2008年7月8日火曜日

イエスとノー、その二つの間には何もないのだろうか~二階堂のCM‘文字のかけら’が心に沁みる~

何ということだろう。
折角ヤンキースが連勝し、それも2試合ともドラマティックと呼べる終わり方をしたのに、
ブログの更新を怠ってしまった。

厳しく出席も取り絶対落とせない必修科目の授業をサボった感じだ。
或いは、大切な人との待ち合わせを何を思ってかすっぽかしてしまったイメージだ。

気持ちが宙ぶらりんで、書く気力が湧かなかった・・・(-_-;)

大分の麦焼酎に二階堂というのがある。
飲んだことはなくても、ここのテレビCMは知っている人が多いのではないか。
私はここの一連のテレビCMが気に入っていて、2005年10月にもブログで取り上げている。

大分むぎ焼酎二階堂の詩情100%のCMに酔う

学生の頃、真剣にコピーライターになりたいと考えていた私にとっては、
この二階堂が発する‘言葉の群’はまさに‘理想の仕事’と言ってもいいかもしれない。
30年前の良きサントリーのCMを彷彿とさせる。
いや、別に今のCMが劣っているという意味ではなく、単に私の好き嫌いの問題だ。

今流れているのは‘文字のかけら’篇だ。

イエスとノー。
その二つの間には、
何もないのだろうか。
筆を走らせたのは、
宙ぶらりんの想いでした。
想いのかけらは朽ちることなく、
ざわざわと心を揺らします。


ここをクリックするとYouTubeで実際のCM映像が見られる。
コピーも素晴らしいが絵も音楽もナレーターの声も正統派だ。

このCMは会社の発表では2007年バージョンとしているが、私が初めて目にしたのがいつかは忘れた。
もう楽に100回以上は見ていたと思う。
見る回数が増えると鮮度を失っていくのが世の常だが、
最近になってこのCMがより鮮やかに心に沁みるようになった。
受け手の私の心境の変化によって、そもそも絶対的な価値のある作品が、
相対的に輝きを増しているのだと思う。

ナレーションの他に映像に字幕で現れるコピーもある。
‘時代という言葉が少し耳ざわりです。’

なんとも耳に心地よい言葉ではないか・・・(^。^)

ついでに2006年の‘未知の力’篇も久しぶりに見てみた。

逆らいながら
奪われて…
流されながら
見失う。
誰もがその戸惑いの
中から学ぶのだ。
ああ、
本当の私に
帰っていきます。


YouTubeはここ
字幕のコピーは
‘そこから未知の力が湧き出している。’

このCMだって過去に何度も見たのに、今こうして改めて言葉をかみしめると極めて味わい深い。

好きな音楽もそうだが、その時々の聴き手の心の在り処に応じて変化する。
そして、残念なことだが、多くの場合人は弱った時に感動しやすい繊細さを増す。

今の私を繊細にさせているのは勿論‘あの男’だ。
繊細というよりは意識過剰といった方がいいかもしれない。

>イエスとノー、その二つの間には何もないのだろうか

これが‘あの男’の今後の選手生命について問いかけ、
嘆いている自分の声のように聞こえてしまうのだ。

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