私が20年間身を置いた金融業界を離れて8年が経った。
家では日経新聞の購読もやめた。
会社で読むことがルーティンとなっていたFinancial TimesやWall Street Journal、
或いは高価な情報料を払っていたReutersも、今や簡単にネットで記事を読むことができるのに
アクセスすることは少なかった。
そんな私が昨日から必死に色々な情報を集めた。
日本の一般ニュースでもトップで伝えられたが、リーマン・ブラザーズの破綻、メリル・リンチの買収、
AIGの資金繰り難に関してのものだ。
2001年の9.11でWTCが崩壊する時に味わったものと似た感覚があった。
WTCはまさにアメリカの金融関係者にとって象徴的な構造物だった。
それがテロにより破壊された。
私の知っている5人の人間が命を奪われた。
歴史に残る悲劇的事件だった。
そして今回アメリカの或いは全世界の金融界にとって新たな悲劇が生まれた。
歴史も長く大手の一角のリーマンが何らかの形で救済されるだろうと思っていたが‘No rescue’だった。
現地ではこの9.14を早速‘Bloody Sunday’と名付けた。
だが個人的にはこの悲劇は自ら招いたものとすべき部分も多いと考える。
今回の悲劇を招いたのはいわゆるサブプライムローン問題の深刻化だ。
この‘サブプライム菌’は世界中にばら撒かれたが、ばら撒いたのは彼ら自身だった。
サブプライムとは何のことは無い、今の日本語で言えば‘下流層’だ。
マスコミは‘低所得者向けローン’と言い直すがこれは‘美辞麗句’に過ぎない。
単に返済能力の無い人々に金を貸したのだ。
不動産価値の上昇を前提にした‘試算’を裏付けに担保しているが、
借り手の収入にはまったく見合ってない。
おまけに最初の数年は返済額が著しく少ない‘ゆとりローン’にしている。
すべては右肩上がりを大前提にしているのだ。
本来リスクの高いローンも様々な方法でその信用を‘偽装’して、証券化された。
恐らく相当な人気商品だったのだろう。
‘信用偽装マネー’は世界を席巻した。
自分で投資判断できない投資家も人気に釣られて購入したかもしれない。
但し‘サブプライム菌’が少しでも入っていれば腐る。
投資銀行はデリバティブを利用し金融テクノロジーを駆使して、
この手の商品開発を行うことで莫大な収益を上げる。
デリバティブ(derivative)は、これまたワンパターンで‘金融派生商品’と訳される。
‘派生’するためには本来の商品が存在するのだが、今やその量的な立場は劇的に逆転している。
一本の木に無数の枝が伸び、数えきれない葉っぱのせいで、木が見えなくなる。
幹が腐っていたら実も実らない。
古典的な金融の最大の機能は信用創造だ。
しかし、今の金融は古典的な創造方法には飽き足らないらしい。
その開発能力やスキルの優劣が金融機関の優劣と看做され、
個人レヴェルでもその優劣によって収入が決まる。
時には顧客を巻き込んで損をさせても自分たちが儲かればG.J.とされる哲学さえ感じられる。
小泉政権下の竹中平蔵は日本の金融の劣後を批判し、米系の投資銀行、証券を礼賛していた。
アメリカナイズされた市場原理を尊重し‘競争力の無い会社は市場から退場していただく’が口癖だった。
今回はあいつの言う通りになったな・・・(^。^)
私が古いタイプのディーリングしか経験していないせいか、或いは現場を離れて岡目八目的に
なったせいか、今回の悲劇は虚業化した金融業界の自業自得と考えてしまう。
かつての5大証券の内の3社の名前がこの短期間に消えた。
Wall Streetの‘壁’が壊れている感じだ。
金融不安を望む気は一切ないが、リーマンの救済にtaxpayers moneyを使わなかった意義はある。
だって連中は自分たちの金儲けのために勝手に商品を開発、販売して、儲かればみんなで山分け、
やばくなったから金融不安を人質に救済してくれじゃ、どう見てもアンフェアだろう。
私が現役時代、何桁も違うインセンティヴ・ボーナスの話は色々と聞こえてきた。
彼らの場合ストックを絡めた話が多いが、そのストックの価値も今は様々だ。
自分は雀の涙だったがキャッシュで貰っていたのは正解だったかもと思いながらも、
あれだけ痩せた雀じゃやっぱり比べるべくもないか・・・(-_-;)
2008年9月16日火曜日
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