2005年12月31日土曜日

人生50年大晦日の歴史~12月31日深夜の寝台特急で同窓会に集まった職業は?~

私が子供の頃は、今の子供達と違って夜更かしの習慣が無かった。

それが、何歳だったか記憶は定かではないが、初めて12時過ぎまで起きて
除夜の鐘を耳にしたのは、結構遅かった。

2年続けて、睡魔に襲われ失敗していた。
元旦の朝に起きて、お袋に‘なんで起こしてくれなかった’
と八つ当たりすると、‘何度も起こしたよ’と言い返されていた。

他のことならば、いくらでも取り返しがきくが、何しろ除夜の鐘は1年待ちだから、
自分でもやりきれない。
おまけに、次の年もやっぱり失敗してしまった時には、相当落ち込んだものだ。

そして、ついに初めて生の鐘の音を聞いたときは達成感を味わったが、やはり直ぐ寝てしまった。

中学以降になると、真夜中に友達と初詣に出かけるようになった。

一年中で唯一‘夜遊び’感覚を堂々と味わえる貴重な時間だった。

‘盆と正月’と言うが、子供の頃は、まさにそのふたつが毎月の小遣い以外の
‘臨時収入’に恵まれる数少ない機会だから心が躍ったものだ。

‘もういくつ寝るとお正月♪・・・はやくこいこいお正月♪’
という童謡があるが、別に凧を揚げたり、コマを回したりするのはいつでも出来る訳で、
欲しかったのは‘お年玉’だったのだ。

‘たしかに我が家の愚息も今日は妙にイイ感じだった’

大学を卒業して、銀行に勤め始めたが、まだあの頃は、土曜日も半日働いていたし、
年末も31日まで出勤していた。

銀行員1年目も31日まできっちり働き、冬のボーナスで両親のために買った、
カーディガンとマフラーをバッグに詰め込んで、その夜の寝台特急で帰省した。

列車の通路の折りたたみ椅子に座って、ビールを飲んでいると高校の同期に何年振りかに遭った。
入った大学は知っていたが、就職先は知らなかった。

尋ねると、やはり某都市銀行だった。

で、ふたりで酒盛りを始めていると、またひとり同期が現れた。

仕事を尋ねると、これまた某都市銀行だった。

そして、もうひとり(私は顔と名前は知っていたが話したことはなかった)が現れた時は、
もう疑うことは無かった。

案の定、某信託銀行員だった。

別に全車両をチェックした訳ではないが、同期の連中で遭ったのが全員、
銀行員という‘必然’に苦笑した。

もし、飛行機の中でスッチーが医者を探すように、
‘お客様の中に、銀行員のかたはいらっしゃいませんか?’とやったら、
もっとゾロゾロ現れていたに違いない。

当時は、帰省といえば時期が集中し切符を確保するのも大変だったが、
電車の中で新年を迎える寝台車は人気がなく、簡単に切符が取れた。

ナヌッ!
そんなに銀行員ばかりが乗っていた乗り物は寝台車じゃなく‘護送船’だったんじゃないかって?

確かに、そんな時代でしたなぁ(笑)

それでは、みなさん、良い年を!

2005年12月28日水曜日

ゲッ、こんなにいっぱい‘わたしを狙ったスパイウェアたち’~パソコンも大掃除~

ウィルス対策は、いちおう熱心にやっていたんだけどね。
と言っても、Windowsのupdateをきちんとやり、後はノートン君に任せているだけだけど・・・

テレビよりパソコンをオンにしている時間の方が多い生活を送っているが、
ウィルス被害にあったのは、春先に価格コムのサイトで感染した(サポートは最悪だったなぁ)位だ。
あとは掲示板の2ちゃんに行くとスレッドによって、ノートンが誤反応するケースがある。

スパイウェアというのは、知っていたが、ウィルスと違い特に対策を講じていなかった。

先ずはスパイウェアについてWikipediaでお勉強。

いつものことながら、読んでもわかったような、わからないような自分の理解力に苛立ちながら、
年末ということもあり、大掃除の意味も込めてスパイウェアの検出・駆除をやってみた。

最近は駆除サイトを装ってスパイウェアをインストールさせるサイトもあるそうだから、
(まるで二重スパイだな)気をつけないといけない。

有名どころはのSpybot S&DとAd-Awareのふたつらしい。

Ad-Awareはローマ字読みをすると‘哀れ’になりそうなので・・・(-_-;)、先ずはSpybotを・・・。

解説サイトは、2,3みつけて較べた結果『アダルトサイト被害対策の部屋』と言う、
なんとも怪しげなタイトルのサイトが一番わかりやすかった。

‘う~ん、俺は関係ないが、思い当たるスケベェも多いだろうな(~_~;)’

そこにある『Spybot S&D 1.4によるスパイウェアの除去方法』に従ってやってみたが、
説明が丁寧だから、問題なくインストールできた。

で、いよいよスキャン開始。

いつものことだが、2台PCがあるので、先ずは古い方のマシーンで試してみる。

チェック中の表示がされている中、問題箇所が次々と・・・

‘ありゃ、こんなにいっぱいのスパイウェアが狙っていたのか・・・’

結局、検出された問題箇所は、なんと23もあった。

CasinoPopup.Stuff
Sex.list
Sex Tracker
XXXToolbar

見ただけで、アダルトサイトっぽいとわかるものも幾つかある。

‘あれ、おかしいな、そんなサイト一度も行った事ないのに・・・(=◇=;) ギクッ’

もう1台のマシーンもやってみた。
こっちは、買ってから1年チョットだからな、少ないだろう。

ナヌッ!44問題箇所検出ってなんだよ・・・(  ̄っ ̄)ムゥ

さて、こうして、思いがけない‘大漁’に震えながら、削除の作業だ。

いかにも、怪しげなものは躊躇がないが、削除によって、使えなくなるソフトがあるかも知れない。

私の俄か勉強で言えば、
Windows Security Centerが付くものは削除しなくても良い。

あと新しい方のマシーンで44個の検出のうち、31個の原因になっていたのは
CnsMinというのだが、これはJWordという検索サービスに絡んだものでスパイウェアではないので、
削除しなくてもいいらしい。
参考サイトはこちら

まあ、そう考えると、実質は11個ということになるが、
それにしてもこんなに多くのスパイウェアが潜んでいたとは驚きだ。

実際、それらの悪さによって、何か‘実害’を蒙ったか‘自覚症状’は無い。

しかし、ネットバンクを悪用して実際に被害が発生したり、個人情報が流出したりしている。

考え方によっては、ウィルスより質が悪い代物だ。

ところが、世の中はウィルスに対しての啓蒙は進んでいるのに,
スパイウェアに関してはイマイチのような気がする。

出てくる奴には対策をしてるが、隠れている奴は放置なのだ。

私も全然勉強不足だが、今日は取り敢えず初めての検出・駆除をやってみた。

きょうの私の記事を読んだ人で、未対策の人は、
これをきっかけに是非年内に大掃除をしてみてはいかが?

‘まあ、そのうち’と言う人は、一生やらないかもよ。

因みにAd-Awareの方は、ノートンと干渉するらしくインストール出来ていない。
もう少し研究してみる。

2005年12月27日火曜日

松井秀喜がWBC出場辞退はノー・サプライズ~松井叩きに必死なネオ・ナショナリストどもの笑止~

松井秀喜が、WBCへの出場を正式に辞退した。

某日刊ゲンダイ風に言うならば‘かねてより本紙が報じていたように・・・’となるが、
ナリポンも早い段階で、松井の不参加を予想し記事を書いてきた。

今月の中旬以降は、世間の見方も出場辞退に固まってきていたから、今日報じられても、
まったくの‘想定内’のニュースだった。

相場の世界でいう‘織り込み済み’或いは‘Buy the rumor, sell the fact.’の典型だ。

まあ、そうやって先手先手で攻めていくのが優れた相場師なのだが、何故か世の中には、
ここぞとばかりに松井叩きを続けている、つまらない輩がいる。

松井は出場しようか否かはほとんど悩まなかったのではないだろうか。
心の振れとして、五分五分なんてことは一度もなく、精々7:3で悩んだ程度だったのでは・・・。

松井は初めから、乗っていなかった。

そして、ヤンキース‘最後の打者’になってからは、
益々シーズン重視の姿勢になったのではないだろうか。

好条件でヤンキースと再契約したことで、
さらにフォア・ザ・チームの責任を感じているのかも知れない。

そういう意味では、松井の決断はクリアーだった。
‘日の丸を背負って戦う実感が湧かない’というのも正直な気持ちだったのだろう。

そこを捉えて、あたかも‘非国民’扱いしている連中もいるが、
松井にとっては所属チーム優先なのだ。

WBCに否定的なオーナーの意向を酌んだ‘消極的な理由’ではなく、本人も言っているように、
‘積極的な理由’がある。

‘(ヤンキースの一員と日本代表という)二つの目標を追うことで、
ヤンキースでワールドチャンピオンになるんだという米国行きを決断した時の
大きな夢がおろそかになるのを恐れる’

この判断を、この決断を私は支持する。

まあ、最終決断というか表明を引っ張り過ぎた感は否めないが・・・。

イチローは、あっさり出場を快諾した。

歴史のない大会だが、一回目が無ければ二回目はない、だからこそ初めは大事、としているが、
それが彼の価値観であり、それに基づいて決断をした。

要するに、松井もイチローも自身の信念に基づいて行動しているだけだ。

それなのに、偉そうに松井を‘非国民’と叩いている‘ネオ・ナショナリスト・モドキ’は、
笑止の至りだ。

私の個人的な見解で言えば、やはり開催時期が良くない。

料理で言えば、まるでアミューズと言った感じで、オードブル以前のタイミングだ。
むしろ、デザート感覚で、ワールドシリーズ決着後で良いのではないか。
その上で、将来的にはサッカーのワールドカップのようにシーズン中の開催も検討するとか・・・。

後はキューバ問題のような政治問題を絡めている限り、真の国際大会とは呼びにくいだろう。

まあ、松井が出ようが出まいが、野球大好きオッサンの私が観まくるのは間違い無い。
幸い、例のMLB.tvが全試合カバーしそうだから楽しみだ。

どの程度、燃えるかは自分でもまったく不明だ。
たぶん、素直に日本を応援するだろうが、ドミニカも面白い。

‘でも、私が真剣に燃え始めるのは日本時間4月4日午前11時5分だ’

それにしても、便箋15枚って、私の長い人生でも書いたことがないぞ。

2005年12月25日日曜日

大昔‘ジャネット・リン’、ちょい昔‘伊藤みどり’、今‘よりどりみどり’~結局はロッテ・シスターズが代表に~

女子フィギュアスケートと言えば、素直に札幌オリンピックのジャネット・リンだ。

当時高校生だった私は、素直にあのブロンドのショートヘア―、あの笑顔に魅了された。
フリーの演技で、転倒した後も満面の笑みを見せながら、演技を続け、かえって感動を呼んだ。

翌日の朝日の4コマ漫画、サトウサンペイのフジ三太郎は傑作だった。

三太郎がジャネット・リンが転んだ場所の氷を削って、
それでオン・ザ・ロックを飲むというものだった。

当時は、勿論アルコールの味は知らなかったが、極めてわかり易い感覚だった。

但し、所詮スポーツとしては余り興味がなかったから、単なる俄かファンで終った。

次に登場するのが、伊藤みどりである。

トリプル・アクセルを女子選手として初めて公式戦で成功させたように、
とにかくジャンプ技術が優れていた。

アルベールビル五輪では一度は失敗しながらも、2度目に成功し銀メダルを獲得した。

ただ、当時の口の悪いマスコミの中には、
‘伊藤みどりは、滑る前に登場しただけで、芸術点が減点される’
等と、私の言いたいことを見事に表現しているものもあった・・・(゜o゜)

その後は、オリンピックなら一応見るかなと言った程度で、フィギュアスケートに関心は無し。

それが、ここにきて、なんともミーハー的に盛り上がっている流れに、すっかり乗せられてしまった。

基本的には、浅田真央という新星の登場によるものだが、他の選手もなかなかで
‘よりどりみどり’と言える。

真央ちゃんは素直に可愛いいし、柔らかく軽い。
演技中は目の動きが歌舞伎役者並みに動くが、普段の仕草もあどけなく愛らしい。

ミキティはちょっと太り気味だが、大きな目が魅力的だ。
ただ個人的には私服の時の方が魅力的に見える。

荒川は何となくタイ人のニューハーフっぽい。
マルシアにも似ていると思ったが、今日は髭を剃って髪を切ってヤンキース入りをした
ジョニー・デーモンにそっくりに見えた(笑)

中野はどこか‘特ア風’の顔つきだ。

恩田は、どうも技術的にも芸術的にも印象が薄い。
顔は‘水曜どうでしょう’の大泉洋に似ているか。

不思議なのは村主だ。
私服で、ジャンクスポーツとかに出ているのを見ると、別にどってことのない顔だし、
しゃべりもシャープではない。
ただ、スケートをしている時の表情は情感に溢れ、妙に惹かれるものがある。
ほくろといい、半開きの口元といい、何故か見ていると切なくなる。

と言う訳で、私の‘指名’で3人選ぶとすれば、浅田真央、村主、安藤なのだが、
真央ちゃんは年齢的に足りず‘淫行’になってしまう。

世界のシニア大会で一位になったのに、ルールはルール。
諸外国からは出場を求める声がたくさん聞かれたのに、肝心の日本が協会として動かなかった。

城田強化部長が矢面に立たされたが、彼女が見た目も発する言葉も、
見事な‘叩かれキャラ’だった。

確かに霞ヶ関の官僚臭い言動だった。

‘なんか予め既定の路線が決まっていて、そうならないと困るって感じだな’

騒動の中で動揺したのか、昨日は男子の採点ミスにも絡んでいたようだ。

そして、終に今日最終選考の日本選手権が終わり、女子代表3人が選出された。

安藤、荒川、村主の3人だ。

‘そうそう、これが城田さんの描いた既定の路線か・・・(-_-;)’

既に、この3人を‘想定内’にしたように、ロッテのCMが作られ、流されていた。

感覚的に言えば、最近台頭してきた中野は不満だろう。
なにしろ、安藤との直接対決では3戦全勝だ。

フィギュアは前回のソルトレイク五輪でも、不正なジャッジが問題となった。

スポーツ大好き人間の私が、こういう採点競技は余り好きでないのはそういう理由だ。

客観的な数字で争える競技はクリアーに勝敗や順位が決するから潔い。

まあ、採点競技だからこそ、今日の私のように、顔やスタイルだけで論じても許されるかな。

どうせなら、エキジビションのひとつとして、ノーメイクで競うってのはどうかね。
スピン対決ならぬ‘スッピン対決’・・・(^o^)/

2005年12月24日土曜日

クリスマスはその時々を投影する‘人生の縮図’~あぁ、50回目はノー・イベント~

今の若いジェネレーションーの人間には信じられないだろうが(ジジクサイ)、我々がガキの頃は、
1年中で、ケーキを食べられる機会というのは、誕生日とクリスマスしか無かった。

我が家は4人家族だったが、誕生日の並びが最悪だった。
11月30日から1月8日の間に全員の誕生日があったのだ。

従って、1年365日のうち、ケーキを食べられる期間がこの40日間に集中していた。

おまけに、両親の誕生日は12月の20日と26日だったのだ。

えっ、1週間に3回?と思いきや、おとなの論理はいつも‘狡猾’だ。

20日の分は‘もうすぐ、クリスマスでしょう’と言われ、
26日の分は‘クリスマスで食べたばかりでしょう’と言われる。

振替休日制度が無い頃、祝日が日曜日と重なると、思いっきり損した気分になったものだが、
この誕生日とクリスマスのケーキも同じように損した気分だった。

祝日はその年によって変わるが、誕生日は不変だから、毎年同じ不幸に襲われていた。

それでも小学校の頃は、一時期、誕生会が流行り、おかげで夏にもケーキを食べられた時は、
感激したものだ。

段々と自我に目覚めると、食い気より関心の対象は異性に向けられるが、
カードやチープなプレゼントを交換する程度で、クリスマスは引き続き家族と過ごしていた。
メイン・ディッシュは鶏のモモだった。

それが、高校卒業後、上京して一人暮らしをすると、状況は一変する。

野郎同士で鍋パーティなんてのもあったが、そのうち誰か女性と過ごすようになっていた。
積極的にホワイト・クリスマスを求めて、スキー場へ行く事も何度かあった。

結婚して、直後にシンガポールに転勤になり、妻が3ヶ月遅れでやってきたのが、
ちょうどクリスマス・イブだった。

確か、今思えば余りにも臭すぎて、ここに披露する勇気も無い言葉を吐いた筈だ・・・(-_-;)

海外で味わうクリスマス、街のイルミネーションは華やかで心が躍ったが、
何しろ常夏の国、気温30度の暑さとクリスマスを結びつけるのには違和感があった。

30代の一時期は‘第二の青春時代’を満喫していた。

有名レストランの予約に奔走し、2日間で、昼、夜あわせて3回のメシを
違う相手と喰ったりした過激な年もあった。

日本のディーラーはクリスマス期間は海外市場が休場だから、ヒマなのだ。

その後、ガキが生まれ、ちっちゃなツリーも飾ったりしたが、
それも彼がサンタがいると信じていた頃の話だ。

私の心臓が冒されてからは、それなりに食材には投資をするが、ずっと家メシだ。

そして、今日・・・50回目のクリスマス・イブ

先ず、朝一番でぶっ飛んだ。
辛坊がやってるウェーク・アップが年末大激論というのをやっていたので見た。

私が無能と決め付けている岩田のほかに、コメンテイターてんこ盛り状態だった。

朝っぱら、ここまで不機嫌になれるのかという、禿げの三宅に驚いていたら、
今日、初めて知った‘化け物’を見て頭が割れそうになった。

川条志嘉という女で先の衆議院選挙で初当選した。

全身が選挙カーの拡声器みたいな感じで、声がでかいだけで、論理も何もありゃしない。
三宅に‘あんた、馬鹿か?’と言われていたが、馬鹿というより、
精神的に病んでいる感じだった。

‘精神科医の香山エリも同席していたけど、一度診てもらったら・・・’

どうせ、タイゾーのように比例区だろうと思ったら、なんと大阪2区じゃないか。

2,3分話しただけで、十二分に‘カミングアウト’していると感じたのだが、
私の感覚がずれているのだろうか。

彼女のような人間を選んだ選挙民が正直理解できない。

それにしても、この前の証人喚問での渡辺‘無能’といい、今日の川条志嘉といい、
なんであんな奴等が議員をやってられるのだろうか。

‘イブの朝一番で、トナカイならぬとんでもない志嘉(シカ)を目にしてしまったな(笑)’

今夜のメニューは?と聞いたら、なんと塾があるので(6~9時)、
食事は3人バラバラになるとのこと。
(冬場は妻が車で送迎するので、彼女は酒を飲むためには塾終了後に食べる。)

だから、クリスマスメニューは明日だそうだ。

いま、こうして過去50回のクリスマスを振り返ってみると、素直にその時、その時の人生が、
縮図のように投影されているような気がする。

病気になってノー・イベントな毎日を送っている私のクリスマスに、
何も劇的なことは起こらないのは当然だ。

いやぁ、待てよ。
今年の生活で大きく変わったとすれば、このブログの存在だ。

そうそう、読者のみなさんメリークリスマスbuta-kun-santa

特に、今日の記事を読んでくれた人にはプレゼントだ、ほれっ!santa-01

2005年12月23日金曜日

♪これっきり、これっきりの‘ゆずきり’~ゆずきりと言えば竹泉が‘最愛の人’~

今日の昼は蕎麦屋に行った。
当地で最も江戸風の流儀の蕎麦を提供している店だが、昨日と今日限定で、
変わりそばの‘ゆずきり’を喰うことができる。

と言っても、事前に予約した人限定であるが、我々は早々に予約していた。
私はゆずきり、妻は3色盛りだ。

出てきたゆずきりは、見た目は色が薄く、蕎麦もやや細すぎたが、
食べてみると、香りはほどよく、歯応えも、喉越しも悪くなかった。

店主の話では、来年の冬至まではやらないそうだ。

しかし、こうして、ゆずきりを食べたのはほぼ5年振りになるだろうか。

私の‘ゆずきりロスト・バージン’は、西新橋にある竹泉という蕎麦屋だった。
当時は、本陣房という店名で営業していたが、新橋駅よりにある本陣房本店の系列店だ。

この‘初体験’で、いきなりの‘快感’を味わった訳だが、その‘初恋の相手’が
いかに素晴らしいかは、その後、他の相手を試してみて、実感を深めていった。

先輩格にあたる本陣房本店と較べても、ゆずきりに関して言えば、
私の舌では、竹泉の方が優れているように感じた。

竹泉はキャパが小さいので、昼も夜も大混雑だった。
特に夜は、みんなが酒を飲むから、満席だと1時間待ちも覚悟だった。

そういう時は、ぷらぷら歩いて、本店に行ったりしたが、どうしても‘初恋の人’の方が
お気に入りだから、何となく落ち着かない。

竹泉では、三色もり(変わり、せいろ、田舎)が人気だった。
3段一度に出てくるのではなく、1枚ずつ順番に運ばれるのも、きめ細かい心遣いを感じた。

私は、基本的には‘田舎嫌い’なので、2色もりを頼んでいた。
ある時、ゆずきりを堪能しようと、1色で頼んだが、何となく途中で飽きてしまった。

そこが、変わり蕎麦の限界なのかもしれないが、やはり2色や3色にした方が、
お互いの味わいを引き出す効果があるような気がする。

まあ、パスタでも数種類の盛り合わせにすると、味の違いも楽しめるし、量的にもいとおしいから、
より美味しく感じるものだが・・・。

‘死ぬまでに、もう一度食いたい、ゆずきり部門では、この店が圧勝だな’

蕎麦屋にしては珍しく、刺身系が充実しているので、夜は飲み屋としても重宝な店だった。

柚子というのは、皮のひとかけらだけでも、鴨汁相手に、或いはラーメンスープを相手に、
果敢に存在感を示す。

一方で、その香りは気高さも感じるほど上品で、洗練されたイメージがある。

世の中の‘ゆずきりバージン’は是非この冬、試してみてはいかが?

