の対象では
ないために全額が患者負担で、1カ月あたり3万~4万円かかっていた。保険の対象
になれば、3割の窓口負担(70歳以上は1~2割負担)で済むようになる。

 次期医療制度改革で厚労省は、生活習慣病対策で中長期的に医療費の伸びを
抑制する方針を打ち出しており、禁煙治療の促進はこの一環。導入によって医療費
は当初は増えるものの、生活習慣病や肺がんが減ることに伴う減少で、8年目から
減少に転じると研究班では試算している。

 欧米ではすでに、ニコチン依存症を「繰り返し治療することで完治しうる慢性疾患」
ととらえる動きが広がっている。英国では99年から禁煙治療を保険の対象として
いるほか、米国でも民間保険会社の8割超が禁煙のための薬剤費などを保険給付
の対象にしているという。日本では、日本循環器学会など9学会が保険適用を要望
していた。


非喫煙者からみると‘ふざけんな’と感じる人も多いだろう。
それでなくても、日頃から受動喫煙の被害を受けている人間が、
なんで喫煙者の医療費負担増まで面倒みなくちゃいけないんだ、
‘自分のケツは自分で拭けよ’

そういう話になると、私のような‘前科者’の立場はない。
1日、2~3箱を吸う超のつくヘビースモーカーで周りに有害な副流煙をばら撒き続け、
挙句の果て、2000年に自分は急性心筋梗塞に襲われて、いまや身体障害者だ。

救急車で運ばれて、集中治療を受けた9日間での医療費が約250万、同じ年、
検査を含め都合5回のカテーテル施術を受けるが、それらを合計すると医療費は500万を超える。

それ以降は、通院と投薬が基本なので年間100万といった感じだろうか。

という訳で、健康な人からみれば、私は明らかな‘お荷物’だ。

27年間の喫煙習慣が心筋梗塞を引き起こしたかどうか実証は出来ないが、
早い段階で禁煙していれば防げた可能性は高いと思う。

そう考えると、禁煙治療サポートによって一旦は増える医療費が
将来的にはそれ以上の医療費の減少につながるとする仮定は当っていると思う。

それでも、気が収まらない非喫煙者を満足させるためにも、やはりタバコの大幅な値上げとか、
屋内施設での全面禁煙化とかの規制強化が必要だろう。

そうやって、値上げや規制である種追い込みながら、一方で禁煙をサポートする。

‘病人’と名実共に認定されたのだから、
‘愛煙家’とかと言う美名はもはや通用しない。

‘嗜好品’という言い方も通用しない。
病気を誘発し死に至らしめる‘死向品’だ。

今までは散々加害者扱いされて素直になれなかったかもしれないが、今度は病人扱いだ。
自分が病気だとわかっているのにそれを治そうとしない人はいないはずだ。
喫煙行為が病気だと認めたくないのはわからない訳ではないが、
もはやこうして医療制度の上でも、普通の病気として認定されようとしている。

おまけに、この病気の悪い所は、周囲の人間をも病気にする極めて悪質なものだということだ。

本来なら病人は隔離されなければいけない病気なのだ。

頑な喫煙者の人々も、そろそろ時代の潮流にもっと従順になっていい頃じゃないだろうか。

‘俺は死んでもやめねぇ’という重病人は、そのうち‘難病’認定されるぞ。

それにしても医学学会が‘喫煙は病気’だと騒いでから、
こんな短期間に厚生労働省が動くとは予想できなかった。

まさか、新しい‘食い扶持’を探した医師会の働きかけの成果とかじゃないだろうな。

2005年11月10日木曜日

免許の更新で思わぬ事実が発覚~が~~~ん、‘視力’を尽くしても見えない~

免許証の更新手続きに出かけた。

前にも書いたが、いまや車の運転は一切しない私にとっては‘身分証明書’としての価値しかない。

ところが今日の更新手続きには、想定外のもうひとつの価値があった。

現役時代は、毎年会社で指定された病院で定期健康診断を行っていた。
それが、心筋梗塞後は、あれだけ頻繁に通院しているのに・・・‘盲点’だった。

それは視力検査だ。

前回、穢土で免許を書き換えた時以来、まさに5年ぶりだった。

うちのガキが小さい頃から、妻は
‘視力だけはパパに似てね’
と言っていた。

そうなのだ、学生時代はあんなに勉強して(ン!)、ディーラー生活では毎日幾つものモニターを
凝視する人生だったのに視力だけは本当に優れていた。
片目でも、勿論両目だと1.2~1.5のレンジにいた。

とととと、とおおおおころが、今日の視力検査、最初は左目だったのだが、
例の輪のどこが開いているかを言う奴だが、見えないのだ。
輪である筈なのにまるで八角形のように見えて、どこも開いていないように見える。

そんな体験今までしたこと無いから焦った。
得意科目の一問目、解けて当たり前の問題が解けない感じだ。

それでも、やや勘で答えたが、相手の反応から言えば、正解率5割といった感じか。

その後、右目、両目をやったが、こっちは本来の実力を発揮し、まったく問題なしだった。

結果パスしたが、普通免許の場合、片目で0.3、両目で0.7が要求されるという。
検査していたオバちゃんに訊くと、やはり左目では間違いもあったとのこと。

つーことは‘視力を尽くして’0.3も見えなかったということになる。

平日の昼の強みで、小一時間で無事‘身分証明書’を手にしたが、問題は急落した視力だ。

裸眼だと0.1もない人生を送ってきた妻には、何を大騒ぎしているという感じだったが、
逆に1.0以下になったことのない人生を送ってきた私には急に別世界と言った感じだった。

