2005年4月30日土曜日

沈黙は金、雄弁は銀の真意は?~朝まで生テレビはどうよ~

『沈黙は金、雄弁は銀』ってどんな意味?
文字通り、沈黙の方が、雄弁よりもまさっているということか?

なんだかんだといっても、雄弁でありたいし、実際、しゃべりまくることが多いナリポンとしては、
余り気に入らない格言だ。
そんなナリポンに加勢するような説を発見した。
この言葉は紀元前4世紀、古代ギリシャ時代にデモステネスという政治家が演説で使った
ものだそうだ。
そしてその時代は銀の方が金より価値があったというのだ。
だから単純に、雄弁であることが肝要だとする解釈だ。

「やったー」と喜びたいところだが、辞書等を調べる限りでは、沈黙優位説の方が有力だ。
折衷案としては、ただしゃべりまくる駄弁よりは沈黙のほうがいいが、勿論雄弁が一番良いとする
ようなものまで現れた。

ふ~む、よくわからんな、単純な使い方は出来ないな。

経験から言えば、普段饒舌なナリポンが黙り込むと、それなりに迫力があるらしい。
そういう意味では、沈黙も確かに効力はありそうだ。

沈黙がまるで意味を持たず、雄弁さを競うテレビ番組がある。
‘朝まで生テレビ’という討論番組。

テレ朝系で基本は月一回、金曜の深夜にある。
参加するパネリストも全員しゃべりたがり、まとめ役であるはずの田原総一朗がそれに輪をかけて
しゃべりたがりだから始末に終えない。

謂わば、しゃべりのバトルロイヤル。
見ている分には、中々面白い。

知識の乏しい者、論理が甘い者、声の小さい者は徹底的に潰される。
政治家は概ねアウト、社民党の福島瑞穂は毎回コテンパンにヤラレル。
いつか年金問題で登場の自民党、熊代昭彦は年金担当でありながら自ら年金への無知振りを
晒していた。
同じく自民のテレビ出たがりっ子、小林興起、平沢勝栄も底の浅さを露呈する。
若手のホープとされる大村秀章もなんとも古臭い知性ゼロの発言に終始。
レギュラー格の自民、山本一太は一応如才なく振舞っているが慇懃さがいやらしい。
知識もそこそこあり堂々と自説を展開していたのが武見敬三。
民主は枝野幸男がまあまあ弁が立つが他はダメ。
公明は特に印象に残る人物もいない。

政治家にとっては、この番組に出演するのは諸刃の剣。
余程、実力がないとマイナスのイメージの方が強いか。

そういえば、今は亡き(笑)辻元清美とかは強かったな。

評論家にもこの場は厳しい。
特に、普段ニュースやワイドショーで偉そうに振舞っている連中が苦戦しているのを見ると滑稽だ。
飽く迄も、ナリポン的独断だが・・・
大谷 昭宏(ジャーナリスト)、金子勝(慶応大学教授)、紺谷 典子(エコノミスト)、白石真澄(東洋大学経済学部助教授)等々

逆に普段あまり露出しないが、この番組では主役格なのが姜尚中(東京大学教授)だ。
韓国人だが、知識の豊富さ、静かな物言いは目立っていて、あの田原も混乱した時は彼に
振ることが多い。
ただ悪戯に話が長い。
こいつと対決するのが,やはり超知識派の村田晃嗣(同志社大学助教授)、見応え十分だ。
今後の成長如何なのが宮崎 哲弥(評論家)ってところか。

他に独自の‘電波’を発する手がある。
西部邁(秀明大学)小林よしのり(漫画家)

そう言えば、今朝の朝生では一人で、日本は‘脱亜論’で行くべきとするオッサンがいたが
秒殺されていたな。

2005年4月29日金曜日

遺族の悲しみ~逆縁かつ突然の事故死~

テレビは今回の脱線事故の死亡者の葬儀の様子をこぞって報道している。
妻は自分のテレビを観ているときは、直ぐにチャンネルを替えているらしい。

故人と色々な関係の人間が悲しんでいる。
私はニュースを観ながら‘逆縁’という言葉を思い出した。
検索してみたら、こんな逸話があった。

村人が一休さんにいいました。
「なにかめでたいことを書いてください」

一休さん
筆をとって

『親死ぬ 子死ぬ 孫死ぬ』

村人は言いました。
「一休さん死ぬ死ぬって、どこがめでたいんですか?」

一休さんは言いました。
「孫が死んで 子が死んで 親が死んだらどうなんだろうか
それが人にとって一番つらいことだろう」

村人は大きくうなずきました。


逆縁とは、仏教の言葉で、年長者が若い死者の供養をすることで、特に親が子の供養を
することを言う。

昔、NHKで瀬戸内寂聴が悩める人々の前で語っているのを偶然見たときに初めて耳にした。
死の中でもっとも悲しいのはこの逆縁としている。

今回の事故で亡くなった人達の遺族の悲しみ較べを勝手にしている訳ではない。
ただ、一般論としてこの逆縁の悲劇性は理解できるような気がする。

時の経過と共に、悲しみは癒されるのが普通だが、逆縁の場合は軽減されるどころか、
逆に深まることもあるそうだ。
「もし生きていたなら、今日は二十歳の誕生日か」とか考えてしまうのかも知れない。

加えて、今回の事故のような突然の死のケースでは悲嘆は、より複雑で回復はより困難だ。

J.W.ウォーデン著/鳴澤實監訳『グリーフカウンセリング 悲しみを癒すためのハンドブック』から
引用する。

1) 非現実感が長期間続く
 突然の予期しない死であるために非現実感が生じ、長く続く場合がある。感情の麻痺したような状態や呆然とした状態として表れる。

2) 罪悪感が激しい
 実際には、遺族にはなんら責任はないわけであるが、「もし…していれば」という罪悪感が生じる。また、子どもの場合には死の前に親に怒られたり、兄弟とのけんかで「いなくなってしまえばいい」とか、「死んでしまえばよい」などと思ったことで、死んだのではないかという罪悪感が生じることがある。

3) 誰かを非難してしまう
 罪悪感に伴って、家族の誰かを非難したいという欲求が生じやすくなる。特に親がついていて子どもを守れなかった場合には、その親への非難が生じたり、兄弟の一方が亡なった場合には、もう1人の兄弟に対して非難や欲求不満が向いたりする。

4) 裁判などが終わるまで悲しむことができない
 交通事故で刑事裁判や民事裁判、補償の問題があるとそれに気をとられてしまい、十分に悲しむことができないという問題が出てくる。これらの手続きが終了した後に、悲嘆反応が表れることがある。

5) 強い無力感と怒り
 突然の予期しない死は、自分たちにはどうすることもできないという感覚を生じさせ、強い無力感を生む。この無力感に対抗してコントロール感を取り戻そうという試みでもあるが、激しい怒りが生じる。しばしば「加害者を殺したい」というような発言として表れる。

6) 故人の遣り残したことの問題
 故人が何かを遣り残している場合には、遺族がそれを痛ましく思い引き継いで行うことがある。これを行うことが回復につながる場合もあるが、残された兄弟が親の期待という圧力で兄弟の役割(進学、進路、親への関わり方)などを引き継がなくてはならないというようなことも起きてくる。

7) 死について理解したいという強い欲求
 事故による死は理不尽なものであるが、どうしてそれが起きたかについて理解したいという欲求がある。それは事故の状況を確認したい、誰に責任があるか追求したい、加害者がどうして事故を起こしたか知りたいという欲求ともなる。そのために民事裁判を起こすこともある。

