2005年6月30日木曜日

1円玉を拾うのは経済的にマイナスの愚行?~1円について考える~

バブルの時代だったと思うが、こんな話を耳にしたことがある。

‘人間が1円玉を拾う行為に消費するエネルギーを補給するコストは1円より高い。’

ソースは明らかでなかったが、ひとつのレトリックとしては面白かったので、
当時の私も‘したり顔’で、会話の中で利用した。
と同時に、落ちている1円玉は勿論のこと、自分が落とした場合でも
そのまま放置していた。(ウソ)

‘1円を笑う者は1円に泣く’という諺もある。

私が、1円に泣くというのは・・・
買い物をして端数が1円で、1円を持っていないために、お釣りがじゃらじゃら来る時かな。

だからといって家から買い物に出かけるときに、わざと1円玉で9円とか持って出かけると、
逆に端数が出なかったりするわけで・・・(笑)
もう、典型的なマーフィーの法則。

お釣りでもらう小銭は、日本だと全部受け取っちゃうけど、
海外だと‘Keep the change.’でお互いスッキリ。
(ああ、そういいながら、ユーロになって使えない紙幣やコインが結構家にある。)

携帯電話とかで、古いモデルは1円とかやってるけど、息子とかは最新じゃないと嫌だって、
ごねるし・・・。

でも為替ディーラーにとって1円って言ったら、そりゃもう大変。
基本単位(1本)が米ドル百万ドルだから、1円動くとプラ・マイ100万円。
10本だと、1千万円ということになる。

最初に入った日本の銀行の本店のディーリングルームでは
‘2円に行く’という‘隠語’があって、
意味は‘トイレに行く’という意味だと先輩に聞かされた。

チーフディーラーが場中にトイレに行ったら、その間に相場が2円動いていた、
ということからきているらしい。

彼が行ったのが、‘大きい方’なのか‘小さい方’なのかは、わからないけど・・・(>_<)

‘小’に行く時は、‘50銭に行く’とかいうと、結構、メリハリがあって‘粋な表現’になる(笑)

まあ、1円に泣くといういかにも教育的な意味合いは、現実の経済生活ではチョッと迫力無いけど、
例えば入学試験の‘1点’とか、ゴルフの‘1打’とかは、シリアスな結果の違いをもたらすよね。

そうだ、スポーツの世界はシヴィアだね。
でも、‘100分の1秒を笑う者は、100分の1秒に泣く’て言われてもなぁ。
(おまえしか、そんなこと言ってねぇーし)

因みに、最近のナリポンは、1円が落ちていたら拾いますよ。
加齢とともに基礎代謝は落ちてきているし、心臓の病気のせいで運動が出来ない今、
エネルギーを消費できるなんて嬉しい事ですから・・・。

でもね、拾った私に誰かがつぶやくんですよ。

‘金なんか、墓場には持っていけませんから’

2005年6月29日水曜日

ヤンキース敗れて、流石の松井もややキレた?~トレード要員の話も浮上?~

ジーターが言っていた。‘2連勝していても、強いヤンキースが戻ったとは思わない。’
当たり前だ。逆に、そんなコメントが出ることこそが信じられない。

最近のヤンキースは、ちょっとした‘幸運’で勝利し、‘実力’で負けているような気がする。

サヨナラ勝ちも、逆転勝ちも要らない。

普通に、先制して、中押しして、ダメ押しして、先発投手が7回まで限られた失点に留め、
セットアッパーが8回を凌ぎ、9回はストッパーが抑える。
そんな‘王道の勝利’が全然できていない。

日本のマスコミも、私の神経を逆なでする。

‘ゴジラが爆発、ホームランを含む3安打、サイクルヒットは惜しくも逃す’

興奮して、記事を読む連中は、或いはそういう浮かれた記事を平気で書く記者は
インタヴューを受けている松井の表情の‘機微’なんてまるで理解してないのだろう。

今日の松井は、明らかに不機嫌で、珍しく苛立ちさえ見せていた。

そりゃそうだろう、自分は4打数3安打打点2、勝利に貢献できることはやりつくした
自負があるに違いない。
それが、拙攻あり、拙守ありで追いつかれ、最後はサヨナラ負け。

今日の試合、スタンドにはあの鉄人リプケンの姿があった。
‘現役の鉄人’松井としても、自分の活躍を見てもらって誇らしく思ったに違いない。
ただ、そんな気分もチームの敗戦で吹っ飛んでしまっただろう。

一時は逆転して勝利をものしたかに思われた、ボストンが最後に再逆転され敗れた。
一瞬、ヨカッタと思ったが、だからこそ今日のヤンキースの負け方が惜しまれた。


松井のトレード話もマスコミを賑わし始めた。

低迷ヤンキースに“松井秀トレード要員”の声


 えっ!松井がトレード要員?現地28日付のニューヨーク・タイムズ紙が迷走するヤンキースに関し、仰天記事を掲載した。来季以降を見据え、今季限りでFAとなる松井秀喜外野手(30)をトレードで放出し、若返りを図るべきという意見が球団内に渦巻いているというもの。スタインブレナー・オーナーは27日に怒りの声明を発表しており、このまま低迷が続くようだと200億円軍団の“解体”という強行手段に踏み切るかもしれない。

 7月31日のトレード期限まで間もなく1カ月。この時期はさまざまな噂が飛び交うが、権威あるニューヨーク・タイムズ紙が仰天記事を掲載した。「松井、ポサダ、ゴードンをトレードで放出する選択肢もある。彼らを使えば、見返りに若くて才能がある選手を獲得できる」と伝えたのだ。(スポニチ)


The team could offer players like Jorge Posada, Hideki Matsui and Tom Gordon in potential trades.
Those players are still productive and could represent the Yankees' best chance to acquire young, impact players who could help the team in years to come. Matsui and Gordon can be free agents this winter.
(NY Times)


センターの補強が必要だとしているのに、7月末までに松井を放出するとは考えられない。
ただ、シーズン終了後は、F.A.の松井がトレード要員になる可能性は否定できない。

松井本人はヤンキースでの再契約を望んでいるが、もし出されるようなことがあったら
是非、ボストンにでも移って、

The Curse of Godzilla (ゴジラの呪い)伝説でも作りましょうか。

2005年6月28日火曜日

賃貸マンションのエア・コン壊れてホテル暮らし~クレイマーの真骨頂~

今日、江戸は猛暑に襲われたらしい。
最高気温は大手町で36.2度、私が住んでいた練馬区で36.6度を記録、
6月の最高気温の記録を更新したとのこと。

このニュースを耳にして思い出した‘事件’がある。
1998年か1999年の7月初頭だと記憶している。

当時住んでいた、賃貸マンションは1987年に財閥系M不動産が
分譲マンションとして売り出したものだった。
ただ、中には購買後、それを直ぐに賃貸マンションとして貸し出すオーナーがいる。
その賃貸の一切をM不動産の子会社であるリース会社に委託するのである。

いわゆる‘法人契約限定’だったので、書類上は勤めていた銀行がリース会社と
契約を交わしていた。


その年の6月半ばに、リビングにあるエア・コンが壊れた。
このエア・コンは最初から備え付けのものだった。
一応3LDKとは言うものの、66平米の狭さ、ドアを開け放つと他の部屋にも冷気が流れるので、
エア・コンはこの1つしかなかった。

妻が電話をすると、直ぐに業者がやってきて、一応‘蘇生’した。
ところが、それから10日位経って、再び‘死亡’した。

妻は、‘もう10何年使ってるし、寿命じゃないですか?新しいのに交換したら?’と担当者に言うも、
同じ修理業者が現れ、無理矢理‘蘇生’させる。

それから、数日後の夜、再び‘死亡’。
もはや、天寿だったのであろう。

暑い寝苦しい夜を過ごした。

翌日、さっそく、妻が担当者に連絡。
流石に彼も交換に納得したようだが、その為には、オーナーを説得しなければいけないとのこと。
メインテナンスに関してはリース会社が判断できるが、エア・コンの交換費用は、
オーナーの負担になるから、諒解を取る必要がるあるらしい。

オーナーの諒解を取った担当者は、‘得意気に’或いは‘喜々とした’様子で妻に電話してきた。

‘なんとかオーケーを取りましたので、来週の水曜日に取り付けに行きます’

その日は木曜日、ほぼ1週間待たなければならない。
おまけによせばいいのに、連日35度を超える猛暑が続いていた。

そこで、妻から私に電話が入り、それまでの説明を聞いた。
そこから先は、私の‘仕事’だった。

早速、私は担当者に電話をした。
7時近くだったかな。

オレ「来週の水曜日というと、ほぼ1週間あるんですが、昨夜も暑くて大変だったし、何とか工事を早めてもらえないでしょうかね。」

テキ「いやぁ、この暑さで業者も手一杯みたいでして・・・」

オレ「そうですか、それは困りましたね。じゃあ、それまで、ホテルとか空調のある空間を用意してもらえますか。」

テキ「はぁ?」

オレ「ですから、どこかホテルでもとって・・・。」

テキ「それは、ちょっと・・・」

テキの声は‘こいつ何を言ってるんじゃ~’と呆れた感じだった。
そんなことには全くめげずに、オレは続ける。
大声を出す事もなく、罵声を浴びせる事もなく、飽くまでも冷静に・・・。

オレ「あの賃貸契約は、リビングにあるエア・コンを含んだ契約ですよね。」

テキ「はい、そうです。」

オレ「じゃあ、こういうケースを想定してください。
あなたが、夏休みをとり家族で旅行に出かけました。
予約してあるホテル(冷暖房完備)に到着すると、フロントの人から、
『あなたの部屋だけエア・コンが壊れています。生憎とこの時期ですので、満室です。修理の業者もお盆休みで無理なんですよ。申し訳ありませんが‘我慢’していただけますか?』
もし、あなたが、このような目にあって、このようにホテルの人間に言われたらどう感じますか。正規料金を払う気になりますか。因みに外は気温35度です。」

テキ「・・・・・・・・ただそうなりますと、私の一存では決定できないので明日上司と相談しまして、お返事いたします。」

オレ「今晩をどうするかを問題にしているんですが・・・。上司の方は携帯電話とかお持ちじゃないんですかね。」

テキ「・・・わかりました。」


その辺はさすがに大手企業、担当者の質も悪くはなかった。
その後、程なく連絡があり、翌日からのホテルを手当てする、ホテルの選択は相談の上決定する、
ということで合意した。

結局、ホテルのクラスは要求通りにならず2級になったが、5ナイツのホテルは手当てしてくれた。
たぶん、12万円くらいの‘経費’になったと思われる。


最初は、ちょっとした旅行気分になり、近所のテーマパークに行ったり、
ヴェトナム料理を食べたりして、楽しんでいたが、家に較べるとホテルなんて居心地は悪い。
3日目には、やや涼しくなったこともあり、妻と息子は、エア・コン無しのマンションに帰宅し、
私ひとりが取り残された。

この話を、会社の連中や友人にすると、‘そこまでヤルか’と、反応はどことなく冷たかった。

発想としては奇異かもしれないが、当事者である先方が、結局は争うことなく
あっさりと認めざる負えない論理を主張しただけなのに・・・。

なんで、第三者であるみんなの目が冷たいのか。

私の人徳の無さなのか、クレイム行為に対する日本人の文化の違いなのか・・・。
因みに、外人連中には‘仕事ぶり’を誉めてもらった。

ところで、この記事を読んでくれた、あなたも、どっかで白けた?(笑)

2005年6月27日月曜日

伊丹作品のベスト‘タンポポ’~20年前の作品を15年ぶりに観てみると~

伊丹十三監督作品は、‘静かな生活’以外は全部観たが、ナリポン的には‘タンポポ’がベスト。
タンポポは1985年の作品、当時、私はシンガポールに住んでいたのでリアルでは観ていない。
観たのは、1990年頃、テレビでやっていたのを録画したものが初めてだと思う。

一度で気に入って、何度か観なおしたと思う。

で、今日、また観てみた。
この前書いた、‘王様のレストラン’で盛り上がったのを機に、
何となく、この映画を観てみたくなったのだ。

で、20年前の作品を15年ぶりに観てみると、唖然とすること、新たな発見がいろいろとあった。

先ず、信じられないくらい、お恥ずかしい話だが、映画に出てくる、白い服を着た男が、
役所広司だということを、今日初めて知ったOrz

今の日本の男優の中では、最も‘達者な役者’のひとりだといえる役所だが、
当時はあの‘白服’が彼だとは気付けなかった。
その後、飽きるほど、役所の作品を観るが、時間をフィード・バックさせて、
あの時の‘白服’は役所だよね、とは思いも寄らなかった。

あの‘白服’について言えば、もうひとつ、大発見をした。
あの白い服、白い帽子、そしてそして、バックに流れるマーラーの交響曲第5番・・・

そう、あの衣装と音楽は、ヴィスコンティ監督の‘ベニスに死す’に登場する
ダーク・ボガードにあやかったものに違いない。

プロフにも書いているように、‘ベニスに死す’は私の生涯ベスト10に入る映画だ。
前に観たときにも、当然気付けた筈なのに、何故だろう・・・。

余談になるが、‘白服男’の相手役の女性を演じている、黒田福美。
勿論、当時アイデンティを取れるような女優ではなかったが、
今日、顔を観てひょっとしてと思ったら、
私の嫌いなワイドショーのコメンテイターじゃないか。

因みに私が一番嫌悪感を覚える女性コメンテイターは、
八代亜紀より厚化粧で、草野仁より偽善っぽい南美希子。
黒田は、顔立ちは悪くないし、頭も悪くはなさそうだが、南と同じ‘偽善臭’はプンプンする。
(まあコメンテイターの8割は、そうだろうが)

嫌な奴だと思っていたら、今日はその彼女の20年前の、‘おっぱい’を見る羽目に(笑)

あっ、そうそう、これは当時は知りようもないが、海女さん役で出ていた少女は
洞口依子だというのも、今日初めて知った。

でも、ナリポン的今日の最大の発見はなんといってもこれだ。

大滝秀治が扮する老人が、蕎麦屋でおしるこの餅を喉に詰まらせるシーンがある。
あの蕎麦屋が、‘赤坂砂場’という実在する蕎麦屋だということ。
最後に勤めていた会社に近かったせいもあり、通算で50~60回は通った店だ。

店内は滅茶苦茶狭いが、広角レンズを駆使しているから随分と広く見える。
それだけの回数を通うと、画面に映った全部の席で食べた経験があるが、
一番多かったのが、ちょうど、老人の向かい側で、掃除機が出てくるところ。

蕎麦屋の店員が

♪かもなん~、てんぷらそば~、おしるこ~♪

と詩吟のようなしゃべり方をするのは、砂場ではなく
‘かんだやぶそば’を真似たものだろう。

15年前には気付けなかったことが、その後の‘人生経験’によって、
同じシーンをより深く味わえるような気分に・・・、それが、なんとも嬉しかった。

同時に、こういうふうに、知らないから味わえない事は、知っているから味わえる事に較べて、
無数にあるんだろうなと思った。

他に、感じたこと、思ったこと。

・いまやハリウッドスターの渡辺謙が若くて、痩せていて、全然違う。

・ラーメンの正しい食し方はいいけど、ラーメンそのものの映像が、いまや全然美味そうに見えない。

・メイクをしたり、着替えをしても宮本信子は殆ど変わりない。

・‘砂の器‘で放浪していた、加藤嘉は相変わらず、ボロをまといホームレス生活をしている。

・スーパーの店長をしている津川雅彦は、11年後にスーパーの経営者になるのか@スーパーの女

・桜金造が死んだ時、生前の活躍シーンとして使われるのは、‘ツルツルのシコシコでっしゃろ’


という訳で、好きな映画は時にリピートして観ると再発見がザクザク。


ところで、この映画のリヴューを読むと、
みんな‘ラーメンが食べたくなりました’とか書いているけど、

今日の私は、いい蕎麦屋で‘美味い卵焼きと濃いツユの蕎麦がたべたくなりました’
砂場なら花まきも捨てがたいな・・・(^_^)

2005年6月26日日曜日

チケット完売、チームは完敗、ファンは‘早退’~不幸に直面した時の行動パターン~

ヤンキースvsメッツ、サブウェイシリーズの今日の試合は前日に引き続きチケットは完売だったそうだ。
ダフ屋事情は知らないが、チケットはそれなりにプラチナ扱いなのだろうか。

ヤンキースタジアムなのに、歓声や拍手から判断するとメッツファンもかなりの割合でいる感じだった。

試合は、ヤンキースの先発投手ヘンが‘実力通り’の乱調、攻撃もヒットが出る割に
チグハグで点にならない。
7回に追加点を許し、2-10と8点差。
先日は結果的に8点差をひっくり返した試合があったが、今日はそんなムードも無い。

この辺から、ファンが球場を後にし始める。
回が進むと、さらに拍車がかかり、‘満席’だった筈のスタジアムは半分くらいが、
青々しいシートになった。
苦労してゲットしたチケットな筈なのに、途中で‘早退’だ。

‘早退’した人達の殆どは、大勝を確信したメッツファンではなく、
大敗の最後の瞬間を目の当たりにしたくない、ヤンキースファンだったろう。

実際、9回ヤンキース最後の攻撃時の拍手や歓声は、メッツファンによるものだった。

愛するチームだからこそ、最後の最後まで応援し続け、敗戦が確定する瞬間も見守る。

愛するチームだからこそ、敗戦の瞬間なんて悲しくて悲しくて堪えられないからその場を去る。

或いは、ファンではあるが、ふがいない戦いぶりに怒りを込めて、球場を後にする。

何れのケースにせよ、チームが負けるという‘不幸’に直面した時にどう行動するかは、
その人間による。

これはファンとしての行動パターンだけではなく、人生のなかで様々な‘不幸’に直面した時にも、
類似性があるかも知れない。

不幸に直面することから逃避するか、不幸を直視できるか。

そういう意味では、ディーラーの仕事は‘幸、不幸’が実にはっきりしている。
その瞬間で、儲かっているのか、損しているのか、その日は、その週は、その月は、その年は?

私は生粋のA型チキンなので、逆に‘不幸’に背を向ける事ができない。

ディーリングでも、損を確定させるまでは、常に相場の中に身を置くタイプだ。

しかし、中には、自分の持っているポジションのロスがどんどん拡大するのに耐え切れず、
デスクを離れてしまう輩もいる。
しばらくして、そいつが戻ってきた時に、相場が反転している時もあるが、
何故か殆どが、‘敵前逃亡’した人間の弱さを嘲笑うように、傷はより深いものになっている。

相場において、損失を確定させる作業は、人生で不幸を受け入れる行為に似ている。

損切りが下手なディーラーは職業としては絶対に成功しない。

ただ人生で同じ事が当てはまるかどうかは判らない。

愛する人間と別れるのが辛いから、‘ここでお別れ’にするような知恵があってもいい。

私のように、Face to reality.を続けていると、溜め込んだ、realityに押しつぶされる事もある。
心臓の暴発の要因のひとつも、それかも知れない。(←ハァ?主因はタバコ3箱だよ)

不幸を受け入れるキャパシティを自慢する前に、直面する不幸が少ないのが最善だ。

頼むぜ、ヤンキース!
明日負けたら、悲惨な借金生活に逆戻りだよ。

2005年6月25日土曜日

松本幸四郎の‘王様のレストラン’~すばらしぃ、実にすばらしい~

昨夜の報道ステーションにゲストコメンテイター?として、松本幸四郎氏が出演していた。
途中から観たので、何故彼が出演していたか理由は不明だが、恐らく現在上演中の
‘ラ・マンチャの男’で、千秋楽の29日には通算上演回数が2000回を達成することの
‘前祝’か・・・。

15歳の事件、親子関係、税金の無駄遣い(野球のユニフォーム)、サッカー、松井秀喜等々の
話題に、コメントをしていたが、どれも如才のない新鮮なもので哲学もあり好感が持てた。

その話し方や話の内容を聞きながら、あるドラマを思い出した。

‘王様のレストランの千石さんみたいだ’

世の中の、真っ当な松本幸四郎ファンの人には全く申し訳ないが、
ナリポン的には、松本幸四郎といえば、この‘王様のレストラン’の千石武役なのだ。

と言うか、‘勧進帳’も‘王様と私’も‘ラ・マンチャの男’も観た事がないのだ。

スペイン系の銀行に居た訳だし、帝劇の直ぐそばの洋食屋には、何度もメンチカツを
食べに行っていたのに・・・すべては後の祭り。
元気な時にやっておかないとこうなる。

それにしても、あのドラマも松本幸四郎も

‘すばらしぃ、実にすばらしい’

その後、文字通り‘台頭’する‘三谷幸喜軍団’の魅力を、ストーリーと同じで、
ヴェテランの松本幸四郎が見事に引き出している感じだ。

そうそう、エンディングテーマ‘Precious Junk’を歌っていたのも当時は無名の平井堅だ。

劇中に流れるオリジナルサウンドも実にイイ。
その後も、グルメ番組とかでも良く使われているのも納得できる名曲だ。

オープニングとエンディングにナレーションをやってる森本レオの声もセリフもイイ。

余りタイプではない、女性シェフ役の山口智子も、弾けていてテンポがイイ。
他の脇役勢もキャラが明確で好演していてイイ。

料理の盛り付けや、サーヴの時に、突然、役者以外のプロの手がアップで登場するのも、
あの人形特撮‘サンダーバード’みたいでイイ。

ギャルソンという言葉に少年以外に、ああいうポジションの人間を指すことを知ったのも
初めてだったし、何気に使えそうなフレンチの薀蓄を学べるのもイイ。

でも、矢張り、千石の立ち居振る舞い、含蓄のあるセリフが最高にイイ。
エプロンを締める時の、衣擦れの音がイイ。

(おまえは‘イイ’しか言えないのか?)

イクナイのは、ディレクトール(西村雅彦)が‘カラーひよこ’の詐欺に騙され大金を投じるという
設定の非現実性と、彼の愛人がバルマン(鈴木京香)という不釣合いな事ぐらいかな。

他は、全部、すばらしぃ、実にすばらしい。

オープニングで森本レオが語る、‘ミッシェル・サラゲッタ’という架空のフレンチ・シェフの
言葉なんか、もうサイコーにイイ!


    
人生で起こることは、すべて、皿の上でも起こる。

    人は皆、神が作ったギャルソンである。

    人生で大事なことは、何を食べるか、ではなく、どこで食べるか、である。

    人生とオムレツは、タイミングが大事。

    奇跡を見たければ、レストランへ行け。

    トマトに塩をかければ、サラダになる。

    歴史は、鍋で作られる。

    最高のシェフは、恋をしたシェフ。

    まずい食材はない。まずい料理があるだけだ。

    若者よ、書を捨て、デザートを頼め。

    人生で起こることは、すべて、皿の上でも起こる。



円周率を小数点50桁まで暗記するくらいなら(←じつはオレのこと)、
この11個の‘箴言’を覚えた方が、はるかに有意義な人生を送れるだろう。

役者とかスポーツ選手とかは、経験を重ねる事によって、より‘高い境地’に至る事ができるが、
何かモノをクリエイトする職業の場合は、意外に初期の作品が生涯を通じての代表作に
なることがある。

‘王様のレストラン’が三谷の生涯ベストかどうかはわからないが、上位に位置する事は
間違いないと言っていいのではないか。

ところで、このドラマの最終回のラストシーンは思わせぶりだ。

まるで筒井康隆のように、三谷幸喜が変装して現れる。
ナレーションは勿論、森本レオ。

‘その紳士が、やがて、Belle Equipe始まって以来の、
とんでもない災難をもたらすことになるのだが・・・それはまた、別の話’

とんでもない災難とは何か教えてくれよ。
別の話はいつしてくれるんだよ。

ところで、ナリポンは昔、超側近筋から得た、
松本幸四郎、松たかこ、松井秀喜に関する面白いネタも知っている。

でも、それは、また別の話(笑)
つーか、やっぱ非公開かな。

2005年6月22日水曜日

ブロンクス・ボンバーズ35分20秒の爆撃~タイガー・ウッズも目を白黒~

‘勝負は下駄を履くまでわからない’と言うが、アメリカではそもそも下駄を履く人なんて
皆無に近いから、ますます‘勝負’はわからない。

今日のヤンキース対デビルレイズ戦。
ここ2戦、本来のピッチングをみせていたランディ・ジョンソンが2回に5失点。
まあ、回は若いし、逆にこういう展開は勝負のあやとして、逆転もあると思っていたが、
4回を終って、2-10の8点差。
さすがにこれは負け試合だと覚悟した。

‘まったく、ア・リーグ最低勝率のTBに連敗かよ、おまけにRJで・・・’

途中経過では、BALもBOSも大量リードで楽勝ムードだし・・・。

加えて、NHKの解説の佐野慈紀のウダウダ解説が、神経を逆撫でする。

終には、音声をサブ・チャンネルに変えてしまった。

松井は、しぶとく出塁を続けるし、自己ベストの12試合連続安打も放つが、
所詮負けムードの中では、盛り上がらない。

ヤンキースの負けが許されないとしても、負けるとしたら、まあ野茂君の
勝ちがある訳だし・・・と思っていたら、5回にヤンキースが反撃。
野茂は4回2/3で降板して、勝ち投手の権利を得られず降板。

P交代でBS-1はニュースへ。
ニュースが終わり、さあ、どうなるかと思いきや、なんと画面はNBA。
えっ?
野茂降板で放送中止?
慌てて、番組表をチェックするとBS-hiでは中継続行もBS1は最初から
NBAファイナルを中継の予定だった。

さっそく、MLB.TVを起動させるが、もうヤンキースの攻撃は終了済み。
結局、追加点は無く6-10のまま。

なんか、すべてがオレを不幸にするために仕込まれたような流れだった。

1点追加して、3点差に迫ると、すかさず切り返され、また4点差。

そして8回裏の攻撃。
なんだかんだで、2点入れて、なおも1アウト1,2塁でバッターは我らが松井。

‘う~む、昨日の8回のスリーランを右クリックで切り取って、貼り付けられたらいいのになぁ’

心の中では、打ってくれと念じながらも、ゲッツーもあるなぁとマイナス思考も・・・。

ところが、今の松井に期待し過ぎて裏切られることは無い。

オーバーフェンスはかなわなかったが、ライトオーバーのダブル。
ただ、得点は1点。
またまた、松井が8回に1点差に迫る一打。
カメラはスタンドにいるタイガー・ウッズを仕切りに映している。

ジアンビ敬遠で打席はバーニー。
なぜかこの時は、バーニーが打ってくれる確信があった。
走者一掃の、3点トリプル。

ウッズの白い歯が見える。

もうその後は、なにがなんだか画面を観ててもワケワカメ。

そして、終に迎える、3連続ホームラン。
シェフ、エーロッド、松井、まさにクリーンアップの3連発。

松井の一撃を現地実況が大絶叫!

“OHHHH, Black Seats! Oh, my Goodness!”

実際、あのバックスクリーンのブラックシーツに入ったHRは20本くらいしかないらしい。

それにしても、同じイニングに10点目と20点目の打点をあげるってスゴスギ。
1イニング35分20秒に及ぶ攻撃、MLBの公式ページにいって、TOP PLAYのところで
13得点のシーンが1分40秒に凝縮されて観られますよ。


タイガーチャージで有名なウッズも目を白黒させる凄まじ過ぎる攻撃だった。
ウッズも先の全米オープンで、ランキング80位の伏兵に敗れた直後の観戦。
逆転してニコヤカだったから、ヤンキースファンだと思うが、諦めずに最後まで観た
甲斐があっただろう。


5打数4安打(1HR)2打点4得点の松井が、ある意味全然目立たなかった。
自己新の7打点のシェフ、勝ち越し打を含め5打点のバーニーが主役。
ジーターも5安打だし、松井の連続週間MVPの敵は身内にありかも・・・。

しかーーーーーーーーーーーーーし、
今日は負けてはいけない、勝って当然の試合に勝っただけ。
明日以降も頼むぜ、ヤンキース、頼むぜ松井。

えっ、昨日の日記でスポーツネタを書きすぎないとか言っていながら、
連日のヤンキースネタはどうしたかって?
仕方ないでしょ、8点差をひっくり返して、9点差で勝つ試合なんて一生に何回あるか
わかりませんよ。

2005年6月21日火曜日

松井の2週連続MVPもありだぞ~えっ、イチローって1回しかないの~

実は、松井の記事は、できるだけ書かないように心掛けている。
心掛けないと、ほぼ毎日取り上げてしまいそうだからだ(笑)

実際、1日の殆どをベッドで過ごす私にとって、(春から秋にかけては)、
ヤンキース戦の観戦こそが、毎日のメイン・イベントであることには間違いない。
チームの勝敗や松井のパーフォンマンスが、精神的な影響は言うまでもなく、肉体的にも
体調の好不調に影響する。

日本全国にはおよそ、7800万人の松井ファンがいるし(←ホントかよ)、
いまや北・中米にも3300万人のGodzilla fanがいると(←Really?)言う事は、承知している。

一方で、私のブログの愛読者も約5万人いるが(←あのう、桁が2つほど・・・)、
読者の中にはスポーツネタに興味の無い人もいる筈だ。

まあ、日記なんて‘日替わり定食’みたいなものだから、いくら大好きだからと言っても
毎日‘松井定食’の‘偏食’は避けよう・・・と言う意識が働いているのかも知れない。
(‘松井定食’は超ヘルシーだから毎日でもいいんだけどね)

で、最近はそういう心掛けをしても、思わず松井を取り上げてしまうほど活躍が目立つ。

松井が先週の、週間M.V.P.に選ばれた。
日本のマスコミは揃って、‘週間M.V.P.’という表現をするが、
彼の地では‘Player of the Week’という表現でBank of Americaがスポンサーだ。
(ディーラー時代、一時期は取引で頻繁に見た銀行だなぁ)

松井はメジャーデビュー以来3度目の受賞になる。
過去2回は、2003年6月23―29日期、04年5月24―30日期だ。
夏男と言いながら、結局、この時期が強いのかな。

驚くのは、イチローが松井より2シーズンも多いのに、1回しか受賞していないことだ。
メジャーの歴史的な記録を塗り替えている、あのイチローがたった1回しか受賞してないって、
信じられない(←でも、なぜか嬉しそうだぞ)
2004年8月2-8日期に受賞、その月は月間M.V.P.も受賞するのがそれ1回きりだ。

やはり、選考基準には打率のみならず、ホームラン、打点が重要なウェイトをしめるのか。

先週の松井の成績については、いまさら語るまでもないので面白いデータをひとつ。
ここ3年間、松井が69試合終了時点での成績だ。

【2003松井秀喜】(6月16日終了時)
    試 打 安 本 点 四 振 盗 犠
3/4月 27 110 28 2 22 11 16 0 1
5月   28 119 31 1 11 6 14 0 1
6月   14  54 23 3 12 6 9 0 0
    69 283 82 6 45 23 39 0 2 .290

【2004松井秀喜】(6月23日終了時)
    試 打 安 本 点 四 振 盗 犠
3/4月 23 78 22 2 10 15 16 0 0
5月  26 97 34 6 20 19 17 0 1
6月  20 76 14 5 12 10 15 0 0
    69 242 70 13 42 44 48 0 1 .289

【2005松井秀喜】 6月20日終了時
    試 打 安 本 点 四 振 盗 犠
3/4月 24  92 23 3 16 12 16 0 2
5月  27 107 29 1 20 8 18 2 3
6月  18  63 24 4 18 9 7 0 1
    69 262 76 8 54 29 41 2 6 .290


えっ?
なにこの打率、0.290、0.289、0.290・・・芸術的だ。
因みに、メジャー通算が0.292だから、この辺に収れんするのか。


今日のTB戦、ルーキーピッチャーが四球の嵐、守りも攻めも最悪だった。
その中、5回にチーム初ヒットになるダブル、8回にはツーアウトで1点差に迫る
3ランホームランを打った松井。
愚痴は言いたくないが、スター軍団の面々よ

‘足を痛めてる松井におんぶにだっこしてんじゃねぇーよ’

おまけによりによって、あのTBに今年は2勝5敗だよ。
TBは他のロードでは4勝27敗ですよ。

う~む、明日は野茂=RJか。
今日のHRは去年野茂から打ったHRに似てたな。

チームの連勝は途絶えたが、松井は新たな週を華麗にスタートさせた。
7試合ある場合どう考慮されるかはわからないが、絶対値を争うなら有利だ。
2週連続のM.V.P.、あわよくば月間も目指せる活躍を期待してしまう。

2005年6月20日月曜日

宵越しのビールしか飲まねぇーぞ~ビールの適温~

‘暑くなると、やっぱりビールが美味いねぇ’、と言う人が多い。
私は、年中ビールは美味いと思うし、冬、あったか~い部屋でつめた~いビールもイケる。

ただ、冬場はまだいいが、夏場に気をつけなければならないのは、ビールの温度だ。

私は、学生でひとり暮らしの頃も、冷蔵庫は2個あり、先輩からお古を譲ってもらった、
小型冷蔵庫をビール専用にしていた。
その後は、いわゆる大型冷蔵庫を利用するようになったが、ビールのスペースは常にじゅうぶんに
確保されている。

私が30年以上続けているのは、ビールを冷蔵庫で一晩は冷やすということだ。

‘こちとら、宵越しの、ビールしか飲まねぇー’
‘よぉ!江戸っ子だね(←どこが?)’