単なる視力の低下だけだったら問題ないが、緑内障とか何か病気に起因したものだったら、
よくないでしょう(-_-;)

‘保険証不携帯’だったので、一旦家に戻って即、眼科へ直行した。
眼科なんて、モノモライかなんかで行って以来、ン十年ぶりだろう。

妻が何度か通っている病院に行ったが、が~~~~~~~~ん、休みだ。
これがホントの‘が~~~んか’(ナンチャッテ)

どっか近所に、他があるかなぁ~と思っても、普段から眼科なんて文字通り眼中にないから、
結局チョッと離れたところへ行った。

随分大きな造りなのに‘先客ゼロ’
う~ん、ラーメン屋だったらそれだけでパスしたくなる感じだ。

おかげで待ち時間ゼロ。

空気がシュっとあたる奴とか検査をした後、いよいよ視力検査だ。

先ずは問題の左目からだったが、やはりよく見えない。
同じように○が八角形みたいに見える。

続いて、右目。
見える、見える、そうそう、この感じだ、これこそ視力優等生だ(^o^)/

その後、左目用に2種類のレンズを試してみると、見える、見える。

続いて、医者の診断。
左目裸眼で0.6、右目裸眼で1.5、左矯正で1.2だそうだ。

特に病気の可能性は無いので、生活をするうえで必要なら左目用の眼鏡を作ればいいけど、
特に困っていないなら何もしなくてもいいのではないか、との事。

結局、私ひとりが何か過剰反応してしまった感じだった。

それにしても、今日のあの医者のタバコ臭さは最悪だった。
30センチぐらいに顔を近づけられビ・ザ・ビ状態になったが、くさ~~い、クサ~~イ。
眼科学会は喫煙者を容認なのか。

喫煙は病気だぞ!

2005年11月9日水曜日

老夫婦が焼却炉で心中~壮絶にして完璧な自己完結の人生~

今日の記事も病気や死に関係する。

[焼却炉内に2遺体]1人は80歳男性 自殺の可能性

福井県大野市七板の旧火葬場の焼却炉内で7日、白骨化した2人の焼死体が見つかった。県警大野署の調べで、歯の治療痕などから1人は近くに住む無職の男性(80)と断定。もう1人は行方不明になっている男性の妻(82)とみて身元の確認を急いでいるが、同署は状況から自殺とみている。

 調べでは、7日午後2時ごろ、近所の人が、火葬場横に、エンジンがかかったままでクラシック音楽が流れている無人の乗用車が止まっているのを不審に思い同署に通報。駆けつけた署員が焼死体を発見した。

 車は男性の所有で、車内にあったガソリンスタンドの給油伝票7枚の裏面には、親族への思いのほか、「午後8時ごろ、妻とともに家を出る。火葬場で1時間待つ。炭、たきぎの準備をする」などと書かれていた。また、男性の自宅からは日記帳も見つかり、11月7日の欄には「午前0時40分ごろ点火する」などの記述があった。

 さらに8日になって、男性から同市役所に郵送の手紙が届き、中には「遺産はすべて市に寄付します」などと書かれていたという。同署はこれらの状況から、7日ごろ、自ら火をつけて自殺を図った可能性が高いとみている。

 近所の人によると、男性は妻と2人暮らし。子どもはおらず、妻が数年前から糖尿病を患い足が不自由だが、男性が一人で介護を続けていた。旧火葬場は平屋のブロック造り。地区の共同墓地近くにあり、30年ほど前まで地区住民が使っていたが、現在は使われていないという。


色々な捉え方が出来る出来事だ。

自殺そのものの是非を語る人もいるだろう。
こういう老人が、こういう選択しかできなかった福祉、政治に問題があるとする人も居るだろう。
益々深刻化する‘老老介護’の限界を示す好事例だとすることも出来るかもしれない。

恐らく、冷静な分析としては子供もいない老夫婦が‘老老介護’の結果
共倒れになり死を選択した、で‘正解’かも知れない。

私にも、勿論‘正解’は解らない。
まあ、ずるい話だが、社会問題としても政治問題としても語らず、或いは道徳問題にもせず、
ひたすら、この二人が実際に死に至る情景だけを思い浮かべてみる。

周到に計画され、その計画通りに躊躇も無く実行されている。

燃料になる炭や薪を準備する。
準備を終えて、実際に点火するまで、ふたりはどんな会話をしたのだろうか。
内側からは閉められない焼却炉の扉を閉めるために縄を用意していたらしい。
点火は二人が載った、金属の隙間から容易にできたらしい。

熱さは病苦より苦しくなかったのだろうか。

具体的にどの曲かはわからないが、自分達へのレクイエムを流す演出も怠り無い。
しかし、生きたまま焼かれるふたりの魂を落ち着かせ、鎮めるのに十分だったかはわからない。