8) 精神疾患をきたす
 PTSDやうつ病、不安神経症、アルコールや薬物依存症などの精神疾患をきたす率が高い。



私は2000年の2月に死の淵にたった。
2001年の2月に母が逝き、昨年の6月には父が逝った。

ささやかではあるが、二人に逆縁の悲しみを味あわせなかった事は孝行になったかもしれない。

2005年4月28日木曜日

マスコミ人の傲慢~あの記者だってオーバーラン~

今回の尼崎の列車事故が起こった日、最初の記者会見での席上だ。
事故発生後、約2時間たった1回目の会見だったと思う。
社長が原因等は不明で、分かっている事実は脱線したことです、と発言したところで、
某記者が「人が死んでんねんでぇ~!」と罵声を浴びせた。

また、別のシーンでも記者が詰め寄っていた。
「あんたさっき、ここにくる時、ポケットに手を入れてたでしょ、本当に謝罪の気持ちがあるのか」
幹部は言葉に詰まってしまった。
そこへ記者が「あなた方には説明責任があるんですよ。」

生憎と、どちらの記者も腕章も見えず、どこの社の人間かは確認できなかった。
今回の事故を起こしたJR西日本には4月26日の日記で触れたような、体質的な問題が
あると思う。
記者会見での発表が後日訂正されるのも問題だし、原因究明が未熟な段階で‘置石’を犯人に
仕立て上げるような発言も極めて問題だ。

但し、先に書いた二人の記者の勘違い振り、傲慢さはまた別の次元で問題だ。

私は直接見聞きしていないが、1回目の記者会見で「経営責任をとれ」みたいな発言も
あったらしい。

今回の被害者や遺族が、聞くに堪えない口汚い言葉で関係者を罵ったとしたとしても、それは
それで、‘真実の声’として耳を傾けることはできる。

しかし、あの記者達が被害者の代表のような風情で声高に叫んでも、
‘質の低い正義感に悪酔いしたヨッパライ’にしか見えない。


妹を失った弁護士の小寺一矢さんは「ここでは警察も消防もJRの人も一生懸命だ。とても責めることはできない。遺体が見つかって救われた」とした後に、「今回の事故は社会の緩みが引き起こした。それを作ったのはあなた方マスコミであり、私達自身です。誰を責めても仕方ない。」

後半のマスコミに関するコメントは極一部のマスコミ以外は、
‘故意’か‘過失’か省略したらしい。

2005年4月27日水曜日

職業別平均寿命~パイロットは早死に?ディーラーの方がもっと?~

子供の頃将来の夢をきかれて‘パイロット’と答える男の子は多かった。
私は小学校の卒業時には、なりたい職業に‘大学教授(数学)’と書いた筈だ。

中学の時だと思ったが、ラジヲを聴いていて、パイロットの平均寿命は全体の平均から10歳位
短いと知った。
平均で10歳ということは凄いことだ、収入が高いのも納得できると少年の記憶に残った。

そして、自分がディーラーになり、24時間、張っているいるポジション(売り買いの片持ち)に
心身ともに振り回されながら、こう思ったものだ。
『そのうち、ディーラーが職業別寿命で短命の1位になるに違いない』

で、その話を誰かにする時、いつも少年の時に聞いたパイロットの短命振りを引き合いに
したものだ。

実際、ディーラーの世界では30代、40代で亡くなった面識のある人が何人かいた。
他には、ディーリング中に、ブンデスバンク(ドイツの中央銀行)の為替介入のニュースが流れ、
そのせいでロスしたディーラーが心臓麻痺を起こしてその場で死亡した例とかもあった。

そして、なによりも自分自身、死ななかったが45歳で急性心筋梗塞、今は身障者である。

実際のところ、パイロットをはじめ職業別の平均寿命はどうなっているのか。
散々検索してみたが、残念ながら日本ではまともなデータが無いようだ。

それでも、「パイロットは早死にする」とする‘風評’は実際数多くヒットした。
原因としては、宇宙線(放射線)を浴びる、時差のある生活で免疫力が劣る、そして何よりも、
多くの旅客の命を預かることからくるストレスをあげている。

現役パイロットのホームページで、平均寿命は67歳と書いていた(私は未確認)と
する記事もあった。
奇しくも、一般の平均から約10年短いということになる。


文献としては、森一、工藤倫夫の「職業と寿命の研究」というのがあった。
その中で「各職業集団平均寿命」を見ると、10の職種に分かれ、高い順に次の職業があげられている。(括弧内は平均寿命)。
宗教家(75.6)、実業家(73.2)、政治家(72.8)、医師・医学者、大学教授(67.7)、俳人(67.6)、歌人(66.9)、芸術家(64.7)、小説家(63.0)、詩人(57.7)。
これは1926年~1979年の資料によったものであり、この期間の職業全体の平均寿命は68.6歳である。


せっかくの研究だが、如何せんこの10の職種が浮世離れしすぎだ。
ただ、同研究によれば、宗教家の寿命が長いのは奈良時代から顕著で、理由には、
節食や読経による精神の安定を指摘している。


詩人に憧れて、ディーラーになったナリポン、どのみち長生きはしそうにないか。
『憎まれっ子世に憚る』だけが、せめてもの頼みかも(笑)

2005年4月26日火曜日

Jの悲劇~効率至上の陰に顕在化する危険~

兵庫県尼崎市のJR福知山線脱線事故の死者は70名を超えた。
奇しくもフランス、パリ郊外では観光バスが事故を起こし、3人の日本人観光客が死亡した。

旅客輸送事業、人間を運ぶ、つまりは人の命を委ね、委ねられる恐ろしさを痛感する。
漏れもあるかもしれないが、過去の主な死亡事故一覧だ。↓


1985. 8.12 日航 B747御巣鷹山墜落     ―520人・・・ボーイングの修理ミス
1994. 4.26 中華航空 A300名古屋空港墜落 ―264人・・・操縦ミス
1940. 1.29 西成線(現桜島線)安治川口駅  ―190人・・・満員のガソリンカー3両が脱線転覆。
1947. 2.25 八高線                 ―184人・・・下り勾配で過速度により脱線・転覆
1971. 7.30 全日空B727雫石             ― 162人・・・自衛隊機と民間空中衝突
1963.11. 9 東海道線               ―161人・・・鶴見事故。二重衝突
1962. 5. 3  常磐線                 ―160人・・・三河島事故。二重衝突
1966. 2. 4 全日空B727羽田沖             ― 133人・・・原因不明。機体の欠陥説も
1982. 2. 9 英国海外航空B707富士山麓        ― 124人・・・乱気流で空中分解
1951. 4.24 京浜線                 ―106人・・・桜木町事故。列車火災
2005. 4.25 福知山線  ★今回の事故★  現在73人・・・原因調査中
1966. 3. 4 カナダ太平洋航空DC-8羽田沖        ― 64人・・・濃霧による着陸ミス
1948. 3.31  近鉄                  ― 49人・・・近鉄生駒トンネルブレーキ故障。
1991. 5.14 信楽鉄道                ― 42人・・・単線正面衝突
1972.11. 6 北陸線                 ― 30人・・・北陸トンネル内車両火災
1982. 2. 9 日航 DC-8羽田沖墜落        ― 24人・・・機長がノイローゼ


折しも、JALもトラブルが続き業務改善命令を受け、
そのさなかに再びトラブルが続発している異常事態だ。

個人レベルでも交通事故があるが、交通事故による死亡者数は漸減傾向が顕著で去年で
約7300人。
1970年には約17000人いて、世の中では‘交通戦争’という流行語が生まれた。
車の普及は進み、台数は劇的に増えたはずなのに死者は半減しているのだ。
この驚くべく減少には様々な要因がるだろうが、個人のスキル、モラルの向上もあったと思う。

それなのに、旅客輸送のプロであるJRやJALは段々と堕落している印象が拭えない。

軽々には言えないが、その原因は‘経営の効率’のような気がする。

JALはJASとの合併が上手く機能せず、ANAとの競争も激化している。

JRも今回のこの路線も私鉄との競争が激しいらしい。
社員が思わず虚偽の報告をするのは言語道断だが、それほど追い込まれてしまう管理体制が
ある。
労働組合側の発表だが、2001年にはJR西日本・尼崎電車区で1分の列車遅延を理由に
乗務停止の扱いを受けていた運転士が自殺するという事態が発生している。