家では、そのポリシーに則って、ビールが‘管理’されているが、外へ出ると色々な目に合う。

‘あのう、ビールが冷えてなくて、ぬるいんですが’
‘あ~あ、そうですか。ちゃんと冷やしたんですけどね’


まるで、悪いのは店ではなく、‘怠け者の冷蔵庫’君とでも言いたげな責任転嫁。
こういう店は、サーヴィスは勿論、料理もハズレの可能性が高い。

冷えてないぬる~~いビールを平気で出す店は、即日‘営業停止’にすべきだろう(笑)

で、冷えてない生ぬるいビールを出された時、ナリポンはどうするのか。

‘じゃぁ、氷を持ってきて下さい’
‘えっ、氷ですか’

シンガポール仕込みの、‘ビア・オン・ザ・ロック’作戦だ。
味が薄くなるだろうと思われがちだが、往時の元気な私は氷が解ける前にサッサと頂く。

一度、羽田のイタメシ(ファミレスチック)でもめた時は、客あしらいの上手な支配人が登場、
シャンパンクーラーに、氷水を入れそこにスーパードライの中瓶を三本打ち込んだ。

これが、意外な効果でビールは短時間に冷え冷えになったが、
事情を知らない周りのテーブルの人間の目も、

‘あいつら、ビールでシャンパン気分かよ。バッカじゃないの’

と、かなり冷たかった(笑)

この時期になると、気の利いたお店がそうするように、我が家でもグラスを冷凍庫に入れて、
フロスト状にする。
今は酒量が激減したから、グラスは最初の1回だが、昔はグラスを複数個冷やして、
適宜、フロストの感激を味わったものだ。

この冷凍庫フロストグラスは、是非みんなにもオススメだ。

専門家はビールを冷やしすぎると、‘寒冷混濁’という現象が発生して味が劣化すると主張する。
確かに、間違って凍らせたビールなんて飲めたもんじゃない。

でも、論理がうんぬんではなくキンキンに冷えたビールが好きなのは一生変わりそうにもない。

将来、ベッドで伏せたまま、吸い飲みで‘最期のビール’を飲んでも、言いそうだ。

‘冷えがあまいんだよ、一晩冷やしてねぇーだろ、あと吸い飲みもちゃんと冷やしておけよ’

2005年6月19日日曜日

Who's Your Daddy?~父の日の‘威光’は~

今日は、父の日だ。

私にも中学生の息子がひとりいるが、特に何かを言われるわけでも、されるわけでも無い。

幼稚園の頃は、幼稚園で素直に‘調教’されて、‘肩たたき券’だの
‘似顔絵プリントのTシャツ’だのを、貰った記憶がある。

そもそも、バレンタイン・ディや母の日に較べても、父の日の認知度は低い。
歴史的にみても、最も‘新参者’のようだ。

別に何か確たる調査結果がある訳でないが、子供達がオヤジに言われて
最も不快に感じるセリフは、この辺だろう。

‘誰のおかげでメシが食えると思っているんだ’
‘それが、親にむかって言う言葉か’

昔のオヤジ達は、なんの抵抗もなく平気で吐いたセリフだが、
そう言われて、育った世代が親になると、吐けなくなった。

自分が感じた不快感を味あわせたくないと言う、‘善意の解釈’も成り立つが
基本的には‘家族の力学’の変化のような気がする。

民主教育や人権意識の浸透によって、そういう言葉を口にすることに抵抗を感じるように、
なったのかも知れない。
そういうセリフを浴びせられた自分の子供たちが、キレて非行に走ったり、挙句の果てには、
とんでもない犯罪を犯したりすることに危惧を抱いているのかも知れない。

ただ、そういった小賢しい説明以前に

単に、オヤジ達が弱くなったのだ

私も例外ではない。

若い頃から、上司に平気で噛み付いていたし、相手が外人だろうと日本人だろうと、
攻撃的になればそれ相応の‘実力’を発揮できるのに、

息子は、恐らく最大の苦手な相手なのかもしれない。

妻は、一応気を遣って、今夜のメニューを考えてくれた。
これも、飽くまでも、ノーイベントだと微妙に不機嫌になる私を意識した‘危機管理’の一環だ。

虎の子の、キャビア30g、いつもきっちりと3人で牽制しあいながら、10gずつ等分にしているのが、
今日は、オヤジへの敬意を表して私の取り分は13g(目分量だけど)、
15gを主張したが、見事に却下された。

父の日の‘威光’は、キャビアの取り分3g増量だった。

因みに、日本で父の日の普及に努めたのは、簡単に想像がつくが、ネクタイ業界だそうだ。
今年は、クールビズで大苦戦だろうな。

ヤンキースの松井は、母の日は、ピンクのリボンにピンクのリストバンドをつけて出場。
絶不調だった時期だが、その日は3打数2安打、打点1。

父の日は、ピンクではなくブルーに変えて出場するらしい。
父親が観戦している時の、打率、HR率が異常に高い松井選手・・・
またまた活躍して欲しいものだ。

2005年6月18日土曜日

クラッチ松井に地元紙も絶賛の嵐~でも安心は禁物、これってデジャヴかも?~

MLBのヤンキースサイトは勿論、ニューヨーク・タイムズ、ニューヨーク・ポスト、CBS、FOX等
各メデイァも、大見出しはすべて松井を称えるものだ。

Matsui's heroics lift Yanks over Cubs

MONSTER MASH

IT'S GONE-ZILLA

Matsui Is the Man, and the Yankees Take the Cubs Out

Matsui plays hero in overdue Yankees-Cubs meeting

Once Hideki Matsui got injured, he really started hurting - opposing pitchers.


そりゃそうだ、4-0でリードしながら結局、4-6と逆転され、今年の弱いヤンキースが
‘再現’されるのかと、ファンもチームも案じていたところで、夢のような逆転の2ランホームラン。

私も、テレビの前で(届くはずもないのに大声で)
イケーーーーーーーーーーーー!!!と絶叫してしまった。

その後8回には、満塁で2打点の2塁打。
勝ちを確実にする追加点のみならず、リヴェラのセーブも考えて2塁打に留める、
きめ細かいバッティングだった。(←単なる偶然だろ)

今日の相手シカゴ・カブスは人気チームで球場にはカブスファンも多く超満員。
カブスファンも4点差をひっくり返したときは、狂喜したに違いない。
その喜びも束の間・・・ゴジラが粉砕した。

ボストン戦やサブウエイシリーズもそうだが、注目カードで大活躍する松井、
巨人在籍時代にはなかった強さであり、何よりもファンにとっては大きな魅力だ。

3安打を打ちながらヒーローになれなかった、エーロッドも、
‘ヒデキは粘り強いし、ここ一番の舞台で打つコツを知っている’
と、悔しそうに(おいおい)、語っていた。

敵のベーカー監督も
‘あぁ今夜は、マツイひとりにやらちまっただよ~。あいつにはピッチャーが右も左もねぇーな’
と、男泣き(こらこら)していた。

しかーーーーーーーーーーし、そんなに浮かれていていいのか。
松井が負傷してからの、この4試合の活躍ぶりって、どこかで見たことない?

最近4試合の成績
15打数8安打 3ホームラン 9打点

開幕直後の4試合の成績
16打数7安打 3ホームラン 7打点
(他にK.ミラーのホームランを好捕)

なんか似てるでしょ。

違うのはチームの勝敗で、今回は4連勝だが、開幕時は2勝2敗。

ニューヨーク・タイムズはこのホームに戻ってからの4連勝は、もし松井が欠場していたら、
1勝もできなかったに違いないとまで言い切っている。

マスコミの一部にあった、松井バッシングやトレード話は何処へいったことやら・・・。
でも、マスコミやファンに節操が無いと言うつもりはない。
そんなもんだ。

そんな連中の口を封じる事ができるのは、松井のパフォーマンスしかないからだ。

但し、この松井の好調に浮かれず、チームが勝ち続けて欲しい。
松井がD.H.を外れて、守備についたり、テーピングを外すのをきっかけに4月の、
悪い方のデジャヴになる可能性も否定できないからだ。

ところで、ヤンキースのオフィシャルの掲示板に行ったら面白いカキコを発見!

Can we sprain EVERYBODY's ankle?
(みんな、足首を捻挫させたらどうよ)

who else needs their ankle sprained? lets try it on Giambi and see what happens.
(他に捻挫が必要なのは誰だよ、先ずジアンビで試して、どうなるかみてみようぜ)

2005年6月17日金曜日

カール・ベームとヘルベルト・フォン・カラヤン

ベームを聴いたぞ

それは最初の一音が全てを語っていた
それこそ人間の原始に訴える音だ

言葉は要らない
姿と光の英雄だ

老人の慈愛は
彼の存在を身近にする

拍手を惜しむな
二度と見られぬ姿だ
二度と聴けぬ音だ

拍手を惜しむな
彼の耳に僕の拍手が届くのだ
拍手を惜しむな

それが僕が彼へ表現することが
可能な唯一のことなら
拍手を惜しむな

手がなくなる程拍手しろ
手がなくなるまで拍手しろ


上の詩は、1977年、カール・ベーム指揮、ウィーン・フィルハーモニーのコンサートに
行った日に書いたなんともベタな詩だ。

当時、私は大学生だった。
クラッシックしか聴かない兄貴は霞ヶ関の役人になって間もない頃だった。
彼の激しい薦めと、半額援助(4000円)という中途半端ながらも、当時の安給料の中から
捻出するという気概に圧されて、行く事を決心したのだった。

場所はNHKホール、演奏曲はベートーヴェン没後150年に因んで、交響曲5番と6番。
そう、あのポピュラーな‘運命’と‘田園’だった。

感激したのは私だけではなく、一緒に行った友人も同じだった。
渋谷駅まで歩く途中で、友人が
‘ここちょっと高いけど、魚がうまいぞ。飲んでいこうぜ。’
と言って、入った店が古臭い一軒屋の店「玉久」だった。
そう、その後、あの渋谷109の建設で立ち退かなかったあの店だ。
(今は結局、ビルになったらしいね)

その年の秋には、ヘルベルト・フォン・カラヤンがベルリン・フィルハーモニーを率いて来日した。
カラヤンは当時の日本では最もポピュラーな指揮者だった。
兄の援助は無く、しかもベームが8000円だったのに12000円だったと思う。
場所は、かなり微妙な建物の‘普門館 ’だった。

公演後、どこにも寄らずに帰ったし、特に日記に記述も残していない。

ベームで味わった感動を超えられず、むしろさらに鮮明にさせただけだったのかも知れない。

何れにせよ、今思い起こせば、ふたりの偉大な指揮者に直接‘対峙’することができたことを、
心から良かったと思う。

2005年6月15日水曜日

1000本安打達成のイチローが観るべき映画~Mr.3000~

私は、4月10日の日記‘さくらとイチロー’にも書いたように、イチローと松井に対する思いは全く違う。

今日も、その異なる思いを実感するような一日になった。

朝、ヤンキースの試合開始前に、先発ラインアップをチェック。
‘おぉお、5番DHで先発だ’

試合が始まり、妻が朝食を運んできた時に、こう言った。
‘おい、松井クン、DHで先発だよ。足に負担をかけないためには、HRがイチバンだな’

それから、数分後だった。
松井が打席に入る時には、普段より絶対大きな拍手と歓声。
その歓声が止むか止まないかの初球をカキ~~~~ン!
‘まさか’、と思う間もなく、ボールは右中間スタンドへ。
再び、大歓声。
私は、内線電話で妻に ‘松井クン、ホントにホームラン打った’ とはしゃいだ。

そりゃあ、はしゃぎますよ。
試合に出られるかどうかを危ぶんでいたのが、いきなりHRでっせ。
そのギャップが、松井ファンでいることの幸せをさらに実感させてくれる。

圧巻は第2打席もヒットで出塁した後の2塁からの走塁。
ポサダのレフト前ヒット、2,3塁間で打球を判断した松井は、3塁ベースを踏み、迷うことなく、
歯をむき出しにしながら本塁突入。
現地実況も、大声で
‘ありゃあ、止まると思ったら、走りやんの。まるで、俺の足首は大丈夫だよ~ん、と言ってる’

カメラは3塁コーチャー、ルイを映し出す。
‘お前、なんで止めねぇ~んだよ’
‘いやぁ、オレだって・・・・・・’ てな感じで、おどけている。

ベンチに戻ると、ジーターに‘おまえ、よくやるよ、怪我したトシヨリの癖に・・・’
と言われたかどうかは別として、笑顔、笑顔。

その後、シアトル戦も観戦。
イチローは第1打席で、いきなりフェンス直撃のシングルを打ち、メジャー1千本安打を
696試合目で達成。
スタンドは地元という事もあり大盛り上がり、スタンディング・オベーションで称えた。

打点や得点とかと違い、安打数というのは、極めて個人的な記録である。
しいて言えば、打席が一番多い打順1番が望ましいが、‘独力’で勝ち取れる記録である。

イチローは自分のチームが勝っても、自分のバッティングが出来てないと
ハッピィーではないと公言している。
自分の打撃に関しては、飽くなき追及を怠らないトッププレイヤーだ。

悪意をもって解釈すれば、自分のバッティングさえ出来ていれば、チームの成績なんて
どうでもいい、と聞こえないでもない。(←わぁー悪意に満ちてる)

そう、イチローにはどこかで自分ひとりのための野球をやっているイメージがつきまとう。

思うに、イチローは個人競技、そうプロゴルファーにでもなっていたら、彼の特性を存分に
発揮できたのではないか。

あの打法、ワンバウンドを当てたり、外野手の前にポトンと落とすハーフショット、
芝目も読んだような、ピッチングショットでの内野安打。
ゴルファーの素養に満ち溢れている(笑)

それより何より、自分さえ活躍できれば、賞金を稼ぎまくる事ができるという
極めて明瞭な図式が彼には合っていると思う。

タイトルで紹介した、映画Mr.3000は2004年製作のアメリカ映画で日本では劇場未公開だ。
だが、3月にDVDが発売された。

Mr.3000
出演:バーニー・マック、アンジェラ・バセット ほか
・3000本安打を達成し“Mr.3000”と呼ばれ、引退後も多くの事業を成功させてきたスタン(B・マック)。ところが、安打数が2997本だったことが
判明したため、3000本安打を達成すべく再びフィールドにたつことに。

すべての映画ファンという訳にはいかないが、MLBファンならかなり楽しめると思う。
実在するブリュワーズ、ミラーパークを使い、マスコミ関係者もリアルで面白い。

因みに、MLBには1000本安打を達成した選手が何人いるか知ってる?
なんと、1127人もいるそうだ。
天才バッターイチローには正に通過点に過ぎない。

2000本達成のスピード記録、或いはMr.3000、いやピート・ローズの4256本を目指しますか。
あ、そうだ夢の4割打者もあるし・・・

そう考えると、イチローやることがいっぱいあるね~。

えっ?松井?
松井にはやることは一個しかないよ。
チームの勝利に貢献してワールドチャンピオンになること・・・。


何れしても二人に言えることがある。

The best is yet to come.

2005年6月14日火曜日

市川右近は‘こころの健康食’~私を歌舞伎に連れてって~

人は個人的に誰か有名人を知っていると、それだけでやや舞い上がってしまい、
その人間の評価を甘くしてしまう傾向があるかも知れない。

ただ、私に限って言えば、それは当てはまらない。

市川右近という歌舞伎俳優がいる。
スーパー歌舞伎、市川猿之助一門の若手のホープと言われる。
しかし、‘若手のホープ’という表現は何年前からされているのだろう。
未だにいたるところでされているが、実際は最早、師匠が病気療養中の中、
一門をしっかりと支える中核と言って良いだろう。

実は、その右近ちゃんはナリポンの飲みダチである。
というか、彼が3月8日の日記に書いた‘或る異業種交流会を懐かしむ’のメンバーだったのである。

彼が、あの会の主宰者のN氏との絡みで、初めて参加したのは、1997年の2月?かな。

上下、黒の装いで、目の輝きと歯の白さ(←やっぱり芸能人の命)が印象的だった。
歌舞伎の世界で修行を積んでいるから、勿論礼儀正しいし、かと言って単なる慇懃ではなく、
話の内容にもセンスが感じられた。

彼は、既存メンバーへの挨拶で

「大変楽しい方達ばかりで、楽しかった。是非またお邪魔したい。」

それに対して、直言癖の私が偉そうに言っちまった(←またかよ)

「是非、また来てくださいよ。みなさん、楽しい、楽しいと言ってくれるんだけど、
実際は、そう言って1回きりの人も多いんですよ。」

後になって彼から聞いたが、確かに私の言葉にカチンときたそうだ。

しかし、そのお陰かどうかは別にして、彼は東京にいる時は、夜の公演を終えた後に、
よく顔を出してくれた。
‘激務’の後のせいか、彼が飲む酒はビール一辺倒だったような気がする。

プライベートな顔を知ったのが先で、その後、彼の‘仕事中の顔’を初めて目にした。
それが、「市川右近の会」だった。
蒲田行進曲のヤスではないが、

‘ウコンちゃん、かっこいい~’

結婚パーティにも出席した。
祝儀の金額は会のメンバーで‘談合’したが、私はシャレで米ドル紙幣を入れた。
当時、1ドルは113円、他のメンバーよりはチョッと多い(笑)
(ところで、あの紙幣は結局どっちの方に渡ったのだろうか・・・)

2000年、私が穢土を離れる時の送別会、彼はその夜も、公演があり、
幹事には‘いけたらいく’と告げていたらしいが、結局駆けつけてくれて、
2次会にも付き合ってくれた。
‘いけたらいく’というのは、経験則から言えば実質的に‘欠席’を意味する場合が多いだけに、
私も彼の姿を目にした時は、感謝の気持ちでいっぱいだった。

その市川右近氏が、下記の公演を行うことになった。

クラッシックのコンサートや歌舞伎の舞台とかを観に行くと、その帰り道、気持ちが豊かになる。
あの咳払いも許されない、ちょっとした緊張の中で味わう‘滋味’が、帰り道の頃には、
しっかりと‘滋養物’となっている。

ましてや、今回は健康食としても定評のある、‘ウコン’だよ(笑)
夏バテ、真っ最中の対策として、いまから仕込んでおこう。


市川右近らが能舞台で歌舞伎「勧進帳」を上演!
2005年8月16日・17日 国立能楽堂にて

<公演概要>
正式名称: 「火樹会」(ひのきかい)能舞台でみる歌舞伎 第一巻『勧進帳』
公演日程: 2005年8月16日(火) 14時(昼の部)18時30分(夜の部)
8月17日(水) 14時(昼の部)18時30分(夜の部)合計4回
場 所: 国立能楽堂 東京都渋谷区千駄ヶ谷 4-18-1 TEL:03-3423-1331
プログラム:・対談「能『安宅』から歌舞伎『勧進帳』へ」
(昼の部) 観世榮夫(観世流シテ方能楽師)vs. 市川右近
(夜の部) 亀井広忠(葛野流大鼓方能楽師)vs. 市川右近
・歌舞伎『勧進帳』長唄囃子連中
出 演: 市川右近、市川猿弥、市川寿猿、市川猿四郎、市川弘太郎ほか
料 金: 正面 \10,000 脇正面 \9,000 中正面 \7,000

◆チケット発売日 :6/13(月)10:00~
●アーカイブス・ジャパン(平日 11:00-18:00) TEL:03-3221-6107
●国立能楽堂(窓口販売のみ 10:00-18:00) TEL :03-3423-1331
●国立劇場 (窓口販売のみ 10:00-18:00) TEL :03-3230-3000
◎チケットぴあ   TEL :0570-02-9988
 http://t.pia.co.jp/  Pコード:362-568
※0570から始まる電話番号は一部携帯電話・PHSからは繋がりません。
◎イープラス   http.eee.eplus.co.jp/ (Web予約のみ)

主 催: 火樹会(ひのきかい)
協 力: 松竹株式会社
立命館大学アートリサーチセンター
企 画: 中村 暁(株式会社アーカイブス?ジャパン)
制 作 : 藤間文彦(株式会社おもだか)

歌舞伎の若手人気役者・市川右近を中心に、今年の夏「能舞台」で歌舞伎「勧進帳」を上演することが決まった。 明治期以降では「能楽堂」での歌舞伎上演は記録がなく初めての試みとなる。 歌舞伎の始まりから1650年頃までは能舞台と同じ形式で上演されていたことが「阿国歌舞伎図」などの屏風絵などからも分かっているが、その後、舞台の大きさなど変遷を遂げ現在の様式になった。また歌舞伎には松羽目物と呼ばれる能・狂言から題材をとった演目も数多くあり歌舞伎十八番の『勧進帳』もその一つで能『安宅』を題材としている。
「火樹会」と題した会名は昭和40年代に市川猿之助、藤間紫、観世榮夫らで新しい演劇・舞踊を試みた会名を復活継承し、本年より澤潟屋(おもだかや)一門の若手で新しい試み、研鑚の会として毎年夏に能・狂言からとった演目を取上げ開催していくこととなった。
監修には市川猿之助、観世榮夫、また上演に先立ち市川右近と能楽師の観世榮夫・亀井広忠との対談も予定している。能から歌舞伎への伝統芸能の系譜を実感する会となりそうだ。

2005年6月13日月曜日

松井秀喜のバースディ~天国から地獄だが・・・~

ロード12戦の最後の試合、強敵カーディナルズを相手に1勝1敗の五分で迎えた第3戦。
これに勝てば、チームも通算でイーブンに戻せるまさに大事な試合だった。

お互いに、チャンスを潰しながら、1-1のまま7回表のヤンキースの攻撃。
先頭のジーターがレフト線への2塁打で出塁するも、ウォーマックがバント失敗、
エーロッドは三振。

4番松井用に、左腕キングが登場(←すごいデブッチョ)
しかし、ここでクラッチ松井の真価が発揮される。
ライト前のヒット、勝ち越しとなる2アウトRBIだ。
MLB.TVで観ながら、早朝の静寂を破るように、私は大きな拍手をした。


左腕Pのせいで先発出場が危ぶまれた第2戦も、トーリ監督の‘大英断’により2番レフトで先発。
結果4打数2安打、打点1、おまけに敵の唯一の得点チャンスをみごとな守備で‘捕殺’する
オマケつき。
トーリも自ら拍手を送る大活躍だった。

‘ほらほら、トーリちゃん、やっぱヒデキはつかえるだろ’

今日の、試合あのまま2-1で勝ったら、またまた松井が存在感を発揮できてたはずだ。
最高の31歳のバースディになる筈だった。

ただ、気になるデータがあった。
今季のヤンキースは3点以下の得点で1勝もしていないのだ(23連敗中)

魅入られたように、7回裏、あっさりと逆転の2ランHRを浴びた。
その後、2アウト1,2塁で、打球がライトの松井を‘襲った’。
そう、まさに襲ったのだ。

速い打球を懸命に追いかけた瞬間、スリップして転倒。
それでもボールを後逸することなく、立ち膝のまま内野へ返球。
1塁ランナーはタイミングはアウトだったが、ポサダのブロックが甘くセーフ。

そのホームでのシーンを見ながら、松井がうずくまった。

‘あれぇ、こりゃヤヴァイ、なんだよ~、松井があんな痛がってる顔なんてみたことないぞ’

スローVTRが再現されると右足首を捻っているのがよくわかった。

‘大変だ、こりゃ、長期離脱になるかも・・・’

トレーナーとトーリ監督に両側を支えられている松井が、実は両足を地面につけて
一応歩いているので、すこしホッとした。
それでなくても、最近スタメンも巡って色々あっただけに2人の絵は神妙に見えた。

その時だ、ベンチに向かう、3人に対して、地元カーディナルズのファンが拍手をし始めたのだ。
最後はスタンディング・オベーション、現地実況もその光景をvery impressiveと伝えている。

勿論、勝ち越された直後に再逆転した余裕もあっただろうが、このファンの拍手には
救われるものがあった。

レントゲン検査では骨折はしていないとのこと。
ニューヨークに戻って、13日の休養日に再び検査を行い、14日の状態をみて出場するか
どうかを決めるとの事。

日本の報道の中にはDHでの出場を強調しているのも見受けられたが、
トーリ監督は、飽くまでも

“We'll miss him [if he can't play], but the last thing we have to worry about now is somebody's streak.”