専門家が何故白骨化したか疑問だとしているが、とにかく二人は真っ白になった。

そして、その翌日、遺産は市に寄付する旨の手紙が届く。

私は、この男の壮絶にして完璧な自己完結の人生に、ある種のシンパシーを覚える。

勿論この実行が、男の独断的な美学ではなく、妻も納得していたという前提だが・・・。

もう、何年前の話か忘れたし、細かい事は記憶に無いが、
夫が既に死んでいるのにアルツハイマーの妻が何日間も食事を与えていたという事件があった。
発見された時にも、温かな食事が置かれていたという。

私の両親は‘幸い’4年前と1年前に他界している。
母に先立たれた父は、我が家が下野して面倒をみた。

我々夫婦の場合はどうか。
もう既に病気の私だが、もし‘億が一’80過ぎまで生き延びて、
同じような状況になったら妻はこう言うに違いない。

‘死んでも嫌よ、あんたとなんか・・・’

そうなのだ、先ずありえないことを考える前に、熟年離婚のことでも考えるべきだ(笑)

2005年11月8日火曜日

ふと思い出した映画‘スウィート・ノベンバー’~本田美奈子とシャーリーズ・セロンを重ねた?~

昨日、自分でも取り上げるとは思っていなかった本田美奈子だが、
今日になっても‘つばさ’や‘いのちをあげよう’を繰り返し、繰り返し聴いていた。

テレビでも、引き続き関連ニュースをやっている。
想像以上の波紋を呼び、遺作も品切れ状態になっているらしい。

そんな気分の中、ふと思い出したのが‘スウィート・ノベンバー’という映画だ。

あらすじはこんな感じだ。

サンフランシスコの一流広告会社に勤める仕事人間のネルソン(キアヌ・リーヴス)は、ある日、自動車免許の更新場で出会った風変わりな女性サラ(シャーリーズ・セロン)から、この11月の間、1ヵ月だけの恋人になることを唐突に提案される。彼女の強引な態度、加え一緒に住むこと、仕事を一切してはいけないことという一方的な条件に困惑するネルソンだが、まもなく承諾。そして彼は次第に彼女に惹かれ、恋におちていく。やがてプロポーズ。だがサラは、実は末期ガンであった。それを知ったネルソンは看病を申し出るが、サラは彼への愛ゆえに拒否。マフラーだけを残し、そのまま彼の前から姿を消してしまうのであった。


なにしろ、マトリックスの面白さをまったく理解できなかったナリポンには、
ベタな内容のこの映画はある種の安堵感を与えてくれた。

私が健康でスキーをやっていた頃、どうしてもコブコブの急斜面は克服できず
それがどうしても歯痒く、不満だった。
ただある時期を境に、チャレンジするのを止めた。
おかげで、スキーを100%楽しめるようになった。

映画も、なにしろ昔は映画研究会に所属していたくらいだから、
難解な映画を好んで観ようとしていた時期もあった。

今は、スキーと同様に無理をしなくなった。

そんな訳で、マトリックスを理解できなかった時も、執拗に追及することなくあっさりと諦めていた。

そうは言っても、本心はややめげていた部分もあったが・・・。

そして、次に観たキアヌ・リーヴスがこの‘スウィート・ノベンバー’だったと思う。

エンヤの歌をつかった音楽もいいし、風景というか色合いのきれいな映画だと思う。

そしてこの映画の最大の魅力は、ヒロインを演じたシャーリーズ・セロンだ。
笑顔を含めた豊かな顔の表情が素敵だし、その顔が死期が近付いてきて次第にやつれていく。

スレンダーな身体には、どんなさり気ないファッションもよく映える。

そう、スレンダーな身体と言えば、亡くなった本田美奈子もそうだった。
美しい長い腕をしていた。

一般人によるリヴューサイトでは、この映画の評価はメタ糞だ。

どうやら、マトリックスを簡単に理解できる‘映画上級者’には、
物足りない駄作という評価をすることが、あたかも‘上級者の証し’であるかのように
叩かれている。

心の赴くまま、感じたままに映画を観るようになった私は好きな映画だ。

2005年11月7日月曜日

2005年のマリリン‘夭逝’した本田美奈子へのせめてもの‘ご褒美’

ナリポンは別に本田美奈子のファンでもなんでもない。
世代的に違うし、そもそもデビュー当時は日本にいなかった。

だから、知っていると言えば、陳腐ながら例のへそだしルックで歌って
大ヒットした‘1986年のマリリン’や‘oneway generation’、
その後ミュージカルに進出し‘ミス・サイゴン’でキム役を演じた事ぐらいだ。

しかし、昨日この訃報を知ってからは、何故か悲しい気持ちでいっぱいだ。

それは何故なのか・・・

見た目で言えば‘夭逝’と言ってもおかしくない若さのせいなのか。
不治の病と言われた病気が治る病気と認識され、
実際に彼女も克服したかに思えた後の急死だったせいなのか。
アイドルから脱皮し、常に向上しようという強い志を持ち、ミュージカル、クラッシック
と成長・進化を遂げていながら、志半ばで逝ってしまった無念さが伝わってくるせいなのか。

