2005年10月29日土曜日

大分むぎ焼酎二階堂の詩情100%のCMに酔う

大分むぎ焼酎二階堂と聞いても、或いはピンと来ない人も居るだろうが
あそこがやっているテレビCMを見たことのある人は多いだろう。

最近新しく‘砂丘の図書館’が始まった。

プロ野球中継の時に流れる事が多いような気がするが、
このCMのシリーズは大好きだ。

私は大学を卒業して都銀に就職してしまった。
結果的には、ディーラーなどという銀行員イメージとはかけ離れた業務に専念できたから、
後悔はしていないが、本当の志望は電通、博報堂、集英社だった。

ただ私の時代の就職活動は、マスコミや広告代理店は一般企業より1ヶ月遅れていて、
銀行の内定を蹴ってまでの決心が最終的につかなかったのだ。
電通がその年から、製作部門と営業部門を分けずに採用するとしたことも
踏ん切りがつかなかった理由だ。

私は、飽くまでもコピーライター希望だった。
‘ペンをパンにかえる’と言う夢を最も世俗的に叶える方法だと思っていた。

サントリーの宣伝部という手もあったが、予め宣伝部を目指すという採用はしていなかった。

あの頃のサントリーの宣伝は大好きだった。
いまでも、各種の広告で賞をもらっているようだが、当時の広告はもっとオーソドックスで、
文学的な響きや映像的な美しさを全面に出していたような気がする。

大好きだったあの頃のサントリーのCMのテイストを踏襲しているのが、
この二階堂のCMではないだろうか。

二階堂のHPにいくと過去のTV-CMライブラリーが見られる。

ナレーションの他に撮影場所の詳細も判る。
過去の19作品を一部カットして繋げてみると、こんな感じになる。


風の気持ちも、光の想いも、知っている
すべてが隙間なく、私の心に重なり合う
街は今日も、ふるさとの夢を見ているのか…?

海から抜け出した魚たちが、今夜帰ってくる
大地の上で、彼らは一体、どんな夢を見たのだろう
聞こえてくるのは、魚たちの夢の話

この星が生まれたばかりの頃
鳥たちはここで翔ぶことを学び
風は歌うことを学んだ
ここで生まれて、ここにいる…

風の道を辿って、旅は始まる
忘れていた夢に出会い、見知らぬ刻(とき)に触れる
私の旅は、終わりのない旅かもしれない
風の道が、私の道

東にいれば、西へゆきたい。春が来れば、冬が恋しい
いたずらがんこに、生きてゆく
そんな時代がありました
誰にも似ていない、誰にも辿れない

その呟きは、やがて街に温もりを宿し
ため息は、懐かしい時間を映し出す
風が、描く
刻(とき)を、描く
私は、おいしい風を知っています

幾千、幾万光年の彼方から、星たちは
どんなメッセージを伝えようとしていたのだろう
満天の星が、今宵も天文詩人たちを悩ませる
いつも、新しい輝きと、新しい生命(いのち)

探していた想い出に、人は、どこで追いつけるのだろう?
人はみな、帰るべき刻(とき)があり、辿りつく夢がある
夢から覚めて、ここにいる

風追い街、誘われ道
置き去りにされた刻(とき)の迷路で、物語は今も続いている
私の住処(すみか)は、ここにあります

生まれたばかりの風が、窓から飛び込んでくる
旅人のほろ苦い後悔は、やがて美味しい溜め息に解きほぐされていく

確かな言葉は、誰も、持っていませんでした
海 渡る。風 渡る
懐かしさは、不思議な力を持っています

刻(とき)の我侭に流されて、私は、記憶の海に辿りつく
ふるさとは、私の中に流れています

私の記憶に、いつも後姿で現れる人がいる
あの頃、あなたが口にしなかったことばに
いつか私は、たどり着くのだろうか…?

錆びついていた時計が、再び時を刻みはじめた
縺(もつ)れた糸はほどけ出し、古びた迷路は、ひとすじの道になる

水平線をひいたのは、空があまりにも空だったから
夜空に星をまいたのは、地球という星を忘れそうだったから
私は、私のままでここにいる

「夢を持て」と励まされ、「夢を見るな」と笑われる
ふくらんで、やぶれて、近づいて、遠ざかって…
今日も、夢の中で目を覚ます


映像もどこか‘3丁目の夕日’チックなノスタルジーがある。

‘ニュー・シネマ・パラダイス’チックなBGMも人気で、問い合わせが多数あるらしいが、
CM用に作った1分程度の音楽で発売されてはいないそうだ。

CMがいい感じだから、即売り上げに通じるかは別問題だ。

二階堂は焼酎のボトルキープが走りの頃、仲間に付き合わされて‘吉四六’を飲んでいたが、
サントリーのモルツは最も嫌いな国産ビールだ。

ショーケンが昔、和久井映見とCMで‘うまいんだな、これが’とやっていたが、
ナリポンは‘うまいんだな、CMは’と揶揄していた。

0 件のコメント: