2008年7月13日日曜日

又々・林美雄を忘れない~年に一度はミドリブタの美声と懐かしさに浸る~

人はいろいろな形で1年という時の経過を体感する。
一般的には正月だろうし、個別では誕生日だろうか。
年々一層とビミョーになっていく夫婦もそれを結婚記念日に認識するかもしれない。
これらはすべて変化のある1年だ。

命日だと話が違う。
思い出す相手が既に変化のない存在になっているからだ。
新たな関係を作り出すことはできない。

今日7月13日は林美雄の命日だ。
丸6年だから、仏教で言えば七回忌ということになる。
年に1度確実に故人を思い出す。
リアルな世界で思い出されない関係の人よりは重い存在だ。

林美雄、ミドリブタ、約35年前、パックインミュージックという深夜放送で彼がクリエイトした世界は、
自我の確立にもがく青年にはまさにバイブルのようなところがあった。
林美雄を思い出すことは自分の青春時代を思い出すことだ。

多くの人がそうであるように年を重ねて記憶力が鈍っても、
何故か青春時代の思い出は鮮明に思い出せる。
今は2日目前に何を食べたか忘れているのに、30年前に食べたモヤシそばの大盛りは覚えている。

だから1970年代の林美雄を頭の中で思い出すのはそれほど難しいことではない。
2005年に3日連続で追悼記事を書いた時に、或る方からアプローチがあり貴重な当時の音源を頂いた。
昨夜はその一部を聴き、その美声と懐かしさに浸った。

1996年の8月に、私は小林千絵ちゃんの紹介で林美雄氏と3人で
六本木の俳優座の傍の焼鳥屋で飲む機会があった。
まさに真夏の夜の夢が叶った2時間半だった。

今思えば、あの時なぜミーハーと思われても一緒の写真を撮らなかったのか、
或いはその飲んでいる時の会話を録音しなかったのかと悔やんでいる。

そもそも私は基本的に写真を撮ることに積極的ではなかった。
絶対忘れられない人間との思い出や旅先での風景は自分の脳内のハードディスクに
しっかりと刻まれて永久保存されると信じていた。
忘れてしまうようなものは所詮その程度のもので淘汰されて然るべきだと考えていた。

それは哲学としては成立しうるが、50歳を過ぎて劣化の著しい自分の脳内ディスクに唖然とすると、
単に大いなる過信だったと気づく。

ミドリブタとナリポンは干支が同じで、一回り上の兄貴分だった。
年の差は常に平行移動するから埋まらないと思っていたが、相手が先に逝ってしまうと
線が1本になってしまう。

12歳の違いが今は或る意味6歳になってしまった。
今後その差をさらに詰めて、上手く健康を維持できれば追い越してしまう。
これは正直、妙な感覚だ。

私が林美雄について書いた記事は今日で5つめになる。

林美雄を忘れない~あの夏の光と影は何処へ逝ってしまったの♪~

続・林美雄を忘れない~愛はいつも束の間、今夜遠く旅立つ♪~

続々・林美雄を忘れない~それは小林千絵ちゃんのお陰だった~

又・林美雄を忘れない~あれから5年、命日には線香一本、花一輪~

このタイトルのつけ方は、團伊玖磨のエッセイ‘パイプのけむり’にあやかっている。
シリーズは全部で27巻、まだまだ余裕一杯だ。

林美雄を語る時に感じるのは、彼をリアルタイムで知らない人に
彼の魅力を伝えることができないもどかしさだ。
遺作と呼べるものが存在しない。

‘そもそも林美雄って何者?’
と聞かれると、大袈裟に
‘彼がいなかったらユーミンは埋もれたままだった’と答えることにしている。

1 件のコメント:

パックイン音源 さんのコメント...

Wikipediaのパックインミュージックに音源があります。
外部リンクのナッチャコパックデータから辿ると当時の
林美雄さんの放送を聴くことができます。