彼女の死に、コメントを寄せていた工藤夕貴にもそういう、志の強さを感じる。
映画‘ヒマラヤ杉に降る雪’でのハツエはなかなかのものだった。
ラスト法廷のシーンは何度もリプレイで観た覚えがある。

テレビでは訃報を伝える時に、本田美奈子自身が歌う‘アメージング・グレイス’を
BGMで使っていた。

18世紀に生まれた曲だが、日本でポピュラーになったのはテレビドラマ‘白い巨塔’で
使われたお陰かもしれない。

病院を舞台にしたドラマか・・・。

自分の葬式に使って欲しい曲ランキングでも、この曲は常に上位に入る。

‘実際の彼女の葬儀ではどんな音楽が使われるのだろうか’

‘臍だしルック’でブレイクした彼女が‘臍帯血移植’で一度は元気になった、
という言葉遊びは我ながら下品だ。

しかし、若くして逝ってしまった彼女には‘ご褒美’もある。
その悲劇性を伴った死のせいで、残した作品がいっそう感動的にフリーズされたまま、
永遠に残るのだ。

もっと生きて、もっと色々な活躍を期待したかっただろうが、もう逝ってしまったのだ。

それでも、彼女の作品は、歌声は永遠に残る。

尾崎豊もそうだし、hideもそうだし、ナリポン的には例のジム・クロウチがそうだし、
マイナーだが大塚博堂もそうだ。

私は今日はじめて聴いた、彼女の曲の虜になった。
ひとつは‘つばさ’という曲だ。
もう1曲はミス・サイゴンで歌った‘いのちをあげよう(I'd give my life for you)’だ。

正直、彼女の死の直後に聴いたことにより、感動が増幅された可能性は高い。

特にファンでもなかった私の心にもこれだけ響くのだから、
本当のファンには堪らないだろう。

考えてみれば、私は、約2年間帝劇のあるビルにあった米銀にいた。
ミス・サイゴンのポスターも見ていたし、帝劇のすぐそばの洋食屋やうなぎ屋には
よく通っていた。

今の私は、何故リアルで彼女の舞台を観なかったのかと思っているが、
人生後からそう思うことはいっぱいある。

2005年11月3日木曜日

外国為替証拠金取引に嵌っている‘虚業家’?~ポジション張っても命は張るな~

昨日の記事を書いた後、グリーンスパンでブログ検索を行ってみたが、そこで気付いたのは、
世の中に外国為替証拠金取引に嵌っている人々が結構居るという事だ。

正直、記事の内容にもバラつきがあり、きちんと勉強している風情の人も居れば、
FRBもFF金利も何もわかっちゃ居ないという感じの人も居た。

個人が株式取引を行うことは極普通のことだが、
FX取引は長い間外為法の規制下にあったせいか馴染まない。

私が現役ディーラーだった頃、友人や知人によく浴びた質問がある。

‘今後の為替見通しは、どうですか’

特に異業種の人達との会話では頻繁に交わされた。
そりゃそうだ、自分もそうだが相手の専門分野について質問するのはある種の‘礼儀’とも言える。

でも、相手の‘礼儀’に対して、私の答えはいささか‘無礼’だった。

‘いやぁ、それが判る位なら銀行でディーラーなんてやってませんよ。
個人でやってますよ’

実際、客の取引の絡まない純粋な‘スペキュレーション’だけで、年間ン億円稼ぐ。
何十億も稼ぎ出すディーラー達も居る。

彼等が手にするのは、そのうちの何パーセントのインセンティヴ・ボーナスだ。

当時でも、日本では規制下にあったが、海外の銀行を使えば、
個人でも‘マージン取引’という形で取引する事は可能だった。

でも私には個人のアカウントで取引するガッツはなかった。

‘相場なんてあんな恐いもの、他人のアカウントでしかやれませんよ’

ディーラーに相場見通しを訊くのも、ろくな事ではない。

朝一番には‘どう考えても買いだろう’と言っていた奴が
昼には‘売るしかない’とやっているのがディーラーの本性だ。

ディーラー達の言う、短期的見通しとは‘1日’のことであり、中期的でも‘2~3日’、
長期的で‘1週間’と言ったところだろうか。

逆に、常にそうやって売り材料、買い材料に柔軟に反応するのが資質のひとつかも・・・。

金利に関しての相場は、見方を間違えなければ、比較的安心してポジションをキャリーできるが、
為替は日足に現れない折れ線の動きがあり、そこが面倒だ。

それでも、近年は相場の幅や動きは昔に較べればおとなしい。

20年前には、例のプラザ合意があり、10年前には79円75銭の円高があった。
下が5の年はなんかありやと思いきや、2005年の今年は何も無いのか、これからあるか。

昔は情報ベンダーに信じられない高額の料金を払って、各種の情報を買っていたが、
いまやネットでかなりの情報が無料で入手できる。

そういう意味でも、個人が為替取引をする環境は整っているかも知れないが、
一方で色々な問題もある。

当局もそれなりに、法整備をしているにも拘らず、悪徳、悪質業者が蔓延る。

連中の甘いトークにのせられて、安易にリスクを取っている人々も多そうだ。

レヴァレッジの効いている分、実際の自分の現物資産と抱えているリスクの違いを実感できずに、
失敗する人も居るだろう。

負けを取り戻そうと、次第にポジションが大きくなる人も居るだろう。
そして、最後には・・・

‘ポジション張っても、命は張るな’

この前、ニュースで‘りんご(ふじ)が1万4千個盗まれた’というのをやっていた。
そして、その被害額が100万円と聞いた瞬間、妙な感情に襲われた。

何ヶ月に渡り丹精込めたりんご農家は勿論、1万4千個のりんごをつるが取れないように
(取れると商品価値が無くなるらしい)盗んだ泥棒さえも、ある意味‘実業’だ。

その実業の価値が100万円。

株やFXの個人トレイダーがうまくやれば1日で100万稼げるかもしれない事が、
なんとなく‘虚業’に見えてしまう。

自分がディーリングで20年間メシを喰ってきたのに変な感じだが、
病気と加齢のせいで枯れてしまったのだろうか。

2005年11月2日水曜日

FRBはサプライズ無しの利上げ~gradualistグリーンスパンは14連続‘パー’でホールアウト?~

アメリカではFOMCが開かれ、フェッドファンズの目標値が0.25%引き上げられ4%になった。

市場でも広く予想された通りで、全くのノー・サプライズで為替相場も膠着した。

それにしても、さすがグリーンスパンのやり方という印象だ。
去年の6月に、ほぼ1年間1%という超低水準に据え置いていた金利を0.25%引き上げたが、
それ以降、年8回開かれるFOMCすべてで0.25%の利上げを実施、
今回で12連続という事になる。

どこがグリーンスパンらしいかといえば、先ずはこのジリジリとした上げ方だ。
FOMC開催時に一度もスキップもしなければ、逆に上げ幅を0.5%とかにもしなかった。

就任直後のブラックマンディの教訓を活かしてなのか、彼は典型的なgradualist(漸進主義者)だ。

もうひとつは、市場に対して、FRBが何をどう考えているのかよく説明することだ。
金融政策の変更もFOMCのスケジュールに合わせて行われるし、
なぜそうしたのか、そして今後はどういうスタンスで行くのかまできっちりと説明してくれる。

彼の前任者のボルカーは、市場環境の違いもあったが(FF金利が20%の時もあった)、
市場にサプライズを与えるような政策をすることが多かったし、
自分達が何を考えているかについても、謎めいたことしか言わなかった。

だからこそ、いわゆるFEDウォッチャーなる専門の職業も花形だった訳だ。

その点、グリーンスパンは市場にわかりやすい形でメッセージを送るから、
どんなアフォなエコノミストでも次の政策を予測する事ができる。

‘まあ、ディープ・インパクトの単勝100円元返しみたいなもんだ’

投資家にとっては安心感があるだろうが、短期的な混乱を望むディーラー達には面白みは無い。

ハリケーン・カトリーナという予期せぬ出来事があったのに、
やや無理矢理、当初の規定通りのアクションを取った感もある。

来年1月末の退任までは、12月13日と、1月31日の2回、FOMCが開催される。

まあ、ゴルフに例えるならば、過去12ホールは全部パーだった。

残りの2ホールも‘グリーン’にきちんとオンさせて‘スパーン’とパーを決めて、
引退の花道とするつもりかもしれない。

インフレ・ターゲティングを推進する後任のバーナンキを必ずしも、
最大の適任者と考えていない節もあり、
その前に自分の手で、やりたいこと、やるべきことをやるのではないだろうか。

すると、FF金利は4.5%、歴史的に見ても、まあ中立的な水準と言えるのではないか。

ナリポンの個人資産は、ビル・ゲイツには及ばないが(笑)、その一部は米ドルで持っている。
証券会社のMMFだが、ここ1年半のような金利上昇局面では、
それが直ぐ利回りに反映されるのはメリットだ。

約0.4%という外貨としてはミゼラブルな時もあったが、今回の利上げで3.4%位になるだろう。

日本は日銀が‘緊急避難的’にゼロ金利政策を採用してから、もうすぐ7年目を迎える。

7年間も‘緊急避難’している異常さに、そろそろ気付いてもいい環境が整ってきたのではないか。


過去の関連記事

ボルカー!俺も男だ~グリーンスパン来年1月退任までの18年~

2005年11月1日火曜日

こりゃあ、一生ゴールド免許確実だな~無事故・無違反・‘無運転’~

運転免許証の更新の知らせがきた。

ナリポンが免許を取ったのは、大学4年生の卒業直前の冬だ。
その時期、他の連中は、海外旅行するのが流行っていた。

免許の発行、普通は自宅へ郵送なのだが、いち早く手にしたく出来上がりの日に
府中の試験場まで態々取りに行った。

車を持っている友人と一緒だった。
そして、免許証を手にした私が運転をして戻ってくる筈だったが、
小一時間運転したらぐったり疲れてしまい、結局は友人が運転した。

‘俺って、運転に向いてないかも・・・’

それから1年後の冬、仕事が終った週末スキーをしに苗場に行った。
通常ならば、私は運転しないのだが、その時は連れが睡魔に襲われそうになり、
前橋を過ぎた辺りで運転を代わった。

まだ関越道なんて高速は無い時代の一般道だ。
トラックが2台私の前にいて、さすがの私も追い越そうとした時だ。
1台目を追い越そうとした時に、その前の1台が急に停車しようとした。

取り敢えず1台と思っていた私は慌てて2台目も越そうとしたのだが、
その時対向車(トラック)がやって来て、激しいパッシングと警笛。

よく覚えていないが、私は一瞬死ぬと思って頭を下げたかもしれない。
結果的には、トラック2台に挟まれて‘川の字’状態になったものの接触は無かった。

車を停めた私は全身が震えて止まらなかった。

その一件以来、マジで運転が嫌いになったというか恐怖を感じてしまった。

シンガポール支店に転勤になってディーラーになった。
他の部署の日本人は3台あったカンパニー・カーに分乗して通勤していたが、
ディーラーは朝早く、夜遅かったので自力で運転するのが慣行だった。

そこで、何年ぶりかに運転するのだが、その時間帯の道は空いていたのでなんとかなった。
ただ週末の買い物とかは駄目、混雑するショッピングセンターの高層駐車場とかはパニックだった。

4ヶ月後に、妻がやってきた。

彼女は大学1年の時に免許を取得、中古車ながら直ぐに車を持って、
以来、輝かしい運転歴を有していた。

‘あぁ、この女と結婚してホントによかった、一生俺のショファーだな(笑)’

通勤も朝はカンパニー・カー、帰りはタクシー利用ということになり、
私は車の運転から完全に解放された。

日本に帰国後は車を所有しなかったが、その後、子供ができたのを機に購入。

そこで一念発起し、再度運転に挑戦したが、結局長続きせず駄目だった。
近所のゴルフ練習場に行くのが関の山だった。

‘要するに、運転が下手糞、それを知っているから余計に不安になる’

その後、心臓をやってしまったから、今の車は10cmも動かした事がない。

‘健常な頃だって、ドキドキ運転だったのに、今じゃ一発で心臓発作だよ’

おかげで人生、無事故・無違反。

ゴールド免許制度が出来て、何度目の更新だろう。

‘実態の無いメッキだらけのゴールドだな’

もはや、返上してもいいのだが、身分証明書としての価値はある。

当然だが、人生で一度も女性をドライブに誘ったことが無い。

つーか、運転しながら口説くなんて芸当は絶対無理だし、
ハンドルを汗べっとりにして運転している余裕の無い姿をみて惚れる女なんて居ないだろうし(-_-;)

2005年10月31日月曜日

2006年の松井秀喜はヤンキースで確定済み~飽くまでもカレンダーの話ですが~

今日で10月が終る。
わが部屋にある松井秀喜のカレンダーをビリビリと破り、6枚目のポスターとして壁に貼った。

2ヶ月なのに、40日で終ってしまったのは無念だったが、
ヤンキースにも松井にも、そして我々ファンにとっても壮絶な40日だった。

カレンダーに並んだ日にちを眺め、改めて感慨に耽りながら破った。

そして、ふと思った。

‘待てよ、来年のカレンダーは松井が移籍したらどうなるんだ’

疑問を持ったら、即行動するのが<‘寝たきりナリポン’のいいところだ(笑)

早速、2005年のカレンダーを作った、AMADAに電話で問い合わせてみた。

電話に出た女性も丁寧に対応してくれたが、ナリポンの熱心(執拗とも言う)な質問攻めの挙げ句、
担当者から折り返し電話をさせます、と言われた。

程なくカレンダーの担当者の方から電話を頂いた。

結論から先に書けば、2006年の松井秀喜のカレンダーは、
今後松井がどのチームと契約しようがヤンキースのユニフォーム姿のものを使用する。

というか、私の不勉強で、実際に注文を受け付けている。

カメラマンはスプリングトレイニングからカレンダー用の写真を撮り続けていたそうだ。
AMADAはMLBと契約を結んでおり、どのチームのロゴも使用することができる。
あとは個人の肖像権を個別に交渉する。
松井の場合はゴジパパと話をするらしい。

そのゴジパパだが、彼の希望で来年の写真はCGなど使わずに、
素のままの松井をポスター的に使ったそうだ。

いつの時点での話かはわからないが、
ゴジパパは‘ヤンキースに残れるんじゃないの’とも言っていたらしい。

つーことは、ゴジパパとしてはヤンキース残留優先ってことか・・・。

AMADAは過去に日本人メジャーのカリスマ野茂のカレンダーも手がけ、伊良部のも扱った。
去年は、松井秀喜、イチローのほかに松井稼頭央も取り扱ったが、
今年のカズヲは当然落選。

実力と人気を考えると、日本人メジャーリーガーがいくら増えても、
実際に商品としての価値のある人はそう多くは無い。

結局、現メジャーリーガーだと、松井秀喜とイチローのふたり。
予備軍で言えば、西武の松坂くらいらしい。

‘井川もスキンヘッドにでもすればインパクトはありますよね’
との私の冗談にも苦笑していた。

メジャー以外では、横峯さくらはあるのに、何故宮里藍がないの?と質問(詰問とも言う)をしたが、
藍ちゃんは去年は取り扱ったが、今年はスポンサー関係がより強力になり実現しなかったそうだ。

