先日、マティーニの話をしたが、今日はバーについて書いてみたいと思う。
と言っても、もう4年以上‘娑婆の風’を浴びていないので、情報が古い事は勘弁願いたい。
初めに結論ありきになってしまうが、ナリポンがそれなりにバー探訪を繰り返して至った
結論としては、ホテル・バーは‘使える’ということだ。
接待、被接待を除くと、ホテルのレストランを自腹で利用する機会は殆ど無かった。
メニューから選べる中華料理のビュッフェ位かな。
余り経験が無いのに決め付けるのも説得力がないが、ホテルのレストランは
コスト・パフォーマンスが低いような印象がある。
カフェやコーヒーハウスの類を含めてだ。
しかし、バーは違う。
コスト・パフォーマンスでみても優れているところが多い。
今日はホテル・バー以外のバーについていくつか・・・。
これは旅先での話しだが、京都にあるサンボアという店だ。
池波正太郎の本で知った。
さっき検索してみると、サンボアというバーは暖簾分け等で、京都、大阪で10店近くあり、
いまや東京銀座にもその血を引くバーがあるらしい。
‘おいおい、俺が行った店はどこなんだ’
写真で確認できたが、それは寺町のサンボアで最も古い正統サンボアだった。
いつも通り、マティーニのロックを頼んだが、飲み始めて、2つの事で注意を受ける。
・カウンターに肘をついて飲むな
・皮付きピーナッツの皮は、床に落とせ
‘なんだよ、客に向かって、チョ~ムカツク・・・(  ̄っ ̄)’
しかし、ナリポンはMが入っているのか(笑)、滞在中にもう一晩お邪魔した。
勿論、肘もつかず、皮は床に落とした。
好きな店なのかどうかは、自分でもはっきりしないが、もし京都を再訪する機会があったら、
行きたくなりそうだ。
皮付きピーナッツと言えば、銀座にある名店とされるダルトンのそれは秀逸だった。
テレビに出てくる、無能なグルメレポーターのようだが、
‘それまでの人生で味わったことがない旨さがあった’
あれだったら、テイクアウト100gで1000円まで払っていいな・・・(^。^)
その皮付きピーナッツは‘至高の味’だったのだが、バーとしての印象は、
清潔感溢れるのだが、どこかキンキライメージで落ち着かなかった。
勘定も、思った以上に高かったような記憶がある。
事前に席数も限られていると聞いて、早い時間に訪れたのだが(確か6時台)、
1時間半くらい居て先客ゼロ、後客2だった筈だ。
誰もが認める名店の割には、思いのほか空いていて拍子抜けした。
まあ、場所が場所だから、盛況になる時間帯は別なのかもしれない。
勘定が高いと言えば、Radio
これも、いろいろなRadioがあるらしいが、私が行っていたのは、南青山のRadio
わかりにくい扉を開けて、階段を地下に降りていく。
照明はかなり暗かった。
いわゆる‘おっつけ’が出てくるせいもあって、勘定が高い、高い。
連れとふたりで合わせて4~5杯で、2万を超えていたような・・・。
それでも、5,6回は行っただろうか。
当時あそこに行くと、確率5割で‘あの男’と遭遇した。
‘あの男’とは、今や新党日本代表、長野県知事のヤスオちゃんだ。
もちろん、いつもそれらしい(モデル、スッチー系?)と一緒にいた。
Radioのようなバーには、当然のことながら女性と一緒に行かないと話しにならない。
女性と一緒に行かないと話しにならないと言えば、六本木のdeep blue
私が行っていたのは、昔の建物だ。
‘人間の祖先はイルカだった’と言う、訳のわからない割に、キャッチーなコンセプトで、
今では珍しくない‘水槽系’を導入した先駆者?
各フロアー毎に、全く違った空間を作っていたが、
基本的には地下のカウンターバーを利用していた。
個室のカラオケルームなんかもあるが、あのお騒がせ相撲兄弟の兄や某遊び人Jリーガーと
遭遇したことがあった。
六本木といえば、〆は‘天鳳’のラーメン。
札幌のラーメン横丁は美味くないと思うが、六本木は妙な美味さがある。
通は‘1、3,5’を注文なんて踊らされずに、素直にデフォを食するがよろしい。
因みに、ナリポンは塩を頼むことが多かった。
2005年8月31日水曜日
2005年8月29日月曜日
タンカレー・マティーニ・オン・ザ・ロック~オールド・インペリアル・バーの思い出~
ナリポンは以前も書いたが健康だった頃の飲み歩きは、
~基本はツーショットでカウンター~を貫いていた。
最も、多かったのはバーだ。
バーで何を頼むかも、決まっていた。
マティーニである。
‘カクテルの王様’だの
‘カクテルは、マティーニに始まり、マティーニに終わる’
とか言われるが、これだけシンプルにして、その奥深さを感じさせるものもない。
値段的にもみても、メニューで一番安い。
それでいて、バーテンダーの‘力量’をみるには最適だ。
蕎麦屋で言えば、もりそば、スパゲティで言えば、
アリオ・エ・オリオ・ぺペロンチーノのようなものだ。
ナリポンはこの手のシンプル系が大好きだ。
マティーニと言えば、今はそれだけでドライ・マティーニを指すようだが、
昔は甘口のヴェルモットを使ったものもあった。
ジンとヴェルモットをステアするだけの極めて単純なレシピな割りに、
或いは、その単純さが故に、ヴァリエーションは多く、味わいも違う。
ジンとヴェルモットの割合にも嗜好が分かれる。
‘ドライであればドライであるほど通であるような風潮がある’
もうここに紹介するのも憚れるほど有名な話だが、イギリスの宰相チャーチルは
ヴェルモットのラベルを眺めながら、ジンをニートで飲んでいたとされる。
ヴェルモットを氷と一緒にステアした後、ヴェルモットは棄てる方法もある。
私は特にそこまでの拘りはないが、ジンはタンカレーと必ず指定する。
冷凍庫でキンキンに冷えた、緑のデブッチョボトルが好きだ。
飲み方は邪道かも知れないが、オン・ザ・ロックだ。
これは長い経験からそうなった。
所謂カクテルグラスでサーブされるのが普通だが、あれだと持っていて、どうもしっくりこない。
おまけに、飲むペースがどうしても速くなってしまい、身体にも懐にも優しくない。
オン・ザ・ロックにすることによって、本来はショート・カクテルなのにチビチビやれるのである。
マティーニに関してのいろいろな経験があるがそのうちのいくつかを書いてみる。
箱崎のロイヤルパークの1階ラウンジでのこと。
いつものように、
‘ドライ・マティーニをロックで、ジンはタンカレーでお願いします。’
知り合って間もない女性と一緒の時だった。
運ばれてきた、グラスを2,3回口にしたかしないか・・・
女性が慌てて飛んできた。
‘申し訳ございません。お客様にジンはタンカレーとご注文頂いたのですが、
当方の手違いで、ゴードンでお出ししてしまいました。
ただ今、直ぐお持ちいたしますので・・・。’
‘いやぁ、実は私も今味わいが違うなぁ、と思っていたところなんですよ。’
と切り返したものの、
心の中では、ゴードンを飲みながら、相手に
‘やっぱり、ジンはタンカレーに限るね’
なんて講釈をたれてなくてヨカッタとホッとしたりして・・・(>_<)
もうひとつはオリーブの話。
スペインに定期的に出張するようなになって、オリーブをつまみで食べる習慣がついた。
そこで、一時期、日本でもマティーニを頼む時‘オリーブ3つ’と言うようになった。
みなさん、スティックに色々な苦労をして刺してくれたが、どこでも割り増し料金は無かった。
或る日、芝の東京プリンスのバーに行ったときだった。
連れが数人いたのでテーブル席に座った。
‘タンカレーマティーニ・ロック、できればオリーブを3つ’
その注文だけで仲間には受けたが、実際運ばれてくると、グラスにはオリーブが1個。
但し、別の小皿にオリーブが5,6個載せられていた。
仲間はそれを見てさらに受けていたが、私はチョッと考えてしまった。
バーテンダーはあのホテルの建物そのものと同じような、ヴェテランの方だった。
‘これって、サービスなのか、それとも彼なりの拘り
(美意識みたいなもの)に基づいた抵抗なのか’
その時の私は後者だと解釈して、突然自分が下品だと感じた。
それを機に‘オリーブ3個注文’は数ヶ月で止めた。
実際、輸入されたオリーブは現地で食べるそれと較べると明らかに不味い。
マティーニにはオリーブの他に、レモンピールで香り付けをすることもある。
ニューヨークに行ったとき、バーテンダーに
Would you like to be twisted?
みたいなことを訊かれて、初めは全く意味不明だったが、
レモンの皮を指につまんで捻るから、ああいう言い方になったのだろう。
確かに、squeeze(搾る)じゃ可笑しい。
アメリカ映画でもマティーニを飲むシーンはしょっちゅう目にするが、
グラスがまさにアメリカンサイズだ。
あと、自分の限られた経験から言うと、アメリカ人はジンのマティーニより、
ウォッカのマティーニを好むような気がする。
少なくとも、ただ単にマティーニと注文してもダメ。
ジンなのかウォッカなのか特定しないといけない。
私が、人生で最も好きで、恐らく最も多くのマティーニを飲んだバーは、
帝国ホテル内のオールド・インペリアル・バーだと思う。
作り手によって、微妙に出来が違うような気もしたが、
口にした時に、独特のピリッと舌がしびれる感じがあり、それが堪らなかった。
実際、バーテンダーの業界にあっても評判の高いレシピらしい。
機会があれば、また味わってみたいが、恐らくいまだに喫煙可で
紫煙がスポットライトを浴びて、ブラウン現象を起こしているのだろう。
マティーニ1杯を飲む体力はあるが、煙の中に5分もいれば確実に体調を崩してしまいそうだ。
以上、健康で飲み歩いていた頃を思い出しての記事でした。
~基本はツーショットでカウンター~を貫いていた。
最も、多かったのはバーだ。
バーで何を頼むかも、決まっていた。
マティーニである。
‘カクテルの王様’だの
‘カクテルは、マティーニに始まり、マティーニに終わる’
とか言われるが、これだけシンプルにして、その奥深さを感じさせるものもない。
値段的にもみても、メニューで一番安い。
それでいて、バーテンダーの‘力量’をみるには最適だ。
蕎麦屋で言えば、もりそば、スパゲティで言えば、
アリオ・エ・オリオ・ぺペロンチーノのようなものだ。
ナリポンはこの手のシンプル系が大好きだ。
マティーニと言えば、今はそれだけでドライ・マティーニを指すようだが、
昔は甘口のヴェルモットを使ったものもあった。
ジンとヴェルモットをステアするだけの極めて単純なレシピな割りに、
或いは、その単純さが故に、ヴァリエーションは多く、味わいも違う。
ジンとヴェルモットの割合にも嗜好が分かれる。
‘ドライであればドライであるほど通であるような風潮がある’
もうここに紹介するのも憚れるほど有名な話だが、イギリスの宰相チャーチルは
ヴェルモットのラベルを眺めながら、ジンをニートで飲んでいたとされる。
ヴェルモットを氷と一緒にステアした後、ヴェルモットは棄てる方法もある。
私は特にそこまでの拘りはないが、ジンはタンカレーと必ず指定する。
冷凍庫でキンキンに冷えた、緑のデブッチョボトルが好きだ。
飲み方は邪道かも知れないが、オン・ザ・ロックだ。
これは長い経験からそうなった。
所謂カクテルグラスでサーブされるのが普通だが、あれだと持っていて、どうもしっくりこない。
おまけに、飲むペースがどうしても速くなってしまい、身体にも懐にも優しくない。
オン・ザ・ロックにすることによって、本来はショート・カクテルなのにチビチビやれるのである。
マティーニに関してのいろいろな経験があるがそのうちのいくつかを書いてみる。
箱崎のロイヤルパークの1階ラウンジでのこと。
いつものように、
‘ドライ・マティーニをロックで、ジンはタンカレーでお願いします。’
知り合って間もない女性と一緒の時だった。
運ばれてきた、グラスを2,3回口にしたかしないか・・・
女性が慌てて飛んできた。
‘申し訳ございません。お客様にジンはタンカレーとご注文頂いたのですが、
当方の手違いで、ゴードンでお出ししてしまいました。
ただ今、直ぐお持ちいたしますので・・・。’
‘いやぁ、実は私も今味わいが違うなぁ、と思っていたところなんですよ。’
と切り返したものの、
心の中では、ゴードンを飲みながら、相手に
‘やっぱり、ジンはタンカレーに限るね’
なんて講釈をたれてなくてヨカッタとホッとしたりして・・・(>_<)
もうひとつはオリーブの話。
スペインに定期的に出張するようなになって、オリーブをつまみで食べる習慣がついた。
そこで、一時期、日本でもマティーニを頼む時‘オリーブ3つ’と言うようになった。
みなさん、スティックに色々な苦労をして刺してくれたが、どこでも割り増し料金は無かった。
或る日、芝の東京プリンスのバーに行ったときだった。
連れが数人いたのでテーブル席に座った。
‘タンカレーマティーニ・ロック、できればオリーブを3つ’
その注文だけで仲間には受けたが、実際運ばれてくると、グラスにはオリーブが1個。
但し、別の小皿にオリーブが5,6個載せられていた。
仲間はそれを見てさらに受けていたが、私はチョッと考えてしまった。
バーテンダーはあのホテルの建物そのものと同じような、ヴェテランの方だった。
‘これって、サービスなのか、それとも彼なりの拘り
(美意識みたいなもの)に基づいた抵抗なのか’
その時の私は後者だと解釈して、突然自分が下品だと感じた。
それを機に‘オリーブ3個注文’は数ヶ月で止めた。
実際、輸入されたオリーブは現地で食べるそれと較べると明らかに不味い。
マティーニにはオリーブの他に、レモンピールで香り付けをすることもある。
ニューヨークに行ったとき、バーテンダーに
Would you like to be twisted?
みたいなことを訊かれて、初めは全く意味不明だったが、
レモンの皮を指につまんで捻るから、ああいう言い方になったのだろう。
確かに、squeeze(搾る)じゃ可笑しい。
アメリカ映画でもマティーニを飲むシーンはしょっちゅう目にするが、
グラスがまさにアメリカンサイズだ。
あと、自分の限られた経験から言うと、アメリカ人はジンのマティーニより、
ウォッカのマティーニを好むような気がする。
少なくとも、ただ単にマティーニと注文してもダメ。
ジンなのかウォッカなのか特定しないといけない。
私が、人生で最も好きで、恐らく最も多くのマティーニを飲んだバーは、
帝国ホテル内のオールド・インペリアル・バーだと思う。
作り手によって、微妙に出来が違うような気もしたが、
口にした時に、独特のピリッと舌がしびれる感じがあり、それが堪らなかった。
実際、バーテンダーの業界にあっても評判の高いレシピらしい。
機会があれば、また味わってみたいが、恐らくいまだに喫煙可で
紫煙がスポットライトを浴びて、ブラウン現象を起こしているのだろう。
マティーニ1杯を飲む体力はあるが、煙の中に5分もいれば確実に体調を崩してしまいそうだ。
以上、健康で飲み歩いていた頃を思い出しての記事でした。
2005年8月25日木曜日
ヤンキースよ、‘ワイルドでいこう’~イージー・ライダー作戦もありでしょ~
‘飽くまでも、地区優勝が目標、ワイルドカードはターゲットではない’
ヤンキースのトーリ監督の、前日ワイルドカードで首位に立った事を受けての発言だが・・・。
まあ、これは指揮官としては当然の話。
選手の心にスキができないようにし、勝つためのモチベーションを維持するためには当たり前だ。
1997年にワイルドカード狙いを公言して、スタインブレナー・オーナーに
こっぴどく批難された‘過去’も踏まえての発言だったのだろう。
そのヤンキーだが、2連勝を受けての先発は、ムース。
ところが、4回まで順調に‘零封’だったが、5回に一挙に乱れた。
‘ナリポンな人’で言えば、1アウト後、ランナーを一人出しての3球目を
HPアンパイヤーのクーパーにボールと判定されて、高学歴ムースがキレた。
そのキレた瞬間の目の動きははっきりとわかった。
結局、この1イニングでヤンキースは9点を失った。
このまえのR.ジョンソンの時といい、あの1イニングさえなければの展開となった。
攻撃面でも、松井だけが一人‘蚊帳の外’の大活躍。
4打数3安打、打点2だった。
今日は、打順が2番だったが、確か2番での打率は、今まで2割そこそこだったと思う。
そんなジンクスをも吹き飛ばすほど、フォームの修正後、バットが触れているのだろう。
9回、今日はお休み日の‘本来の2番打者’バーニーが代打で登場。
ライトへ3ランHRを放つが、あの魔の5回の9失点は余りにも重く5-9で敗戦。
ヒット数は13-12でヤンキースの方が多かったが・・・Orz
‘仕方が無い、敗戦は敗戦だ’
そうなると、当然のことながら、他のライヴァル・チームの動向が気になる。
最近不調だったOAKはDETに勝った。
最近絶好調のCLEはTBに3-13で大敗した。
これでワイルドカード争いは3チームがゲーム差無しで並んだ。
一方ボストンはあの19連敗したロイヤルズとの試合。
途中から、MLB.TVで観戦したが、雨の中断もあり延長11回、4時間の熱戦だった。
昼飯に出掛けるのも止めて観ていたが、これが、お互い満塁のチャンスの潰しあいで、面白い、面白い。
9回の裏の1アウト満塁のチャンスを生かせなかったKCが11回に再び、
1アウト満塁をつくり、レフトのラミレスへのあさ~~いフライで3塁ランナーがタッチ・アップ。
本塁でかなり際どいタイミングだったが、審判が大きく腕を横に広げセ=====フ
KCがサヨナラ勝ちをした。
また陽気なリマちゃんが踊っていた。
終ってみれば、最低勝率のKCが0-3から、去年のワールド・チャンピオンを倒した。
‘う~む、野球は面白い’・・・(^。^)
ただ、これだけ面白く感じるのはやはり観る側に‘気合’が入っているせいもある。
去年までのヤンキースなら、まあ地区優勝がほぼ確実視されていたり、
早々に、ワイルドカードの出場は確保していたりで、今年のような緊張感がなかった。
それが、今年は、プレイオフ進出そのものが実現するかどうかの‘真剣さ’があるし、
対象になるライヴァルチームが色々とあるから、追っかけるナリポンの‘真剣さ’も凄まじい。
加えて、他の試合も自由に観戦できるMLB.tvを得た事で、
ある意味、過去2年より‘数倍’楽しんでいる。
‘ワイルドでいこう’というタイトルだが、これは映画イージー・ライダーの音楽
Born to be wild (by Steppenwolf)の邦題だ。
イージー・ライダーはナリポン世代の映画だが、いわゆるアメリカン・ニュー・シネマの
代表的な作品でもあるから、若いひとでも映画好きなら観た事があるかもしれない。
ヤンキースファンで有名なジャック・ニコルソン(でも今年はを見てないような)の若い頃も拝める。
勿論、トーリだって表向きはああ言いながらも、ポスト・シーズンに進めるなら、
ワイルドカードでも良しとしているだろう。
因みに過去3年間のワールドチャンピオンは、
2004年ボストン、2003年マーリンズ、2002年エンジェルズと
すべてワイルドカード組みだ。
2002年はワイルドカード同士の戦いだった。
‘そうだよ、いまやワイルドカードがリングへの王道だな’
何れにせよ、できるだけ多く勝ち星をあげるしかない。
歌詞の中にあるが・・・
We were born, born to be wild We can climb so high I never wanna die
替え歌では
Yankees were born to be World Champion.(by Naripon)
ヤンキースのトーリ監督の、前日ワイルドカードで首位に立った事を受けての発言だが・・・。
まあ、これは指揮官としては当然の話。
選手の心にスキができないようにし、勝つためのモチベーションを維持するためには当たり前だ。
1997年にワイルドカード狙いを公言して、スタインブレナー・オーナーに
こっぴどく批難された‘過去’も踏まえての発言だったのだろう。
そのヤンキーだが、2連勝を受けての先発は、ムース。
ところが、4回まで順調に‘零封’だったが、5回に一挙に乱れた。
‘ナリポンな人’で言えば、1アウト後、ランナーを一人出しての3球目を
HPアンパイヤーのクーパーにボールと判定されて、高学歴ムースがキレた。
そのキレた瞬間の目の動きははっきりとわかった。
結局、この1イニングでヤンキースは9点を失った。
このまえのR.ジョンソンの時といい、あの1イニングさえなければの展開となった。
攻撃面でも、松井だけが一人‘蚊帳の外’の大活躍。
4打数3安打、打点2だった。
今日は、打順が2番だったが、確か2番での打率は、今まで2割そこそこだったと思う。
そんなジンクスをも吹き飛ばすほど、フォームの修正後、バットが触れているのだろう。
9回、今日はお休み日の‘本来の2番打者’バーニーが代打で登場。
ライトへ3ランHRを放つが、あの魔の5回の9失点は余りにも重く5-9で敗戦。
ヒット数は13-12でヤンキースの方が多かったが・・・Orz
‘仕方が無い、敗戦は敗戦だ’
そうなると、当然のことながら、他のライヴァル・チームの動向が気になる。
最近不調だったOAKはDETに勝った。
最近絶好調のCLEはTBに3-13で大敗した。
これでワイルドカード争いは3チームがゲーム差無しで並んだ。
一方ボストンはあの19連敗したロイヤルズとの試合。
途中から、MLB.TVで観戦したが、雨の中断もあり延長11回、4時間の熱戦だった。
昼飯に出掛けるのも止めて観ていたが、これが、お互い満塁のチャンスの潰しあいで、面白い、面白い。
9回の裏の1アウト満塁のチャンスを生かせなかったKCが11回に再び、
1アウト満塁をつくり、レフトのラミレスへのあさ~~いフライで3塁ランナーがタッチ・アップ。
本塁でかなり際どいタイミングだったが、審判が大きく腕を横に広げセ=====フ
KCがサヨナラ勝ちをした。
また陽気なリマちゃんが踊っていた。
終ってみれば、最低勝率のKCが0-3から、去年のワールド・チャンピオンを倒した。
‘う~む、野球は面白い’・・・(^。^)
ただ、これだけ面白く感じるのはやはり観る側に‘気合’が入っているせいもある。
去年までのヤンキースなら、まあ地区優勝がほぼ確実視されていたり、
早々に、ワイルドカードの出場は確保していたりで、今年のような緊張感がなかった。
それが、今年は、プレイオフ進出そのものが実現するかどうかの‘真剣さ’があるし、
対象になるライヴァルチームが色々とあるから、追っかけるナリポンの‘真剣さ’も凄まじい。
加えて、他の試合も自由に観戦できるMLB.tvを得た事で、
ある意味、過去2年より‘数倍’楽しんでいる。
‘ワイルドでいこう’というタイトルだが、これは映画イージー・ライダーの音楽
Born to be wild (by Steppenwolf)の邦題だ。
イージー・ライダーはナリポン世代の映画だが、いわゆるアメリカン・ニュー・シネマの
代表的な作品でもあるから、若いひとでも映画好きなら観た事があるかもしれない。
ヤンキースファンで有名なジャック・ニコルソン(でも今年はを見てないような)の若い頃も拝める。
勿論、トーリだって表向きはああ言いながらも、ポスト・シーズンに進めるなら、
ワイルドカードでも良しとしているだろう。
因みに過去3年間のワールドチャンピオンは、
2004年ボストン、2003年マーリンズ、2002年エンジェルズと
すべてワイルドカード組みだ。
2002年はワイルドカード同士の戦いだった。
‘そうだよ、いまやワイルドカードがリングへの王道だな’
何れにせよ、できるだけ多く勝ち星をあげるしかない。
歌詞の中にあるが・・・
替え歌では
2005年8月24日水曜日
松井の20号同点HRが土壇場で救いヤンキースはサヨナラ勝ち~この‘やり場の無い’喜び?~
ニューヨークに戻って、いきなり2安打3打点と活躍した松井だが、
それまでの不調の深刻度合いから言って、直ぐには安心はできなかった。
しかし、昨日の復活の影にはお気に入りのAVの他に(??)、
きちんとした理由があったことがわかった。
昨日の試合前の打撃練習の時に、マッティングリー打撃コーチと体の開きについて
細かくチェックして修正したというのだ。
だったら、もっと早く修正すれば良かったのに、と素人は考えるのだが・・・(^。^)
今日の1,2打席目は相手先発Pのタワーズの球威に押されていたが、
7回の3打席目には、鋭くセンター前に弾き返し、同点のホームを踏む。
但し、8回表に再び1点のリードを許す。
その裏、先頭のチノが四球で歩き代走、ウォーマック。
そこで、かのアノーが、あのカノーが送りバントを決める。
しかし、この日2安打のジーターが三振。
あ~ぁ、と思ったところ、バーニーがしぶとくセンター前タイムリーで同点。
‘ナリポンな人’ではこの2アウトRBIのバーニーの評価は高い。
2番をカノーから、バーニーにチェンジしてからはうまくワークしているような気がする。
続くシェフだが、今日はダメな日。
1アウト1,3塁でも‘最低限の仕事’が出来ず、サードゴロゲッツーに倒れていた。
ただ、この打席は当たりが強く、2塁のエラーで出塁。
2アウトだが、ランナー1,2塁で4番エー・ロッド。
‘4番よ、たまには決めろよ’
ところが、アン・クラッチの本領発揮で空振りの三振。
ったく、つかえねぇー4番だな・・・<`ヘ´>
100打点って言ったって、6-0の試合の7点目だとか、大勝ゲームで10とか6とかの荒稼ぎ。
そう思いながらも、9回の表を抑えれば、その裏の松井がサヨナラHRの‘絵’が浮かんだ。
9回、リヴェラが登場するも、1失点する。
突然、プレッシャーのかかる9回裏になってしまった。
クローザーのバチスタと過去の対戦成績は10-6と異様に松井が強いが、
あっさりと2ストライクを取られる。
3球目もきわどいボールだった。
4球目だ。
カキ~~~~~~~~~~~~~~~~~ン!
低い鋭いライナーで、ライトスタンドへ一直線。
キターーーーーーーーーーーー(^.^)>(^.^)>\(^_^)/
と喜びながらも
‘あ~ぁ、世が世ならドタカンで予想した通りのサヨナラHRだったのに’
と、9回表の失点をやや恨めしく思う。
まあ、しかし、試合はタイになった訳だから、値千金のHRであることは間違いない。
‘久々のHRだなぁ~’
と思ったら、なんとヤンキース全体で過去4試合HRが無かった。
VTRが出ると、ベンチの選手、後ろの観客がボールの行方を真剣に追いながら
入った瞬間、全員が歓喜の極みの表情だ。
エー・ロッドなんか、まるで自分が打ったようなガッツポーズでジーターとハイタッチ。
その後、2つの四球で2アウト1、2塁でバッターはジーター。
ここで、ナリポンに‘田舎臭い’だの‘勉強不足’だと散々、虚仮にされている解説の本西が面白解説。
‘次はヒットを打つ番ですね、今日はヒット、三振、ヒット、三振ときてますから・・・’
(´ρ`)ぽか~ん
ったく、つかえねぇーな。
どうせだったら、ジーターは父親が観戦にきている時の打率はとか、HRの本数とか薀蓄でも披露しろよ。
(個人的な印象としては、父親観戦の時のジーターの活躍度は高いと思う)
まあ、いいや、これで本当にジーターが打ったら、本西を誉めてやる。
とか、思っていたら、なんとインテンショナル・ウォークだ。
(´ρ`)ぽか~ん
2アウト1,2塁でやるか。
あっ、そうか、チノに代走を出して、ジオンビは最初からDHだったから、
2番にはファーストを守ってる、エスカローナだ。
ジーターが休みの時に、ショートを守ったりしているが、守備はそこそこ、打撃は前日の1安打だけだ。
‘おまえ、身体は丈夫そうだからボールに当る覚悟でいけ~~’
くらいの応援しかできない。
あっさり、2ストライク、顔はなんか、ウンコを我慢している子供のように半ベソ状態にも見える。
‘こりゃ、雰囲気ねぇ~や、外角に投げたらあっさり三振だな’
と、思った瞬間、
センター前にクリーーーーーーーーーーーーーーーーーン・ヒット
サヨナラだ・・・(^O^)/
1塁に達した彼は、今度は感激の余りの半ベソ状態。
すかさず、エー・ロッドが飛び出してきて、まるで自分が打ったかのように喜び抱きつく。
思わぬ勝ちが転がってきた、リヴェラの頭まで撫でてる。
ったく、もう、ここまで徹底的だと憎めなくなるじゃねぇーか・・・(>_<)
一躍、ヒーローになった、エスカローナだが現地のマスコミの使っている単語が凄まじい(笑)
今日の活躍で、ヤンキースの関係者も彼の名前を正確に覚えてくれるだろう、とも書いていた。
なにしろ、彼のロッカーの名札は‘Escalona’では無く
‘Escolona’と間違っているらしいから(笑)
でも、直すと‘運’が変わるかも知れないので、本人はそのままでイイと言っている。
そう言えば、名札じゃないが、ライトフェンスのところの看板
‘讀賣新聞’が‘SONY’に変わったね。
あれと、松井の復調はなんか関係あるのかな。
むこうのある記者が書いていた。
その勝ちを引き寄せた松井に、そして一世一代の‘大仕事’をしたエスコロナに
心よりお礼を言いたい。
あれっ!
エスコロナじゃなく、エスカローナね。
ごめん、ごめん、やっぱ1回の活躍じゃ覚えないわ(笑)
それまでの不調の深刻度合いから言って、直ぐには安心はできなかった。
しかし、昨日の復活の影にはお気に入りのAVの他に(??)、
きちんとした理由があったことがわかった。
昨日の試合前の打撃練習の時に、マッティングリー打撃コーチと体の開きについて
細かくチェックして修正したというのだ。
だったら、もっと早く修正すれば良かったのに、と素人は考えるのだが・・・(^。^)
今日の1,2打席目は相手先発Pのタワーズの球威に押されていたが、
7回の3打席目には、鋭くセンター前に弾き返し、同点のホームを踏む。
但し、8回表に再び1点のリードを許す。
その裏、先頭のチノが四球で歩き代走、ウォーマック。
そこで、かのアノーが、あのカノーが送りバントを決める。
しかし、この日2安打のジーターが三振。
あ~ぁ、と思ったところ、バーニーがしぶとくセンター前タイムリーで同点。
‘ナリポンな人’ではこの2アウトRBIのバーニーの評価は高い。
2番をカノーから、バーニーにチェンジしてからはうまくワークしているような気がする。
続くシェフだが、今日はダメな日。
1アウト1,3塁でも‘最低限の仕事’が出来ず、サードゴロゲッツーに倒れていた。
ただ、この打席は当たりが強く、2塁のエラーで出塁。
2アウトだが、ランナー1,2塁で4番エー・ロッド。
‘4番よ、たまには決めろよ’
ところが、アン・クラッチの本領発揮で空振りの三振。
ったく、つかえねぇー4番だな・・・<`ヘ´>
100打点って言ったって、6-0の試合の7点目だとか、大勝ゲームで10とか6とかの荒稼ぎ。
そう思いながらも、9回の表を抑えれば、その裏の松井がサヨナラHRの‘絵’が浮かんだ。
9回、リヴェラが登場するも、1失点する。
突然、プレッシャーのかかる9回裏になってしまった。
クローザーのバチスタと過去の対戦成績は10-6と異様に松井が強いが、
あっさりと2ストライクを取られる。
3球目もきわどいボールだった。
4球目だ。
カキ~~~~~~~~~~~~~~~~~ン!
低い鋭いライナーで、ライトスタンドへ一直線。
キターーーーーーーーーーーー(^.^)>(^.^)>\(^_^)/
と喜びながらも
‘あ~ぁ、世が世ならドタカンで予想した通りのサヨナラHRだったのに’
と、9回表の失点をやや恨めしく思う。
まあ、しかし、試合はタイになった訳だから、値千金のHRであることは間違いない。
‘久々のHRだなぁ~’
と思ったら、なんとヤンキース全体で過去4試合HRが無かった。
VTRが出ると、ベンチの選手、後ろの観客がボールの行方を真剣に追いながら
入った瞬間、全員が歓喜の極みの表情だ。
エー・ロッドなんか、まるで自分が打ったようなガッツポーズでジーターとハイタッチ。
その後、2つの四球で2アウト1、2塁でバッターはジーター。
ここで、ナリポンに‘田舎臭い’だの‘勉強不足’だと散々、虚仮にされている解説の本西が面白解説。
‘次はヒットを打つ番ですね、今日はヒット、三振、ヒット、三振ときてますから・・・’
(´ρ`)ぽか~ん
ったく、つかえねぇーな。
どうせだったら、ジーターは父親が観戦にきている時の打率はとか、HRの本数とか薀蓄でも披露しろよ。
(個人的な印象としては、父親観戦の時のジーターの活躍度は高いと思う)
まあ、いいや、これで本当にジーターが打ったら、本西を誉めてやる。
とか、思っていたら、なんとインテンショナル・ウォークだ。
(´ρ`)ぽか~ん
2アウト1,2塁でやるか。
あっ、そうか、チノに代走を出して、ジオンビは最初からDHだったから、
2番にはファーストを守ってる、エスカローナだ。
ジーターが休みの時に、ショートを守ったりしているが、守備はそこそこ、打撃は前日の1安打だけだ。
‘おまえ、身体は丈夫そうだからボールに当る覚悟でいけ~~’
くらいの応援しかできない。
あっさり、2ストライク、顔はなんか、ウンコを我慢している子供のように半ベソ状態にも見える。
‘こりゃ、雰囲気ねぇ~や、外角に投げたらあっさり三振だな’
と、思った瞬間、
センター前にクリーーーーーーーーーーーーーーーーーン・ヒット
サヨナラだ・・・(^O^)/
1塁に達した彼は、今度は感激の余りの半ベソ状態。
すかさず、エー・ロッドが飛び出してきて、まるで自分が打ったかのように喜び抱きつく。
思わぬ勝ちが転がってきた、リヴェラの頭まで撫でてる。
ったく、もう、ここまで徹底的だと憎めなくなるじゃねぇーか・・・(>_<)
一躍、ヒーローになった、エスカローナだが現地のマスコミの使っている単語が凄まじい(笑)
unlikely
can't believe it
can't explain it
it's amazing
so improbable
今日の活躍で、ヤンキースの関係者も彼の名前を正確に覚えてくれるだろう、とも書いていた。
なにしろ、彼のロッカーの名札は‘Escalona’では無く
‘Escolona’と間違っているらしいから(笑)
でも、直すと‘運’が変わるかも知れないので、本人はそのままでイイと言っている。
そう言えば、名札じゃないが、ライトフェンスのところの看板
‘讀賣新聞’が‘SONY’に変わったね。
あれと、松井の復調はなんか関係あるのかな。
むこうのある記者が書いていた。
今年のヤンキースは、勝利をほぼ手中に収めていながら、
あと、ちょっとのところで、誰かの不甲斐無さや不運で
負けにしてしまった試合が相当ある。
もし、ポストシーズンに進出できなかったら、みんなはその敗戦を
後悔しながら振り返ることになるだろう。
一方で、もし、ポストシーズンに進むことができたら、
あの試合で勝ったおかげだなと思い出すだろう。
今日の勝ちもそういう試合だった。
その勝ちを引き寄せた松井に、そして一世一代の‘大仕事’をしたエスコロナに
心よりお礼を言いたい。
あれっ!
エスコロナじゃなく、エスカローナね。
ごめん、ごめん、やっぱ1回の活躍じゃ覚えないわ(笑)
2005年8月23日火曜日
世間で言う‘最低限の仕事’を確実にやってのける松井の価値~ホームに戻り3打点の活躍~
前日まで、あれだけゲッソリして見えた松井がホームに戻り、
ピン・ストライプのユニフォームを着ていた。
‘あれ、休みもなかったのに顔の表情が生き生きしているぞ’
守備位置に走る松井を見ながら、私は少し期待した。
最初の打席は、ノーアウト2塁でレフト前ヒット、
当たりが強すぎたのでタイムリーにはならなかったが、先制点へ繋げる安打だった。
第3打席は、1アウト、1,3塁のチャンスで回ってきた。
‘この打席が問題だな、どうにかして3塁ランナーを返してくれ’
ドキドキしながら観ていたが、フルカウントから左中間に放った当たりは、
打った瞬間、3塁ランナーが元木だとしても楽に帰ってこれるディープな当たりだった。
こういう犠牲フライを打つと、日本の野球関係者は異口同音に、
‘最低限の仕事はしました’
と、抜かす。
そりゃあ、HRや安打が出れば最高だが、だからと言って犠牲フライを‘最低限の仕事’と、
したり顔で解説する連中には正直辟易とする。
‘おまえが現役のとき、どれくらいの確率で最低限の仕事を果たしたんだよ’・・・<`ヘ´>
実際、世に言う‘最低限の仕事’が求められるシチュエイションでの全体の成功率っていうのは、
どれくらいだろう。
正確な数字は持っていないが、5割は絶対無い、下手すると3割くらいじゃないかと思う。
今日のヤンキースにしても、1アウト満塁で0点、ノーアウト1,2塁でバント失敗、0点なのだ。
相手のトロントもノーアウト1,2塁で0点、ノーアウト2塁から1アウト3塁にしたチャンスも0点、
もう1度ノーアウト2塁を作るが、これも0点だった。
これだけ失敗率が高いのに、カビの生えた表現では‘最低限の仕事’だ。
前にも書いたことがあるが、チームの全員が‘最低限の仕事’を確実に果たしたら、
そのチームは絶対に強い。
‘最低限の仕事’は実際には成功率が低いのに、
失敗すると‘勝負の流れ’が相手チームに行ってしまう。
例えば、ノーアウト2,3塁のチャンスで無得点に終れば、‘よし、いけるぞ’と思うし、
味方のPは頭の中で、1,2点は‘計算’してしまったショックを引きずる可能性がある。
そういう意味では‘最低限の仕事’を確実にやってのけるのは極めて価値のあることなのだ。
第4打席、ノーアウト満塁のチャンスにエー・ロッドは空振りの三振。
続く松井が、2ボールから、狙い澄ましたライト前タイムリーで2打点。
‘ナリポンな人’はダメ押しになったこの2打点よりも、勝負の行方がフラフラして時点での、
あの犠飛の方が嬉しかった。
試合後の松井がこう言っている。
あれだけ不調だったのに、ホームに戻っての今日の‘蘇生’は素晴らしい・・・(^。^)
今は、ヤンキースの勝利が最大のプライオリティで、松井が活躍しなくても構わないと
‘豪語’していたナリポンだが、矢張り、今日のように松井の活躍を目にすると、
素直に一日中気分が良い。
と言うか、松井が活躍すればチームの勝つ確率がググ~~~ンと高まるのだ。
ピン・ストライプのユニフォームを着ていた。
‘あれ、休みもなかったのに顔の表情が生き生きしているぞ’
守備位置に走る松井を見ながら、私は少し期待した。
最初の打席は、ノーアウト2塁でレフト前ヒット、
当たりが強すぎたのでタイムリーにはならなかったが、先制点へ繋げる安打だった。
第3打席は、1アウト、1,3塁のチャンスで回ってきた。
‘この打席が問題だな、どうにかして3塁ランナーを返してくれ’
ドキドキしながら観ていたが、フルカウントから左中間に放った当たりは、
打った瞬間、3塁ランナーが元木だとしても楽に帰ってこれるディープな当たりだった。
こういう犠牲フライを打つと、日本の野球関係者は異口同音に、
‘最低限の仕事はしました’
と、抜かす。
そりゃあ、HRや安打が出れば最高だが、だからと言って犠牲フライを‘最低限の仕事’と、
したり顔で解説する連中には正直辟易とする。
‘おまえが現役のとき、どれくらいの確率で最低限の仕事を果たしたんだよ’・・・<`ヘ´>
実際、世に言う‘最低限の仕事’が求められるシチュエイションでの全体の成功率っていうのは、
どれくらいだろう。
正確な数字は持っていないが、5割は絶対無い、下手すると3割くらいじゃないかと思う。
今日のヤンキースにしても、1アウト満塁で0点、ノーアウト1,2塁でバント失敗、0点なのだ。
相手のトロントもノーアウト1,2塁で0点、ノーアウト2塁から1アウト3塁にしたチャンスも0点、
もう1度ノーアウト2塁を作るが、これも0点だった。
これだけ失敗率が高いのに、カビの生えた表現では‘最低限の仕事’だ。
前にも書いたことがあるが、チームの全員が‘最低限の仕事’を確実に果たしたら、
そのチームは絶対に強い。
‘最低限の仕事’は実際には成功率が低いのに、
失敗すると‘勝負の流れ’が相手チームに行ってしまう。
例えば、ノーアウト2,3塁のチャンスで無得点に終れば、‘よし、いけるぞ’と思うし、
味方のPは頭の中で、1,2点は‘計算’してしまったショックを引きずる可能性がある。
そういう意味では‘最低限の仕事’を確実にやってのけるのは極めて価値のあることなのだ。
第4打席、ノーアウト満塁のチャンスにエー・ロッドは空振りの三振。
続く松井が、2ボールから、狙い澄ましたライト前タイムリーで2打点。
‘ナリポンな人’はダメ押しになったこの2打点よりも、勝負の行方がフラフラして時点での、
あの犠飛の方が嬉しかった。
試合後の松井がこう言っている。
"I don't really focus on whether it's a clutch situation or not," Matsui said. "I handle situations and make sure I know what to do at the plate, and try to accomplish it."
あれだけ不調だったのに、ホームに戻っての今日の‘蘇生’は素晴らしい・・・(^。^)
今は、ヤンキースの勝利が最大のプライオリティで、松井が活躍しなくても構わないと
‘豪語’していたナリポンだが、矢張り、今日のように松井の活躍を目にすると、
素直に一日中気分が良い。
と言うか、松井が活躍すればチームの勝つ確率がググ~~~ンと高まるのだ。
2005年8月20日土曜日
高校野球における‘野球留学’~全国に散らばる‘落下傘球児’~
高校野球は北海道の駒大苫小牧が優勝した。
昨年、初めて白河の関を越えた優勝旗は再び越えたのみならず、57年振りの連覇と言う形で、
同校の手に戻った。
なんで、急にこんなに強くなったのだろう。
意地の悪いナリポンの頭に浮かんだのは、所謂‘野球留学’である。
その割には、地元苫小牧の人達が広いホールに集まり、優勝の瞬間を祝っていた。
そういえば、私の友人で北海道出身者(神奈川在住)と去年の暮に話した時、
スポーツネタで最も嬉しかったのは、駒大苫小牧の甲子園優勝だと言っていた。
調べてみたら、私の勉強不足だった。
去年はベンチ入りメンバーの全員が道内の出身だった。
ことしは、2人が道外の出身で、その一人が、大活躍した田中投手で兵庫県の出身だそうだ。
でも、たった二人じゃ、野球留学とは言い難いな。
まあ、北海道は広い分、道内だけでも人材の確保が出来るのかもしれない。
名実ともに‘強豪校’になれば自ずと入学希望者も増えてくるだろう。
ところが、他の出場校の中には、かなり顕著な‘野球留学’が認められるケースがある。
2ちゃんからのコピペだが・・・
ここで言う‘外人部隊’の定義は、恐らく他の都道府県出身者を意味しているのだろうか。
そうなると、首都圏や大阪近郊では、充分に通学可能だから、
その点は斟酌する必要があるだろう。
しかし、ランキングの上位を見て‘やっぱりあそこはなぁ~’と思えるところも多い。
この野球留学は、関西から四国へ、或いは山陰へ、そして北陸へと広がり、
今は東北にも押し寄せている感じだ。
青森山田は卓球の愛ちゃんも在籍しているし、露骨とも言えるスカウティングをしていそうだ。
こういう傾向が続くと、地元は白けているらしい。
ただ、一概に‘野球留学’を否定もできない。
先ずは甲子園出場のチャンスの不平等だ。
神奈川が最も激戦区という印象があったが、地区予選参加校数のばらつきは異様だ。
なんと、最高で1:8なんて凄すぎ。
選挙で‘1票の重さ’が論議されるが、そういう意味ではその比ではない。
これじゃあ‘手薄’な地区に‘留学’し、レギュラーの座を確保し、
甲子園出場の夢を叶えたいと思う球児がいても不思議はない。
一方、学校側もそれを‘餌’にし、もっと大物獲得には、
すべて免除の‘特待生制度’をちらつかせる。
ただ、こういう事が、できるのは一部の金持ち私立に限定される。
例えば、青森県代表を調べてみると、過去7年、青森山田と光星学院の2校で占められている。
すると、もう他の高校の野球部の連中は諦観して、白けてしまうと思うんだが・・・。
まあ、ある種の‘ウィンブルドン方式’だもんね。
おまけに、その両校の選手達ときたら、共通言語を‘関西弁’にしてたりするから、
正統な津軽弁を話す地元民からは、まさに‘外人’だ・・・(^。^)
高野連も問題意識も持っているらしく、将来は何らかの規制の動きがあるかもしれない。
‘駅前留学’はNOVA無しでいいが、‘野球留学’は野放しにできない・・・(-_-;)
野放し状態なのは、小泉が仕掛ける‘落下傘部隊’だ。
縁もゆかりもない町に突然やってきて、
‘尾道は非常に美しい町’
と、抜かすブ○エモンは、ドサ回りの演歌歌手以下だ。
そんな嘘が許されているのは、病気療養中の‘林家こん平’だけだよ。
昨年、初めて白河の関を越えた優勝旗は再び越えたのみならず、57年振りの連覇と言う形で、
同校の手に戻った。
なんで、急にこんなに強くなったのだろう。
意地の悪いナリポンの頭に浮かんだのは、所謂‘野球留学’である。
その割には、地元苫小牧の人達が広いホールに集まり、優勝の瞬間を祝っていた。
そういえば、私の友人で北海道出身者(神奈川在住)と去年の暮に話した時、
スポーツネタで最も嬉しかったのは、駒大苫小牧の甲子園優勝だと言っていた。
調べてみたら、私の勉強不足だった。
去年はベンチ入りメンバーの全員が道内の出身だった。
ことしは、2人が道外の出身で、その一人が、大活躍した田中投手で兵庫県の出身だそうだ。
でも、たった二人じゃ、野球留学とは言い難いな。
まあ、北海道は広い分、道内だけでも人材の確保が出来るのかもしれない。
名実ともに‘強豪校’になれば自ずと入学希望者も増えてくるだろう。
ところが、他の出場校の中には、かなり顕著な‘野球留学’が認められるケースがある。
2ちゃんからのコピペだが・・・
第87回外人部隊ランキング
16/18 江の川
14/18 日本航空
13/18 酒田南 天理
12/18 青森山田 東北 近江
11/18 静清工
8/18 大阪桐蔭 済美
7/18 遊学館 柳川
6/18 日大三 鳴門工
5/18 聖光学院 関西
4/18 桐光学園 愛工大名電 智弁和歌山 樟南
3/18 春日部共栄 沖縄尚学
2/18 駒大苫小牧 銚子商 松商学園
1/18 花巻東 藤代 国士舘 京都外大西 熊本工
0/18 旭川工 秋田商 宇都宮南 前橋商 新潟明訓 土岐商 菰野 高岡商 福井商
姫路工 高陽東 鳥取西 宇部商 丸亀城西 高知 佐賀商 清峰 別府青山 聖心ウルスラ
(ベンチ入り18人のうちの外人部隊の数)
ここで言う‘外人部隊’の定義は、恐らく他の都道府県出身者を意味しているのだろうか。
そうなると、首都圏や大阪近郊では、充分に通学可能だから、
その点は斟酌する必要があるだろう。
しかし、ランキングの上位を見て‘やっぱりあそこはなぁ~’と思えるところも多い。
この野球留学は、関西から四国へ、或いは山陰へ、そして北陸へと広がり、
今は東北にも押し寄せている感じだ。
青森山田は卓球の愛ちゃんも在籍しているし、露骨とも言えるスカウティングをしていそうだ。
こういう傾向が続くと、地元は白けているらしい。
ただ、一概に‘野球留学’を否定もできない。
先ずは甲子園出場のチャンスの不平等だ。
神奈川が最も激戦区という印象があったが、地区予選参加校数のばらつきは異様だ。
神奈川 195
大 阪 191
愛 知 187
千 葉 181
兵 庫 166
埼 玉 165
南北海道152
東東京 148
福 岡 132
北北海道124
(省略)
富 山 50
山 梨 41
佐 賀 41
和歌山 40
島 根 40
香 川 40
徳 島 35
高 知 31
福 井 29
鳥 取 24
なんと、最高で1:8なんて凄すぎ。
選挙で‘1票の重さ’が論議されるが、そういう意味ではその比ではない。
これじゃあ‘手薄’な地区に‘留学’し、レギュラーの座を確保し、
甲子園出場の夢を叶えたいと思う球児がいても不思議はない。
一方、学校側もそれを‘餌’にし、もっと大物獲得には、
すべて免除の‘特待生制度’をちらつかせる。
ただ、こういう事が、できるのは一部の金持ち私立に限定される。
例えば、青森県代表を調べてみると、過去7年、青森山田と光星学院の2校で占められている。
すると、もう他の高校の野球部の連中は諦観して、白けてしまうと思うんだが・・・。
まあ、ある種の‘ウィンブルドン方式’だもんね。
おまけに、その両校の選手達ときたら、共通言語を‘関西弁’にしてたりするから、
正統な津軽弁を話す地元民からは、まさに‘外人’だ・・・(^。^)
高野連も問題意識も持っているらしく、将来は何らかの規制の動きがあるかもしれない。
‘駅前留学’はNOVA無しでいいが、‘野球留学’は野放しにできない・・・(-_-;)
野放し状態なのは、小泉が仕掛ける‘落下傘部隊’だ。
縁もゆかりもない町に突然やってきて、
‘尾道は非常に美しい町’
と、抜かすブ○エモンは、ドサ回りの演歌歌手以下だ。
そんな嘘が許されているのは、病気療養中の‘林家こん平’だけだよ。
2005年8月19日金曜日
中田英が英語でボルトン入団会見(生声聴けます)~日本人アスリートの語学力~
サッカー選手としては、ややピークを過ぎた感もある中田英だが、自身の人生の生き方には、
常に強い信念を持っているように思える。
そのひとつの証左が、語学力である。
中田は、サッカーのイタリア1部リーグ(セリエA)フィオレンティナから
イングランド・プレミアリーグの古豪、ボルトンへ1年間の期限付きで移籍したが、
その入団記者会見も、通訳を介さず英語で行ったことから、マスコミが大騒ぎだ。
先ずは実際に彼の生の英語をBBC Sportsで聴いてみよう。(右上のAUDIOをクリック)
ナリポンは一応シンガポールとはいえ5年間海外在住経験があるし、
その後も外資に転職して13年英語を使って仕事をしていたから、
この英語には正直それほど感動はしない。
文法的にもイチャモンを付けようと思えば、付けられそうな箇所もある。
でも、中田がその昔、イタリア語を流暢に使っているのを初めて見たときは感動した。
それは、自分がイタリア語を全然出来ないせいもあったが、恐らく短期間で習得したイタリア語の、
リズムというか抑揚が、極めてそれっぽく聞こえたからだ。
その後もどんどんと、そのイタリア語をインプルーブさせているような印象があった。
(←イタリア語も知らない癖に)
その、中田が今度は英語だ。
あの会見スピーチは事前に、準備することもできただろうが、質問も英語で受け、
それに答えていたらしいから(内容は不詳だが)、そうなると本当の実力が要求される。
質問の内容を、きちんと理解できるかどうかが鍵だ。
語学を学ぶ事がサッカーに必要だと考えているのか、学ぶ事が好きなのか、
或いはその両方なのかはわからないが、この実行力は他のアスリート達も見習うべきだろう。
実際、中田はサッカー選手なんて時間を作ろうと思えば幾らでも作れる訳で、
それでいて他の日本人選手に‘語学の習得法’とか聞かれると白ける、
みたいな発言をしているらしい。
‘要はやる気があるかどうか’だと言いたいのだろう。
そういう意味では、中田は確実に実践してきた。
まあ、若い頃から、エキセントリックな言動が目立つ中田だから、
うざい日本人マスコミを煙に巻くためにも有効な方法だと思っているのかも知れない。
語学力で驚いたと言えば、卓球の福原愛ちゃんの中国語もそうだ。
これまた、まったく知識はないのでどの程度のものかは分からないが、
サウンドとして極めてネイティヴっぽいのだ。
おまけに話すスピード、卓球のラリーでは無いが、滅茶苦茶速い。
日本語でインタヴューされている時よりも、即答している感じだし・・・。
現地のテレビのトーク番組でも、表情豊かに、意地悪い質問にも何とか答えていた。
その番組「面対面」の動画観られます。(運がいいとね、5回やって2勝3敗)
英語が非常に流暢だと思ったのは、F1レーサーの佐藤琢磨だな。
メジャー・リーガーはどうか。
マトモそうなのは、長谷川ぐらいかな。
現役を引退しても、ヴィザさえ取れれば、アメリカに住んでゴルフ三昧の生活でも楽しみそう。
なんと、英語の学習法の本まで出していた。
‘メジャーリーグで覚えた僕の英語勉強法’
完璧主義のイチローは、表彰式のスピーチをするために、寝ずに覚えて、
相当なプレッシャーを受けていたみたいだし、松井は典型的なジャパニーズ・スマイルで
‘YES,YES’とやっていそうだ。
野球は、サッカーとかに較べると、余り言葉でのコミュニケーションがなくても、
やっていける競技なのかもね。
そうは言っても、キャッチャーになると話は別。
城島とかどうするのかな。
ゴルファーはどうなんだろう。
宮里藍ちゃんは、怖気づかず、意識して英語にチャレンジしているし、
年齢的な若さから言っても将来的にはマスターしそう。
青木功くらいになると、トッププレイヤー相手に‘栃木訛りの英語’で
充分に渡り合っている感じがする。
因みに、ジャンボ尾崎は英語が出来ない事で、典型的な‘内弁慶’で終ったらしい。
まあ、アスリートは別にビジネスマンでもなんでもないから、
本来の分野で実力を発揮すればいいんだけどね。
因みに、ナリポンはベッカムのしゃべり方は大嫌いだ。
子ブッシュも嫌いだし、映画は大好きなのが多いのに、
ヒュー・グラントのしゃべり方も好きじゃない。
アスリートとは関係ないが、数ヶ月前に政治への無関心を語っていた
ホリエモンの突然の衆議院選出馬。
‘世界有数のコングロマリットを作る’とか語っていた彼が、外人記者を前に披露した英語は、
石井一久の入団会見と変わらないレヴェルだった。
あれはまずいでしょ。
ホリエモンがダイエット食品を宣伝しても売れないのと或る意味同じだよ・・・(^。^)
常に強い信念を持っているように思える。
そのひとつの証左が、語学力である。
中田は、サッカーのイタリア1部リーグ(セリエA)フィオレンティナから
イングランド・プレミアリーグの古豪、ボルトンへ1年間の期限付きで移籍したが、
その入団記者会見も、通訳を介さず英語で行ったことから、マスコミが大騒ぎだ。
★地元記者が驚く英語力-中田英入団会見
イタリア語を流ちょうに話すことで知られる中田英だが、英語も地元記者を驚かせる力量だった。
デーリー・テレグラフ紙の記者は「英語がうまいので驚いた。静かで抑えめだが、とてもプロフェッショナルだった」と印象を語った。
ただ出席した日本メディアからの質問も英語に限られ、記者会見では日本人同士が英語でやりとり。
「今後も日本語は使わないのか」との質問に「自分たちがどこにいるかを考えなければいけない」と応じ、
将来も英語だけを通す意向を示した。(共同)
先ずは実際に彼の生の英語をBBC Sportsで聴いてみよう。(右上のAUDIOをクリック)
ナリポンは一応シンガポールとはいえ5年間海外在住経験があるし、
その後も外資に転職して13年英語を使って仕事をしていたから、
この英語には正直それほど感動はしない。
文法的にもイチャモンを付けようと思えば、付けられそうな箇所もある。
でも、中田がその昔、イタリア語を流暢に使っているのを初めて見たときは感動した。
それは、自分がイタリア語を全然出来ないせいもあったが、恐らく短期間で習得したイタリア語の、
リズムというか抑揚が、極めてそれっぽく聞こえたからだ。
その後もどんどんと、そのイタリア語をインプルーブさせているような印象があった。
(←イタリア語も知らない癖に)
その、中田が今度は英語だ。
あの会見スピーチは事前に、準備することもできただろうが、質問も英語で受け、
それに答えていたらしいから(内容は不詳だが)、そうなると本当の実力が要求される。
質問の内容を、きちんと理解できるかどうかが鍵だ。
語学を学ぶ事がサッカーに必要だと考えているのか、学ぶ事が好きなのか、
或いはその両方なのかはわからないが、この実行力は他のアスリート達も見習うべきだろう。
実際、中田はサッカー選手なんて時間を作ろうと思えば幾らでも作れる訳で、
それでいて他の日本人選手に‘語学の習得法’とか聞かれると白ける、
みたいな発言をしているらしい。
‘要はやる気があるかどうか’だと言いたいのだろう。
そういう意味では、中田は確実に実践してきた。
まあ、若い頃から、エキセントリックな言動が目立つ中田だから、
うざい日本人マスコミを煙に巻くためにも有効な方法だと思っているのかも知れない。
語学力で驚いたと言えば、卓球の福原愛ちゃんの中国語もそうだ。
これまた、まったく知識はないのでどの程度のものかは分からないが、
サウンドとして極めてネイティヴっぽいのだ。
おまけに話すスピード、卓球のラリーでは無いが、滅茶苦茶速い。
日本語でインタヴューされている時よりも、即答している感じだし・・・。
現地のテレビのトーク番組でも、表情豊かに、意地悪い質問にも何とか答えていた。
その番組「面対面」の動画観られます。(運がいいとね、5回やって2勝3敗)
英語が非常に流暢だと思ったのは、F1レーサーの佐藤琢磨だな。
メジャー・リーガーはどうか。
マトモそうなのは、長谷川ぐらいかな。
現役を引退しても、ヴィザさえ取れれば、アメリカに住んでゴルフ三昧の生活でも楽しみそう。
なんと、英語の学習法の本まで出していた。
‘メジャーリーグで覚えた僕の英語勉強法’
完璧主義のイチローは、表彰式のスピーチをするために、寝ずに覚えて、
相当なプレッシャーを受けていたみたいだし、松井は典型的なジャパニーズ・スマイルで
‘YES,YES’とやっていそうだ。
野球は、サッカーとかに較べると、余り言葉でのコミュニケーションがなくても、
やっていける競技なのかもね。
そうは言っても、キャッチャーになると話は別。
城島とかどうするのかな。
ゴルファーはどうなんだろう。
宮里藍ちゃんは、怖気づかず、意識して英語にチャレンジしているし、
年齢的な若さから言っても将来的にはマスターしそう。
青木功くらいになると、トッププレイヤー相手に‘栃木訛りの英語’で
充分に渡り合っている感じがする。
因みに、ジャンボ尾崎は英語が出来ない事で、典型的な‘内弁慶’で終ったらしい。
まあ、アスリートは別にビジネスマンでもなんでもないから、
本来の分野で実力を発揮すればいいんだけどね。
因みに、ナリポンはベッカムのしゃべり方は大嫌いだ。
子ブッシュも嫌いだし、映画は大好きなのが多いのに、
ヒュー・グラントのしゃべり方も好きじゃない。
アスリートとは関係ないが、数ヶ月前に政治への無関心を語っていた
ホリエモンの突然の衆議院選出馬。
‘世界有数のコングロマリットを作る’とか語っていた彼が、外人記者を前に披露した英語は、
石井一久の入団会見と変わらないレヴェルだった。
あれはまずいでしょ。
ホリエモンがダイエット食品を宣伝しても売れないのと或る意味同じだよ・・・(^。^)
2005年8月11日木曜日
リビングのエアコンが‘急逝’~冷たさを買える時代~
この暑さの中、リビングのエアコンが昨夜‘急逝’した。
死んだ親父の‘趣味’だったので、当時20万以上した大型エアコンだ。
享年、13歳。
エアコンといえば、かつて書いた
賃貸マンションのエア・コン壊れてホテル暮らし~クレイマーの真骨頂~にもあるように、
10数年が‘天寿’なのだろうか。
当地には、4つの代表的な家電量販店があるが、そのうちのひとつと、この4年間で
築き上げた関係を生かし、希望商品を極めて低価格で購入。
お盆で懸念された工事も、あさってにはできる素早さ。
穢土時代は、モノによって秋葉原巡りか、ヨドバシ、ビックカメラ等の量販店系かを選んで、
購入していたが、地方‘過激な競争'はむしろ消費者を優位にしている感がある。
(←まあ、ナリポンの交渉上手もあるけどね)
まあ、リビングのエアコンは私にとって‘死ぬほどの問題’ではない。
私が、リビングに‘赴く’のは、基本的には晩飯の時だけだ。
昔は、晩飯と言っても、実際は‘飲酒’を意味したから、平気で2時間かけていたが、
病人になってからは、平均で30分の‘滞在’だ。
ところが、自分の部屋のエアコンの存在はまさに‘生きるか死ぬかの問題’だ。
私の‘趣味’だったから、確か4万弱の安物だが、冷やす標的の私が‘不動’だから
部屋の広さに不釣合いでも、なんら問題ない。
心臓病の私には、暑さとか寒さとかは顕著なリスクだ。
その、リスクを回避し、なおかつ快適さを得られる‘冷たさ’を、これだけ容易に買える時代は有り難い。
一方で、過剰な冷房が齎す、環境問題、エネルギー問題、
人体への影響があることも承知している。
あの、小池百合子女史が提唱していた、クールビズもその一環だろう。
ただ、自分がガキだった頃を含めて、昔の人はどうやって暑さに耐えていたのだろうかと思うと、
もはや想像が中々できない。
行水や打ち水、氷柱の覚えはあるが・・・
その頃の、病人はどうしていたのだろうか。
今日は、通院の日で午後病院に行ったが、その時医者に質問した。
‘エアコンの無い時代は、この夏の暑さが原因で命を縮めた人って結構いるんじゃない’
‘えぇ、そうですよ。病気の人とかお年寄りの人とかは暑さが原因の場合も多かったでしょう。’
その昔、学生時代、電車によって冷房車かどうか当たりハズレがあった。
特に、急がない時は、暑いホームで、冷房車待ちをしたりしていた。
待ってる時間の方が、乗ってる時間より長かったりしたこともあったかも(笑)
山手線の冷房車に乗っかって、読書したり、デートしたりしたこともあったなぁ。
なんか、今日も、キレがないなぁ、って?
しかたないよなぁ、暑さで頭がボォーっとしてるから・・・(-_-;)
(ほんとは、アレのせいだろ)
死んだ親父の‘趣味’だったので、当時20万以上した大型エアコンだ。
享年、13歳。
エアコンといえば、かつて書いた
賃貸マンションのエア・コン壊れてホテル暮らし~クレイマーの真骨頂~にもあるように、
10数年が‘天寿’なのだろうか。
当地には、4つの代表的な家電量販店があるが、そのうちのひとつと、この4年間で
築き上げた関係を生かし、希望商品を極めて低価格で購入。
お盆で懸念された工事も、あさってにはできる素早さ。
穢土時代は、モノによって秋葉原巡りか、ヨドバシ、ビックカメラ等の量販店系かを選んで、
購入していたが、地方‘過激な競争'はむしろ消費者を優位にしている感がある。
(←まあ、ナリポンの交渉上手もあるけどね)
まあ、リビングのエアコンは私にとって‘死ぬほどの問題’ではない。
私が、リビングに‘赴く’のは、基本的には晩飯の時だけだ。
昔は、晩飯と言っても、実際は‘飲酒’を意味したから、平気で2時間かけていたが、
病人になってからは、平均で30分の‘滞在’だ。
ところが、自分の部屋のエアコンの存在はまさに‘生きるか死ぬかの問題’だ。
私の‘趣味’だったから、確か4万弱の安物だが、冷やす標的の私が‘不動’だから
部屋の広さに不釣合いでも、なんら問題ない。
心臓病の私には、暑さとか寒さとかは顕著なリスクだ。
その、リスクを回避し、なおかつ快適さを得られる‘冷たさ’を、これだけ容易に買える時代は有り難い。
一方で、過剰な冷房が齎す、環境問題、エネルギー問題、
人体への影響があることも承知している。
あの、小池百合子女史が提唱していた、クールビズもその一環だろう。
ただ、自分がガキだった頃を含めて、昔の人はどうやって暑さに耐えていたのだろうかと思うと、
もはや想像が中々できない。
行水や打ち水、氷柱の覚えはあるが・・・
その頃の、病人はどうしていたのだろうか。
今日は、通院の日で午後病院に行ったが、その時医者に質問した。
‘エアコンの無い時代は、この夏の暑さが原因で命を縮めた人って結構いるんじゃない’
‘えぇ、そうですよ。病気の人とかお年寄りの人とかは暑さが原因の場合も多かったでしょう。’
その昔、学生時代、電車によって冷房車かどうか当たりハズレがあった。
特に、急がない時は、暑いホームで、冷房車待ちをしたりしていた。
待ってる時間の方が、乗ってる時間より長かったりしたこともあったかも(笑)
山手線の冷房車に乗っかって、読書したり、デートしたりしたこともあったなぁ。
なんか、今日も、キレがないなぁ、って?
しかたないよなぁ、暑さで頭がボォーっとしてるから・・・(-_-;)
(ほんとは、アレのせいだろ)
2005年8月10日水曜日
気落ちのノンポリ・ナリポンは元東京10区の選挙民~だからどうした~
常連さんには容易に想像がつくと思うが、今日のナリポンは極めて‘気が重い’。
‘気が重い’と当然のように‘筆も重い’。
こうやって、書く事=キーボードを叩くことになっても、
やはり‘筆が重い’という表現を使っているのも、やや不自然だ。
何十年かしたら、何かもっと気の利いた表現が生まれていそうな気もするが・・・。
通信手段もメールやそれに準ずるものに代わっていくだろう。
そういう意味で言えば、将来的には年賀状を含めて、手紙やはがきで遣り取りする人間は激減しそうだ。
そんな時代になったら‘筆不精’‘筆まめ’ではなく、‘指不精’‘指まめ’とでも言うのだろうか。
そうそう郵便と言えば、そもそもナリポンはノンポリだ。
(←4文字のうち3文字が被ってる・・・(^。^))
ただ、昨日飛び込んできたニュースには驚いた。
郵政民営化関連法案に反対した小林興起前衆院議員(亀井派)に、
小池百合子環境相をぶつけるというニュースだ。
舞台になるのは、東京10区。
なんのことはない、私が野に下るまで住んでいた地区なのだ。
(←だから、どうした)
全く、お恥ずかしい話だが、1987年に帰国して以来、選挙にいったのはたったの3回。
その1回目が、その小林興起なのだ、
近親者に通産官僚がいて、是非にと頼まれたのだ。(←まあ1回きりだけど)
後は、都知事選の青島と、参議院の大橋巨泉。
なんという、ミーハーノンポリ。
その割りに、テレビのインタヴューとかで
‘誰がやっても変わらないでしょう’とか抜かしている連中をみると、
なんとステレオタイプなんだろうかと軽蔑してしまうのだが・・・(>_<)
しかし、小泉もやるなぁ。
まあ、小林興起は平沢勝栄と並んで、マスコミへの露出過多だから、
いろいろな意味で、アナウンスメント効果はあるなぁ。
小池百合子といえば、テレ東のワールド・ビジネス・サテライトのキャスター時代の印象は良かったね。
カイロ大学卒業というのも異色だったが、知的で、フレッシュなイメージがあったから、
当時の日本新党とのイメージとも重なって、魅力を感じた。
その後の、世渡りの上手さは、逆にあの当時のイメージを裏切る感じもする。
でも、WBSのキャスターと言えば、短期間だったが、田口恵美子が出色だったなぁ。
顔は完全に、チーママ系なのだが、あの顔で経済・海外ネタをやられると堪らなかった。
‘全身テンション男’の松岡修三に持っていかれた時は、マジに悲しかった。
田口ファンは周りにも結構多く、その反動で後任の小谷真生子は所謂‘男顔’も手伝い
最初はボロクソだったなぁ。
まあ、その後は、地道に努力も勉強も重ねて、確固たる存在になったけどね。
と言う訳で、今日のお話は、やっぱりリキも入らず、我ながらお粗末な出来と思いながらも、
‘連続エントリー記録’もあるので、このままアップしますね。
‘気が重い’と当然のように‘筆も重い’。
こうやって、書く事=キーボードを叩くことになっても、
やはり‘筆が重い’という表現を使っているのも、やや不自然だ。
何十年かしたら、何かもっと気の利いた表現が生まれていそうな気もするが・・・。
通信手段もメールやそれに準ずるものに代わっていくだろう。
そういう意味で言えば、将来的には年賀状を含めて、手紙やはがきで遣り取りする人間は激減しそうだ。
そんな時代になったら‘筆不精’‘筆まめ’ではなく、‘指不精’‘指まめ’とでも言うのだろうか。
そうそう郵便と言えば、そもそもナリポンはノンポリだ。
(←4文字のうち3文字が被ってる・・・(^。^))
ただ、昨日飛び込んできたニュースには驚いた。
郵政民営化関連法案に反対した小林興起前衆院議員(亀井派)に、
小池百合子環境相をぶつけるというニュースだ。
舞台になるのは、東京10区。
なんのことはない、私が野に下るまで住んでいた地区なのだ。
(←だから、どうした)
全く、お恥ずかしい話だが、1987年に帰国して以来、選挙にいったのはたったの3回。
その1回目が、その小林興起なのだ、
近親者に通産官僚がいて、是非にと頼まれたのだ。(←まあ1回きりだけど)
後は、都知事選の青島と、参議院の大橋巨泉。
なんという、ミーハーノンポリ。
その割りに、テレビのインタヴューとかで
‘誰がやっても変わらないでしょう’とか抜かしている連中をみると、
なんとステレオタイプなんだろうかと軽蔑してしまうのだが・・・(>_<)
しかし、小泉もやるなぁ。
まあ、小林興起は平沢勝栄と並んで、マスコミへの露出過多だから、
いろいろな意味で、アナウンスメント効果はあるなぁ。
小池百合子といえば、テレ東のワールド・ビジネス・サテライトのキャスター時代の印象は良かったね。
カイロ大学卒業というのも異色だったが、知的で、フレッシュなイメージがあったから、
当時の日本新党とのイメージとも重なって、魅力を感じた。
その後の、世渡りの上手さは、逆にあの当時のイメージを裏切る感じもする。
でも、WBSのキャスターと言えば、短期間だったが、田口恵美子が出色だったなぁ。
顔は完全に、チーママ系なのだが、あの顔で経済・海外ネタをやられると堪らなかった。
‘全身テンション男’の松岡修三に持っていかれた時は、マジに悲しかった。
田口ファンは周りにも結構多く、その反動で後任の小谷真生子は所謂‘男顔’も手伝い
最初はボロクソだったなぁ。
まあ、その後は、地道に努力も勉強も重ねて、確固たる存在になったけどね。
と言う訳で、今日のお話は、やっぱりリキも入らず、我ながらお粗末な出来と思いながらも、
‘連続エントリー記録’もあるので、このままアップしますね。
2005年8月4日木曜日
ヤンキース連敗で、散髪へ~これって新しい減量法?~
ヤンキースは序盤で4点リードしながら、あっさり逆転され、そのまま負けちゃうし、
ボストンは一時逆転されながら、即、再逆転して勝っちゃうし、相変わらず外は糞暑いし、
蕎麦ネタは反応が鈍いし、もう、こりゃあ、午後は床屋に行くしかないなと思い(←どういう論理だよ)、
行ってみた。
4年前に、当地にやってきてから、ずっと変えずに通っている店だ。
しかーーーーーーーーーーーーーーーーし、入り口に貼り紙。
‘13~15日、休ませて頂きます’
が~~~~~~~~~~ん! 関係ない・・・(^。^)
‘なんだよ、昨日の今日で紛らわしい貼り紙してるからビビッタじゃねぇーか’
ナリポンは若い頃、髪の毛が針金のような剛毛で有名だった。
中学校の頃は、他のクラスの女の子もわざわざその剛毛を触りにくる程人気で、
一時は有料化(5円)したことがあった。(←これネタじゃなくマジな話)
小学校の頃、通っていた床屋の人が10何年後、夏休みで帰省中の私の髪を切りながら一言。
‘この髪、どっかで切ったことがある’
私が引っ越して通わなくなっていたのだが、彼は、顔を見ても気付けなかったのに、
髪を切っている途中で‘アレッ’っと気付いたらしい。
学生時代には、ある床屋に初めて行ったら、髪を切り始めた主人が途中で止めて、
棚の中にある別のハサミを持ってきた。
‘お客さんのような髪には、このハサミじゃなきゃいけない。
これ、いくらするかわかります?10万近くするんですよ’
‘はぁ、そうですか。料金は同じですよね’
ナリポンの髪型の変遷は、高校までは、まあ普通に普通。
大学時代はちょうど、中村雅俊の‘俺たちの旅’が全盛。
かなりの長髪に、ベルボトムのジーンズ、アーミー・ジャケット、厚底のサンダル。
いやぁ、我ながら全然キマッテいなかったが(笑)、逆にこの年になって何枚か残っている
当時の写真を目にすると、なんとなく微笑ましい。
自分の意に反して銀行員になってしまったので、髪形は当然7:3君。
外資に転職してからは、両サイド短めのオールバック、スーパーハードのムースでガチガチ。
病気で現役引退してからは、庭の芝生と一緒であるがまま。
現役時代は、4週に1回、TBS会館の地下にあるバーバーショップに通っていた。
予約ができ、無料で指名もできた。
場所柄、テレビでみた顔もチラホラ。
料金は、当時、デフォで5775円、耳掃除その他は別料金。
今は、平均で2ヶ月半に1回。
親子3人でやっているが、指名はできない。
場所柄、知らない顔ばかり。
料金は、耳掃除もついて3300円。
たっぷり1時間、いつも通り会話もはずんで、椅子からおりた私をみて奥さんが一言。
‘あれ、痩せたんじゃない’
‘わかりますか、いやぁ、そうなんですよ、3キロ痩せたんですよ。
でも、なんせ、こんな身体ですから、誰も気付いてくれなくて・・・
いやぁ、嬉しいなぁ’
3キロというのは、ちょっと??で実際は最大で2.6キロだったんだが、
そこは、話の勢いと言うか、芸能人の女性の自称ウエスト58センチが、
殆どの場合60センチであるのと一緒というか・・・
床屋から戻って、夕方シャワーを浴びて、体重を量って驚愕。
我が家の体重計は、体脂肪も測れるやつで、デジタル表示。
0.2キロ単位で、体重が確定するとき、いつもふたつの数字をいったりきたりする。
でーーーーーーーーーーーーーーーー、今日の計測の結果は(絶対値は書けないが)
マイナス3.0と3.2のところでチカチカ。
で、止まったのはなんとマイナス3.2キロの方だった。
それまでの、2.6を大幅に0.6キロも更新した。
確かに最近になって‘小飲飲小食’が定着はしていたが、これは快挙だ。
えっ、待てよ。
まさか、2ヶ月半振りに、切り落とした髪の毛のせい?
いくら、昔は針金のようだったとはいえ、それはないだろ。
でも、床に落ちた髪の毛を集めて量れば、200グラムはあるかも。
ようし、次は坊主にしてみるかな(笑)
そう言えば、長嶋茂雄さまもガルベスのお陰で、頭を丸めたことがあったな。
ボストンは一時逆転されながら、即、再逆転して勝っちゃうし、相変わらず外は糞暑いし、
蕎麦ネタは反応が鈍いし、もう、こりゃあ、午後は床屋に行くしかないなと思い(←どういう論理だよ)、
行ってみた。
4年前に、当地にやってきてから、ずっと変えずに通っている店だ。
しかーーーーーーーーーーーーーーーーし、入り口に貼り紙。
‘13~15日、休ませて頂きます’
が~~~~~~~~~~ん! 関係ない・・・(^。^)
‘なんだよ、昨日の今日で紛らわしい貼り紙してるからビビッタじゃねぇーか’
ナリポンは若い頃、髪の毛が針金のような剛毛で有名だった。
中学校の頃は、他のクラスの女の子もわざわざその剛毛を触りにくる程人気で、
一時は有料化(5円)したことがあった。(←これネタじゃなくマジな話)
小学校の頃、通っていた床屋の人が10何年後、夏休みで帰省中の私の髪を切りながら一言。
‘この髪、どっかで切ったことがある’
私が引っ越して通わなくなっていたのだが、彼は、顔を見ても気付けなかったのに、
髪を切っている途中で‘アレッ’っと気付いたらしい。
学生時代には、ある床屋に初めて行ったら、髪を切り始めた主人が途中で止めて、
棚の中にある別のハサミを持ってきた。
‘お客さんのような髪には、このハサミじゃなきゃいけない。
これ、いくらするかわかります?10万近くするんですよ’
‘はぁ、そうですか。料金は同じですよね’
ナリポンの髪型の変遷は、高校までは、まあ普通に普通。
大学時代はちょうど、中村雅俊の‘俺たちの旅’が全盛。
かなりの長髪に、ベルボトムのジーンズ、アーミー・ジャケット、厚底のサンダル。
いやぁ、我ながら全然キマッテいなかったが(笑)、逆にこの年になって何枚か残っている
当時の写真を目にすると、なんとなく微笑ましい。
自分の意に反して銀行員になってしまったので、髪形は当然7:3君。
外資に転職してからは、両サイド短めのオールバック、スーパーハードのムースでガチガチ。
病気で現役引退してからは、庭の芝生と一緒であるがまま。
現役時代は、4週に1回、TBS会館の地下にあるバーバーショップに通っていた。
予約ができ、無料で指名もできた。
場所柄、テレビでみた顔もチラホラ。
料金は、当時、デフォで5775円、耳掃除その他は別料金。
今は、平均で2ヶ月半に1回。
親子3人でやっているが、指名はできない。
場所柄、知らない顔ばかり。
料金は、耳掃除もついて3300円。
たっぷり1時間、いつも通り会話もはずんで、椅子からおりた私をみて奥さんが一言。
‘あれ、痩せたんじゃない’
‘わかりますか、いやぁ、そうなんですよ、3キロ痩せたんですよ。
でも、なんせ、こんな身体ですから、誰も気付いてくれなくて・・・
いやぁ、嬉しいなぁ’
3キロというのは、ちょっと??で実際は最大で2.6キロだったんだが、
そこは、話の勢いと言うか、芸能人の女性の自称ウエスト58センチが、
殆どの場合60センチであるのと一緒というか・・・
床屋から戻って、夕方シャワーを浴びて、体重を量って驚愕。
我が家の体重計は、体脂肪も測れるやつで、デジタル表示。
0.2キロ単位で、体重が確定するとき、いつもふたつの数字をいったりきたりする。
でーーーーーーーーーーーーーーーー、今日の計測の結果は(絶対値は書けないが)
マイナス3.0と3.2のところでチカチカ。
で、止まったのはなんとマイナス3.2キロの方だった。
それまでの、2.6を大幅に0.6キロも更新した。
確かに最近になって‘小飲飲小食’が定着はしていたが、これは快挙だ。
えっ、待てよ。
まさか、2ヶ月半振りに、切り落とした髪の毛のせい?