とし、戦力的には松井には出て欲しいが、状態が良くないのに連続記録のためだけの出場は、
まったく考えていないようだ。

怪我に強い松井、ケロッとして出てくればそれはそれで最高に嬉しいが、もしそうならなくても
焦ることなく治療に専念して欲しい。

今日で、62試合消化・・・あと100試合か・・・

All's Well That Ends Well. 『終りよければすべてよし』

2005年6月12日日曜日

‘取り敢えずビール’はマズイでしょ

各地を転戦中のヤンキース松井だが、直近ではミルウォーキーからセントルイスへ。
どちらの街にも共通するのが、ビールだ。
ミルウォーキーではミラー、セントルイスではアンハイザー・ブッシュ社のバドワイザーが
生産されている。
どちらのスタディアムも冠はこのビールに因んだものである。

アメリカは勿論、海外では、ビールを注文する時に、銘柄を特定するのが普通である。
スキー場の山頂付近の小さな小屋でも、何種類ものビールが用意されている。

日本では、入った店で‘とりあえずビール’と頼む客がいまだに多い。
そうやって頼むと、その店のデフォのビールが出てくる。

ビールはどんな銘柄でもビールだから良しとしているのだ。

いまや強力な禁煙推進者である私が、こういう例を出すのはある種、変な話だが、
喫煙者達は、それぞれ自分の好みの銘柄を決めてそれを吸う。

‘取り敢えずタバコ’とは言わない。

ところが、ビールの場合、家で飲む場合は自分の好きなブランドを用意しているのに、
外ではなんとも‘従順に’、店の言いなりになっているのである。

勿論、接待で使うような店やホテルでは、様々な取引関係を鑑み、国産の全銘柄を
揃えているところも多い。
ただ、注文する客は無頓着に‘みなさん、とりあえずビールでよろしいですか’とやっているのだ。
特に銘柄指定が無い場合は、そこのデフォがサーブされる。

私は、18歳で飲み始めた頃から、銘柄に拘りがあった。
キリンラガーが好きだった。
初めて入る店を物色する時は、店内を覗いたり、裏口のビールケースまで調べるタイプだった。

銀行に就職すると、グループ企業の絡みで、飲むべきビールが‘強制’された。
だが、プライベートではキリンを飲み続けた。

その後、シンガポールに転勤。
シンガポールではTiger(タイガー)とAnchor(アンカー)という銘柄が支配的だった。
タイガーはキリンと同じラガー系、アンカーはピルスナー系。
ここで私の嗜好が変わった。
常夏の国で、年中気温が20~36℃のゾーンで一定の国では、ピルスナー系のアンカーの方が
旨いと感じるようになったのだ。

5年間、あの味に慣れた舌は、帰国後、もうキリンラガーには合わなかった。
私のマブダチが当時、アサヒに勤めていたのがきっかけで、我が家の定番になったのが
‘アサヒ生’
「コクがあるのにキレがある」のコピーで、ゴルフの青木とジャンボ尾崎を起用していた。

そして、それをベースに開発されたのが、‘アサヒスーパードライ、辛口、生’だ。
このひとつの商品が、ビールの勢力地図を大きく変える大ヒットになった。

当初、特に老舗の名店では相変わらず、キリンラガーしか置いてない店が多かったが、
自然な流れとして、スーパードライも普及していった。

個人的には私も、行く先々で「あぁ、スーパードライは置いてないんですか・・・」
店の人も「最近、そうおっしゃるお客さんが増えてますね。」
そうして暫くして、再訪するとしっかりと置いてあったりした。

私のスーパードライ‘偏愛’は仲間内でも有名で、何度かイタズラされたことがある。
「はい、スーパードライね」と言って、別のビールを渡されるのだ。
それが一杯目ではなく、ある程度飲んだ後に仕込まれたこともある。

ただ、私の舌は直ぐにそれが‘別物’であることを感知、
‘なんだよ、このマズイビールは・・・’

但し、こういった目隠しテストでわかるのは、ビンビール、缶ビール。
生ビールだと、途端に判別不能になる。
あのモルツでもわからない時がある。

外国ビールで好きなのは、緑のデブッチョ栓付ボトルのGrolsche(グロルシェ)
今はわからないが、帝国ホテルのオールドインペリアル・バーのランチタイム、
サンドイッチやハンバーガーを頼むと、このビールが一本サーヴィス。
飲まない人と行くと凄くお得(笑)

ビールならなんでもOKという、‘積極的な無頓着’なら、もちろんそれでもいい。
でも、ある種の惰性で‘とりあえずビール’と言っている人々が多いような気がする。

私は必ず‘ビールは何がありますか’と訊くようにしている。

ところで、今日6月12日は松井クンの誕生日。
カーディナルズ戦第3戦に勝って、個人的にも勝利に貢献して、
すっきりとした気分でtoshiyoriを祝って欲しいものだ。

彼にとっては、一番旨い酒は銘柄がどうこうよりも、‘勝利の美酒’に違いない。

2005年6月10日金曜日

‘鉄人松井’の連続出場記録が途絶える時~‘哲人松井’は不滅だ!~

昨日のヤンキースvsブルワーズ戦、先発メンバーに松井の名前は無かった。
相手ピッチャーが左投げのカプアーノ、不振の松井に代えてスイッチヒッターのシエラを起用した。

先発を外れたのは、2003年の9月26日の対オリオールズ戦(ダブルヘッダー)以来だそうだ。
去年は、あの顔面ダイヴの後を含め全試合、先発を果たしている。

昨日の試合後、松井ファン仲間の掲示板に次のような書き込みをした。

ベンチでヒマワリの種を不器用に喰ってたけど・・・
ソーセージレースをポサダと談笑しながら観てたけど・・・
エロドの400号HRを迎えていたけど・・・

おっ、代打かな~と思ったら、カノーが出てきていきなりHR打ってたけど・・・

9回の攻撃3者凡退だったら、Pに打順が回らなかったんだが、
その時はどうしてたんだろう。
9回裏に守備で登場したのかな。
守備だけなら、シエラより絶対良いから、もっと早いタイミングでもありだと思うのだが。
トーリが途中で退場なったから真意はわからない。

松井が代打で出てきたときは、拍手したけど・・・
ボテボテの当たりが、内野安打になった時も拍手したけど・・・

スローVTRで別の角度で1塁に懸命に走りこむ松井をみたら、何故か泣きそうになった。
というか、実際泣いてしまった。

いずれ、受け入れなければならない‘事実’に直面しそうだ。


試合はまるで松井がいないことを、あらゆる面で皮肉るような結果になった。

4番エーロッドは、最年少での400号HRを達成する4打数4安打4打点、の4づくし。
まだエーロッドはいい、そもそも彼は確固たるスタメンだし、単に打順の問題だ。
問題は松井の代役、シエラが5打数3安打1打点の活躍を見せた事だ。
7回の攻撃、松井も一旦ヘルメットをかぶったが、代打に起用されたのは、メジャー新人のカノー、
そのカノーが豪快な2ランHRを放った。

松井の連続出場に関してはヤンキースのサイトでもMatsui's streak remains intact
と言う記事になっていた。

今日の日本の一部報道によれば、連続出場の件についてはトーリ監督と監督退場後代行した
ジラルディ・コーチとの間で一応話はあったらしい。
僅差であれば守備固めで使い、大差だったからあの場面での代打になった。
もし打順がPに回らなかったら、9回裏に守備で出場させていた、そうだ。

カーディナルズとの初戦はPが右だから松井は先発するが、それ以降は未定だそうだ。

トーリ監督と松井はお互いをリスペクトする友好な関係にあると思う。
ただ、今のヤンキースには余裕がない。
ポストシーズンに進む切符を手にすることが危ぶまれている状況だ。
そういう状況下で、不振の松井を使い続け、復調を待つ余裕は無いだろう。
オーナーやGMの介入が無くても、現場指揮官として当然すべき決断だろう。

トーリ監督は松井を評価する時、いつも同じ事を口にする。

‘ヒデキ・マツイはどんなシチュエイションでも、
何をすればいいかわかっている非常にスマートな選手だ’

悲しいことだが、今のシチュエイションでは、松井が、試合に出ずに身体を休め、復調に努める、
それがスマートな判断なのかも知れない。

連続試合出場は、松井自身も拘っている数少ない記録だ。
5打席連続HRも難しいが、タイムスパンという意味では、全く別次元の難易度だ。

ただ、この記録が途切れる事で、まるで積み上げた積み木がガラガラと
崩れ落ちるのだろうか。
或いは、せっかく並べたドミノの数個が抜けることで、まるで全ての努力が
水泡に帰すとでも言うのだろうか。

連続出場の‘鉄人松井’が途絶えても、
志の高い野球を続ける‘哲人松井’は永遠だ。


私は、もう昨日の試合を観ている時に泣いたから、実際にこの記録が途切れた時には泣かない。
多分、泣かないと思う。泣かないんじゃないかな。ま ちょっと覚悟はしている。

まだ泣いてない松井ファンの人達は、涙を溜めておこう。
復調したクラッチ松井の姿を目にした時に、感涙にむせぼうじゃないか。

早ければ、明日にでも・・・

2005年6月9日木曜日

サッカー全日本の祝勝会に特別参加~あのまんま松木安太郎~

ナリポンはサッカー全日本の祝勝会に参加した事がある。
と言っても、20年前のこと、シンガポール在住の頃だ。

さすがに20年前の記憶となると頼りない。
そこで、検索してみたらゲームの詳細が判明、まったく便利な時代だ。

ゲームは1985年、2月23日、シンガポールのナショナル・スタヂアムで行われた、
W杯メキシコ大会アジア予選、シンガポールvs日本。

サッカーの試合でお金を賭けることなんて無いんだが(メシとか酒とかはある)、その時は
友人のO氏から誘われて、シンガポールに0.5ゴールのハンディをあげるポジションを
400シンガポールドル(当時で5万円強)持った。
O氏は同僚のローカル達相手に2000ドル以上持っていて、流石に多額なので一部を私に
譲ったのだ。

で、試合当日、O氏夫妻と3人で観戦に行った。
調べたデータによれば日本のメンバーは

松井清隆 松木安太郎 石神良訓 加藤久 都並敏史 西村昭宏 宮内聡 内山篤 木村和司
柱谷幸一 原博実、監督は森孝慈。

前半、日本はフリーキックの魔術師、木村和司がコーナーキックを直接ゴール。
‘ヨッシャー’と思ったが、前半終了間際に、1点返され同点に・・・。

ありゃ、同点だと0.5ゴールのハンディが効いて賭けは負け。
O氏はハンディ1ゴールのポジションも持っていたから、もっと大変。
1ゴールのハンディって事は、1点差で勝ってチャラ、2点差以上でやっと勝ちになる。

ちょっと嫌な感じで、ハーフタイムを過ごしたが、結局後半、開始早々に、柱谷幸一と原博実が
決めてくれて3-1で日本の勝利。

我々の賭けも大勝利。

試合が終って、さあ、どこに繰り出そうかと思案していたところで、N川という当時、
シンガポールで最も真っ当な寿司屋の主人に声を掛けられた。
O氏は接待で頻繁に利用する上客だった。

‘これから、うちで関係者だけの祝勝会やるけど、来る?’
‘えっ?いいの、勿論いくいく’

我々3人はカウンターの隅っこに、当事者達はテーブル席と一部カウンター席に・・・。
何故かゲームで笛を吹いた審判の姿も(試合後だからいいの?)

