2008年2月1日金曜日

確定できないリスクへの怯えと苛立ち~‘仮定の医学’で膨らむ妄想~

今や誰でも知っているサブプライムローン問題、私が去年この言葉を初めて知った時
その深刻さは容易に予想できた。

単純なローンであれば貸し手と借り手の問題に止まるから
ローン残高以上の損失問題にはならない筈だ。
それがサブプライムの場合はそのローンが切り刻まれて証券化されて世界中に拡散した。

サブプライムローンが‘癌’だとすると証券化によって様々なところに‘転移’しているのだ。

腐った果実が箱の中に一つだけ入っているだけで全体が腐乱する可能性がある。
癌でいうところの浸潤の度合いが分らないのと似ている。

確定できないリスクほど厄介なものは無い。
リスクがロスとして確定できればそれ自体は悲劇的だが問題に終止符を打つことは出来る。

ポリープが見つかった後の私の心境も同じだった。
私の大腸ポリープは癌化しているのか、その場合どの程度深刻なのだろうか。

いち早くリスクを確定させたい気持ちが強くても現実は甘くない。

入院・手術のスケジュールがまったく見えないのだ。
最短で1ヶ月、3ヶ月後になる可能性もあると言われた。
執拗に早期の手術をお願いしても‘何なら他の病院を紹介しますよ’とつれない。

リスクは発見されたがその計量化の目処が立たない。
これは苛立つ。
体内に死に至らしめる物が存在するかもしれないことが分かっているのにそれを除去できない。
これも苛立つ。

Xディをひたすら待つだけの毎日。
おまけに仕事もなく、MLB観戦もなく、ブログも書かない1日は実に長い。

有り余る時間を利用して要らぬ思いを巡らしてしまう。

昔はまるでバイブルのように一家に一冊あった‘家庭の医学’
ケチって10何年も前のヴァージョンを読むと、医学の現場とは微妙なズレもあった筈だ。

それが今ではネット社会の恩恵で極めて新鮮な情報を簡単に得ることができる。

熱心に勉強すれば医者を凌駕する‘耳学問’を修得することも夢ではない。

私も調べまくった。
調べながら‘もし・・・ならば’と色々なケースを妄想する。

これが所謂ひとつの‘仮定の医学’ってやつだね・・・(>_<)

ここでは個人の性格が色濃く出る。

ディーラー時代もそうだったが何か悪いことが起こると、考え得るワースト・シナリオを描き、
ワーストからワースへ改善させて行くのが‘ナリポン主義(Nariponism)’だ。

但し相場の場合は所詮お金の損得勘定だから、将来挽回することは十分可能だ。

‘悪性新生物’の場合のワースト・シナリオは挽回不能の悲劇が待っている。

友人、知人の中に50~54歳で癌が原因で逝った人を4人知っているが
全員が発覚後半年前後というスピードだった。

急性心筋梗塞の時は激しい胸痛はあったものの救急車で搬送され、集中治療室へ一直線。
リスク発生直後に然るべきリスク対応がなされた。
病気について調べる暇もなければ要らぬ妄想に悩まされることもなかった。

病気の持つリスクが違うと言えばそれまでだが、
病院からは何の音沙汰も無いままに年末を迎えた。

                
(続く)

0 件のコメント: