2010年4月27日火曜日

松井秀喜がMLBで1000安打を達成、だから何?~彼の野球観を知っているファンは騒がない~

松井秀喜がMLBでのキャリア1000安打を達成した。
しかし、だから何?

所謂マイルストーンに違いは無いが私は結構冷めている。
打者としてより多くの安打を打つのは勿論評価されて然るべきだが、
安打数や打率が万能であるかのような風潮にはうんざりしているからだ。

そんな風潮を作り上げたのは連続200本安打を9年続けているイチローのカウンタダウン商法と
それに安易に飛びつく不見識なメディアだ。
あれだけの露出があれば途轍もない偉業のような錯覚に陥る一般人が量産されても仕方が無い。
特に野球と言うスポーツを理解していない層への影響は甚大だ。
実際、日本を代表するメジャー・リーガーとしてのイチローを知っていながら、
その所属チームさえ言えない連中は私の身の回りも少なからず存在する。
滑稽なのはそのチーム名をヤンキースと間違えたオバサンがいたことだ。

ピッチャーが三振を奪い、打者がヒットを打つ。
その数の多寡は基本的にはチームの勝敗への貢献度と正の相関があると思われるが、
完全ではない。
特にチームの勝敗より個人の記録に執着するタイプの場合はやっかいだ。
本人は好成績でありながらチームの不協和音を招き弱体化させかねない。

松井秀喜の場合は明解だ。
自分が全打席で安打としての完成形であるHRを打ち試合に勝つのが理想だがそうはいかない。
3安打打ってもチームが負ければ表情は厳しい。
逆に1安打直接勝敗に絡むクラッチ場面で打てれば満足気だ。
極端な話自分がタコってもチームが勝てればよしとする。

安打の数だけではなく安打の持つヴァリューを重要視するのだ。

松井の今までの野球人生の中で最も価値のある安打として多くの人の記憶にあるのは
2009年のワールドシリーズ第6戦の先制2ランHRだろう。
彼の野球観で常に最優先されるのはチームとして頂点を極めること、
そしてそれに自分がどれだけ貢献できるかが大問題なのだ。
それをまさに理想的な形として実現させたのだ。
6試合あったワールドシリーズで松井が放った安打はあの先制弾を含む8本に過ぎない。
これは守備に就かなかったことによるものだが、そのたった8本という
本数ではなく文字通りvaluableな打撃の内容だったからこそMVPの座を勝ち取ったのだ。

野球ファンなら当然承知しているだろうが、
あの偉大なる1本は今日達成された1000本の記録には属さないものだ。
まさに記録より記憶なのだ。

だから松井の野球観を理解しているファンなら1000本安打では騒がない。

昨日の報道にはこうあった。

「自分が積み重ねた数字には関心がない。引退したら、ゆっくりと振り返ればいい」と素っ気ない。

いつも通りのコメントだが、読んでその一点の曇りも無い素っ気なさに
益々惚れてしまった。

メディアも節目だから報道しないわけにはいかないだろうが、
十中八九‘単なる通過点に過ぎません’と言うことはわかっている。

どうせなら‘所詮通過点である1000本安打にあと1本と迫っていた松井秀喜は今日の試合で無事通過しました。’ぐらいのことを言えばいいのに・・・(>_<)

因みに現地では昨日の敵方のYESではあと1本と紹介していたが、
今日の地元FSWでは達成した直後に事実を伝えただけだった。
観客はLAAではまだ23本しか打ってない男をスタンディング・オベーションで称え、
松井もヘルメットを脱いでそれに応えた。
記念のボールは回収された。
実に淡々とすっきりとした流れだった。
その後映し出されたのはほぼスペースを占有する日本人記者と日本人カメラマン達の姿だった。

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