昨年は12月の半ばに、手に入れようとしたが、全部在庫なしだった。
結局、友人に頼んでヤフオクで落としてもらった。
12月までに売り切らないと意味の無いのがカレンダーの特性だから、
在庫を残さないように細心の注意を払っているようだ。

今年は、早速手配した。

AMADA直接だと、カレンダー(税込み2100円)の他に550円の送料がかかる。
本屋等で購入する事もできるが、どこで売っているかわからない。

そこで、私が利用したのはLAWSONの端末Loppiだ。
前金で予約すると、11月28日に店頭で受け取れる。

‘ポスター8枚分だと思うと、安いもんだ’

貰いものの味気ないカレンダーなんか止めて、
グッドガイ松井と過ごす夢の365日(笑)


さてさて、来年の10月31日は、どんな気持ちでビリビリやっているのだろうか。

2005年10月30日日曜日

大増税、大賛成!あぁ、たばこ税限定だけどね~1箱1000円で一石三鳥~

小泉チルドレンと言うか、自民党の新人議員達が自民党の部会などの会議を禁煙にするように
要望を出したらしいが、一体これまで何故放置されていたのだろうか。

2003年5月に施行された、健康増進法の趣旨、
受動喫煙を防止するということをまるで理解していない。

今年の2月には‘たばこ規制枠組条約’が発効しているのに時流を捉えていない。

こんな旧態依然とした連中が‘改革、改革’と呪文を唱えている。

‘まったくこの政権与党のオヤジどもは、時代の空気も読めず汚すだけか’

いまどき、会議で喫煙が許されているのは、ニコチン中毒のワンマン社長の零細企業ぐらいだろう。

この‘たばこ規制枠組条約’だが、時間的に猶予はあるものの、示している方向性は明瞭だ。

・公共の場所ではタバコのけむりから守られるようにすること。
・タバコの箱に、タバコの特性や健康への影響について、まちがった印象をもつかもしれない表示(「ライト」、「マイルド」など)を用いないこと。
・タバコの箱の表示面30%以上を使って、健康への注意を表示すること。
・タバコの広告、販売促進や後援(スポンサーシップ)を制限すること。
・未成年者に対するタバコの販売を禁止するために対策をとること。
・タバコの値段、税金を上げること。
・禁煙をサポートすること。


ほらほら、ちゃんと明記されているじゃない。

・タバコの値段、税金を上げること。

選挙が終って、あの手この手の増税が検討されているが、
たばこ税に関しては迫力のない議論になる可能性もありそうだ。



政府税制調査会(首相の諮問機関)は二十五日、総会を開き、二〇〇六年度税制改正に向けた議論を始めた。定率減税の〇七年全面廃止方針の確認や低税率の「第三のビール」増税を視野に入れた酒税制度改革のほか、たばこ税引き上げを求める声もあり、総会後の記者会見で石弘光会長は「今後、議論の頭出しをしておくか(検討する)」と応じた。 

たばこ税をめぐっては、尾辻秀久厚生労働相も二十日の参院厚労委員会で、医療制度改革に伴う生活習慣病予防対策の財源確保に、たばこ税の引き上げを検討する必要性を指摘しており、政府内でたばこ税引き上げが急浮上する可能性も出てきた。

総会で委員の一人が「たばこ税は(欧米より)安すぎてみっともない。(税を)高くすれば医療費も削減できる」と指摘した。

一箱二百七十円のたばこのうち、約百七十円が税金(消費税を含む)。年間の国の税収は一兆円強で、たばこ一本につき税金を一円上げると国の税収は約三千億円増える。
ただ、国の歳入に占める割合は小さく、政府内ではここ数年内での税率アップには否定的な声が多かった。政府税調は十一月末にまとめる答申で、定率減税の廃止などを提言する。


政府内では否定的って、てめえ達の会議も禁煙にできないような連中の感覚だろう。

先日循環器学会などが、たばこを吸うのは‘ニコチン依存症と関連疾患からなる喫煙病’と、
喫煙行為そのものが‘病気’だと断じた。

‘自分の意思で喫煙をやめられるのは5-10%程度’と言うデータもある。

そこでだ、今までのように10円だ20円だのせこい値上げだと効果は薄い。
新橋駅前でのインタヴューでは500円になったら、禁煙するという人がいた。

チョッと前の調査だが、500円になると42%の人が、
1000円になれば63%の人が喫煙を止めるとしている。
1000円になっても、本数も変えずに吸い続けるという猛者は4%しかいない。

自分で止める事が出来ない‘病める人’も、
経済的理由で‘止める人’になる可能性があるのだ。

すると、直接・間接喫煙による病気・死亡の減少、それに伴う医療費の減少、そして税収の増加と
まさに‘一石三鳥’になるのだ。

米国では州によって値段が違うがニューヨークでは1000円を超えているし、
英国でも800円くらいだ。

初めて私のブログを読んだ人は、単なる嫌煙家が勝手にほざいていると感じるかもしれないが、
私は喫煙歴27年、後半は一日50本、赤いラークを吸っていた男だ。

国鉄の債務返済のために、たばこを値上げされた時は激怒した男だ。

ただ、恐らくその喫煙が主因のひとつで5年前に急性心筋梗塞を発症し、死にそうになった。
今は、心筋が30%しか動かない身体障害者だ。

たばこの恐さを体験した人間だからこそ、心から禁煙を奨めることができる。

きっかけは何でもいい。

2005年10月29日土曜日

大分むぎ焼酎二階堂の詩情100%のCMに酔う

大分むぎ焼酎二階堂と聞いても、或いはピンと来ない人も居るだろうが
あそこがやっているテレビCMを見たことのある人は多いだろう。

最近新しく‘砂丘の図書館’が始まった。

プロ野球中継の時に流れる事が多いような気がするが、
このCMのシリーズは大好きだ。

私は大学を卒業して都銀に就職してしまった。
結果的には、ディーラーなどという銀行員イメージとはかけ離れた業務に専念できたから、
後悔はしていないが、本当の志望は電通、博報堂、集英社だった。

ただ私の時代の就職活動は、マスコミや広告代理店は一般企業より1ヶ月遅れていて、
銀行の内定を蹴ってまでの決心が最終的につかなかったのだ。
電通がその年から、製作部門と営業部門を分けずに採用するとしたことも
踏ん切りがつかなかった理由だ。

私は、飽くまでもコピーライター希望だった。
‘ペンをパンにかえる’と言う夢を最も世俗的に叶える方法だと思っていた。

サントリーの宣伝部という手もあったが、予め宣伝部を目指すという採用はしていなかった。

あの頃のサントリーの宣伝は大好きだった。
いまでも、各種の広告で賞をもらっているようだが、当時の広告はもっとオーソドックスで、
文学的な響きや映像的な美しさを全面に出していたような気がする。

大好きだったあの頃のサントリーのCMのテイストを踏襲しているのが、
この二階堂のCMではないだろうか。

二階堂のHPにいくと過去のTV-CMライブラリーが見られる。

ナレーションの他に撮影場所の詳細も判る。
過去の19作品を一部カットして繋げてみると、こんな感じになる。


風の気持ちも、光の想いも、知っている
すべてが隙間なく、私の心に重なり合う
街は今日も、ふるさとの夢を見ているのか…?

海から抜け出した魚たちが、今夜帰ってくる
大地の上で、彼らは一体、どんな夢を見たのだろう
聞こえてくるのは、魚たちの夢の話

この星が生まれたばかりの頃
鳥たちはここで翔ぶことを学び
風は歌うことを学んだ
ここで生まれて、ここにいる…

風の道を辿って、旅は始まる
忘れていた夢に出会い、見知らぬ刻(とき)に触れる
私の旅は、終わりのない旅かもしれない
風の道が、私の道

東にいれば、西へゆきたい。春が来れば、冬が恋しい
いたずらがんこに、生きてゆく
そんな時代がありました
誰にも似ていない、誰にも辿れない

その呟きは、やがて街に温もりを宿し
ため息は、懐かしい時間を映し出す
風が、描く
刻(とき)を、描く
私は、おいしい風を知っています

幾千、幾万光年の彼方から、星たちは
どんなメッセージを伝えようとしていたのだろう
満天の星が、今宵も天文詩人たちを悩ませる
いつも、新しい輝きと、新しい生命(いのち)

探していた想い出に、人は、どこで追いつけるのだろう?
人はみな、帰るべき刻(とき)があり、辿りつく夢がある
夢から覚めて、ここにいる

風追い街、誘われ道
置き去りにされた刻(とき)の迷路で、物語は今も続いている
私の住処(すみか)は、ここにあります

生まれたばかりの風が、窓から飛び込んでくる
旅人のほろ苦い後悔は、やがて美味しい溜め息に解きほぐされていく

確かな言葉は、誰も、持っていませんでした
海 渡る。風 渡る
懐かしさは、不思議な力を持っています

刻(とき)の我侭に流されて、私は、記憶の海に辿りつく
ふるさとは、私の中に流れています

私の記憶に、いつも後姿で現れる人がいる
あの頃、あなたが口にしなかったことばに
いつか私は、たどり着くのだろうか…?

錆びついていた時計が、再び時を刻みはじめた
縺(もつ)れた糸はほどけ出し、古びた迷路は、ひとすじの道になる

水平線をひいたのは、空があまりにも空だったから
夜空に星をまいたのは、地球という星を忘れそうだったから
私は、私のままでここにいる

「夢を持て」と励まされ、「夢を見るな」と笑われる
ふくらんで、やぶれて、近づいて、遠ざかって…
今日も、夢の中で目を覚ます


映像もどこか‘3丁目の夕日’チックなノスタルジーがある。

‘ニュー・シネマ・パラダイス’チックなBGMも人気で、問い合わせが多数あるらしいが、
CM用に作った1分程度の音楽で発売されてはいないそうだ。

CMがいい感じだから、即売り上げに通じるかは別問題だ。

二階堂は焼酎のボトルキープが走りの頃、仲間に付き合わされて‘吉四六’を飲んでいたが、
サントリーのモルツは最も嫌いな国産ビールだ。

ショーケンが昔、和久井映見とCMで‘うまいんだな、これが’とやっていたが、
ナリポンは‘うまいんだな、CMは’と揶揄していた。