タレントの小林千絵ちゃんと友達だ。
当時ニューヨークに住んでいた共通の友人を通じて知り合った。
初めは、その友人が帰国した時に3人で会うだけだったが、
そのうち千絵ちゃんとふたりでも、逢うようになった。
そう、ナリポンのつきあいの基本、ツーショットでカウンターが
実現したのだ。
彼女とは、初対面の頃から、‘会話’が成立した。
こういう、会話のセンスは私にとっては極めてキーになる要素で、
そういう人間が相手だと、
おまけに、お互いの未知の部分が多いときているから、
会話がエンドレスに続く。
実際、逢う頻度は高くはなかったが、一旦逢うと、深夜、
或いは明け方まで話し込んでいた。
10時間飽きずに話せる相手というのは、私の人生でも、
そう多くは居ない。
で、ある時、千絵ちゃんの携帯が鳴って、彼女は席を外した。
戻ってきた彼女は、
‘ごめんなさい、前に一緒に仕事をしてたTBSの人から・・・’
で、なんていう番組?とか話をしているうちに、私は驚嘆した。
‘えっ、林美雄ってあのアナウンサーの?’
‘知ってるの?’
‘知ってるなんてもんじゃないよ。深夜放送の大ファンだったよ’
実際、林美雄と小林千絵は94年~95年TBSラジオ
‘午後はどーんとマインド’(月~金曜午後1~4時)で
一緒の仕事をしていた。
その話を聞いて、私は、そわそわし始めた。
それまで、千絵ちゃんが斎藤慶子、生稲 晃子、高橋ひとみ、等の女友達の話をしても、
びくともしなかった私が、言わば‘自戒’を忘れて、呟いてしまったのだ。
‘林美雄か、是非一度でいいから会って飲んでみたいなぁ’
それから、間もなく、私の夢は実現する。
96年の8月だったと思う。
全員に近いということで、全日空ホテルの地下で待ち合わせた。
どこで飲むかについては、予め私が、7~8軒の候補を、カードに店の特徴と共に書いて、
林氏に見せた。(←A型ナリポンらしいね)
彼が、選んだのは、俳優座の側の焼き鳥屋だった。
一本一本、実に丁寧な仕事をする店で、ささみをレアに焼いて本わさを載せる奴がウマい。
ワンメーターのタクシーの中で、こりゃあ、‘下落合焼き鳥ムービー’じゃなく、
‘六本木焼き鳥ムービー’だなと洒落ていた。
店について、コの字型のカウンター席の角を占拠、千絵ちゃんを挟んで3人座った。
千絵ちゃんが改めて、私のことを紹介してくれたが、
‘銀行員らしくない格好だね’
の一声(←どっか、ネガティヴ・トーンなんだよね)
確かに、当時まだ余りポピュラーではない、マオカラーのジャケットを着ていた。
‘外資系だし、ディーラーだから・・・’
千絵ちゃんがフォローを入れるが・・・
林氏は久々に会った千絵ちゃんとしきりに話したがっていた。
私は、話に加われないまま、林氏の顔をずっと見ていた。
思えば、この人の声はさんざん聴いていたが、顔を見たことは、
一時期、松崎しげると西田敏行が即興で歌うTV番組(←今日調べたら、‘ハッスル銀座’)の
司会をしていた時しかないんだ。
パックの中では、たしか、自称‘村野武範似’だと言っていたと思う。
(右上の写真をみれば一応納得か)
目の前の林美雄は、事前情報の通り、両切りのショートピースを上手に吸ってはいたが、
もうオジサンの風情だった。(下の写真の通り)
しきりに、全国各地の競輪場巡りについて話していた。
千絵ちゃんは、相変わらず必死になって、話を振ってくれていた。
林氏もひとしきり、千絵ちゃんとの話も終ったせいか、或いは流石に所在無げにしている
私に気を遣ってくれたのか、耳を傾けてくれた。
‘あなたのお陰で、どれだけ多くの若者が感化されたか’を語ろうとも思ったが、
そんなのは今までに、うんざりするほど聞かされてきたに違いないと思い、
ミドリブタパックを最初に降板した時の、エンディングを再現してみせた。
あなたの最後のパックイン、番組のエンディングに向けて、あなたが歌った。
『回転木馬』
ぐるぐる回る 回転木馬~♪
いつでも世界が 祭りの様に
陽気に回って 愉快にさせる
回転木馬は、ぼくらのことさ~♪
当時の自分には予想外の選曲だったが、あなたの声が次第に涙声になって
私も、しまいにゃボロボロ泣いていましたよ。
‘あぁ、そんなこともあったなぁ’
自分も忘れていた20年以上前の出来事を再現されて、少し感慨深げだった。
さらに、ひとまわり上の先輩に向かって、私は大胆にも或いは不遜にも言い放った。
‘私も、振り返ると、一番必死に仕事をしたのは27~33歳のあたりです。
あの頃頑張った遺産で、その後はやっているようなもんです。’
‘ディーラーも年をとって偉くなった人は、自分では相場を張らずに部下の管理が
仕事になるんですよ。でも、林さんもそうでしょうけど、やっぱり現場ですよね。’
実際、当時の彼は、管理職でデスクワークが中心、レギュラーの番組も、千絵ちゃんとのが最後で、
その後は持っていなかった筈だ。
彼は、若造の生意気な言い草に、特に言葉ではコメントしなかったが、
勝手な自己解釈では、目は相槌を打っているような気がした。
店に居た2時間弱の時間で、私がまともに参加できたのは、30~40分かな。
高くは無い勘定を私が済ますと、彼は
‘じゃあ、次回は、ぼくが赤坂の餃子屋で・・・’
と言ってくれた。
店を出て、彼と別れた後、千絵ちゃんと飲みなおした。
‘ごめんね、なんか、がっかりしたでしょ’
彼女は、まるで、愛想の無い亭主を持って困っている奥さんのように謝罪した。
‘とんでもない、青春時代の憧れの兄貴分に会えて、本当に嬉しかったよ。
どれくらい感激しているかは、彼にも千絵ちゃんにも想像できないと思うよ。
だって、俺も自分でわからないくらいだから(笑)
いやぁ、これも千絵ちゃんのお陰だ。知り合えて良かったよ。’
今日、一応ブログで、実名を出す事に仁義を切ろうと思い、久々に千絵ちゃんに電話してみた。
‘全然問題なしで~す’
ついでに、ネタ探しもした。
一緒に、飲みに行った時に、こう言われたそうだ。
『今はこうだけど、昔は‘かみそりヨシオ’と呼ばれてたんだぞ。』
『俺に触ると、怪我ずるぜ、ってね。』
若い頃は、ブイブイ言わせてたのか、
いや、ミドリブタだからブヒブヒかも(笑)
あと、恐怖のハシゴ酒で店を転々とする癖があったらしい。
で、飲むとけっこうベロベロになるらしい。
それから、50の手習いではないが、日本舞踊を習い始め、
発表会で息子さんと一緒に踊ったそうだ。
ところで、命日に合わせて3日連続で、林美雄を取り上げたけど、過去2日の反応はイマイチだね。
アクセス数は普段と変わらないというか、寧ろ多かったりするのだが・・・。
トラバ相手を探しても、見つかんないし、あれだけの存在でも3年経つと、
こんなものかとチョッとガックシだったなぁ。
或いは、ミドリブタ世代とブログ世代とは合致しないのかな。
因みに、2000年代のカリスマって誰かいるの?
0 件のコメント:
コメントを投稿