厳しい管理そのものは悪ではないが、その管理の方向性が表向きは‘安全第一’を謳いながら、
実際は‘効率至上’が実践されているイメージだ。

スタンスが歪んでいたら、ボールは真っ直ぐ飛ばない。
妙な軌道を描くだけだ。

偉ぶってものを言う気は無いが、利用者を質札にとるような効率化はいらない。

ところで、ナリポンはもう3年8ヶ月、飛行機にも電車にも乗っていない。
なんと‘消極的な安全策’なのだろう(笑)

2005年4月24日日曜日

金がものをいわない?~往生するヤンキース~

大木こだま・ひびきという漫才コンビがいる。
といっても、「笑点」の大喜利の前の限られた時間でしか見たことはないが・・・

ドスのきいた声で、『往生しまっせ』『そんな奴おれへんがな』がきめ台詞だ。
そのふたりのやりとりでこんなのがあった。

右の人「いやぁ、最後はやっぱ金がものをいいますな」
左の人「いわへん、いわへん」
右の人「でも、最後は金の問題に・・・」
左の人「金がものゆうたら、銀行に行ったらやかましくてしょうがあらへんがな。往生しまっせ。」


ヤンキースが往生している。
メジャーには課徴金制度というのがある。
金持ち球団、貧乏球団の不均衡をいくらかでも是正し、かつ年俸の高額化に歯止めをかける
目的で、年俸の総額が一定額を超過すると、その超過分に対し課金する制度だ。

最終的には年末に金額が確定するが、ヤンキースの場合約3千万ドルの支払いが必要とのこと。
通称贅沢税とも呼ばれるが、調べたら実際英語でもluxury taxというそうな。

3千万ドルの一種のペナルティーだが実は、チームの年俸総額がこの金額と
ほぼ同じチームが ある。
タンパベイ・デビルレイズだ。

ヤンキースと同リーグ、同地区で名将ピィネラ監督率いるチームだ。
そうそう、今年から野茂投手が所属している。
開幕以来、両チームは激しく最下位争いを続けているが(笑)現地4月23日終了時点では、
ヤンキースがタンパベイを抑えて、堂々の単独最下位。

いかなる状況においても松井秀喜を応援し、つまりはヤンキースを応援するのがナリポンだ。
でも流石にこの洒落にならない金と成績の相関には苛立つ。

今朝も夜中の2時からライブで観たが、なんともやるせない負けっぷりだった。

試合後の松井の発言も、珍しく弱気一辺倒で、ふがいない先発投手陣についての言及もあった。
低迷するチームの主軸としての責任も感じているに違いない。

しかしだからといって何ができるのか・・・
やはり、ひたむきに応援するしかない。
明日も午前2時だ。


因みに、「金がものをいう」は英語でなんと言うか。
Money talks.(←そのまんまや

これって各国語にありそうな気がする。

2005年4月22日金曜日

How to order.~ランチタイムの風景~

昼飯時の飯屋での注文風景を見ていると、中々面白い。
いきつけの店なのか、初めて訪れる店なのか。
一人客か、グループ客か。

私は、あれを食うならあの店へ、この店で食べるのは、あれかこれと絞っているから
初めて行く店でない限り、それほど悩まない。

しかし、もっと悩みの無い凄い人を見かけるときがある。
店に入ってくるなり、メニューもホワイトボードも一切見ずに
「日替わりね」と言う人種だ。
店によっては曜日によってフィックスのところもあるにはあるが・・・
何を頼もうか悩むのが嫌なのか、その店は何を食っても美味いと信頼しているのか。
きっと、好き嫌いは全く無いんだろうな。
でも、例えば前の晩の夕食メニューと被ってしまうリスクとかも考えないのかね。
まあ、学校の給食と同じでノーチョイスでも頓着しないタイプなのかな。

頼む前に「今日の日替わりは?」と一応内容を確認する連中もいるけど、結局は頼むんだよね(笑)

私は、不味い物でいたずらにカロリーを摂取すると激しく後悔するタイプだから、ああして、
日替わりをいとも簡単に注文する人種は一種の「思考停止型」だと決め付けちゃうわけだが・・・


グループ客で面白いのは、サラリーマンで上席と来ている連中だ。
いつも一緒なら別に構わないが、偶に糞偉いのが混じると悲惨な絵となる。


糞偉い 「えーと、それじゃわたしは鯖の味噌煮にしようかな、ここのは美味しいよね」
やや偉い 「いいですね、鯖味噌。じゃあ、わたしも」
普通に偉い 「わたしも、鯖味噌で」
全然偉くない「じゃあ、僕も鯖味噌でいいです」

店員「では、注文のほう繰り返させていただきます。鯖の味噌煮定食が4つ、以上でございますね」


あちゃーーー
「ここのは美味しいよね」の一言が余計だよな。
あれでもうこうなる運命が見えてたね。
一番若いのが、「じゃあ、・・・いいです」ってやや抵抗を見せているね。
だから、お姉ちゃんさー、そんな単純なオーダー繰り返すなよ(笑)


まあ、orderの意味には秩序、順序、命令とかの意味もあるから仕方がないか。

ナリポンは例えばビジネス・ランチでもひとりだけ周りに迎合せず、アペリティフを頼んだり
ちょっとは必ず自己主張するんだけどね。

でも昔、ディーラー社会で一応は先輩格の人の飲み会に誘われて、彼が人数分のゴボウサラダを
頼んだ時は制止できなかったなぁ。
頼む前はしきりに、ゴボウはヘルシーだとか言って1人でその気になってたし・・・。
でも運ばれてきた皿には、1人前をやっつけるのに3~4人は必要な大量のゴボウが・・・。
しかもまじりっけ無しのゴボウ100%(笑)
いやぁ、ヘルシーというよりヘル(hell)そのものだった。


ところで、私が働いていた頃赤坂にあったS金飯店という中華屋さんでの話し。
私がここにランチで行く時は、いつもタンメンを頼んでいた。
店内は4人テーブルが5卓に、大きな円卓がひとつ。
従って、ひとりで行くと相席になるのが必至だ。

その日も当然、タンメンを注文。
先客は円卓に何人かいたが何を食ってるかは見えない。
あと4人卓に、2人組みと1人の客。
一人客に「へい、タンメンお待ち」
ほどなく2人客にも「お待ちどおさま、タンメンです」

後客、男の2人組入店。
「タンメン」「俺も」

6連続タンメンキタ━━━━(゚∀゚)━━━━ !!!!!

俺にもタンメンキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!

もう、ここまでくると『タンメンふたつで坦々麺』なんて洒落てる余裕が無い。

さらに後客一人登場。
空いているテーブルに座る。
ヤヴァイ、こいつメニューをまじまじ見てる。

「すみません、もやしらーめんは何味ですか、塩、醤油?」
「醤油です」
「あっ、そう」と言いながら周りを見回す。
「じゃぁ、タンメンお願いします」

よく耐えた!感動した!グッ・ジョブ!

いやぁ、もう、私も食べるのを止めて握手に行きたい気分。

そこに一人客がやってきた、結構ジジィ。
経験則でジジィのタンメン率は高い。
あっちの一人客がもう食べ終わるのに何故か私の席に・・・
ほらほら、タンメンは美味いぞ。
おまけに、周りは完璧なタンメン包囲網。

店員が水の入ったコップを置くやいなや、発した言葉は・・・

「麻婆ナス定食」

Boooooooooooooooooooooooooooooooo!

ジジィ、空気読めよ!
ジジィ、テメェ早死にしたいのか、高脂血症になるぞ!


