2011年12月26日月曜日

やっぱりつくづく真央はいい~涙腺崩壊なき全日本選手権優勝~

浅田真央が全日本選手権で優勝した。
個人的には世界選手権代表の権利取りという位置付けで従来はそれほど燃えなかったが、
何かと‘不作’だった今年のスポーツ観戦の締めくくりとしてはなかなかだった。

それにしてもやっぱりつくづく真央はいい。

フィギュアスケートというスポーツにどこまで興味があるか自分でも量りかねるが、
浅田真央については観れば観るほど応援したくなる衝動に駆られるのだ。
彼女が引退したら、今のように真剣に観戦することはないだろう。
要するに単なるミーハーと言われればそれまでだが、彼女に魅了されている人間は私の周りにも多い。
かみさんもその1人だ。
食事の時以外は家庭内別居状態でお互い勝手に好きなアスリートを応援しているが、
浅田真央に関しては完全一致だ。
クリスマスだし居間で一緒に応援する手もあったが、
メインディッシュの鱈白子鍋をやっつけた時点では出番まで相当間があった。
結局自分の部屋へ退散したがテレビのスペックが良いというのは表向きの理由で、
本音は涙腺が崩壊することを危惧したからだ。

ところが実際には涙腺崩壊どころか涙は一滴も出なかった。
じっくりと彼女の演技を観て、つぶさに彼女の表情を観察した。
優勝が決定した瞬間も笑顔を見せた表彰台も粛々と応える優勝インタヴューでも
‘大丈夫’だった。

真央ちゃんが人間が味わう最上級の悲しみに襲われたことは事実だ。
ただそれを殊更強調し、安易に或いは故意に関連づけたがるメディアに対する反発が
私の涙腺を一時的に強くしたのかもしれない。

あとは終わってみればやはり国内大会という印象が強い。
優勝の感激が余り湧いてこない。
3月の真の大舞台で果敢に攻めて表彰台の真ん中に立つ姿を拝めたら
涙腺崩壊間違い無しだろう。

2011年11月17日木曜日

サントリーのオールフリーでダイエット~肝機能も大幅改善~

私は無類のビール好き、それも特定の銘柄に(異様に)拘る人生を送ってきた。
発泡酒が発売された時も一応試したが話しにならないと一蹴、
所謂第三のビールについては歯牙にもかけなかった。
そんな男が実は今年の初めから大好きなアサヒのスーパードライを封印し、
サントリーのオールフリーを飲んでいる。

きっかけは大腸ポリープ手術後の禁アルコール期間だった。
大手3社のノン・アルコールを試したが、オールフリーが一番マシだった。
解禁後も休肝日用に採用していたがその後基本毎日飲むようになったのだ。
理由は体重が減ったからだ。
結局最大で6kg減、今はマイナス5kgの圏内で安定している。
‘オールフリーでダイエット’と断言できるほどの因果関係があるかどうかはわからない。
私の成功事例を聞いて真似てみたがそれほど効果が無い知り合いもいるからだ。

その点、肝機能の改善は完全にオールフリーのお陰だろう。
心臓の担当医の勧めで2007年から年2回腹部エコーの検査を始めたが、
脂肪肝(severe)と判定され、その後も特に変化が無かった。

まあ普段何もせず試験が近づくと2週間ぐらいにわか勉強しても
受かりっこないわな・・・(>_<)

その点今年は毎日きちんとコツコツ勉強している。
5月のエコー検査では脂肪肝の程度がsevere→moderateになった。
肝機能の代表的な検査項目であるAST(GOT)、 ALT(GPT)、γ-GTPでは、
最初のふたつが一挙に基準値内に収まったのだ。
γ-GTPも140台から80台へ急落。

そして今回の検査では脂肪肝がmoderate→mildに・・・(^O^)/
AST(GOT)は64→29→24、ALT(GPT)は82→36→31とさらに良化。
γ-GTPはまだ基準値に達していないがそれでも143→84→73と自己ベストを更新中だ。

これには担当医もかなり満足な様子。
今まで何度言っても勉強しなかったダメ生徒が突然覚醒したことに驚いている感じだ。

驚くと言えば、5キロ痩せたと言われて‘えっ、痩せてこれ?’という反応を見せる人も多い。
客観的には所詮誤差の範囲でデブはデブなのだ。
唯一鋭かったのはいつも通っている床屋のオバちゃんで直ぐに気付いてくれた。

まあ、一番‘実感’しているのはお蔵入りしていたのに出番がやってきた
チノパンのボタンかもしれない。

因みにアルコールに関しては、ビールをやめてオールフリーにした以外は全く変えていない。
日本酒、ワイン、ブランデー、ジン、ウォッカ、シェリー等は‘適量’嗜んでいる。

2011年10月26日水曜日

北杜夫の訃報に接して~40年前の思い出の品を探したが・・・~

作家の北杜夫が亡くなった。
今朝その訃報を知って、午後はずっとある探し物をしていた。
中学の時、彼の大ファンだった私は年賀状を出したことがある。
今の時代からすれば実に無防備だが当時は本屋から貰った出版社の手帳の附録として
著名作家の住所録が掲載されていたのだ。
恐らく年末に手に入れた手帳で偶然住所を知って衝動的に出したのだろう。
どんな拙い文面だったか全く覚えていないが、ひとりの少年が懸命に何かを伝えようと考えた筈だ。
何とか本人が読んでくれればいいと願っていたに違いない。
すると、どうだろう。
なんと本人直筆の年賀状が返ってきたのだ。
作家特有の極太の万年筆と思われる字で‘北 杜夫’と署名してあった。
宛名は別の筆跡だったから多分別の人が機械的に処理したのだろう。

それでも少年は特に地方に住む少年は大いに感動したものだ。

綾小路きみまろじゃないが‘あれから40年’
北杜夫は84歳で生涯を終え、こちらは心臓に障害を負う病人だ。
幸いにも実家に戻ってきているから‘現物’を見つけられるかもしれない。
私の性格から言って絶対捨てる筈はないし、かといって上京する時の限られた荷物に
属する程の物でもない。
両親とも他界しているからヒントは貰えない。

懸命に探したが思い出の品は見つけられなかった。
地層に例えるなら明らかにその時代の物が入っている色々な‘化石’は発見できたが、
その周辺には見当たらなかった。
あの年賀状をスキャンしてブログに貼り付けようという目論見は外れたが、
証拠がないから思い出もなくなった訳ではない。

それにしても何故今年だったのだろう。

~杜の都揺れし年に
        北杜夫枯れる~