2009年12月15日火曜日

松井秀喜がNYYからLAAへ~こんなに偉大な‘一巻の終わり’は無い、あとは二巻目に期待しよう~

来季の松井秀喜はエンジェルスでプレイすることになった。

ヤンキースが9年振りにワールドチャンピオンになり、松井秀喜がその立役者として
WSのMVPになった直後のニューヨーク・ディリーニューズの記事を思い出す。

もしこれでマツイがヤンキースを離れるようなことがあったら、NFLのJohn Elway以来の
‘the greatest exit’になるだろうと書いていた。
この人物がどんな選手かどうか知らなかったが調べてみて何となくその意味がわかった。

何れにせよこの記者がMLBとともに国民的スポーツであるNFLを含めて、
松井秀喜の去り方は歴史的なものだと認識していることに意義がある。

これぞ松井秀喜の偉大なる‘一巻の終わり’なのだ・・・(^。^)

一巻の終わりの本来の意味はネガティヴなものだが、敢えてそれを意図的に‘誤用’するのは、
松井秀喜には二巻目があると信じているからだ。

ヤンキーとしてワールド・チャンピオンになる悲願を達成し、
自らもMVPのタイトルを手にする第一巻の結末は完璧だった。
松井自身はヤンキース残留を果たし2連覇を果たす形で第一巻が続くことを願っていた。
しかしヤンキースは当初のチーム編成の構想を崩すことなく、
DH専任の松井に対しての熱意を示さなかった。

そこで登場したのが、名実ともに名将ソーシアが率いるエンジェルスだった。
他にもホワイトソックス、アスレチックスあたりの名前が挙がっていたが、
エンジェルスという選択はチームの能力を勘案するとベストだ。
松井が打ってもチームが勝てなければファンとしても満たされない。
松井のWS変則2連覇、連続MVPのチャンスも期待できる。

単年契約、年俸半減というのを屈辱的と見る向きもあるが、そもそもプロならば1年勝負。
再びチームメイトになるアブレイユの良い見本もある。

松井のLAA入りを伝えるNY紙を読むと、過去7年間の功績を大いに讃えたうえで、
今回の判断はヤンキースにとっても妥当だとする大人の論理が目立った。

但し、ファンの書き込みは一味違った。
マツイがいなくなることを心から悲しみ惜しむ声、GMの判断ミスと激怒する声、
残念に思いながらも今までの貢献に感謝し今後の活躍を祈る優しい声。

正直、読みながら胸が熱くなり堪らなくなった。

確かに本人が残留を希望していながら、ヤンキースでも条件提示できそうな単年、低年俸で
他チームに持って行かれると突然勿体ないと感じる面もあるだろう。

水面下でどういう遣り取りがあったかわからないが、ヤンキースの正式オファーが明らかになる前に
決断したのはより多くのゲームに出場したいという意向を優先させたのだろうか。
妙な駆け引きに使わなかったのはLAAへの敬意とも考えられ松井らしく好感が持てる。

一方エンジェルスのファンの反応はやや微妙で大歓迎という感じでもなさそうだ。
フィギンズが抜け、ラッキーも獲られて苛立っているせいもあるし、
何だかんだで人気のあったゲレーロの影響もあるかもしれない。
それは仕方がないことで、今後実戦で信頼を勝ち取っていくしかない。

2010年4月13日、ヤンキースタジアムの開幕戦は何の因果かエンジェルス戦だ。
試合前にはチャンピオンリングの贈呈式も行われる筈だ。

これを単なる偶然と考えるのか。
私には松井秀喜の一巻から二巻への引き継ぎの儀式となる‘必然’のような気がしてならない。

敵のユニフォームを着た松井秀喜に対してヤンキースファンからスタンディング・オベーション、
期せずして蘇るMVPコール。

これはさすがに夢を見すぎのシナリオか・・・(>_<)

ヤンキースは失った松井の‘非存在による存在感’を味わい、
エンジェルスは獲得した松井の‘存在感’を味わう。
そんな試合展開になれば美しいが別に焦ることは無い。
ファンとしてはまた1シーズン松井秀喜を堪能できる、これが大事なことなのだ。

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