結局、華麗なるタンメンの連鎖も7杯で終了。
その後も行くたびに注意していたが、3連鎖がいいとこだった。

2005年4月21日木曜日

同棲時代~若き日の妄想或いは実話~

男は女のアパートの鍵を棄てるために
態々江戸川までやって来た。

銀色に鈍く光るその鍵を何処に棄てようと同じなのに
1時間以上、4度も乗り換えてをしてやって来たのだ。
電車の中でも彼は鍵の過去を考え続けていた。

この鍵は彼女に関しての全てのマスターキーであった。
それだけに、今、それを投げ棄てようとしている自分が
信じられない位だが、色々考えた上での結論なのだ。
逆な見方をすれば、色々考えたからこそこういう結論に
なったのであって、感情に没入するだけなら
この生活を続けたって一向に構いやしないのだ。

心底嫌になっていたら、鍵を棄てることにこれ程の意義を
感じないないだろうし、その前に女を棄てれば
それで済むことなのだ。

男は自分の行為を一つの儀式だとおもった。
決断しきれぬ自分の心を形の上で決めてしまおうと
思ったのだ。

30分位、川原に寝そべって、スッと立ちあがり、
鍵を力一杯投げた。
向こう岸にも届くかと思うような軌跡を描いたが、
失速したそれは実際のところ川幅の三分の一も
飛びはしなかった。

殆ど音もたてずに川底に沈んだ。
その波紋は、川の流れに押されて無きに等しかった。

彼は「凡そ現実なんてものはこの程度なんだ。自分の
意志一つでどうにでも成り得るんだ。」と思った。
落日が丁度鍵の落ちた辺りの川面を照らしていた。

…その夜、彼のアパートは真っ暗だった。
そして彼女の部屋では
「オィ、俺鍵どこかに失くしちゃったらしいんだ。
不便だから御前明日にでも合鍵作ってもらって来いよ。」
という男の声が聞こえてきた。

2005年4月20日水曜日

円急騰70円台突入~あれから10年~

10年前の1995年4月19日に円相場は、1US$79円75銭を記録した。
実際は、79円台での取引は続かず、瞬時に反転した。

その日のある夕刊紙の見出しがデカデカと『円急騰70円台突入』だった。
確かに79円75銭も70円台に違いないが、流石夕刊紙らしい扇情的な見出しに苦笑したものだ。
実際の記事を読めば、恐らくそれらしい専門家の意見として
『この円高傾向は続くだろう、年末には50円も視野に入れておくべきだ』なんて
書いてあったに 違いない(笑)

為替相場の中に身を置いていた私も、特に80円で円高トレンドが終焉するだろうとは思って
いなかったが・・・、というかどうなるかなんて全く予見不能だったというのが正直な所だ。

結果的にはこの日を境に、相場は反転する。
夏場にかけては、大蔵省国際金融局長、榊原英資氏が円安誘導を様々な形で行い
100円台を 回復する。
氏は、良くも悪くもそれまでの官僚とは全く違ったタイプ。
市場心理を読み、米当局者やヘッジファンドの雄ジョージ・ソロス等の人脈を活かし世界中の
ディーラー達を翻弄した。
で、ついたニックネームが‘ミスターYEN’、マスコミも榊原番と呼ばれる記者を配して
その発言を 競って配信した。

秋に定例で開かれたいた、本店(マドリード)でのチーフディーラーミーティングでも、
私の顔をみるとみんなが彼のことを話題にしたがった。
ドイツ人は‘サカギヴァラァ’と言い、スペイン人は‘ミスタージェン’と言っていた。

その後、円相場はややおとなしくなるが、97年、98年と円安が進み、
8月11日に147円64銭を 記録する。

80円でドルを買い、147円で売れば67円の為替差益。
米ドルと円の金利差による利息収入の差額も考えるとさらに利益は増す。

いや、別にそんな外貨投資は別としても、海外旅行を例にしても8万で買えるか、
15万近く必要かと言えば、こりゃエライ差になる。

2000年以降は、年間の値幅も20円無く、去年は13円、ことしに入っても値動きは乏しい。
ただ1985年にはあの有名なプラザ合意で、その後の持続的な円高のトレンドを生んだし、
1995年には80円の円高。
10年おきに、何か大きな出来事が起こっているが、今年はその2005年。
現役の為替ディーラーもタイトなレンジ相場を予想している人達が多いだろうが、
そういう時こそ、なにかとんでもない事が起こり易いとも言える。


私がディーラーになった頃は、ディーラーと言えば車屋さんと誤解されるのが寧ろ普通だった。
為替相場のニュースも余程の動きがなければ取り上げられず、今のように定時ニュースに
必ず相場情報コーナーがあるなんて、正に隔世の感がある。

元ディーラーがニュースを見聞きして気になるのが、円/ドル相場という言い方。
一応米ドルが基軸通貨だし、レートの表示方法から言ってもドル/円相場という方が適当。
上昇か下落を示す矢印の向きも、当然逆になる。

まあ、自国通貨を主役にしたい気持ちがわからんでもないが・・・。
慶応の学生は‘早慶戦’とは呼ばず‘慶早戦’と呼ぶのと同じ感覚。(←ケイソウだと変換不可

ところで、法政vs 慶応の場合、法政の人間は、やっぱり○○○○戦っていうのかな(笑)

2005年4月19日火曜日

さくら~それが逝っちゃおしまいだよ~

100メガだ、いや1ギガだと通信速度が高速化し、それが‘善’と見做される世の中にあって、
じわじわと西から東、南から北へとゆっくりとしかし確実に進行してくる‘桜前線’は
まるでダイヤルアップ時代の56kbのようで、ある意味キュートだ。

この北の街でも、桜のニュースが聞こえてくるようになった。

ただ、私は昔から余り桜が好きではなかった。

先ず、ソメイヨシノのあのぼんやりした曖昧な色が好きではなかった。
桜並木として群れをなせば、それなりの美しさを見せるが、ひとつの花そのものをじっくりみると
たいしたことはない。

散り際の潔さが礼賛されるのも気に入らない点だ。
悲しい歴史の流れに巻き込まれた犠牲者には申し訳ないが、どうしても戦時中を想起させる。



同期の桜

作詞:西條 八十
作曲:大村 能章


一、
貴様と俺とは同期の桜
同じ兵学校の庭に咲く
咲いた花なら散るのは覚悟
見事散りましょ国のため

五、
貴様と俺とは同期の桜
離れ離れに散ろうとも
花の都の靖国神社
春の梢(こずえ)に咲いて会おう



一番の歌詞は知っている人も多いだろうが、五番の歌詞は、私自身も今日はじめて知った。

この歌詞はなにかと興味深い。
いま、まさに問題になっている、中国や韓国の反日運動のひとつの要因である靖国神社が
出てくる。
そういえば、東京の桜の開花宣言の基準とされる標本木も確か靖国神社内にある筈だ。

>春の梢(こずえ)に咲いて会おう

この歌詞を見て、思い出すのはこれだ。

桜の樹の下には
梶井基次郎

 桜の樹の下には屍体が埋まっている!
 これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。


『桜の樹の下には屍体が埋まっている!』
この一文は有名だが、本人も31歳で夭逝している。

学生時代に初めて読んだ時は、一瞬ムムムと思ったが、直ぐに「単に奇を衒ってるな」と
冷たく反応したものだ。


年を重ねて、或いは病気をして、昔ほど桜を厭う自分はいない。
1年の時の経過を実感する意味ではそれなりに貴重な存在かも知れない。


ところで、25年前の今頃は入行した銀行の新人研修の真っ最中だった。
研修の打ち上げでは、「同期の桜」の歌詞を替えて(兵学校→○○銀行)
みんなで肩を組んで歌ったのを記憶している。

まさか、今でもやっていたりして・・・

2005年4月18日月曜日

情報リテラシー~集めた情報にてらし行動する力~

今は情報リテラシーという概念が存在するが、昔は情報のアンテナの高低を論じたものだ。
K君は情報のアンテナの高い人間だった。

今日、私の4月16日の日記にコメントを入れてくれたのが、その(未確認だが)K君だ。
彼は私の最初の転職先であるスイス系の銀行で同僚だった、
正確に言えば私の部下の1人だった。
約1年半後、私は米系に再び転職するが、その後彼も転職を模索した。
結局、同じグループ内の証券への転職を果たす。
その時相談を受けたりもしたが、彼の転職先のヘッドが私と都銀時代に
同期だった男だという縁もある。

結婚式にも呼ばれ、スピーチもした。
ナリポンの得意技の結婚式忌避用語てんこ盛りのスピーチで場内は爆笑。
新婦側の関係である有名な歌手も出席していたが、彼が私のスピーチを聞いて
「銀行員にしておくのは勿体ない」と言ったとか、言わなかったとか・・・。

私は相変わらず、『売った・買った』、『上がった・下がった』の極めて原始的なディーリングを
続けていたが、K君は所謂デリヴァティブと呼ばれる金融派生商品を含め、
最新の金融テクノロジーを身につけ成長していっていた。

顧客や機関投資家がらみで私もそのような商品に巻き込まれる事があったが、
恥ずかしくて訊けないような初歩的な事柄を含め、彼は私の貴重な‘知恵袋’として
快く教えてくれたものだ。

収入面でも私を軽く追い越していった、そういう意味では実にナイスな転職だったと言える。

仕事以外で彼との接点は所謂グルメ情報である。
いまでこそ、ネット情報を含めれば処理しきれない情報が氾濫しているが、
あの頃は情報も乏しかった。
陳腐化された名店情報に、山本益弘がひとり独自の斬りこみを入れて注目を集めていた頃だ。

あの時代でも、K君のグルメ情報は実に新しく、なおかつハズレが少ないものだった。
時間的なラグをおいてその後評判店になる新店や、逆に歴史があり名店の名に恥じない
実を伴った店の選択が実に上手かった。
全幅の信頼をおいていた私は、彼と二人で行く店は常に彼に任せた。

大阪出身の彼は当然ながら関西情報も豊富で、私が出かける際に尋ねると、
なんとも味のある店を紹介してくれた。
京都の「近為」や神戸の「青辰」等極めて印象深い店も彼の助言によるものだ。

彼は相場の世界でもグルメの世界でも情報のアンテナが極めて高かった。
仕事面で言えば、彼はより多くの市場参加者と話す事を心がけていたように思える。
より多くの人と話しをして、かつその情報を還流させて、新たな情報源となり、更に情報を収集する。
その中で、とるべきリスクを決断する手法だったように思える。

私は、逆に経済指標やニュース、チャートの分析を独りで行い、
決断する‘ひとりよがり’タイプだったかもしれない。

K君にこのブログの存在を知らせたのは1ヶ月前だが、初めて書き込んでくれたのが、
やはりグルメ情報だというのがなんとも彼らしい。
おまけに、その店はホリエモンも御用達ときているからまさに彼らしい。

でも、世間が騒ぎ始める頃にK君はきっとこう言うに違いない。
「あそこも良いけど、最近は込みすぎて・・・、だったら○△×にできた良い店が一軒あるんですよ。」

2005年4月17日日曜日

涙そうそう~ヴァージンロードを歩く新婦の父親~

それはナリタタイシンが皐月賞で勝った日だった。
上智大学のキャンパスで、イヤフォンを耳にナリポンは声には出さず、右手でガッツポーズ。
一番人気のウイニングチケットが4着に沈み、ナリタタイシン→ビワハヤヒデの2,3番人気の
組み合わせで、約13倍の馬券。
普段は、多点買いで有名な(笑)ナリポンも馬名の関係であの時は、絞り込んでの的中。

調べてみたら1993年4月18日のことだった。

その皐月賞が終了してからほどなくだった。

私の飲みダチだったR子ちゃんの結婚式が、新郎の出身大学である上智大学の
聖イグナチオ教会で挙行された。
本来は、4月の下旬に執り行われる筈だった式が、‘ある事情’の為に前倒しになったのだ。

その事情とは新婦の父親の健康状態だった。
癌に冒され末期段階にあった父親の主治医にこう言われたのだ。

「当初の予定日では微妙なので、出来るなら式を早めた方が良いでしょう」

その事情については、日程の変更の時にR子ちゃんから聞かされていた。

式の前に控え室で、椅子に座ったお父さんを見かけたが、その横には車椅子があった。

教会に移動し着席し、新郎・新婦の入堂を待った。

新郎に続き、新婦が入場。
なんとあの病気の父親が新婦の横に・・・

しっかりと娘と腕を組みゆっくりとゆっくりとヴァージンロードを歩いてくる。
よく見ると、エスコートするべき父親を娘が腕で支えるようにしている。
そもそもかなりの美人である新婦は、これまた一世一代のメイクアップ、レースのヴェールで美しい。

ただそれ以上に良い顔をしていたのは隣の父親だ。
緊張してしまう舞台にしては、実に穏やかで晴れがましい顔だ。
その顔を目にしていたら、私は思わず胸がいっぱいになってしまった。

無事に仕事を終え着席した父親の横顔は、満足感に満ちているように見えた。

『もう思い残す事はない』
言い過ぎかも知れないがそんな表情にも見えた。

R子ちゃんと飲んでいて、「もう一軒行こう」と誘うと時々
「今日はダメ、帰る」と言いながら、両手を眉にやり、その後人差し指で角の仕草をすることが
あった。

30歳の娘の帰りが遅い日が続くと、眉毛が太い父親は直ぐに鬼の形相になったらしい。
元気だった頃の顔は俳優の高松英郎に似ているとも言っていたような気がする。

ただし、私が実際にあの式で一度だけ見た彼の顔は、既に病魔に侵されそんなイメージとは
かけ離れたものだった。

残念ながら主治医の見立ては正しかった。
当初の予定された式の日を前に父親は逝ったのだ。

私はいまでもあのヴァージンロードを歩いていた父親の顔を覚えている。
一人娘の新婦の父親として、残された生が限りなく少ない死を前にした人間として、
‘最後の仕事’を一所懸命に遂げようとする強い意志、或いはその‘最後の仕事’に間に合った
喜びが顔に溢れていたからだ。

人妻になったR子ちゃんとも、時々飲みに行った。
何度か「あの時のオヤジさんは感動的だった」と私が熱く語っても、
「そうだよね~」と意外に気がない。

照れてそう言っているのかも知れないが、父親の真横に居た彼女は、
あの‘素晴らしい顔’を直接見ることが出来なかったせいかも知れない。

あれから12年、彼女は年下のダンナをしっかりとお尻に敷き(たぶん)、2児の母親をやっている。

そうそう、母親になった時、私に
「人妻とは飲みに行けても母親とは飲みに行けない」と言われたそうだ。

2005年4月16日土曜日

ナリポンの第二の母国はシンガポール

もう20年近く経つが、私はシンガポールに駐在していた。
当時、全社的にみて最年少の海外駐在ということで、社内誌からシンガポールでの仕事・生活ぶりに
ついて何か書いてくれと依頼された。

その原稿の最後に書いたことは、
「当地は常夏なので四季の味わいが無い。趣味の俳句の季語を見つけられずに閉口している。」
実際、学生時代の日記に俳句とも川柳ともいえない5・7・5を綴っていた時期があるが
とても趣味と呼べるほどのものではなかった。
(明らかに気取っていたし、ウケを狙っていた。)

そうして一番後に、不定形の短歌を作って載せた。

  ~赤き道
     吠ゆることなき
       らいおんの
         水にこそあれ
            星洲国~

これが予想外に国際部門のオジサマ達に好評で、面識の無い何人からも電話を貰ったのを
思い出す。

5年間も住んでいたから、第二の母国と言っても良い。
日本に帰国後、転職先でも無理矢理理由を作って、2回出張で訪れたことがあるが
以来15年間御無沙汰だ。

生きている間にもう一度行ってみたいな・・・(^。^)

海外旅行に堪えられるかかなり微妙な身体になってしまって、近場とはいえ、
飛行機の中の気圧感だとか閉所感が気になるし、気候的にシンガポールの暑さも難敵だ。

思い出いっぱいの土地で何をしたいかと言えば、ずばり『食』だ。
高級中華よりローカルフードを喰いたい。
接待で何度も喰った‘つばめの巣’なんて全然喰いたくない。

*カンコン・サンバル
*ハイナニーズ・チキンライス
*うまいティムサム
*チリ・クラブ
*スティームド・プローン

それでも、日本でも段々と味わえる機会が増えてきた。

カンコンとは実は空芯菜、日本での生産も始まって夏場を中心にスーパーで数百円で買えるようになった。
勿論、日本のモノはかなり味わいも違うが雰囲気は出ている。
以前、銀座の福臨門で一度食べたことがあるが、小盆でナント4千円、流石に美味かったが
値段が値段だ。

今日の昼飯は、自宅でミーゴレン。
‘やまや’という酒の量販店で去年見つけた210円のビン入りのミーゴレン・ペースト。
Who Hupというシンガポールの会社製造(実際はmade in Malaysia).
これが中々イケていて、独特の辛味とあの癖のあるニオイを再現できる。
夏場に我が家で仕込んである、グリーンチリの酢漬けのスライスを載せると、
もう気分は結構シンガポール。

逆に、単純なレシピのナシレマとかの方が再現できない。

2005年4月15日金曜日

くたばれレッド・ソックス~ファン心理(行動)と愛国心~

松井は4打数3安打、3打点、1スーパーキャッチと大活躍だったが、ヤンキースは敗れた。
5-5で迎えた8回裏、ボストンの攻撃、今シーズンリヴェラより信頼できるゴードンが打たれ、
結局3点奪われた。

問題はこの時に起こった。
ライトのシェフィールドがフェンス沿いの打球を追っている時、
スタンドのファンが手を出して邪魔をした。
怒ったシェフィールドは球をグラブにおさめたまま、この馬鹿観客に文句を言ってから返球した。

まあ、直ぐに投げても2得点されていただろうが・・・(-_-;)

そもそも今日のゲーム、ボストンは審判への抗議で監督と打撃コーチが退場処分になっていた。

9回表、先頭はそのシェフ、怒りの一打はグリーンモンスターの最上部直撃のダブル。
松井も冷静に四球を選ぶ。
結局、2アウト満塁になり代打シィエラ、役者としては十分にグランドスラムを期待できる。
が、ファウルフライで万事休す。

試合終了直後、今度は興奮したボストンファンが乱入して取り押さえられる。

松井は文句なしの働きを見せたが、試合後のナリポンは何故かガックシ。

実は今日の1戦はナリポン的には極めて重要だったのだ。

去年のポストシーズン、ヤンキースは3連勝のあとの4連敗、メンバーは変わったが開幕の3連戦で
2勝1敗、通算で5勝5敗のイーブン。
だから、この3連戦で決着をつけよう、と勝手なナリポン的解釈。
1勝1敗で迎えた今日のゲームにまさに勝負だったのだ。

脳天気に?松井の活躍を伝える日本のテレビ。
フジだけがこのシェフ騒ぎを伝えた。

で、例のMLB.TVで問題のシーンを再生。
段々とムカついてきたナリポンは、BostonのHPのフォーラムに行って何か書こうと思った。
既に、mlbのIDは持っていたが、フォーラムに登録後48時間経たないと書き込みができない、とのこと。

これで益々ナリポンの心は行き場を失う。

う~む、あの松井様でも前日の試合でチャンスに三振した後、FxxKと口にしたらしいから、
この俗人ナリポンは・・・

そこで、Yahoo! USAに行ってみた。
あるある、掲示板がある。
Yahoo! Message Boards 早速IDを取得。
HNはなんとomaira_kusodarake(←下品だね、冷静さを欠いているね)
お題はChimi Mouryou(←ホリエモンかよ)


Chimi Mouryou
by: omaira_kusodarake 04/14/05 11:02 pm
Msg: 122444 of 122527

Today’s game was just nice to prove that Sox fans and coaches don’t know how to behave themselves.

レスが付くかなと思っていたら、付きました、付きました。
そのうちの1人は、なんとChimi Mouryouをググって意味も知ってるいるぞと豪語。

でもそいつ、omaira_kusodarakeはググってないらしい・・・(^。^)

で、何を言いたいか。
‘There's always one idiot in the stands.’とジーターが試合後語っている。
シェフの守備を邪魔したボストンファン(キャップで確認済み)は確かに大馬鹿野郎だが、
それに頭に来て‘行動’を起こしたナリポンも程度こそ違うが似たようなもんだと言う事。

反日運動をしながらテレビのインタヴューに答えていた中国人、
『愛国のためなら何をやっても許される』

それは違いまっせ・・・<`ヘ´>

2005年4月14日木曜日

あなどれないゾ映画クレヨンしんちゃん~愛地球博より20世紀博?~

なんでまた突然こんな映画を観たかというと、2ちゃんの映画板にある「泣ける映画」の上位に
ランクインしていたからだ。

「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」

[ 内容 ] 制作年度:2001年
ある日、春日部で突然「20世紀博」というテーマパークが開催された。
 昔のテレビ番組や映画、暮らしなどを再現し、懐かしい世界にひたれる遊園地に大人たちは大喜び。でも、しんのすけをはじめとする子供たちには、ちっとも面白くない。毎日のように夢中になって遊びに行く大人たち…。
 そのうちにひろしは会社に行かなくなり、みさえは家事をやめ、しんのすけがひまわりの面倒をみる始末。実はこれは、“ケンちゃんチャコちゃん”をリーダーとするグループの、大人だけの楽しい世界を作って時間を止めてしまう、恐るべき“オトナ”帝国化計画だった!
 やがて大人たちは、「20世紀博」に行ったきり、帰ってこなくなってしまう。このままでは未来がなくなってしまう!そこで、しんのすけら“かすかべ防衛隊”のメンバーはオトナたちを取り戻すために、「20世紀博」へ乗り込んでいくことにする。しかし、そこにはもうすっかり子供に戻ってしまった親たちが楽しそうに遊んでいた。
 果たして“かすかべ防衛隊”は“ケンちゃんチャコちゃん”に勝てるのか!?そして、しんのすけはオトナたちを今の世界に取り戻し、未来を守ることができるのか!?

しんちゃんも「オトナもみなけりゃもったいないゾ!」と言っているが、
逆にこれはオトナじゃなきゃ良さが解らない映画かも知れない。

子供たちが言う。

「なつかしいってそんなにいいものなのかな。」
「やっぱりおとなにならなきゃわからないんじゃない。」


確かに子供たちには懐かしむ過去がまだ無い。

逆にオトナ達には懐かしむ昔がいっぱいある。
なんらかの閉塞感が漂う世の中になればなるほど、懐古趣味が台頭する。

バズが歌うケンとメリーの愛のスカイライン
スバル360軍団
トヨタ2000GT

ベッツイ&クリスの白い色は恋人の色

いやぁ、ツボを心得てますな。

ネタバレになるので詳細は省くが、ラストにかけては中々の盛り上がり。
流石に私は泣く事はなかったが、泣かせる映画ランキングに入るのも洒落ではなさそうだ。

ケンとチャコが率いる軍団‘イエスタディ・ワンス・モア’

ケンが渋くこう言う。

「夕焼けは人を振り返らせる。」
「昔はその時代のにおいがあった。」


実はチョットしたトリビアだが、このケンとチャコのモデルはジョン・レノンとオノ・ヨーコという説がある。

現在開催中の愛地球博、なんと一番人気は「となりのトトロ」の主人公の家を再現した
「サツキとメイの家」だそうだ。
木造2階建てで、井戸のある庭や五右衛門風呂、かまどのある台所など、
昭和30年代の暮らしを忠実に再現している。

厳しい入場制限が生んだ人気とも言えそうだが、時代の先端を見せる万博でこの現象はどうなのか。
汲み取り式便所や洗濯板を見てどうするのか。

江戸東京博物館で十分なような気もするが・・・(-_-;)

「となりのトトロ」というより「みんなのレトロ」?

さてここで、私には大いなる疑問がある。
30年後、この愛知博が開催されている‘現在’を懐かしむ事をテーマにした映画を
作ろうとする人がいるだろうか。

ちっとも、においのしない‘現在’が30年後には、憧憬の対象になるような魅力あるにおいを
発することがあるのだろうか。

それとも、そのにおいを感じ取れる感性は、やはり今青春を生きている人々に限定されるのだろうか。

2005年4月13日水曜日

基本はツーショットでカウンター

ナリポンがまだ元気で、飲みに行っていた頃の基本。
相手が異性なら勿論、同性であってもツーショットが基本。

つまり二人で話して堪えられる人間であることが大事。
所謂‘さしで話ができる’相手を選ぶ。
まあ、私は話題に困るタイプではないがそれでも間が持たない相手もいる。
逆に、気の合う人間とは深夜、明け方まで話しこんでも楽しいし、時間の長さを感じない。

複数での会話は、時に流れで変な方向に進む事がある。
誰かが、ああ言ったからと言って、本当はそうは思ってないのに‘そうだよねぇ’とか言ってしまったり、
参加したくない話題にはほうかむりしたり・・・。

その点、‘さしの会話’はある意味容赦ない。
その容赦の無さが、逆に真実に近づくような気がする。
長く付き合える奴かどうかが判り易い。

そのツーショットに相応しい場所は、カウンター席というのがナリポンの持論だ。
お互いが向かい合うテーブル席だと、文字通り対峙し合って‘さしの会話’が敵対的になる可能性がある。
それがカウンター席だと‘on the same side’と言うか、いつでも肩を組めるような、
何か仲間意識が生じる。

あと、フレンチやイタ飯の場合だと、テーブルが結構大きくて、かつ店の喧騒のせいで、
お互いに話している内容が聞きづらく、更に大声で話さなくてはならない時がある。

「な~に?聞こえない」
「だから・・・」
「えっ?」
「だ・か・ら・・・」
「えっ??」
「もう、いいよ」

なんて、話の本質とは違うところで変な雰囲気になってしまうこともある。
お互い、よく知っている間柄ならまだしも、つきあいが浅い段階でこの陥穽に落ちると
修復に結構な努力が要る。
その点、カウンター席だと相手の耳元で話せるので、この心配はない。

さらにカウンター席のメリットはある。
テーブル席で店の人間を用事もなく留めておく事はできない。
不必要に留めておく事は、即ち彼(女)等の仕事の邪魔をしていることになる。
が、カウンター席は別だ。
カウンターの中で仕事をしている人間は、そここそがまさに仕事場であり定位置。
出された料理に関して話をするのも極自然だ。

「この活烏賊はどこですか?下北?」
「えぇ、そうです」
「やっぱり、これって輸送技術の進歩の賜物ですよね」
「お客さん、よくご存知ですね」

なんてね。

バーカウンターだと、中のバーテンダーと酒以外の話に及んだりする。

こういう風に、カウンターの中の人間を巻き込む事によって、
面白い‘三角関係’を形成することができる。
しかも、その関係のオン・オフは自在にできる。

最後にもうひとつ、これはナリポン固有の問題だが・・・(>_<)
プロフに使わせてもらっている、ばんばひろふみ氏には申し訳ないが、
ナリポンの顔は彼の顔に酷似しているというか、あれをさらに少し悪くした感じだ。

女性のみなさん、
そんな顔が、対面するテーブル席で、貴女の真正面にあったらどうします?

見ない方がいいし、見せない方が良いに決まってますよね・・・(-_-;)

だから、カウンター席。

でも、だからと言って横顔に問題が無いかと言えば勿論あるんですけどね・・・(>_<)

2005年4月11日月曜日

ナマがいいですぅ~~!!

って何の話?

なんか色んなこと考えてますか?

ナリポン的には、ナマと言えばスポーツ観戦のこと。

それが後から何度観ても、感激の場面、例えば、ジョホール・バルの岡野の決勝ゴールシーンで
あっても、あのゲームをライブで観ていた時に味わった興奮には及ばない。

録画しておいて、結果を知らないモノであっても実は既に結果が出ているモノだと思うと
何故かいまいち乗り切れない。

ナリポンのナマ好きは健全な肉体を持っていた頃からのもので、長野オリンピックのジャンプ団体は、
平日の午前中に行われたが、わざわざハーフディ・オフを取って観戦したものだ。

散々ハラハラさせられて、
あの実況の『高くて、高くて、高くて、高くて行ったっーー!』も
原田の『ふなきぃー』もライブで味わった。

会社の連中も、ディーリングルームには情報ベンダーがあるから、優勝をいち早く知りえただろうが、
私の味わった満足感とは比べ物にならない。

今は、不健全な肉体の代償で、体調にもよるが一年中自由な時間を満喫できる。

そんな私が、ヤンキースの試合をテレビ中継が無いからと言ってライブでの観戦を諦める訳にはいかない。

昔は、イチローのマリナーズを軸にして日本人投手の試合をNHKが放送するだけで良かったが、
松井が加わり、更にメジャーリーガー増えて、ヤンキース戦のカバー率も下がってきた。

当地は地上波でTBS系が無いために、ケーブルテレビでカバーする。
すると、スカパーに加入するのもいまいち乗らない。

そこで、登場するのが、MLB.TVだ。

去年は、MLB.comにあるGamedayという文字実況と偶には2ちゃんの実況板で楽しんでいたが、
今年は早々にこのTVに加入した。

しかし、日本は放映権を保護する意味でLIVEは視聴できないようにする
LIVE BLACKOUT RESTRICTIONSの対象になっている。

試合終了後程無く、Videoを観る事はできる。
あと、今年の今までの試合もArchiveから自由に観る事ができる。

但し、肝心のナマは観る事はできない。

なんだ、じゃあ(-_-;)イラネ!

実は裏技があるのである。

その裏技を使うことが法的に或いはモラル的にどうかというと難しい。
従って、その裏技をここで公開することはできない。
但し、ヒントを与えることぐらいはできる。

実際、私もググってその裏技を知ることができた訳だが・・・。

‘MLB.TV’‘見聞録’でググってみよう。

あとキーワードとして必要なのがプロキシ(Proxy)
http://www.cybersyndrome.net/
が親切でかつ実用的だと思う。

明日のボストン戦もNHKは録画。
実際の試合開始は日本時間の朝4:05だ。

***ご利用は飽く迄も自己責任でお願いします。***

ところで「めっちゃ悔しぃ~!!金がいいですぅ~!!」の名言で瞬間的に(笑)有名になった田島寧子、
ナリポンはラーメンを食いに行った時、練馬区役所に凱旋訪問しに来ていた彼女と遭遇したことがある。

女優を目指すと言いながら、ちっとも見かけないのだが・・・(>_<)

2005年4月10日日曜日

さくらとイチロー

今日も、スポーツ観戦ミーハーのナリポンらしい一日。
夜中の2時からは、先日購入したMLB.TVでヤンキース戦を観戦。
松井には珍しい、イチローチックな幸運なグランドルール・ダブルで同点に追いつき、
鉄人28号ルーベン・シィエラの勝ち越し3ランで逆転勝利。

前のゲームでは、第3号HRを放った松井だがチームは大敗していたので気分は晴れずだった。
今日は、R.ジョンソンの先発ながら4点のリードを許すも、それをひっくり返しての勝利。
松井はこのラッキーな2塁打一本だったが、貴重な同点打。

