2005年7月13日水曜日

続々・林美雄を忘れない~それは小林千絵ちゃんのお陰だった~

ナリポンは、お気に入りの日記にもある、
タレントの小林千絵ちゃんと友達だ。
当時ニューヨークに住んでいた共通の友人を通じて知り合った。

初めは、その友人が帰国した時に3人で会うだけだったが、
そのうち千絵ちゃんとふたりでも、逢うようになった。

そう、ナリポンのつきあいの基本、ツーショットでカウンターが
実現したのだ。
彼女とは、初対面の頃から、‘会話’が成立した。
こういう、会話のセンスは私にとっては極めてキーになる要素で、
そういう人間が相手だと、
おまけに、お互いの未知の部分が多いときているから、
会話がエンドレスに続く。

実際、逢う頻度は高くはなかったが、一旦逢うと、深夜、
或いは明け方まで話し込んでいた。
10時間飽きずに話せる相手というのは、私の人生でも、
そう多くは居ない。

で、ある時、千絵ちゃんの携帯が鳴って、彼女は席を外した。
戻ってきた彼女は、

‘ごめんなさい、前に一緒に仕事をしてたTBSの人から・・・’

で、なんていう番組?とか話をしているうちに、私は驚嘆した。

‘えっ、林美雄ってあのアナウンサーの?’
‘知ってるの?’
‘知ってるなんてもんじゃないよ。深夜放送の大ファンだったよ’

実際、林美雄と小林千絵は94年~95年TBSラジオ
‘午後はどーんとマインド’(月~金曜午後1~4時)で
一緒の仕事をしていた。

その話を聞いて、私は、そわそわし始めた。
それまで、千絵ちゃんが斎藤慶子、生稲 晃子、高橋ひとみ、等の女友達の話をしても、
びくともしなかった私が、言わば‘自戒’を忘れて、呟いてしまったのだ。

‘林美雄か、是非一度でいいから会って飲んでみたいなぁ’

それから、間もなく、私の夢は実現する。
96年の8月だったと思う。

全員に近いということで、全日空ホテルの地下で待ち合わせた。
どこで飲むかについては、予め私が、7~8軒の候補を、カードに店の特徴と共に書いて、
林氏に見せた。(←A型ナリポンらしいね)

彼が、選んだのは、俳優座の側の焼き鳥屋だった。
一本一本、実に丁寧な仕事をする店で、ささみをレアに焼いて本わさを載せる奴がウマい。
ワンメーターのタクシーの中で、こりゃあ、‘下落合焼き鳥ムービー’じゃなく、
‘六本木焼き鳥ムービー’だなと洒落ていた。

店について、コの字型のカウンター席の角を占拠、千絵ちゃんを挟んで3人座った。
千絵ちゃんが改めて、私のことを紹介してくれたが、

‘銀行員らしくない格好だね’

の一声(←どっか、ネガティヴ・トーンなんだよね)

確かに、当時まだ余りポピュラーではない、マオカラーのジャケットを着ていた。

‘外資系だし、ディーラーだから・・・’

千絵ちゃんがフォローを入れるが・・・

林氏は久々に会った千絵ちゃんとしきりに話したがっていた。

私は、話に加われないまま、林氏の顔をずっと見ていた。

思えば、この人の声はさんざん聴いていたが、顔を見たことは、
一時期、松崎しげると西田敏行が即興で歌うTV番組(←今日調べたら、‘ハッスル銀座’)の
司会をしていた時しかないんだ。

パックの中では、たしか、自称‘村野武範似’だと言っていたと思う。
(右上の写真をみれば一応納得か)

目の前の林美雄は、事前情報の通り、両切りのショートピースを上手に吸ってはいたが、
もうオジサンの風情だった。(下の写真の通り)

しきりに、全国各地の競輪場巡りについて話していた。

千絵ちゃんは、相変わらず必死になって、話を振ってくれていた。
林氏もひとしきり、千絵ちゃんとの話も終ったせいか、或いは流石に所在無げにしている
私に気を遣ってくれたのか、耳を傾けてくれた。

‘あなたのお陰で、どれだけ多くの若者が感化されたか’を語ろうとも思ったが、
そんなのは今までに、うんざりするほど聞かされてきたに違いないと思い、
ミドリブタパックを最初に降板した時の、エンディングを再現してみせた。

あなたの最後のパックイン、番組のエンディングに向けて、あなたが歌った。

『回転木馬』

ぐるぐる回る  回転木馬~♪
いつでも世界が  祭りの様に
陽気に回って  愉快にさせる
回転木馬は、ぼくらのことさ~♪

当時の自分には予想外の選曲だったが、あなたの声が次第に涙声になって
私も、しまいにゃボロボロ泣いていましたよ。


‘あぁ、そんなこともあったなぁ’

自分も忘れていた20年以上前の出来事を再現されて、少し感慨深げだった。

さらに、ひとまわり上の先輩に向かって、私は大胆にも或いは不遜にも言い放った。

‘私も、振り返ると、一番必死に仕事をしたのは27~33歳のあたりです。
あの頃頑張った遺産で、その後はやっているようなもんです。’

‘ディーラーも年をとって偉くなった人は、自分では相場を張らずに部下の管理が
仕事になるんですよ。でも、林さんもそうでしょうけど、やっぱり現場ですよね。’

実際、当時の彼は、管理職でデスクワークが中心、レギュラーの番組も、千絵ちゃんとのが最後で、
その後は持っていなかった筈だ。

彼は、若造の生意気な言い草に、特に言葉ではコメントしなかったが、
勝手な自己解釈では、目は相槌を打っているような気がした。

店に居た2時間弱の時間で、私がまともに参加できたのは、30~40分かな。

高くは無い勘定を私が済ますと、彼は

‘じゃあ、次回は、ぼくが赤坂の餃子屋で・・・’

と言ってくれた。

店を出て、彼と別れた後、千絵ちゃんと飲みなおした。

‘ごめんね、なんか、がっかりしたでしょ’

彼女は、まるで、愛想の無い亭主を持って困っている奥さんのように謝罪した。

‘とんでもない、青春時代の憧れの兄貴分に会えて、本当に嬉しかったよ。
どれくらい感激しているかは、彼にも千絵ちゃんにも想像できないと思うよ。
だって、俺も自分でわからないくらいだから(笑)
いやぁ、これも千絵ちゃんのお陰だ。知り合えて良かったよ。’



今日、一応ブログで、実名を出す事に仁義を切ろうと思い、久々に千絵ちゃんに電話してみた。

‘全然問題なしで~す’

ついでに、ネタ探しもした。

一緒に、飲みに行った時に、こう言われたそうだ。

『今はこうだけど、昔は‘かみそりヨシオ’と呼ばれてたんだぞ。』
『俺に触ると、怪我ずるぜ、ってね。』

若い頃は、ブイブイ言わせてたのか、
いや、ミドリブタだからブヒブヒかも(笑)

あと、恐怖のハシゴ酒で店を転々とする癖があったらしい。
で、飲むとけっこうベロベロになるらしい。

それから、50の手習いではないが、日本舞踊を習い始め、
発表会で息子さんと一緒に踊ったそうだ。


ところで、命日に合わせて3日連続で、林美雄を取り上げたけど、過去2日の反応はイマイチだね。
アクセス数は普段と変わらないというか、寧ろ多かったりするのだが・・・。

トラバ相手を探しても、見つかんないし、あれだけの存在でも3年経つと、
こんなものかとチョッとガックシだったなぁ。

或いは、ミドリブタ世代とブログ世代とは合致しないのかな。

因みに、2000年代のカリスマって誰かいるの?

ぶっぶ~ (´・ω・`)

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