東京地区に住んでいる人々には、この本陣房系列はおすすめだと思う。

ナヌッ?
‘ゆずきり’が一瞬‘ゆきずり’に見えただって

う~む、実は書いてる私も何度も・・・(-_-;)

2005年12月22日木曜日

白夜のやうな人生

白夜のやうな人生


暗い
夕方の5時ともなれば
真っ暗だ

今日は夜が最も長い
闇の深い一日だ

摂理に従い
まるで何かの意図を持って
当然のように
昼と夜の配分を変える四つの季節

生きていると言う
激しい実感
生きて行かなければならないと言う
微かな焦燥
生きて行けるのかと言う
漠たる不安

だからと言って白夜のやうな人生が
果たして望むべく最善だろうか
陰画と陽画があってこそ
真に光沢に満ちた人生が…
可能になる

或いは
そう信じることによって
この暗い時を忍従しているのだ

2005年12月20日火曜日

動物愛護団体よ、ったく、またおまえらのせいで好物のフォアグラが食えなくなるかもしれないじゃないか

私は肝臓が大好きだ。
豚、牛、鳥の肝臓は、まあ普通に手に入るが、カモやガチョウの肝臓、フォアグラは値が張るから、
覚悟しないと食べられない。

それでも、ネット販売を知るようになってから、手軽に入手できるようになり、
値段も比較的安定している。

ところが、このフォアグラの生産に関しても、何かと規制の動きがあるのだ。

フォアグラのフォア(foie)は肝臓を意味し、グラ(gras)は「太った」「脂肪性の」という意味である。

ガヴァージュと呼ばれる手法で、カモやガチョウを閉じ込めて、トウモロコシなどの飼料を大量に
強制的に食べさせて、脂肪肝を発症させるのだ。

このやり方が、一部の動物愛護団体からみれば動物虐待に該当すると大騒ぎしているのだ。

実際、シュワちゃんのカリフォルニア州では、2012年以降、
ガヴァージュにより作ったフォアグラの生産、販売を禁止するそうだ。

それまでに‘人道的’な別な生産方法が確立させれば、そのフォアグラはOKということらしいが、
そんな方法ってあみだせるかな。

今年の10月にはイスラエル政府が、やはり動物虐待との見地から、フォアグラの生産を禁じた。

そんな流れの中、世界生産の80%を占めると言われるフランス政府も動いた。

フォアグラは保護すべきフランス文化・料理の貴重な遺産であるという法案を可決したのだ。
EUの家畜保護規定は各国の宗教・文化的な伝統は規制の対象外としているため、
今回の‘文化遺産’宣言によって批判をかわせるという発想らしい。

‘う~む、なんとしてもがんばってもらわなければ・・・’

今日初めて知ったけど、日本って世界で2位のフォアグラ消費国なのね。

ただ、レストランに行くと、フォアグラをでぇ~~~んと扱ったメニューは少ないような気がする。

前菜で、パテやテリーヌにするとか、メインでもビーフの上にチョコンと乗っけたロッシーニ風だとか、
(このロッシーニってあの作曲家と同一人物なんだよね、料理人に転向したそうだ)
気に入らない。

良い店だと‘メインとして125gをソテーで頂きたいんですけど・・・’と頼むと
応じてくれたが、かなりのお値段になってしまう。

お洒落なグルメは、いろいろ弄った料理が好きなんだろうけど、
わたしぁ、やっぱど~~~んと、フォアグラのソテーという直球勝負が好きなのだ。

最近はもっぱら家で食べるが、50gのフォアグラをワンピースと牛フィレ30g位のステーキを盛る。

主役は飽くまでもフォアグラだから、ビーフはそれ以下の量に留めるが
食感を変えるにはあってもいい。

‘まあ、なんだな、ラーメン食ってる時のチャーシューみてぇーなもんだ’

ソテーにするなら、絶対ガチョウのほう(フォアグラ・ド・オア)がいい。
カモのほうは結構解けてしまう。
そうでなくても、加熱すると縮んでしまって、寂寥感に襲われるのに、解かしてしまったら、
さらに悲惨だ。

動物愛護団体のせいで、不自由にしか食べられなくなり、しかも値段も暴騰したものに鯨がある。

‘なんか、俺の好物って狙い撃ちされてるな’

日本も負けずに、鯨を食すのは‘歴史的文化遺産’だと宣言しよう。

2005年12月19日月曜日

中国よ、ったく、またおまえらのせいでキャビアが高騰するじゃないか~アムール川汚染問題~

プロフにもあるように、私は魚卵が大好きだ。
たらこ、筋子、いくらはまあ、普通に食べられるが、からすみとキャビアは値が張るから、
覚悟しないと食べられない、

特に、そもそも高いキャビアは世界的な品薄のせいで、値段が高騰しっぱなしだ。

そこに、更なるバッドニュースが飛びこんできた。

11月13日に中国の吉林省の化学工場で爆発事故が起こり、それによってベンゼン等の
有害物質が、中国北部を流れる松花江に流出した。

ベンゼンは医薬品や染料・香料・爆薬などの合成原料となる無色揮発性の液体で、
人体には有害だ。
発がん性があり、白血病などの原因ともなるそうだ。

その川の下流には中国とロシア国境を流れる黒龍江(アムール川)がある。

汚染のせいで、中国、ロシアの周辺住民の水道問題が発生しているほか、
生態系にも深刻な影響がでそうだ。

世界自然保護基金(WWF)ロシア支部のミタソフ情報局長は、
「アムール川では多くの魚が死ぬほか、川底の植物などにも多大な被害が出るだろう」と述べた。

その被害のなかに、チョウザメがいる。
アムール川は、いわゆるオオチョウザメが獲れる数少ない地域で、
キャビアでもっとも大粒のベルーガが取れる。

それが、この汚染により漁業の操業停止が実施されている。

操業再開についての情報もなく、1年くらいダメじゃないかとの見方もある。

これで来年以降の、キャビアの相場が上昇するのは、間違いないだろう。

実はキャビアだけじゃなく、アムール川床で産卵したサケとかへの影響も懸念されるし、
そもそも、川を下ったあとは日本海に通じる訳だから影響は予測不能だ。

米国産牛肉再開で、再び食の安全が話題になっているが、ベンゼンという‘透明な毒’が
果てしない範囲で拡散された場合は根が深いだろう。

日本もいわゆる高度成長期には、公害問題が深刻だったが、中国もまさに高度成長を続けている。

‘国土の広さで、毒が希釈されると思ったらエライことになりまっせ’

と言う訳で、値上がり前にキャビアを‘食い溜め’しておきましょう。

2005年12月18日日曜日

スペインに行ったら、まずこれを食え!世界最強の生ハムJamon Serrano(ハモン セラーノ)~日本にいても一度は食ってみよう~

私が初めてスペインに行ったのはスペイン系の銀行に転職した1992年の秋だ。
それ以降、退職するまでの8年間、毎年秋に、チーフ・ディーラー会議出席の
ためにスペインに行った。

初めて行った時からいきなり、嵌ったのがハモンセラーノだ。

生ハムなのだが、それまで味わった事のない独特の香りと味わいがあるのだ。

‘なんか、イタリアのプロシュートなんて目じゃありませんよ ’

初体験で虜になるのは、別に私に限った事ではない。

ナリポンとは似ても似つかない顔をしている坂口憲二(ナンカ変)が、何年か前に
‘とんねるずの食わず嫌い王’に出演した時に語っていた。

「仕事で初めてスペインに行ったんですが、食べ物が美味しくて、
特にハモンセラーノという生ハムが・・・毎日通いつめました」

その後しばらくして、石橋貴(俺はキライ)が質問する。

「生ハム以外には何か美味しいのは?」

「いやぁ、とにかく生ハムが美味しかった、なんでも美味しいんですけどね・・・」

良い人イメージの坂口だから、気を遣っているのだろうが、
彼にとっては要するにハモンが群を抜いて美味かったのだ。

‘でも、彼の感じ、すげぇ、わかるなぁ’

私もバルでもレストランでも必ず注文していた。

天井から、何本もの脚が吊るされている風景が壮観だ。
専用の台にはめ込み、これぞ職人技という感じで一枚、一枚、削ぐように切っていく。
値段もばらつきがあるが、やはり安すぎると味が落ちる。

3,4日の会議期間中の昼飯は銀行の役員食堂みたいなところで食べるが、
その時も、食事前に食前酒とともに、ハモンが必ず供された。

一流とは言えない銀行だったが、出されるハモンセラーノだけで格付けすれば
トリプルAだった(笑)

2年目には、私のハモン好きが有名になり、
副部長がおみやげにブロックを密閉パックしたものを用意してくれた。

当時は、実は日本への持込は禁止されていたが・・・(-_-;)
そして、3年目からは、実費を払って彼の奥さんに買ってもらうようになった。

‘自分の国のものを美味い美味いと言われるのは、いい気分なんだろうな’

でもハモンを楽しめるのは、出張期間中とおみやげがある1ヶ月くらいだ。

日本でハモンセラーノ作りに挑戦した人もいて、2度ほど試してみたが、
値段も安くないし味的にも満足できなかった。

そして2000年、私が大病して、6月には退職し、スペインに行く機会も体力も無くなったと
悲しんでいたら、なんのことはない、ハモンの輸入が解禁されていた。

ハモンの醍醐味はやはりあの塊を、都度スライスすることにあると思っていたし、
マドリッドの空港で買った、真空パックのスライスの印象は余り良くなかった。

ところが、何年か前に、フォアグラの購入のついでに買った、ハモンセラーノのスライスが、
予想外の大当たりだったのだ。

‘そうそう、この香りだ、この風味だ’

スペイン在住経験のある友人にも贈ってあげたが、彼女も中々の出来だと喜んでいた。

私の食べ方のオススメは、ただひたすらシンプルにハムをそのまま食べる、である。
焼いたバケットとの相性は悪くない。

ただ、生ハムと言えばメロンというような発想は、ハモンには合わないと個人的には思う。

ある程度空気にさらして、表面がしっとりとしてきて、輝いてきたら食べ頃だ。

ここ2,3年、日本のグルメ関係者の間では、イベリコ豚が大人気だ。
ハモンの中でも、イベリコを使ったハモン・イベリコと言うのがあって、最高級品とされている。
グラム当たりで較べても、セラーノの4~6倍の値段はする。
ただ私の好みから言えば、イベリコは脂がきつすぎるし、熟成しすぎた感じでしつこい。

‘大トロより、ほどよく赤身と脂が混じっている中トロの方が美味い’

もし、同じ値段で手に入るとしても、セラーノを選ぶだろう。

これから、クリスマス、年末・年始を迎える。

チョッと‘脱日常’を味わうには、ハモンセラーノは悪くない。

取り敢えず、この手ごろなスライスを試して、次に原木を試して、
将来的には現地スペインに食べに行く。

これがハモン食いの進化の過程だな。

すると、私の場合は逆に退化していることになるな(笑)

‘ハムの人’を漢字にすると‘公人’(ナンチャッテ)

2005年12月16日金曜日

名将、智将というより‘一緒に酒を飲みたい人’仰木彬氏逝く~日本人メジャーリーガーの父~

私が仰木さんの訃報を聞いたのは、昨夜の報ステの中だ。
悲しいお知らせがありますと言う、前置きの後で、顔写真が映し出されて驚いた。
死因が癌だと聞いて二度驚いた。

以前から癌に冒されていたのは知らなかった。
というか、つい数ヶ月前までユニフォームを着て監督を務めていたのだから、
そんな想像もできなかった。

急性心筋梗塞とか突発的な病気なら考えられるが・・・

記憶が思いっきり曖昧だが、今年の春、開幕前の仰木監督をどこかの女子アナが屋台で
酒を飲みながらインタヴューする番組を偶然観た。

最初はビールでスタートして、途中で日本酒にチェンジ。
本当に美味そうに飲んでいるし、女子アナが隣でご機嫌だ。
で、屋台のオヤジが次の一品を出した時の一言が素晴らしい。

‘ああ、これはやっぱりビールだな、もう一回ビールに戻ろう’

その一品が何だったのか、もう忘れてしまったが、観ていた時には私もビールに合うなと
思った料理だったのは覚えている。

テレビの収録中だと普通は遠慮しがちだろうが、彼はおかまいなしだった。

‘う~ん、一緒に酒を飲むならこういう人だな’

しかし、今考えてみれば、これぞ仰木さんのデフォなのだろう。
どのつまみにはどんな酒が合って、美味さを引き出すかと言うことを真剣に考えることは、
選手の育て方、起用法にも通じる。

選手の個性を尊重し、それを伸ばすことが得意だった。
そのためには、つまらない既成概念には拘らなかった。

彼の元から育ったメジャーリーガーが多いのも偶然ではないだろう。
パイオニアの野茂をはじめ、長谷川、イチロー、田口、吉井・・・中村紀はOrz
日本人メジャーリーガーの父と呼んでもいいのではないか。

‘あの’イチローも仰木さんには心から敬意を払い、感謝し、心を開いているような気がする。

シアトルで訃報を聞いて、コメントできないくらいショックを受けているらしいが、無理もないだろう。

私が一緒に酒を飲みたい仰木さん、飲みたくないイチロー
その二人が美しい師弟関係にあるだけでも、仰木さんの懐の深さがわかる(笑)

報ステで訃報を知ったが、前身のニュース・ステーションの本番中に、
小宮悦子を口説こうとしたのは有名な話だ。
彼女もいまなら口説かれても良かったかな,と思っているかもしれないね。

安らかに眠って下さい、と祈ってみても
‘酒はうまいし、ねーちゃんはキレイだ♪’と天国でも‘本領’を発揮しそうだ。

思わぬ訃報に動揺した今日、私は予定通りに、CTスキャンの検査を受けた。

《追記》
マスコミを含め、他のブログ記事を読むとイチローの名付け親としているが、
登録名の変更のアイデアを出し、進言した実質の名付け親は新井宏昌コーチであり、
それを認めたのが仰木さんと言うのが、事実らしいですよ。

2005年12月15日木曜日

【電凸】部会の禁煙化も出来ない自民党に‘改革’は無理だろ~タイゾー、さつき、ゆかりからも返事無し~

12月6日に、自民党新人議員で構成する「83会」(土屋正忠会長)が、
たばこ税の増税を働きかけることで一致したという記事を目にした。

特定の新人議員をまるで芸能人のように追い回すマスコミには辟易としているが、
この83会は10月にも、たばこに関するアクションを起こしている。

自民新人、禁煙申し入れへ

 先の衆院選で初当選した自民党の新人議員83人でつくる「83(ハチサン)会」は19日の幹事会で、部会など多数の議員が参加する党の会議を禁煙にするよう、近く武部勤幹事長に申し入れることを決めた。83会の会員は党の会議中の喫煙を控えることも申し合わせた。

 女性の出席議員から提案があり、「込み合った部屋で隣の人にたばこを吸われると迷惑だ」「民間では会議中の禁煙が常識になっている」などと同調する声が相次ぎ、異論なく決まったという。

 自民党の会議では卓上に灰皿が置かれるのが通例で、部屋中がたばこの煙で白くかすむ光景も珍しくない。(共同)


いまどき、まだのうのうと会議で喫煙可能としている旧態依然とした体質に唖然としたものだ。

そこで、実際に部会の禁煙化が実施されたのか確かめようと思ったが、
会長の土屋議員のメルアドを発見できなかった。

そこで、83会の目玉的存在の3人にメールを送ってみた。

片山さつき、佐藤ゆかり、杉村太蔵の3議員だ。

件名:たばこ税増税大賛成

はじめまして・・・

83会でたばこ税増税を働きかけるとの報道に喜んでおります。
拙ブログでも、以前から増税の主張をしております。

大増税、大賛成!あぁ、たばこ税限定だけどね~1箱1000円で一石三鳥~
http://plaza.rakuten.co.jp/naripon/diary/200510300000/

ところで、ひとつお尋ねしたいのですが、10月19日に同会が、部会等の会議における
全面禁煙の申し入れをした筈ですが、実施されているのでしょうか。

上記ブログにも書きましたが、禁煙化も出来ずに‘改革’でもないと思います。

ご活躍期待しております。


メールを送ったのは12月6日の夜10時過ぎだ。

いくら‘人気者’3人でも、ひとりくらいは返事をくれるだろう、と思った。

ところが、まったく返事がない。
そこで、12月12日夜10時過ぎに、再びメールを送った。


件名:たばこ税増税大賛成(再送・返答待ち)

お忙しいでしょうが、下記質問に是非お答え頂けないでしょうか。

単純にYESかNOで結構です。

> ところで、ひとつお尋ねしたいのですが、10月19日に同会が、部会等の会議における
> 全面禁煙の申し入れをした筈ですが、実施されているのでしょうか。


そんな中、14日になって、たばこ税増税のニュースが飛び込んできた。
1本1円という、なんともへタレな増税だが、増税見送りの可能性が高かった中での、
打っちゃり劇だった。

税の使い道が、公明党の政策支援だから、実際のところはどの程度の影響力があったかは
不明だが、タイミングだけで言えば83会の影響も微かにはあったかと思わせる。

‘そうだ、83会はたばこ政策で何か先進的なことをするイメージを
定着されせばいいのではないか’

そう考えると、益々、部会の禁煙化が実施されているか否かが気になる。

そこで14日の夜11時に3度目のメールを3議員に送った。

件名:たばこ税増税大賛成(再々送・返答待ち)

度々恐れ入りますが、何故この程度の質問にお答えいただけないのでしょうか。
メールは本人、もしくは関係者に読まれているのでしょうか。

放置されて、いるのでしょうか。
もしこのメールに返事を頂けない場合は、その‘顛末’を拙ブログで公開します。

> お忙しいでしょうが、下記質問に是非お答え頂けないでしょうか。
>
> 単純にYESかNOで結構です。
>
>> ところで、ひとつお尋ねしたいのですが、10月19日に同会が、部会等の会議における
>> 全面禁煙の申し入れをした筈ですが、実施されているのでしょうか。


いまだに誰ひとりからも返事は無い。

何故、ここまでやられても3人ともシカトを決め込むのか。
単にメールなんて無視しているのか、或いは禁煙化されて無い事実を明かしたくないのか。

結局今日、部会等での禁煙化が実施されているかどうか、自民党本部へ電凸すると、
担当へ変わります、と電話を回された。

ところが、そこへ登場した男は質問に対して
‘どうかなぁ、わかんないんなぁ、いま忙しいから・・・’
と言いながら、ガチャと電話を切られた。

‘おいおい、なんだよこいつ、突然ガチャってマジかよ’

温厚で有名な(ウソ)私も、さすがにムカついたが、そこは再び代表へ電話を架けてやり直した。

二度目にアテンドした女性は、男の非礼を詫びた上で、
直接2,3の部会に連絡を取り、事実関係を調べてくれた。

部会は全部で13あるそうだが、禁煙化はされていないそうだ。

党で決めるとすれば、幹事長レヴェルで先ずは決定する事項で、
実際83会の要望書も武部幹事長宛だった。

肝心なところではNOというのね、あの‘痛いなぁ’イエスマンは・・・(-_-;)

それにしても、健康増進法が施行されてから2年半がたち、国家としても今年2月に
たばこ規制枠組条約が発効しているのに受動喫煙の防止という意識がまるでない政権与党。

というか、実社会で言えば、同席する人間から‘たばこを吸わないで下さい’と言われても、
平気で吸い続ける傍若無人な輩と同じだ。

加えて、議員に再三メールを出しても読まれているかも怪しいし、返事もない。
党本部の担当者に電話を架けてもいきなりガチャっと切られる。

今回の増税幅は、ゴルフでいえば、あたかもグリーンまで300ヤードあるのに、
パターを選んでいるようなものだ。
それでも、一打は一打として数えられる。

こんな増税が妙な実績になって次の増税が遠のくようでは、かえってやらない方がマシだ。

そういえば、民主党の「次の内閣」会合では1本20円の増税をしろ、と景気がいい。

なおかつ、部会等では‘原則禁煙’だそうだ。
電凸で、確認したら愛想良く即答してくれた。

たばこ政策だけなら民主党支持でよさげだが、何しろ、数で圧倒されているし、
カレーライスとライスカレーと揶揄されるくらい存在感が無い。

たばこ政策は福神漬けやらっきょうの違いといった程度か(笑)

しかし、こんなヘタレ値上げじゃ、禁煙の動機にはなりにくいだろうな。

2005年12月14日水曜日

強度偽装の証人喚問が‘勧善懲悪劇’にならない苛立ち~元凶は質問者のロー・クオリティ~

強度偽装建築に関わる、証人喚問が行われた。

合計で7時間近い‘ドラマ’をテレビで完全中継だ。

真相の解明をして欲しいと言うのは、建前で、当事者でもない私は、
単純に悪者達が窮地に立たされる‘勧善懲悪劇’を見たいというのが本音だ。

ドタキャンが懸念された姉歯も出席し、さあいよいよ始まったと思った瞬間、
絶望の嵐に襲われた。

‘なんじゃ、こいつ・・・まったく使えないな’

先陣をきった、自民党の渡辺具能議員のへタレぶりは群を抜いていた。

40分の時間を与えられながら、30分は自分が喋り捲り、えらそうに説教している感じだ。
それでいて‘時間が限れていますので・・・’を連発するアフォっぷり。

別にこれだけで、議員としてのクオリティのすべてを否定する訳ではないが、
証人喚問の質問者としては‘具能’ならぬ‘無能’丸出しだった。

テレビでも鳥越氏あたりは強烈批判していたし、自民党への意見・要望サイトが一時的に
パンクしたらしいから、私と同じように感じた人はかなりいたのだろう。

そもそも、期待していなかったが、自民党議員は、全滅だった。
‘人数いても人材不足だな、それとも党の方針か?’

結婚式の挨拶のように、つまらん前置きをするし、材料的にも‘新ネタ’は無く、
我々素人でも既に知っているようなネタしかないから、相手も動揺しない。

一連の流れで、何かと関連付られて語られる公明党の高木議員は、
その関連を‘偽装’するためか(笑)、
一応まともな質問をしていたが、内河相手には勢いが無かった。

結局、使えたのは民主党の馬淵議員と共産党の穀田議員くらいかな。

馬淵氏は全体の流れを充分把握しているし、独自の裏も取っていたし、
臨機応変に声のトーンも変えていた。

証人達の様子は様々だ。

まさに久々に露出した、姉歯は相変わらず淡々とした口調だが、
逆にふっきれた表情にも見えた。

木村建設の木村は、それが意図的かどうかは別にして、
とにかく田舎の爺さんを上手に‘利用’していた。

肝心な質問になると‘耳が遠いのですいましぇん’とやる、これぞ‘現場力’か(笑)

計画倒産ではないかと責められ‘命以外の個人資産を差し出す’と言わされていたが、
それほど単純ではないだろう。

篠塚は、まあのらりくらりで言質を取られないように必死だ。
そしてついに出ました、歴史的必殺技‘記憶にございません’

あと、社長が激白しそうになると微妙にサインを送っていたような風情もあった。

最も待ちわびていたのが内河証人だ。
証人というよりは、典型的な‘越後屋、おぬしも悪よのう、わぁははは’キャラの悪徳商人だ。

短大時代には演劇部だったといわれるが、自民の生ぬるい質問に対しては、はきはきと答え、
寧ろ優勢な立場を示していたが、馬淵氏の厳しい攻撃を浴びると、
突然‘あの~’を連発するようになった。

‘あの~’と言えば、鈴木宗男だが、あの証人喚問でも共産、民主に新ネタを出されて狼狽した。

喚問はあの2つの政党がお得意だが、普段は力をまったく感じないなぁ。
まあ、数が違うから仕方がないが・・・(-_-;)

しかし、時々居眠りしながらも、全中継に付き合ったが、虚しさ一杯だ。

やはり、法的なバック・グラウンドが希薄だと迫力がない。

2005年12月13日火曜日

本屋の棚から消えていった作家、石川達三を懐かしむ~‘幸福の限界’か‘蹉跌’か‘失敗’か~

もう、石川達三という作家がいたことを知らない世代も多いかも知れない。
第1回芥川賞の受賞者で、歴史的には一世を風靡した時代もあったのに、
そこからの凋落度は激しい。

数年前に何かで目にしたが、文庫本での取り扱いの変遷の中で、
消えていった作家のランキングのかなり上位に位置していたような記憶がある。

確かに、私が、高校、大学生の頃は本屋の文庫コーナーでも、
石川達三は堂々とベスト・ポジションを確保していた。

私は読書家とは程遠い人間だったし、その後はさらに本を読まなくなった。
そんな私が、読破したと言っても大袈裟ではないのが(←コウイウトキハ、ホトンドオオゲサ)
松本清張と石川達三だ。

19歳の頃、日記と呼ぶには余りにも頻度が低いノートに書いた文がある。

友人の中にも、石川達三なんて文学的レベルからみれば、かなり下級の作家だ、
と言うのが何人か居る。
僕には、醜悪にまで巧妙な氏の人間表現、平凡な読者が巡り合う数多くの
自己投影的主人公は捨て難い。

彼は極めて常識派という評価を受けているが、実際のところ、
彼のレベルを超越する生活を営んでいる人間がどれほど居るだろうか。
ひょっとしたら、友人の中で達三批判をする奴は、いわゆる夢多き人間で、
バラ色の人生を歩まんとしているのに、達三さんがあらゆる方法で
その種の人間の挫折を描いているもんだから、
不快になってそういう発言になるのではないか等と勘ぐりたくもなる。

僕はどうかと言えば、氏の影響は大と言わなけらばならない。
結婚にあまり憧れなくなったのも、ずっと独身で居るのも悪くないと
思うようになったのも、結婚するにしても早婚は良くないと思うようになったのも
氏の影響だろう。

自己防衛が強くなったのも、恐らく彼の作品の所為だ。
常時、身辺を無傷の状態にしていたいのだ。
かすり傷でも許すと、何時か致命傷になるのではと考えてしまうのだ。
だから、日々、俺は面白くも無い男になってゆくのかも知れない。


なんか30年経っても、書いている文書の程度が進歩してないのが一目瞭然だが・・・(-_-;)

結果的に、結婚は早いほうだったが(笑)、石川達三の影響はあった事はあったかも・・・。

‘常識を愛し、平凡を排する’がナリポンの価値観だからだ。

実際調べてみると、いま買える本は恐ろしく少ないのは事実だ。

古典にも成り切れず、今の時代、普通に読むには古めかしく、人気が無いのだろうか。

映画の原作としても、数多くの作品が使われている。

私も映画はさすがに70年代の‘青春の蹉跌’‘金環蝕’しか観たことはない。

私と違い、いまだに図書館通いで‘濫読家’の妻に、石川達三で読んだ作品を尋ねたら、
即答はできなかった。

作品名を言ったら‘それは読んだかも・・・’と言われたが、
やはりその程度なのかと実感した。

だからと言って、好きだった作家がこんな境遇になったから、
腹が‘たつぞう’なんてことはない(笑)

2005年12月12日月曜日

人間が○○放題をエンジョイするには相応の‘能力’が必要~‘飲み放題’を楽しんだ日々は今何処~

公私にわたり忘年会でお疲れの人々も多い季節だ。
‘公’はともかく‘私’の方では、飲み放題の料金設定だと幹事も安心だろう。

私も、若くて元気な頃はこの‘飲み放題’と言う響きには、惹かれたものだ。

それが、病気をして歳も取ってくると、さっぱり魅力を感じない。
理由は簡単だ、元をとれなくなったからだ。

食べ放題はともかく、飲み放題では、我ら夫婦は数々の武勇伝を持っている。

なにしろ、平気でビール大瓶10本はやっつけていたから、
‘ボーリング・カップル’と呼ばれていた。

それ以上飲めるのだが、肉体的な理由ではなく、むしろ経済的な理由でストップをかけていた。

武勇伝の中でも、最も印象に残っているのは、シンガポール在住時代の話だ。

日本人が経営するKOBEという、すき焼き、しゃぶしゃぶ屋があった。

年に何回か、生ビールの飲み放題のキャンペーンをおこなっていた。
1杯分を払えば(約500円)何杯飲んでもOKという奴だった。

キャンペーン期間は週末に始まり、翌週末までの9日間だったが、
平日は仕事があるのでノーチャンスだ。

そのかわり、週末は2週続けて通った。

で、ある時、土曜日に出かけ、翌週の土曜日も出かけた。
それはいつものパターンなのだが、その時はキャンペーン最後の日曜日にまた出かけたのだ。

理由は簡単だ。
家で飲むより安いからだ・・・(^_^)

勿論、ビールだけを注文することはできない。
しゃぶしゃぶかすき焼きを注文しなくてはならない。

神戸牛を使ったコースは、4000円くらいしたが、NZビーフだと1200円のコースがあった。
我々はいつも、このNZを頼んでいた。

しゃぶしゃぶだと流石に1人前の肉は少ないので、肉は追加注文する。

で、その日も追加のNZを2人分追加した。
届いた肉の一部を鍋に入れた時に、日本人の主人が慌てて走ってきた。
鍋の肉を見ながら

‘あの~、ご注文頂いたのは、ニュージーランド牛ですが、
こちらの手違いで神戸牛をお出ししてしまいました。
どうぞ、味の違いを較べてください。お代は勿論8ドルで結構です’

‘えっ、そうなんですか、ラッキー’

さらに、主人の淋しげな後ろ姿に向かって、妻が叫んだ。

‘すいませ~ん、あとビールのお代わり2杯お願いします’

まるで、死者に鞭打つような強烈な一発だった・・・(-_-;)

1回行くと、ふたり合計で大体ビールは40杯くらいやっつけていた。

すると、この日の決算(当時の1シンガポールドル=100円で計算)は・・・

支払ったお金
ビール代 1000円
しゃぶしゃぶ 2400円
追加の肉代 1600円

合計支払額 5000円

メニュー上のお値段
ビール代 20000円
しゃぶしゃぶ 2400円
追加の肉代 7200円

合計金額 29600円

差額 24600円


我ら夫婦の姿をみると‘総会屋’に睨まれたみたいな感じの主人が、
‘連日の攻撃’を受けて、金縛り状態になって、牛肉まで間違えてしまったのかも・・・(-_-;)

なんか、いまこうして書いてみると、若かったせいか我ながら‘無粋’だね。

それが最後だったかどうかは判然としないが、そのうちビールのキャンペーンは止めてしまった。

今の私はビールは500ccがいいところだから、飲み放題なんて絶対元が取れない。

食べ放題は、学生の頃は、980円で焼肉(接着剤肉使用?)とか食べていたが、
そもそも余り好きではなかった。

いやしいから、どうしてもたくさん食べようとしてしまい、それほど美味くもないものを
無理に胃袋に入れるのは、寧ろ苦痛だ。

そもそも、ナリポンの基本は‘暴飲小食’だったのだ。

大好きだったのは、ホテル等での朝食ブッフェだ。
特にスキーで泊まるときは、カロリーの摂取も必要だから、洋食バージョンの後に
和食バージョンを食べ直したり、普段食べないヨーグルトまで食べたりしたものだ。

他では値段は張るが、ホテルの中華料理店がやっていた、
通常メニューからオーダーできるのは悪くないと思った。

フカひれと北京ダックを頼めば、先ず簡単に‘回収’できるから気分が楽だ。

ただ、今はとにかく、食が細くなったので(その割りに身体は太いままだが・・・(-_-;))、
食べ放題には惹かれない。

食べたい物をピンポイントで狙う方がいい。

‘飲む’‘食べる’もそうだが、そもそも○○放題をエンジョイするには、
それに充分な‘能力’が必要なのだ。

2005年12月11日日曜日

松井秀喜は‘WBCに出たくない’‘裏切り者にもなりたくない’~NY Timesの記事は‘露払い’~

今回のWBC日本代表発表について、アメリカのメディアは、AP通信等の配信記事を
利用しているだけで、面白みがないと思っていたら、
ニューヨーク・タイムズのジャック・カリー記者が独自の記事を書いている、

それを、スポニチが報じている。

松井秀“WBC出場”へプレッシャー?

 来年3月に行われる国別対抗戦「ワールド・ベースボール・クラシック」(WBC)への出場要請を受けながら態度を保留しているヤンキース・松井秀喜外野手(31)に関して、10日付のニューヨーク・タイムズ紙が注目記事を掲載した。

 同紙では「秀喜はWBCには出たくない。ただ彼は日本でとても人気のある選手なので、王監督や日本のメディア、さらに(1次リーグをMLBから業務委託されている)読売からプレッシャーをかけられている。もし彼が今“自分はWBCに出場しない”と言えば、裏切り者扱いされるだろう」とのヤ軍・広岡勲広報のコメントを掲載。さらに代理人のアーン・テレム氏の「秀喜は大会でのケガの可能性と、WBCに出場したうえで公式戦162試合に全試合出場できるかということをとても心配している」との談話も紹介している。

 “側近”ともいうべき2人が出場に否定的な見解を示したように、松井自身も当初から出場には強い難色を示してきた。その背景には当初から開催時期、さらに商業主義が見え隠れするWBCの大会趣旨に全面的に賛同していないことがある。

 ただ、日本代表チームの指揮を執る王監督からの熱い出場要請、さらにファン心理なども考慮した上で現在は再考中というのが実情で、松井も苦しい決断を迫られている。


ニューヨーク・タイムズ紙のオリジナルの記事はこれだ。

Matsui Not on Japan's Roster

Hideki Matsui was not included on the initial roster for the Japanese team in the World Baseball Classic, and there were indications he would rather not play in the tournament. Matsui is concerned that the timing of the event will detract from his preparations with the Yankees in spring training.

"Actually, Hideki doesn't want to play for the W.B.C.," Isao Hirooka, who handles Japanese media relations for the Yankees, said in an e-mail message.

Because Matsui is such a popular player in Japan, Hirooka said, he is being pressured to participate by the Japanese news media; Sadaharu Oh, who is managing the team; and the Yomiuri Giants, his former team.

"If he says, 'I don't play for the W.B.C.' right now, he will be a traitor," Hirooka said.

Oh told The Associated Press that he was "100 percent sure" that Matsui would agree to play and left a roster spot for him.

Arn Tellem, Matsui's agent, said Matsui had still not made up his mind about whether he would join Ichiro Suzuki on the team. Although Tellem said Matsui would "probably like to play," he cited the possibility of injuries and how Matsui "wants to come back and play 162 games for the Yankees."

Matsui signed a four-year, $52 million contract last month. The Yankees were against the idea of having their players play, but Derek Jeter, Alex Rodriguez and Robinson Cano have agreed to compete.


先ずは、スポニチの記事とオリジナルの記事で、ややニュアンスが違う。
テレム氏曰く‘松井は多分出場したいのだろうが’と言う部分が省略されている。

それでも、私が昨日の記事で書いたように、松井自身がこの大会の‘価値’を余り認めていない、
大会出場によって、本来最重要だと考えているシーズンへの悪影響を懸念している、
ことは事実のようだ。

しかし広岡広報は何故取材に応じたのだろうか。

ニューヨーク・タイムズはニューヨーク・ポスト紙が松井にかなり辛口イメージなのに較べると、
是々非々な評価で松井の記事を書いている印象がある。

‘だからと言って、なぜ一紙だけに、このような核心に触れるようなことを打ち明けたのだろうか’

松井と広岡氏の緊密な関係から察するに、このメールを送ったことを松井も承知しているだろう。

もっと言えば、動きの取れなくなった松井を支援する‘意図された作戦’とも取れなくない。

こういう記事が、海外というフィルターを通して届くことにより、世論をタッピングできる。

辞退しても、その理由が既にこういう形である程度説明されているし、
結果的に参加となれば、悩んだ挙げ句よく決意してくれた、ということになる。

しかし、私はこういう‘手口’に不満だ。

松井秀喜の魅力のひとつは、試合後必ず自分の言葉で語ることだ。
チャンスで凡退したり、致命的なエラーを犯して‘戦犯’扱いされるような場合でも、
欠かさず真摯に語る。

ところが、このオフの再契約交渉からの松井は、
常に誰か‘代理人’の影に隠れているような印象だ。

‘裏切り者扱い’を恐れるなら、自分で正直に語ればいい。

2002年、FAでメジャー挑戦の意思表明をした時だって、苦渋に満ちた顔で
‘巨人ファンからは、裏切り者と呼ばれるかもしれないが・・・’
と自ら語ったじゃないか。

そりゃあ、今回辞退したら、失望するファンはたくさんいるだろう。
でも、それは1回だけのことだ・・・。

むしろ、最近のような微妙な‘変節’が‘本格化’する方が恐い。

まあ、私のドタ勘では、広岡氏のメールが記事が‘露払い’になり、
松井が態度を明らかにするのも、案外早い時期に実現するような気がする。

断れば‘グッド・ガイ’の称号に傷がつく?

‘なあに、かえって免疫力がつく’

2005年12月10日土曜日

29人のWBC代表選手より目だってしまった松井秀喜の躊躇と優柔不断

第1回「ワールド・ベースボール・クラシック」(WBC)の日本代表の29人が発表になった。

ところが、何故か話題の中心は代表の29人ではなく‘選ばれなかった一人’である。

その一人とはヤンキースの松井秀喜である。

本来30人の発表を予定した訳だが、松井のために1人分の枠を空けておくという変則事態だ。

私はトップページにもあるように、自他共に認める‘超’のつく松井ファンだ。

しかし、今回のような形で、松井が‘主役の座’を占めているのには、激しく違和感を覚える。

ギリギリまで粘ったヤンキースとの契約交渉の時も感じて書いた・・・。

松井秀喜は‘変節’したのか、人間らしくなったのか~ヤンキース残留交渉での印象~

松井は何度も態度を保留しながら
‘さまざまな要素を総合的に判断して決めたい’と繰り返しているが、
もう9月に日本が正式参加を決めた時から、いくらでも考える時間はあった筈だ。

実際、今月2日には出版社の企画で、王と飲食店で対談しているし、
その場でも直接ラブコールを受けている。

今までの私の人生経験から言えば、
‘じっくり考えたいので、時間を下さい’と2度言われたら、
それは実質的には‘NO’と言われているのと同じだ。

一体何が彼を躊躇させているのだろうか。

ヤンキースの‘無言の圧力’を指摘する声も多いが、それはどうだろうか。

キャッシュマンGMも早い段階で、こう言っている。

『WBCに関しては我々は何もコメントしたくない。
ただ、ヒデキが出たい、と言えば、それは彼自身が決めたことだ。
チームとしては何も言わないのがポリシーだ。』

まあ、それは規約上WBCに関しては、チームは選手を拘束することができないことに
なっているから、当然の発言なのだが・・・。

オーナーのスタインブレナーが出場を好ましく思っていないという説もあるが、
実際、ヤンキースの選手でもキャプテンのジーター、MVPのエー・ロッド、お騒がせのカノーが、
出場の意向を明言しているから、特に問題はないだろう。

むしろ、ワタツネが偉そうに
『松井君が来れば大成功だ。何とか頼まなきゃいけないな。
(ヤンキースのオーナー)スタインブレナーに電話でもするか』
と、勘違い発言をしている方が問題だ。

そもそも、WBCの主催者はMLBと同選手会であって、だからこそ、ボンズ、プホルス、
オルティス等一流の選手を含む177人が既に参加の意思を表明している。

そうなると、松井自身が、単にこの大会に価値を認めていないのではないか。
本人も『日の丸を背負って野球をすることへ実感が無い』と言っているし、
投手の投球数が制限される(可能性あり)ことについても、
『そういうものを、果たして野球と呼べるんだろうか』
と首をかしげていた。

そして、帰国後、番記者と野球をした後にも冗談とは思えない本音をポロリ。

『草野球とはいえ勝つと最高に気分がいいね。
でも右ひじが痛い。こりゃWBC辞退だな』

年俸が大幅にアップした1年目に、どんなことがあっても良い成績を残したいという気持ちが強く、
そんな中、WBCというような未体験の‘不確定要素’を排除したいのかも知れない。

もしそうだったら、その気持ちを素直に世間に伝えれば良いのではないか。

少なくとも、私は、このまま態度を保留し続け、優柔不断と言われても仕方が無い松井より、
明確に自分の考えを明らかにする松井を支持する。

ほら、お見合いだって(経験はないが)、断りの理由が言いにくかったり、
あまりに早く断るのはとためらいがちだが、
断る場合こそ早くするのが‘礼儀’だとされるじゃないか。

しかし、ふと考えるのだが、もしミスターが脳梗塞に襲われずに元気で、
このチームが王ジャパンではなく、長嶋ジャパンだったら、松井はどうしていたのだろうか。

個人的には、快諾していたような気がする。

因みに戸田菜穂の誕生日が3月13日で、それが大会日程と重なるのが
最大のネックだとする説得力ゼロの説もある(笑)

2005年12月9日金曜日

顔が見えない‘存在感’のない巨額損失事件の痛々しさ~みずほ証券誤発注事件~

みずほ証券が、株式の注文の操作を誤ったために300億円を超える損失(未確定)を蒙りそうだ。

20年近く、ディーラーとしてメシを喰ってきた経験のある私としては、
様々な損失事件を見聞きしてきたが、今回のような単純な事務的なミスで
巨額の損失が発生するのは、不謹慎だが正直‘存在感’が無く、単に痛々しく見えるだけだ。

歴史的にみてディーラーの損失事件には‘存在感’があった。

1982年、私がディーラーとしてシンガポールに赴任した直後、
第一勧銀のシンガポール支店が外為取引に失敗し、97億円?の損失を出す事件が発覚した。

張本人とされたK氏とは面識がなかったが、その後、何年かして、
ロンドンのマネーブローカーだったK氏と初めて対面し、
さらに何度か会い食事を一緒にしたこともあった。

ディーラー仲間からK氏の評判は耳にしていたが、本当に人間的に素晴らしいという
印象を与える人物だった。

ポジションやロスのリミット等の管理がまだ確立されていない時期に、支店の収益をあげようとし、
発生した損失を何とか取り戻すそうと苦闘し、結果的に損失を拡大させてしまったのだろう。

金銭を個人的に着服するような事は無い。
強いて言えば‘敏腕ディーラー’と呼ばれる名声を手にしたがったのかもしれないが、
実際会うと、そういうタイプの人間にも見えない。

波乱の人生の結末は予想以上に早くやってきて、その訃報は世界を駆け巡ったが、
『プレジデント』?に掲載された、彼の死についてのレポートは涙をさそうものだった。

84年には、富士銀行ニューヨーク支店で、115億円の為替損失事件が発覚する。
ドル高の中ドルの売りポジションを積み重ね、金利差のキャリングコストも膨らんだ。
85年だったら9月に例のプラザ合意で、急速な円高が進む訳で、
一歩間違えば頭取賞ものだったかもしれない。
このディーラーのN氏とは何度か電話で話した事があった。
また、事件発覚後、ニューヨーク支店長が肩を落とし、寒さに震えている写真が
‘フォーカス’されるが、それをやったのが実は大学時代の同級生だった。

こう言った損失事件の背景には、当時はディーリング業務の管理体制が未熟だったことや
過剰な収益目標設定があったと思う。
邦銀のディーラーなんて、当時は別に儲けてもインセンテイヴ・ボーナスがある訳でもなく、
ひたすら会社の収益のために不眠不休で働いていた訳だ。

そういう責任感は、逆に言えば損失の発生を隠蔽したくなる弱さを生んでいたかも知れない。

ただ、同じディーラーとして、損失が拡大していく過程での彼等の葛藤や苦悩を想像すると、
色々なことを考えてしまう。

100億が巨大損失と騒がれたが、それから10年たつと、さらに巨額化した事件が発生し、
どの程度の金額が巨額かわからなくなってくる。

昔はDカップで巨乳だったのが、今はIカップとか言われて思わず指折り数える・・・(-_-;)

1995年、大和銀行ニューヨーク支店の井口俊英が10年以上に渡り米国債の取引の失敗を
隠蔽し続け、結局1100億円余りの損失を発生させる。
彼の場合は、隠蔽の仕方もより悪質で、勝手に保有有価証券を売却して穴埋めに使ったり、
一部個人的にポケットに入れたりした‘犯罪’だった。

直接頭取宛に事件を告白していながら、大蔵省を巻き込んで情報開示が2ヶ月以上遅れたのも
国際的に問題視された。

ただ為替市場では、損失分を手当てする大和のドル買いの噂はあり、
4月に80円割れの円高をつけた反騰局面で、榊原氏の介入を支援する形になった。

また井口氏の上司は以前シンガポール時代に知っていた人物だったが、
発覚後間もなく地下鉄で偶然出会った時、彼の髪の毛が真っ白になっていたのが印象的だった。

そして翌年には、住友商事の浜中泰男が、銅取引で大損した事が露見する。
全世界の銅取引の5%のシェアを占める‘ミスター5%’と持てはやされ、
ブローカーとも不適切な関係を持ち、損失の穴埋め、隠蔽のための不正取引を続けた。
最終的には2850億円という、まさに空前絶後の巨額損失事件になった。

実はある友人が住商に勤めており、一時期浜中氏と同じ部で働いていた。
一緒に飲みながら‘尋問’してみたが、やはり口は重かった。

大和銀行にしても、住友商事にしても、驚くのは、損失の額だけでは無い。
海外のディーラー仲間によく言われた点は、あれだけの損失をしても
日本の企業が平気で存続している事だ。

同じ時期に英国王室御用達の名門マーチャントバンク、ベアリングズ社を、
ニック・リーソンという1人のトレーダーが潰してしまった。

シンガポールのSIMEXで日経平均の取引に失敗、約1400億円のロスを出したのだ。

これらの損失事件の一部は小説になったり、映画になったりもしているが、
彼等の顔が見えるし、追い込められた時の人間の心も窺える。
要するに‘存在感’があるのだ。

それに較べると、2001年電通株でのUBSウォーバーグ証券のチョンボや
今回のみずほ証券のミスは、余りにも単純過ぎて‘存在感’がまるで無い。

まるで無い‘存在感’の割には、損失は取り返しのつかない巨額なものになり、
株式市場の大混乱も招いた。

そのミスマッチが余りにも痛々しい。

インプットを間違えた社員は一体どんな心境なのだろうか。

‘なあに、かえって免疫力がつく’だって?

そりゃ、無いでしょう(笑)

2005年12月8日木曜日

第1回個人向け国債(5年固定)の利率は0.8%~見通せない国の見通せない金利動向~

世の中の富裕層は、ややバブル化している株式相場や商品相場でウハウハだろうが、
昔気質の手堅い運用(元本保証)をしている人々には長い冬が続いている。

‘緊急避難的’な日銀のゼロ金利政策がもう7年に及ぼうとしている。

定期預金の1年ものが0.03%だから、100万預けて税引き後の利息は240円だ。
銀行に往復する、体力や消費ガソリンを考えたら、まさにナッシングだ。

そんな中、なんとか少しでもマシな利率の商品はないかと探すと無くはない。
当然長期になるが、ここ一年をみても知っている限りで言えば、3年で1%、5年で1%、
10年で1.5%とか定期預金のキャンペーンはあった。

あとは新生銀行が口火を切った、デリバティブを利用して5年か10年のオプションを
‘身売り’して、表面金利をお化粧した商品もうまれ、地銀の一部にも広まっている。

預金以外では、個人向けの国債がある。
商品については財務省のHPを参照して下さい。
最初に出来たのは10年の変動金利型で、2003年の春に発行された。

第1回~3回の初回の適用利率は、0.05~0.09%と悲惨だったせいで
売れ行きもイマイチだったが、第4回はいきなり0.77%に飛び跳ね、私も飛びついた。

私の買った第4回債は、0.55~0.77%で平均で0.668%だから、劇的ではないが悪くもない。

第13回債の初回適用利率は0.68%だ。

そして今回から、新たに5年の固定型が発行された。
本日適用金利が発表になったが、0.8%だ。

証券会社のセールスから電話を貰ったが、
‘0.8で固定は嫌だな、1%あったらチョッとは考えるけど・・・’と答えると
‘1%だと我々も売りやすいんですけどね・・・’

実際、定期預金で(解約不可)5年もの1%はある。
石原慎太郎の新銀行東京だ。

平均株価がボトムのほぼ倍にまで回復し、為替も円安が進行し、商品相場も高騰している。
消費者物価も上昇傾向にあるし、昔の教科書通りなら、早々に金融政策の変更があっても
おかしくないのだが、動かざること‘日銀’の如しで、よく読めない。

まあ、ボーナス時期でもあるし、個人向け国債はひとつの運用の選択肢とはなるだろう。
銀行や証券会社もいろいろなキャンペーンを実施している。
基本的には100万につき、1000円相当の金券が標準だ。
金券の代わりジャンボ宝くじをくれるところもあり、
スルガ銀行や(100万で5枚)イートレード(50万で5枚)は率で言えば金券よりお得だ。

ところで、国債の場合、当然ながらデフォルトのリスクは存在する。

かつては燦然とAAA(最上格)に輝いていたのに、今は、チリやボツアナと‘好勝負’している(笑)

テレビのCMでは、固定型の方を、今回、初起用されたモックン(本木雅弘)が担当している。

コピーは‘5年先まで見通したい’だが、まさに見通せるなら買っても良いかも知れない。

一方、10年変動の方は、引き続き小雪が担当。

こっちのコピーは‘10年先まで楽しみたい’となっている。

この台詞って、なんか熟年離婚が流行する中で聞くと、或る夫婦のつぶやきとも聞こえなくない(笑)

2005年12月7日水曜日

‘恐怖マンション’に公的支援は大英断か、拙速に走った愚策か~生命安全の確保を‘人質’~

耐震強度が偽装された‘恐怖マンション’に公的な支援が行われることが決まった。

‘もし、今地震が起きて居住者及び周辺住民の生命の安全が損なわれたらどうする’
と言う危機感にたてば、誰もが‘生命・安全の確保が最優先’だとする意見に対して
‘YES’としか言いようがない。

その点から言えば、政府が異例のスピードで支援策を発表したことは称賛されるべきであろう。

しかし、当事者でもない私にとっては、いろいろな意味で違和感がある。

話題はやや飛ぶが、去年の春先、マスコミをにぎわせた言葉があった。
2004年の新語・流行語大賞のトップテンにも選ばれたが、何だか思い出せるかな。

‘自己責任’だ。

イラクで人質になった3人の日本人に対して、否定的な意味で使われた。
政府の勧告を無視して、イラク入りしていたのだから、自業自得だとし、
彼らを救出するために国が多額のコストをかけることに疑問を投げかける世論が台頭していた。

その後、ややその動き自体を反省する動きもあったが‘自己責任’と言う言葉は、
一般的にも世間でよく使われていた。

そういう意味では、もしあの頃、今回の事件が発覚していたら、世論も微妙に違っていただろう。

恐らく、今回の被害者は100%被害者なのだろうが、
基本的には相場より、恐ろしく安い物件を買った者の‘自己責任’はどうなるんだ。
‘安物買いの銭失いの典型だよ’と言われてお終いだったかも知れない。

実際今回の公的支援が発表になってからは、そういう議論になりやすい。
一部居住者の発言には、被害者意識が強烈すぎて、
‘おまえ、少しは我慢しろよな’という気分にさせるものもある。

‘生命の安全’を文字通り‘人質’にして過剰な要求を続ければ、世間は離れるし白ける。

世論は命の危機には同情するが、経済的な損失については色々な見方をするだろう。

対象にならなかった物件の持ち主からすれば、不公平感の議論も噴出するだろうし、
そもそも、天災でもないのにこういう支援がされるのは異例なのだから、
他の納税者から見れば納得できないと感じる人も多いに違いない。

張本人である業者への責任追及が甘いのも気に入らない。
支援策では、取り敢えず国や自治体が出費し、後で業者に請求するといっているが、
その支払い能力に疑問が残るから、結局は税金を使うことになる可能性が高いだろう。

すると、逃げ回っているヤクザな小嶋(敬称・蔑称略)のケツを拭くのに公的資金投入という
最悪の構図になってしまう。

国交省が迅速に動いたのは、自らの監督責任への追及をかわす意味もあるとする向きもある。
そうでなくても‘官から民へ’をウリにしている小泉政権としては大問題だ。
公的資金を投入するということは、官としての監督責任を認めているということになるが、
関係者の処分等の話は一切出てきていないのも納得がいかない。

加えて、この支援策でもっとも恐れるのは‘後遺症’だ。
今後更なる広がりをみせて、80億なんて桁では済まなくなるのではないか。

‘前例’を作ったことにより、今後発覚する同様の物件に対しても‘例外’とは
言えなくなるだろうし、‘何故マンションだけなんだ’という声も高まるだろう。

いや、違法建築だけではなく、監督官庁の責任を問えるような様々なケースで、
政府の支援を当てにする風潮が助長されるかも知れない。

財政再建こそ緊急の課題と言いながら、こんな事をしていたら、
益々安易な増税に拍車をかけるだけではないか。

北側国交相は公明党所属だ。
公明党と言えば、日本のみならず、欧米からも‘世紀の愚策’と叩かれまくった
‘地域振興券’で、7000億円をバラまいた‘前科’がある。

弱者に優しくしたがるのはわかるが、現状、日本で最大の弱者は‘日本’そのものだよ(笑)

2005年12月5日月曜日

宮里藍、Q-schoolを‘主席’で卒業~日本のマスコミの大騒ぎはデフォだが、現地マスコミはどうか~

宮里藍がアメリカ女子プロゴルフツアーの最終予選会で優勝し、来シーズンの出場権を獲得した。
向こうでは、Q-school(qualifying school)と言う言い方をする。

藍ちゃんは初日の首位タイから5日間、首位をキープする完全優勝だけではなく、
2位と12打差というのも、1975年に記録された9打差を上回る新記録となった。
(但し当時は54ホール、90ホールになったのは去年から)
legendsコースで文字通りの、伝説的な成績を残し、Q-schoolを‘主席’で卒業した。

LPGAの公式ページにも、この大会は肉体的にも(5日間)、精神的にも(出場資格をかける)
最もタフなものだと説明している。

去年の優勝者は、今年のLPGAの賞金ランキングで2位だったポーラー・クリーマーで
11アンダーだったが、藍ちゃんはそれを凌駕する17アンダーだった。

向こうで最大注目の、17歳で全米アマ・チャンピオン、かつ全米女子オープンで2位だった
モーガン・プレッセル(6位タイ)に藍ちゃんは14打差をつけている。

所詮予選会で過去にも森口祐子、小林浩美がトップ通過しているが、上記の内容からしても、
思わず藍ちゃんの、来シーズンでの本格的な活躍を期待してしまう。

マスコミにとっても商品価値の高い藍ちゃん、日本のマスコミが大騒ぎするのはデフォだが、
現地マスコミではどういう感じで書かれているのだろうか。

先ずは、彼女を追い掛け回す日本のマスコミの過熱振りをやや揶揄している。

なにしろ今回発行された96の取材許可証のうち、62が日本のメディアだというから呆れる(笑)

ホールアウトすると、あっという間に日本のメディアに囲まれ彼女の姿が見えなくなる。
最終日、新記録で優勝した時も、一番喜んだのは、日本のマスコミ軍団だったと報じている。

そんな感じで、別に今回に限った事ではないが、やり過ぎの日本のマスコミには冷淡だ。
それは裏を返せば、宮里藍はそれだけ絶大な人気を誇っているという証左にしている。

向こうの記事で、藍ちゃんの枕言葉的に使われているのが‘pint-sized’という単語だ。
‘小さい’と言う意味だが、英々辞典で調べてみると余りフォーマルな言葉ではなく、
ニュアンスとしては‘チビ’といった感じだ。

ただ別に悪意がある訳ではなく、あんな小さな身体なのに、ゴルフは強いと強調したいのだろう。

日本では女タイガー・ウッズと呼ばれ(ホントカヨ)人気抜群のスーパースターだ。
なにしろ、去年タイガー・ウッズがダンロップ・フェニックスで優勝した時、
宮里も優勝したが、テレビの視聴率は3倍も高かった、と紹介している。

‘やっぱり、あっちではなんでもウッズを引き合いに出したがるなぁ’

そして記事にはこうある。

アメリカでは、まだ人気はないが、今回のようなゴルフをすれば人気者になるのは難しくないだろう。
無駄の無いスゥイング、驚異的なパットも素晴らしい。
それよりなにより、あの思わず引き込まれてしまう魅力的な個性だ。
100万ワットの笑顔(megawatt smile)、サングラスを外した時の表情豊かな瞳が良い。
4日目と最終日、宮里と一緒にラウンドしたFutcher(フッチャー?)が、
藍ちゃんはとてもフレンドリーだとして、エピソードを披露している。
4日目に、藍ちゃんが、おにぎりをあげて、次の日は彼女がお返しにサンドイッチをあげた。
宮里は中身が何かを剥がして調べて(ピーナッツバター&ゼリー?)、
3口であっという間に平らげたそうだ。
(ピーナッツアレルギーが無くて良かったね・・・(^_^.))

‘藍ちゃんの笑顔や性格はワールドクラスだな’

あと、これは私の勝手な判断で裏はとれていないが、使っている単語からみて、
藍ちゃんは通訳なしで、自分の英語力で語っているような気がする。

これも何にでもチャレンジングな藍ちゃんらしいし、習得するのも速そうだ。

今年の2月に、ワールドカップ女子ゴルフ優勝に関して
藍燦燦 瑠衣散々という記事を書いているが、奇しくもタイトルが・・・(-_-;)

実際、宮里藍はこの1年間燦然と輝き、来年からのアメリカ挑戦の権利を見事に勝ち取った。
一方、北田は賞金ランキング60位(前年3位)でシード権を失い、散々だった。

しかし、こういう優勝劣敗の厳しさこそ、スポーツの醍醐味だ。

そうそう、しのぶちゃん、国内シード獲得もそうだけど、しぶとい強さがあるね。

2005年12月4日日曜日

フィンガーボウルの水を飲む人をかばうのは本当に美談か~失敗して‘経験値’を高めるのが人生だ~

口内炎もようやく治まってきたので、今日の昼は外食をした。

いわゆる、町の中華屋さんといった店で、夫婦ふたりでやっている。

ここの店主は、仕事が丁寧だが、作るのはいつもひとつずつしか作らないから、
ちょっと混み始めると異様に待たされる。

私達が頼むのはいつも決まっている。
タンメンとチャーハンだ。
特にチャーハンは美味で、あのパラパラ感は自宅では味わえない
オカミサンも水を持ってくると‘いつもと一緒?’で通じる。

私達の後に、男子高校生がふたり入ってきた。
どうやら、初めての来店のようで、壁に貼られたメニューを真剣に見ている。
ひとりは、あっさりとラーメンに決めるが、もうひとりはかなり悩んでいる。
‘ねぇ、タンメンって何?’と相手に訊くが‘タンメンはタンメンだよ’
‘ねぇ、中華丼って何?’と相手に訊くが返事無し。

‘チャーハンでもいんだけどなぁ、ねぇ、天津丼っってカニ玉だよな’
すると、相手は‘知らねぇ、一応聞いてみれば・・・’

結局、店の人に聞かずに‘天津丼ください’と注文した。

‘こいつ、タンメン、中華丼を知らずに天津丼は知っているのかよ、何たる跛行性だ’

その後のふたりの会話で、ふたりは私の出身高校の後輩でいま3年生、
タンメンを知らない奴は医学部狙いだという事が分かった。

タンメンを知らなくても医者にはなれるだろうが、
今どきの若者にして、あまりの食の知識の無さには唖然とした。

そういえば、もう30年以上前だが、我々が高校の修学旅行で関西に行った時のことを思い出した。
京都のいかにも修学旅行専門旅館といった感じの宿に泊まった時の夕食はすき焼きだった。

取り皿には生卵があったが、S君が卵を割ってかき混ぜたまでは良かったが、
そこに醤油をドバッと入れてしまったのだ。

それを発見した誰かが(オレジャナイヨ)
‘おい、こいつ生卵に醤油入れてるぞ’と大騒ぎ。

それを聞いた連中が一斉にここぞとばかりに、彼をなじりまくり馬鹿にした。
徹底的に攻撃されたS君は越境入学で、いわゆる郡部の出身だった。
素直に知らなかったと言えばいいのに、必死に誤魔化そうとしたから始末が悪い。

当時の英語の教科書には、こんな感じの話が載っていた。
ある王様が晩餐会を開いた時に、ゲストのひとりがフィンガーボウルの水を飲んでしまった。
他のゲストはそれを見て驚くが、ホストもすかさず水を飲んだことにより、
他のゲストも追随して水を飲んだ。
これが、相手を思いやる真のマナーだ。

英語としてだけでなく、何処か教訓的な美談として取り上げていたのだろうが、
そんな‘効果’は、まったく無かった・・・(-_-;)

この事件がきっかけになったかどうかはわからないが、S君は京大を受験し見事合格した(笑)

S君は大恥を掻いたことで2度と同じ間違いを犯さなかっただろう。

一方、フィンガーボウルの水を飲んだ人は、その場は救われたかもしれないが、
無反省に一生、飲み続けたのかもしれない(笑)

そう考えると、あの逸話はやはり、ああいう階級の世界のああいう場面での話であって、
いかにも‘上から見た論理’とも言えなくない。

実社会では、失敗は失敗として、時には恥も掻きながら‘経験値’を高めていく方が
より実践的な生き方だと思う。

正しい事を知らない、知らせない、よりは、知っている、教えてあげる方が良いのではないか。

因みに、フィンガーボウルを使うときは片手ずつというのが正式だって知ってました?

2005年12月3日土曜日

セレッソ、あと数分で‘桜散る’、ガンバ‘長い春’の果てにJ1初優勝~やはりスポーツは劇的だ~

サッカーは国際Aマッチだと嬉々として観るが、Jリーグはたまにしか観ない。

Jリーグで特に応援するチームは無い。
むしろ個人的に親交のある、岡田審判が笛を吹いているのを見つけると、その試合を観たりする。
彼とは、異業種の会で知り合い、1ヶ月に1回会っていた。
フランスW杯の時は、壮行会と慰労会をやったし、私が穢土を離れる時は送別会に来てくれた。

まあ、Jリーグに対しては、その程度の思いしかないのだが、そもそもスポーツ観戦狂だから、
今日の大混戦優勝争いには、当然のように飛びついた。

すると、なんのことはない、ガンバ大阪vs川崎フロンターレは
その岡田審判が笛を吹いているじゃないか。

ガンバはイケメンのツネ様(宮本)に加えて、W杯予選で大ブレイクした大黒のおかげで
チームとしても相当ファンを増やしたのではないか。

‘そういえば、なぜか「大黒様」って流行語大賞の候補にもなってなかったな’

試合はガンバが先行するが、川崎もしぶとく追いつく。
2-2の同点から、決勝点になるのは、なんとPKだった。

岡田審判を知っているせいで、どうしても彼のジャッジが気になるが、あのPKは文句なし。

一方のセレッソは終始リードを保っていたのに、なんと終了3分前に同点に追いつかれた。

ガンバは逆に決定的な追加点をあげ、4-2にする。

そして、長居には非情のホイッスルが響き、直後には等々力に歓喜の声が轟く。

アトランタ五輪でブラジル戦で勝利しても、クールなイメージだった西野監督もインタヴューでは、
泣きっぱなしだった。

宮本も日本代表で見せる顔とはまったく違い、情緒溢れる表情だった。
ユース時代からのガンバ一筋、本人も言っていたように‘次元の違う喜び’だったのだろう。

長すぎたかどうかは別にして、初めての春を味わったガンバ、
それにたいして、桜色の夢が寸でのところで破れ、5位に散ったセレッソ。

それぞれの熱いファンにはそれぞれの感慨があるだろうが、私も一スポーツファンとして、
今日の5チーム大混戦は想像以上に堪能できた。

思えば、MLBのア・リーグだって、上位4チームのうち3チームの勝敗数が
まったく同じという劇的なものだった。

ところで、今日気付いたふたつのこと。

チョッと前、高校生だったと思っていたら(笑)、松波ってもう31で引退するのね。

あと、Jリーグ発足の時、各チームのネーミングの由来は覚えたつもりだったのに、
(コンサドーレは笑った)ガンバは盲点だった。

単純に、がんばれの意味だと思っていたら、それ以外に
ガンバ(GAMBA)はイタリア語で‘脚’を意味するとか洒落をきかせていたのね。

私の昔のディーラー仲間に、野球は阪神、サッカーはガンバという、
当時は辛い思いばかりしていたマニアがいるが、今年はさぞかし良い年になったことだろう。

2005年12月1日木曜日

引き上げゆばを家庭で味わう乙なひと時~‘ゆばのIT革命や~!!!’(ヒコマロ風)~

広尾にある、箱根暁庵という蕎麦屋をよく利用していた時期があった。
蕎麦屋といえば、古い造りの店を訪れることが多かったが、ここは箱根湯本ホテルがオーナーで、
中々おしゃれな雰囲気だった。
(観月ありさと遭遇したこともある)

蕎麦は、あの「翁」の高橋邦弘氏が山梨にいた頃(現在は広島に移ったみたいだ)、
弟子入りして修行した人が打っていた。

蕎麦屋では無論、一杯やってから蕎麦になるが、
その酒肴で気に入っていたのがここの‘生ゆば刺し’だった。

オーダーをする時に、先ず‘今日はゆば刺しあります?’が口癖だった。

確率的には5割と言った感じで、無いと多少めげ、あればそれだけで、
ちょっと幸福な気分になったものだ。

それが、最近では簡単にしかもメチャ安で、自宅で楽しめるようになった。

我が家では数年前から、タイシというメーカーの500mmペットボトル入り(無調整豆乳)を
使って、自宅でゆばを作るようになった。

卓上コンロに、小さいな土鍋をつかい、ゆばを一枚ずつ作っては、家族がかわりばんこに食す。
当時は、息子も無邪気な頃で、作ることも楽しんでいた。
実際、たこ焼きをひっくり返すがごとく、コツをつかむ楽しみはある。

ポン酢か本わさび醤油で頂く。

今年の夏になって、紀文から‘ゆばにゅう’という新製品が出た。

早速、試してみたが、中々良い感じだった。

というか、恐らく豆乳そのものはタイシのものと大差がないと思われるが、
ゆばの作り方についての説明が優れていたのだ。

‘表面にゆばが張り出したら火を止め、そのままにします。’

それまでも、弱火にはしていたが火を止めるまではしていなかった。
そのせいで、最初のうちは、いいのだが、次第に焦げ臭くなってしまっていたのだ。

ゆばを楽しんだ後は、おぼろ豆腐を作ったり、豆乳鍋を作ったりできる。
紀文のほうは豆腐を作る際、にがりを準備する必要あり。
タイシは、にがり付きとにがり無しの両方がある。

我が家は基本的に、豆乳鍋にする。
出し汁を加えて、豚肉と野菜で豚しゃぶとして食べる。
豆腐をいれると、周りがレアチーズクリームのようになって‘ともあえ’状態になる。

若い頃は、ヘルシーという謳い文句を聞くと、逆に拒否反応もあったが、
いまや加齢とともに、食の嗜好そのものが自然とヘルシーなものになっている。

タイシにせよ、紀文にせよ値段は約200円と家計にとってもヘルシーだ。

引き上げゆばを家庭でこんなに簡単にできるなんて‘ゆばのIT革命や~!!!’(ヒコマロ風)

スーパーへの普及度はイマイチの感もあるが、売り場は、豆腐売り場にあるのが基本。

興味のある人は、是非お試しあれ!
少なくとも、豆乳鍋の素を買うくらいなら、絶対にこっちだ。