MLB.TVが放送後に選ぶPlay of the Gameも何故かこのダブルが選ばれていた。

野茂君が復活の投球をしている間は、グッスリzzzz

昼過ぎに起きて、昼飯を喰って、録画放送のシアトル戦(結果は承知済み)をチラッと観て、
長谷川君に同情。

4時からは、女子ゴルフ。
宮里藍の逆転勝利を応援するも、及ばず、元祖天才ゴルファーの服部道子が優勝。
パンツルックの服部は減量したのか、一時に比べてかなりスッキリ見えた。
初日から2日間首位にいた横峯さくらは79をたたいて3位に終わり、ツアー初優勝はならず。

で、一体何が、さくらとイチローなのか。

その昔、ON時代と言われた頃、野球ファンの間では、王派と長嶋派がいた。
俗に言う、記録に残る王、記憶に残る長嶋の構図だ。

私は自他共に認める超熱狂的な長嶋派だった。
ただ長嶋茂雄を愛していれば良いのに、世間の注目が王に集まり、一方で、長嶋の衰えを嘆く声が
出てくると、妙な心理作用が働き、段々とアンチ王になっていった。

『王は偉大だが感動は与えない』とか言い始める。

『両雄並び立たず』というのが当事者のみならず、ファンである私の心理にも働いてしまうのだ。

同様の事が、松井秀喜vsイチローにも当てはまる。
イチローがメジャーに移籍をした頃は、素直に彼の活躍を応援していたのに、
松井がメジャーリーガーに加わってからは、段々と歪んでいった。
スポーツニュースでの二人の扱い方とかが気になり始め、何か不満があると苛立つようになった。

特に昨シーズン、イチローの最多安打に関する報道が過熱化した時は不機嫌だった。

あわや100敗するチームで、内野ゴロをヒットにしてるだけじゃん・・・(-_-;)

松井君は頂点にたたんとするチームで主軸を見事に演じているよ・・・(^。^)

実際の感情としても、いくらイチローがヒットを重ねても

へー、すごいね、んで、何か?・・・(・へ・)

って感じなのが、松井がクラッチヒットを打つとそれがその試合1本だけでも

キター━━━━━━(?∀?)━━━━━━ !!

と胸が熱くなる。

これと似た感情が、女子ゴルフの藍ちゃんとさくらにも少しだがある。
まあ、松井とは比べものにならないほど私のファン歴も浅いし、さくらなんてそんなに良く知らないが・・・。
藍とさくらを恰も同列視し、さくらのオヤジを絡めて、報道が過熱すると完全に白けてしまう。

まあ、幸いなのは、他のジャンルに関しては、不思議とこのような感情は余り無く、
「それもあり」といった寛容なスタンスをとれることだ。

2005年4月9日土曜日

野村死すとも名画は死なず~『砂の器』~

映画監督の野村芳太郎氏が85歳で亡くなった。

彼の作品『砂の器』はナリポンの邦画ベスト3に確実に入る。

初上映された頃、私は学生で年間100本近い映画を観ていたが殆どは洋画であった。
松本清張は石川達三と並んで当事の好きな作家だったのと、映画評もベタ誉めだったので、
珍しく名画座ではなく邦画を観に行ったのである。

ちょうど、長嶋茂雄が現役を引退し、涙も涸れていた頃だが、この映画は素直に泣けた。

あれから30年、もう何十回観ただろうか、そしてその都度必ず泣かされた。
実は、今日日記に書こうと思い、ヤンキース戦のあと再び観た。
で、やっぱり泣けた。

全編143分の映画だが、最初の約90分とその後では構成がまるで違う。
前半は事件の真相を追う、丹波哲郎(今西刑事)が日本全国を駆け回る。

後半がこの映画の醍醐味だ。
よく言われることだが、後半は人形浄瑠璃の手法を採用している。

捜査会議で情感を込めて語る丹波が浄瑠璃語り、加藤剛演じる和賀英良が三味線弾き、
加藤嘉 (本浦千代吉)春田和秀 (本浦秀夫)親子が人形役。

この3つの役がみごとに噛み合っているが、人形役の二人が出色だ。

放浪を続ける親子のシーンは、四季を描くために実際に1年を費やしたといわれる。
各地でこの親子が虐待を受ける場面を、音楽「宿命」が盛り上げる。
人形役の二人は殆ど台詞がない。
息子は眼差しですべての表情を表し、父親も限られた言葉が故に逆にその言葉が重い。

本浦千代吉が施設に収容されるために、馬の轢く荷車にのせられて駐在所の前を通る。
秀夫がそれをじっと見つめている、そして終には、父親のいる駅を目指して懸命に走る。
抱き合う親子を見て、緒方拳(三木巡査)が帽子をかぶりなおす。
バックには、哀・哀・哀の音楽。

ナリポン的ベストシーンというかクライマックスは今西が生存していた本浦千代吉に面会にいき、
成長した秀夫、即ち和賀英良の写真を見せる場面だ。

うめき声というか嗚咽の後に、千代吉が言う一言。
『そ、そ、そんなしと、すらねぇぇ』

丹波哲郎も霊界を知る前(笑)で、見事な演技をしている。
若い刑事役で出ている、森田健作も例の「よしかわくぅ~ん」調の裏返った声で好演している。
千葉知事選の前に、この砂の器を見せたら、6千票くらい簡単にひっくり返っていたかも(笑)

ところで、捜査一課長の内藤武敏が、和賀の人生を「じゅんぷうまんぽ」と言うのはわざとか・・・(^。^)

「えっ、砂の器?知ってるわよ。中居君がやったやつでしょ。」
と言う人には、是非一度この30年前の一流の映画を観て頂きたい。

2005年4月8日金曜日

アホとヴァカ~スペイン語では・・・~

その昔、英語のkennelが犬小屋という意味だと分かった時は、
この単語は一生忘れないだろうと思ったことがある。

日本語のある単語の発音が他国の言語では、全く別の意味を持つことがある。

タイトルにあげたスペイン語のアホ(ajo)はニンニク、ヴァカ(vaca)は牡牛の意味になる。

アホヴァカと言っても、ガーリックステーキにならないだろうが・・・(>_<)

あとシモネタになるが、カガ(caga)はうんこをする、マリコ(maricon)はオカマ。
だから、「加賀まりこ」というと、大変な意味になってしまう(笑)

でも、イタリア語も負けてはいない(笑)

同じく、シモネタになると結構有名な話だが、イタリア語でカツオ(cazzo)はペニスのこと。
チンチン(cin cin)はイタリア語で乾杯!の意味。
このチンチンの話はイタリア人でも知っている人も多いような気がする。
私が知っているイタリア人は殆どが知っていた。
知らない人がいても、会話のきっかけとしては使える。

シンガポールにいた頃の話としてはこんなのがある。
日本人が会話でよく使う、「はい、どうも」
これが中国語(多分広東語?)では、ハイ(女性のあそこ)ドウ(多い)モウ(毛)ということになるらしい。

日本の企業に勤めていたら、一日何回耳にするか分からないよな・・・(^。^)

チバという発音もヤヴァイ。
為替取引で売買の相手がChiba Bankだった時、アシスタントの女の子が
顔を真っ赤にしていたのを覚えている。

そう言えば、テレビでユンソナが言っていたが、「もっこり」は韓国語ではネックレスの意味になるとのこと。

「ワタシ、モッコリダイスキデス」・・・(@_@;)

何れにしても、世界中、この種の話でもシモネタの伝播力は強力だね・・・(^。^)

2005年4月3日日曜日

ESTな生活

そのむかし、ディーラー時代アメリカの雇用統計の発表を前にアドレナリンが体内に溢れたように、
ESTに沿った生活が愈々始まる。

いきなり因縁のボストン戦。
ピッチャーはランディ・ジョンソン対ウエルズ。

Hideki Matsuiが世界の頂点を目指し、始動する。



C'est la vie.