彼との関わり合いについては既に過去に書き尽くしたので残念ながら新しいネタは無い。
最初に訃報を聞いた時に比べれば故人に対する思いが薄れているのも認めざるを得ない。
それでもこうして年に1回は書きたくなるのは何故か。
ネット上に存在するミドリブタ信者の多くが当時(中学生)、高校生、
大学生としてリスナーだった人達だ。
いわゆる青春真っ只中にこの男に遭ったのだ。
既成の価値観に囚われずに独自のテーストで新しいものを発掘してくる彼に魅了され
大いに感化された。
それがその後の個々の人生にどう影響を与えたかは様々だろうが、
林美雄に心酔していたあの時代が懐かしくて堪らないことは共通しているのではないか。
私は映画やドラマは節操無く新しいものを観るが、
音楽に関しては自分が愛するお気に入りを繰り返し聴く。
その中にシャルル・アズナヴールの‘Yesterday When I Was Young’というのがある。
フランス語では‘Hier Encore’ 邦題は‘帰り来ぬ青春’だ。
長い時間が経過しているのに‘yesterday’と言うのがなかなか素敵だ。
日本語でも遠い昔のことなのに‘昨日のことのように’と言うのと同じ感覚なのだろうか。
アズナヴールが40歳の時にリリースしたらしいが、
奇しくも私が林美雄氏と一緒に飲む機会に恵まれた年齢とほぼ同じだ。
他にも色々な歌手が歌っていてYouTubeだけでも相当ヒットするが、
個人的には素直にアズナヴールの英語ヴァージョンが劇的で最も好きだ。
もう何十年も何度となく聴いているが、飽きるどころか寧ろ自分の人生の中で熟成している感じだ。
帰り来ぬ青春への憧憬は歳を重ねるとともに深まる。
私の場合は特に病気によって貧弱な現在しかないからなおさらなのかもしれない。
どこかであの頃の自分のアイデンティティを求めている。
林美雄の価値が維持されているのもこうした要因があると思われる。
しかも青春と同様に彼自身が‘帰らぬ存在’になったことで更に強烈になった。
青春に関しては誰もが後になって気付くことが多い。
ここは素直に先人の英知に学ぼう。
まあ、これは今の素直な感情。
残りの年月はただそれを思い出すだけだ。(A・ジイド)
少し斜めから分析するとこれか。
青春の特権といえば、一言も以ってすれば無知の特権であろう。(三島由紀夫)
同い年の連中と飲みながら話すと懐かしさとは別にこういう感覚もある。
しかし、もう一度若くなって世の中を渡ってこなければならぬと思うと、
何よりも先に煩わしい思いがする。(正宗白鳥)
青春の時期は、いつの時代でも恥多く悩ましいものだ。
もう一度やれと言われてもお断りしたい。(吉行淳之介)
今年から東京で学生生活を始めた息子に言うとしたらこれ。
そしてその昔卒業したら何になりたいと訊かれると‘詩人’と嘯いて
周りを煙に巻いていた自分を嘲笑うような至言はこれだ。
二十歳を過ぎて詩人であれば、そのときかれは詩人である。(ペギー)
林美雄を忘れない~あの夏の光と影は何処へ逝ってしまったの♪~
続・林美雄を忘れない~愛はいつも束の間、今夜遠く旅立つ♪~
続々・林美雄を忘れない~それは小林千絵ちゃんのお陰だった~
又・林美雄を忘れない~あれから5年、命日には線香一本、花一輪~
又々・林美雄を忘れない~年に一度はミドリブタの美声と懐かしさに浸る~
まだ・林美雄を忘れない~元気なミドリブタに会える映画2本「太陽を盗んだ男」「ザ・レイプ」~
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