最初は、おとなしくしていた彼等も、サプライヤーのアシックスのお兄ちゃんが盛り上げ始めた。
それより、なにより、松木安太郎がしきり始めて宴は最高潮に・・・
そう、多分、都並?も一緒になって・・・。

クールな木村や加藤久のところにいって、酒を注いで歌い始めた。

♪今宵こうして飲めるのも、木村さ~んのお陰です。木村さんよ有難う。木村さんよ有難う♪

で、その後、全員で手を叩きながら‘どどどどどどどどど・・・・’ と喚く間に、木村さん
(指名された人)はグラスを一気に飲み干すのだ。

私には初耳の歌だったが、簡単に覚えられたので、その後の宴席では何度か使わせてもらった。
関係者が終ると、我々にどうですかと言ってきて、我々も‘どどどどどどど・・・’ をやった。

そう、あの松木安太郎は昔っから、ずっと、こんな感じで、今も変わらないんです。

きっと、サッカー通の人達に言わせれば、あの松木安太郎の絶叫は全く解説の体を
なしていないと、批判の対象になるだろう。

‘さあ、チャンスボールだ、決めろ!あ゛~おしい’
‘ここは集中、集中、お゛~あヴない’
‘いいですね、いいですよ、そこだ~、ウ゛~だめだ’

飲みながら、テレビの前で叫んでいるサッカー大好きオヤジとなんら変わりない。

昨日の試合、大黒のシュートがGKのパンチングでゴールラインを、もう割っているのに
‘はいれっ!!!’だもんね。

ゴルフのパットならまだ分からん訳でも無いが・・・まあ、夢中なんだよ。

でも、湿度70%のバンコックで、あの能天気の湿度0%の安太郎節もいいんじゃないの(笑)

野球とサッカーじゃ、解説のスピード感が全然違うけど、ここんとこBSフジのMLB中継で
福島良一とアキ猪瀬の‘薀蓄競争’に付き合っていたから、超単純な安太郎もいいかなと・・・。

ところで、安太郎って、小、中、高校途中まで暁星なんだね。
確かにサッカーの名門だけど、おぼっちゃんの匂いもすると思ったら、
実家は小伝馬町で、明治初期から続く老舗のうなぎ屋だそうだ。

もう、周りは当然だが、自分でも監督の適性が無い事は自覚しているだろう。

ただ、チビッ子サッカー教室とかには最適なキャラでああることは間違いない(笑)

‘松木安太郎はこのまま能天気でいいんですか?’
‘いいんです!!あれでいいんです!!というか、もう、かわれないんです!’

2005年6月7日火曜日

‘物価の優等生’に惑わされてはいけない~ナリポンの‘卵史’~

‘物価の優等生’といえば何?
と街頭で訊ねたら、一番多い答えは当然ながら‘卵’だろう。

確かに私の生まれた1955年当時でも1個12円とかしていたらしい。
米は10キロで850円だったそうだ。
あと何故かよく例に出されるのが、散髪料金で、当時150円。

上昇してないのが優等生で下落したのはどうなのよ。
カラーテレビやビデオレコーダー、電子レンジなんか発売時は平気で30万円していたのが
いまや数万で買えるんだけど、こう言うのは‘超優等生’とか言わないのかね、
と突っ込みたくなるが、今日の話題は飽くまでも、卵だ。

日本人が卵を食べ始めたのは、江戸時代だそうだ。
卵は完全栄養食と言われるが、‘強壮’のイメージもあり、吉原ではゆで卵を売る行商がいて、
男達は、ゆで卵を喰ってから‘入郭’したらしい。(←そんな即効性あるの?)

ガキの頃、遠足といえばゆで卵が定番だったし、汽車に乗れば、冷凍みかんとゆで卵を買うのが
旅情を盛り上げる‘王道’だった。

そういえば、昔深夜テレビで観た日本映画(←題名不明)でこんなシーンがあった。
加山雄三が卵を畳の上にこぼしてしまい、母親?が古ハガキを使って掬うというものだ。
それだけ貴重品だったのであろう。

で、ナリポンの‘卵史’はどうか。
親と住んでいた時も、一人暮らしの学生時代も買っていた卵は1パック98円が基本。
銀行に入った時は独身寮暮らし、結婚直後にはシンガポール赴任。
5年後に帰国してからも、妻は100円前後の卵をスーパーで買っていたと思う。

ところが、或る時、友人に誘われ千葉のゴルフ場(浜野G.C.)に行った。
友人に‘ここの売店で売っている卵はイケるよ’と奨められ、1箱30個入り2100円を購入。

で、その卵が、美味いのなんのって・・・。
目から鱗、口からヒヨコだ(←なんのこっちゃ)

今でこそ、厳選素材として、箸でつかめる卵とか紹介しているが、当時の私(1989年?)には、
見た目も味も衝撃的だった。

いままで、なんでこんな身近な食材を、ないがしろにしてきたんだろう。

理由は簡単だ、近所のスーパーでは売ってなかったからだ。

その卵が無くなると、妻はデパ地下での卵探しを始めた。
1個50円程度の卵を試すが、‘浜野の卵’には及ばない。

そこで、浜野は遠かったが、‘卵目的のゴルフ’をアレンジしてもらったものだ。

そもそも友人の遠縁がメンバーだったのだが、その後、会員権を売却(800万⇒4000万?)
プロのディーラーも真っ青なグッド・ディールだが、お陰で、卵のルートは断たれた。

ただ、もうナリポン家は1パック98円の卵には戻れなくなっていた。

その後、街のスーパーにも所謂‘特殊卵’が並ぶようになった。
1個30円~50円。

一生のうちに人間は、何個の卵を食べるのだろうか。
いづれにしても極めて利用度の高い食材であることは間違いない。

その昔、家でミネラルウォーターを使う生活なんて考えられなかった。
それが今では、カップ麺ですらミネラルウォーターを使う人がいる。

それなのに、‘物価の優等生’と言う響きや、スーパーの新鮮味のない
戦略に嵌って、1パック98円の固定観念を棄てきれず、
安くて美味しくない卵を食べ続ける人生は
如何なものか。(←おいおい、そこまで言うか)

我が家は穢土を離れた後は、当地で1個30円程度の卵を愛用している。
別に悪くはないが、あの‘浜野の卵’に較べると明らかに落ちる。

ところで、英語はまったく問題ないが、仏、伊、西だと、どうも卵の発音が覚束ない(うふ)

2005年6月6日月曜日

ミネアポリスへ弾丸ツアー~ナリポンは何をしに行ったのか~

私は、人生で一度だけ、所謂弾丸ツアーをしたことがある。
時は1991年の11月、ところはミネアポリスだ。

当時、私はある米銀にいたが本店が自分達の国内不良債権処理のために、国際部門を売却。
その結果、東京支店のディーリング部門は閉鎖と決まった。
30~40人いた部員の中で、私はナンバー4の立場だったが、逃げ足の速い上の連中が
‘華麗に’逃走したために、最終的な閉鎖を任されることになった。

最終的な閉鎖時期が決まり、私も転職活動に本腰を入れ始めたが、余り芳しい状況にはなかった。
そんな中、或るヘッドハンターが持ってきた話が、銀行、証券と言った純粋な金融ではなく、
世界的な穀物メジャーのC社の東京法人の話だった。

実際、必要としていた人材は日本株絡みの裁定取引を行う人間だったらしいが、こういう
人材会社の人間がよくやる手で、‘取り敢えず一回会ってみてくださいよ’と
両者を引き合わせたのだ。

人生で人との邂逅では第一印象を重んじるし、第一印象は外さないと自負している
(←驕っているとも言う)ナリポンだが、
フィナンシャルのヘッドのK氏は風貌も考え方もなかなかユニークで、魅力のある人間だった。
何度か会う内に、彼も私に一定の評価をしてくれた様子だった。
人事担当者との面接も行った後、K氏は彼のスタッフのほぼ全員と私を近所の居酒屋で
飲ませた。
チームで働くという意味では、スタッフの私への印象も大事なファクターと考えるのがK氏流らしい。

その後、K氏から電話を貰いその週の予定を訊かれた。勿論完全にオープンだった。
‘じゃあ、あさって本社に行って面接してください。’と言われた。
それはつまり、東京レヴェルでの合格を意味した。
それにしても、なんという手際の良さなんだろう。

ミネアポリスは飛行機の街で、ノースウェストの一大ハブだ。
東京からダイレクト便で約13時間、ビジネスクラスを用意してくれたが、
普段と違い余り寝られなかった。

空港からホテルへ直行。
ディーラーなんて普段から24時間体制だから、時差ボケなんてないんだが、数ヶ月間
ディーリングもしてなかったせいか、思いっきりボケてしまった(笑)
眠い筈なのに、ろくに寝られず、朝になってC社の本社に向かった。

街から郊外に向かうのだが、郊外というよりは‘森’の中へむかっていく感じ。
リスとかの小動物もいるし、銀色に輝く池には水鳥の姿も・・・。

日本でも軽井沢に棲んで、首都圏に通勤している連中がいるが、こりゃ逆パターンだ。

その森の中に、溶け込むように立つ本社社屋。

フィナンシャル部門の最高責任者との面接も予定されていたが、体調不良を理由に
ドタキャンされた。
それでも、それ以外の人間と3~4回の面接をこなした。

たが、面接しながらはっきりと自覚できていた。

‘相手は興味を持っていない’
‘俺も言いたいことを言えてない’

面接を‘特技’にしている筈なのに・・・。
新卒で都銀に入ったのも、少ない‘優’の数をカバーする‘面接力’があったからなのに・・・。

消化不良のまま面接を終え、ホテルに戻り、その足で空港へ・・・。

ミネアポリスの街もなんにも見ねあぽりす・・・(>_<)

その年は、ミネソタ・ツインズがメジャー史上初の前年最下位からのワールドチャンピオンに輝いた。
当然、空港のショップにはツインズ・グッズが溢れていた。
特に興味はなかったし、意外に値段は高いしスルーの筈だったが、タオルの真ん中に
丸い穴を開けただけの、ヨダレカケを発見し思わず購入。
前月の10月に、初めての子供が生まれていたのだ。

‘あぁ、このままだと無職のパパになるな’

1泊3日の‘面接’の結果は予想通りにNOだった。

K氏は、‘やはり本社は株関係の人材に拘ったみたいだ。わたしの力不足で申し訳ない’と
言ってくれた。

不採用になったが、K氏は最後まで魅力溢れる人間だった。

数ヵ月後、K氏も‘適材’を採用できたと聞いたし、私も‘適所’に落ち着くことができた。

ところで、見ることができなかったミネソタを味わえる映画がある。
コーエン兄弟のFARGO(ファーゴ)という映画だ。
アカデミーでは主演女優賞と脚本賞も獲得した逸品とされるが、余り好みではない。

ただ、‘アメリカの冷凍庫’と呼ばれる同地区の冬を味わう事はできる。

‘冬のミネソタ’‘寒流ブーム’なんていかが?

2005年6月3日金曜日

ふたたび‘禁煙のススメ’~ Better Late Than Never!~

そもそも禁煙賛成の人達、喫煙していたが禁煙に成功した人達はそれでいい。

問題は禁煙しようかなと考えていながら、いま一歩踏みきれないとか、過去の禁煙失敗に懲りて諦めている人達だ。

今年の2月から始まった、例のホリエモン騒動。
騒動のさなか、衆議院予算委員会での麻生総務大臣の答弁が妙に気に入った。

放送分野への外資進出に関しての質問にこんな感じで答えた。

‘ 間接規制は、まあ昭和二十五年に想像してつくった人はおらぬということでしょうな、
多分そういうことなんだと思うんですね。’

更に、法律制定以来、なぜ一度も改正されてないことに関して訊かれたときの答弁が悪くない。

‘やはり試験の前にならないと勉強しないというのと似たような心理だったんだ、
多分基本的にはそうなんだと思うんですね。’

育ちの割には人相もあまり良くなく、いつも口を『へ』の字にして、ずばずばとシニカルな
発言をする麻生氏。
過去には、創氏改名に関しての失言もあった。

だが、事の本質は別として、この発言はイイ。

‘やはり試験の前にならないと勉強しないというのと似たような心理’

そうなのだ、人間は試験の前には一応勉強するじゃないか。

多くの喫煙者は、禁煙が義務付けられた空間では喫煙を我慢している。
それが短時間の場合もあるが、例えば10時間を超えるフライトでも機内全面禁煙なら耐える。
中には、トイレ内で吸って‘事件’を起こしニュース沙汰になる場合もあるが・・・。

そういう意味では、喫煙者のほとんどがニコチン中毒と言いながらも、
こういった‘小さな試練’は克服しているのだ。
今後、より一層禁煙空間が増えれば、自ずと‘試練’は日常化するだろう。

そう考えると、もはや小テストはクリアーしているのである。

ただ、人生のうえで、いつが本当の‘試験’なのかは分からない。
その‘試験’さえ自分で意識できれば、‘やれば出来る子’になれる可能性は大なのだ。

試験に備える気はあるのに、結局気づいた時は、否応なく‘不合格’の烙印(病気・死)を
押されていたのでは、悔しすぎないか。

私自身、超のつくヘビースモーカーだったから、タバコの害をいくら繰り返し指摘されても、
意外に説得力がないのも知っている。
ここは、逆に禁煙したときの効果を記してみよう。

完全禁煙した場合の時系列的効果

START!

20分 血圧や脈が正常に戻る
手先、脚先の血流が戻り冷えが改善する。

8時間 血液中の二酸化炭素値が正常値に戻る。
血液中の酸素の値が正常値まで戻る。

24時間 心臓発作のリスクが減る

48時間 末端神経の感覚が 正常に戻る
味覚、臭覚が正常に戻る

2週間~3ヵ月 新陳代謝が活発になる。
ウォーキングなどが楽になる。
肺機能が30%アップする。

1~9ヶ月 全身の活力が増加する。
タバコによる慢性的な症状(咳、鼻詰まり、疲労感、息切れなど)が減る。
腸の野船も活動が正常に戻る。それによって、体の粘液や、気道を浄化する
能力が高まり、呼吸器の感染の危険を減らす事が出来る。

1年 血栓症や心臓発作のリスクが半減する。

5年 肺ガン死の可能性(一日に一箱吸っていた人で)がおおよそ50%減少する。
口腔がんの可能性も喫煙者に比べ半減する。

10年 肺ガン死の確率が非喫煙者と同程度になる。
前癌状態の細胞が正常細胞と置き換わる。
発作の確率が顕著に下がり、ほぼ非喫煙者と同程度になる。
喉頭ガン、口腔ガン、食道ガン、膀胱ガン、肝臓ガン、
すい臓ガンになるリスクが減少する。

15年 血栓症による心臓病になる確率が非喫煙者と同程度になる

2005年6月2日木曜日

Jim Croce(ジム・クロウチ)の魅力は瓶詰めされたまま~あれからちょうど?32年~

知らない人間同士が、簡単に意気投合できるひとつの方法は、
何か共通のモノを好きだとお互いにわかった時だ。

それが例えば、松井秀喜のような超メジャーな存在であれば、彼を好きな人は無数に居る訳で、
それはそれで仕方がない極必然的なことになる。
で、そういう時は、‘じゃあ、どれくらい松井を好きか’を微妙に‘計測’し、選別する。

最近ならば、米FOXのテレビドラマ『24』なんかもひとつのテスターになるかも知れない。
あんなに面白いのに、やはり映画に較べて時間的に長すぎるせいか、評判は知っていても
実際に観ている人は少なかったりする。

でも、これらは時間軸で言えば、‘現代’の事だ。

その点、それが昔のことだと、懐かしさと、その時代を共有した意識が働き、
急速に距離感が縮まる。

加えて、その好きなモノがややマイナーだと一挙に加速化する。

昨日の日記に書いた曲の中で、一番認知度が低いのは、Jim Croce(ジム・クロウチ)だろう。
彼の曲を知っていて、大好きなんて言われたら、一発で仲良しになってしまいそうだ。

実は彼をリアルタイムでは知らない。
興味を持ったのは、彼の没後数年してからだ。
幾つものFMの音楽番組が彼の命日が近付くと特集を組んで、集中的に取り上げていたからだ。

彼は1973年9月20日、飛行機事故で他のメンバーとともに命を失う。
30歳だった。
7月にBad,Bad Leroy Brownという曲が、初の全米1位になって、正にこれからという
タイミングでの悲劇だった。
全米1位になったが、この曲そのものは、私の好みではない。

荒井由実が ‘ひこうき雲’、‘ベルベット・イースター’、‘やさしさに包まれたなら’等の良い曲が
あったのに、初めてちゃんと売れたのが‘ルージュの伝言’だったのと似ているような・・・。

それがアメリカ的なのかどうかは分からないが、タレントがありながら不慮の死に見舞われた
このシンガーは死後もファンを増やした。
遺作となったI Got a Nameが10位、72年のアルバムからシングルカットしたTime in a Bottleが
なんと1位に、74年にはI'll Have to Say I Love You in a Songが9位にランクインする。

これら3曲が素直に私の好きなベスト3だ。

チリチリの頭に、濃い髭、スーパーマリオにも似ているし、まるでWANTEDの写真みたいだ。
ただアコースティックなサウンドに、英語のヒアリングも楽なクリアーな歌声。

別にわざわざ買う必要もないが、これを機会にせめて名前ぐらい覚えて何かの機会に
耳にしてくれれば嬉しい。

何かというと、ドラマやCMに安易に昔の名曲を使う業界の人達には超オススメだ(笑)

2005年6月1日水曜日

今日はとても辛くて、悲しくて・・・~穢土から届いた訃報~

今日の記事はとても辛くて悲しい。

私が書いた3月8日の記事~或る異業種交流会を懐かしむ~に出てくる、N氏から昨夜メールが届いた。
I氏が、胃癌で30日の夜に亡くなった、と言うのだ。

実は2週間ぐらい前に、N氏と電話で話す機会があり、その時、I氏が2月頃から入退院を
繰り返していると聞き、ふたりで‘嫌な感じだね’とは言っていたのだ。
病名は知らないと言っていた。

だが、まさかその予感がこんなにも早く‘的中’してしまうとは・・・

私は自分が襲われた心臓の病気は、‘狩猟民族’のように人を瞬時に殺し、
癌は農耕民族のようにジワジワと死に追いやる・・・が持論だった。

ただ、それは私の両親のように70を過ぎた人間の場合であって、ちょうど50歳になったばかりの
I氏の肉体は、癌細胞からみれば‘フレッシュ’だったのであろうか。

今日の全国紙各紙には2行の事務的な記事が掲載されていた。
おくやみの記事なんて、そんなもんだろうと言われれば返す言葉が見つからないが、
愛の無い無機質な言葉の羅列に、的外れを承知で‘苛立ち’を感じた。

I氏と初めて会ったのは、1995年末、それから私が穢土を離れる2001年8月までの間に、
100回位は飲んだろうか。

最後には、私曰く‘都落ちを偲ぶ会’、彼曰く‘前途を祝う会’を企画実施してくれた。
それ以来、ほぼ4年間、一度も当地を離れていない私は、勿論彼とも会っていないが、
その間にやり取りしたメールはしっかりと保存されている。
昨夜、読み返してみたが、彼の声が聞こえてきそうだった。

仕事に忙殺されるような状況にあればまだしも、無職の身障者の私には悲しむ時間があり余っている。

そういう時は、音楽に浸るのが私の癖だ。

ヤンキース戦だけはテレビ観戦したが、超久々の松井のHRもチームは負けて意気消沈。
でも、もしふたりとも元気だった頃なら、こういうタイミングでI氏から電話が架かってきて、
‘松井にもやっと1本出たし、軽く行きますか’と誘われるパターンだ。

今日聴いたくさんの曲、曲を聴きながら、目を閉じる必要も無く、いろいろな光景が浮かんだ。

・Those were the days (悲しき天使)Mary Hopkin

Those were the days my friend
We thought they'd never end
We'd sing and dance forever and a day

・Yesterday When I Was Young (帰り来ぬ青春)Charles Aznavour

Yesterday when I was young
The taste of life was sweet as rain upon my tongue I teased at life as if it were a foolish game

・Time in a bottle (タイム・イン・ア・ボトル)Jim Croce

If I could save time in a bottle
The first thing that I’d like to do
Is to save every day
Till eternity passes away
Just to spend them with you

・春なのに 柏原芳恵

春なのに お別れですか
春なのに 涙がこぼれます
春なのに 春なのに
ため息、またひとつ

・旅立つ秋 荒井由実

夜明け前に見る夢 本当になるという
どんな悲しい夢でも 信じはしないけれど
明日霜がおりていたなら それは凍った月の涙
秋は木立をぬけて 今夜遠く旅立つ
今夜遠く旅立つ

・世情 中島みゆき

世の中はいつも 変わっているから
頑固者だけが 悲しい思いをする
変わらないものを 何かにたとえて
その度 崩れちゃ そいつのせいにする


私自身は体力的に移動には、やはり不安を感じ穢土にはいけない。
線香をあげることもできず、一本の花を献ずることもできない。
無念だが、遠くからでも精一杯合掌するしかない。

そういえば、休会宣言をした時のN氏のメールの最後の文言。
さりげない表現だが、いま再び読み返すと心に響く。

「再び会えたら、 喜びは大きくなる。」

長い人生、
たった一度しか会えない人がいます。
もし、 再び会えたなら、
ドラマチックだとおもいます。
もし、 再びお話できたなら、
喜びは、もっと大きくふくらむことでしょう。