いくら、昔は針金のようだったとはいえ、それはないだろ。
でも、床に落ちた髪の毛を集めて量れば、200グラムはあるかも。
ようし、次は坊主にしてみるかな(笑)
そう言えば、長嶋茂雄さまもガルベスのお陰で、頭を丸めたことがあったな。
2005年8月3日水曜日
‘夏の蕎麦は犬も喰わない’と言いながら喰う人間は犬以下?~そば切りが売り切り仕舞い~
ヤンキースは懸命に追撃するも、1点及ばず負けるし、ボストンは4点差をひっくり返して、
逆転勝ちするし、アスレチックスは同点からあっさりと勝ち越すし、
外は糞暑いし、もうこうなったら、昼飯はいつもの日本蕎麦屋しかないなと思い
(←どういう論理だよ)、行ってみた。
当地では、唯一と言って良い、江戸風の蕎麦を提供する真っ当な店だ。
しかーーーーーーーーーーーーーーし、入り口に貼り紙。
‘蕎麦売り切れの為早仕舞いします’
が~~~~~~~~~ん!
‘なんだよ、つくづくついてない日だな。’
この蕎麦屋、開店して5~6年経つらしいが、やや奥まったところに位置し、
江戸流の辛い濃い汁が、当地の人の舌に合わないのか普段は余り混んでいない。
月3~4回は行く我々がいなかったら、経営が成り立たないのでは、と言ったら、
そりゃあ、流石に‘過言’だが、間違いなく常連である。
当地に来てから、過去4年間で100数十回は通っているが、こんな目にあったのは
過去に1度あっただけだ。
それを、単に暑いからって、猫も杓子も、普段来もしない蕎麦屋に来てんじゃねぇーよ・・・<`ヘ´>
ナリポンは一度、何かを喰うと決めると、それに応じた胃液が分泌されるタイプで、
急に、それがダメだと言われても融通が利かない。
ラーメンならいくらでもチョイスがあるが(余り高いレベルではないが)、
こと日本蕎麦に関しては、セカンド・ベストが無いのだ。
いやもう一軒、一応あるのだが、ワサビが100%粉なのと、蕎麦を流水では締めるものの、
氷水までは使わないから夏場は使えないのだ。
さっき、猫も杓子も蕎麦屋に来ると書いたが、昔、漫画『美味しんぼ』で読んだ事がある。
‘夏の蕎麦は犬も喰わない’
と言う訳で、猫の方が犬よりも‘悪食’と言う結論に達した・・・(^。^)
さて、話を戻すと、何故夏場の蕎麦は不味いのか。
それは、簡単に言えば、一年前の秋に収穫された、蕎麦が時間とともに劣化するからだ。
特に、梅雨時のジメジメで劣化が進行するらしい。
暑い中、冷たい蕎麦が恋しくなる季節になんとも皮肉なことだ。
いわゆる、そば切りの歴史は400年足らずと言われているが、
昨今は保存技術も改良されているし、南半球のオーストラリアのタスマニアで蕎麦の栽培を
始めた製粉会社が出現したりで、昔よりはマシになっているだろう。
タスマニア産のそばを実際に確認して食べたことはないが、やぶそば御三家の‘並木藪’も、
季節に合わせて使っているらしい。
なんだ、輸入物かと思いきや、中国産と違い、値は張るらしい。
そうそう、並木藪と言えば、何度か行ったことがあるが、初めて行った時に見かけた
年配の女性が粋だったなぁ。
ここの、ざるそばはザルを逆さにしたのに盛られて出てくるが、その女性は運ばれてくると、
すかさず、数本を箸でつまみ、ツユに付けずに口の中へ。
そこで、おもむろに‘もう一枚ちょうだい’
彼女は、その日の蕎麦の味をチェックして納得したから追加を頼んだのか、
そもそも2枚食べるのが常で、1枚目を食べ終わる頃間髪入れずに2枚目を食べようとして、
ああ言う注文の仕方をしたのか。
ともかく、蕎麦屋に一人でやってきて、上品な雰囲気を漂わせていた彼女は、
老舗の蕎麦屋の空間で、見事に絵になっていた。
因みに、この並木藪のツユは東京で一番辛いと言う人が多いが、
実際にこれでもかと言うくらい濃くて辛い。
あれだったら、本当に蕎麦の一部をチョコっと付けて食らうのが丁度良い。
夏場の蕎麦を、犬も喰わないとするほど‘糞不味い’とは思わない。
但し、もう直ぐ味わえる新蕎麦を喰らうと‘糞美味い’と思う。
毎年それの繰り返しだ。
何のことはない、それは米についても言えるんだけどね。
蕎麦については、もっと書きたい事はいっぱいあるが、
それは‘犬が喜んで尻尾をふる頃’に再び・・・(^。^)
逆転勝ちするし、アスレチックスは同点からあっさりと勝ち越すし、
外は糞暑いし、もうこうなったら、昼飯はいつもの日本蕎麦屋しかないなと思い
(←どういう論理だよ)、行ってみた。
当地では、唯一と言って良い、江戸風の蕎麦を提供する真っ当な店だ。
しかーーーーーーーーーーーーーーし、入り口に貼り紙。
‘蕎麦売り切れの為早仕舞いします’
が~~~~~~~~~ん!
‘なんだよ、つくづくついてない日だな。’
この蕎麦屋、開店して5~6年経つらしいが、やや奥まったところに位置し、
江戸流の辛い濃い汁が、当地の人の舌に合わないのか普段は余り混んでいない。
月3~4回は行く我々がいなかったら、経営が成り立たないのでは、と言ったら、
そりゃあ、流石に‘過言’だが、間違いなく常連である。
当地に来てから、過去4年間で100数十回は通っているが、こんな目にあったのは
過去に1度あっただけだ。
それを、単に暑いからって、猫も杓子も、普段来もしない蕎麦屋に来てんじゃねぇーよ・・・<`ヘ´>
ナリポンは一度、何かを喰うと決めると、それに応じた胃液が分泌されるタイプで、
急に、それがダメだと言われても融通が利かない。
ラーメンならいくらでもチョイスがあるが(余り高いレベルではないが)、
こと日本蕎麦に関しては、セカンド・ベストが無いのだ。
いやもう一軒、一応あるのだが、ワサビが100%粉なのと、蕎麦を流水では締めるものの、
氷水までは使わないから夏場は使えないのだ。
さっき、猫も杓子も蕎麦屋に来ると書いたが、昔、漫画『美味しんぼ』で読んだ事がある。
‘夏の蕎麦は犬も喰わない’
と言う訳で、猫の方が犬よりも‘悪食’と言う結論に達した・・・(^。^)
さて、話を戻すと、何故夏場の蕎麦は不味いのか。
それは、簡単に言えば、一年前の秋に収穫された、蕎麦が時間とともに劣化するからだ。
特に、梅雨時のジメジメで劣化が進行するらしい。
暑い中、冷たい蕎麦が恋しくなる季節になんとも皮肉なことだ。
いわゆる、そば切りの歴史は400年足らずと言われているが、
昨今は保存技術も改良されているし、南半球のオーストラリアのタスマニアで蕎麦の栽培を
始めた製粉会社が出現したりで、昔よりはマシになっているだろう。
タスマニア産のそばを実際に確認して食べたことはないが、やぶそば御三家の‘並木藪’も、
季節に合わせて使っているらしい。
なんだ、輸入物かと思いきや、中国産と違い、値は張るらしい。
そうそう、並木藪と言えば、何度か行ったことがあるが、初めて行った時に見かけた
年配の女性が粋だったなぁ。
ここの、ざるそばはザルを逆さにしたのに盛られて出てくるが、その女性は運ばれてくると、
すかさず、数本を箸でつまみ、ツユに付けずに口の中へ。
そこで、おもむろに‘もう一枚ちょうだい’
彼女は、その日の蕎麦の味をチェックして納得したから追加を頼んだのか、
そもそも2枚食べるのが常で、1枚目を食べ終わる頃間髪入れずに2枚目を食べようとして、
ああ言う注文の仕方をしたのか。
ともかく、蕎麦屋に一人でやってきて、上品な雰囲気を漂わせていた彼女は、
老舗の蕎麦屋の空間で、見事に絵になっていた。
因みに、この並木藪のツユは東京で一番辛いと言う人が多いが、
実際にこれでもかと言うくらい濃くて辛い。
あれだったら、本当に蕎麦の一部をチョコっと付けて食らうのが丁度良い。
夏場の蕎麦を、犬も喰わないとするほど‘糞不味い’とは思わない。
但し、もう直ぐ味わえる新蕎麦を喰らうと‘糞美味い’と思う。
毎年それの繰り返しだ。
何のことはない、それは米についても言えるんだけどね。
蕎麦については、もっと書きたい事はいっぱいあるが、
それは‘犬が喜んで尻尾をふる頃’に再び・・・(^。^)
2005年8月2日火曜日
あなたは誰を、どう祝いますか~誕生日はやはりメデタイのだ~
あなたは、自分の知っている人間の中で、その人の誕生日を‘暗記’している人が、どれくらい居ますか?
そして、その人達の誕生日に、毎年何かしていますか?
そもそも、人は、加齢とともに誕生日を祝う感激を失っていく。
子供の頃は、お互いに誕生日会を開いて祝っていた。
自我に目覚める、或いは恋心が芽生える、青き十代には、
誕生日は、何らかの‘心情’を相手に伝える、絶好の日だった。
20歳前後(←前はダメだろ)になって酒を飲むことを覚えると、誰かの誕生日は飲み会を催す、
格好の理由となった。
それが‘社会’に出て仕事をするようになり、お互い忙しくなり、
或いは‘結婚’をして家庭を築く頃になると、次第に誕生日を祝い合う機会が減っていった。
幼稚園の頃に比べたら、関わりあう人間、知っている人間の数は、飛躍的に増えている筈なのに、
誕生日をネタにしたイベントは寧ろ減っていくのだ。
そして、更に歳を重ねると、その傾向は顕著になって行くのだ。
人はある程度の年齢に達すると、異口同音に自分の誕生日なんかちっとも目出度くないと言う。
寧ろ、ひとつ歳を重ねることにより若さを喪失するネガティブイメージを持ってしまう。
確かに、1年経つ毎に、心身ともに‘成長’していく若い時代と比べると、
寧ろ、1年ごとに何かが‘退化’していくようなマイナス・イメージを抱いてしまう。
だから、そういう歳に達した連中に‘誕生日おめでとう’と言っても返ってくる言葉は
‘全然目出度くないよ’になってくる。
まあ、自分もそうだったが、こういう反応をし合っていると、段々と‘おめでとう’と言う事が、
ディスカレッジされていく。
すると、昔はきっちりと‘暗記’していた相手の誕生日も‘忘却の彼方へ’となってしまうのだ。
そんな中、ナリポンが一度も忘れず毎年誕生日にお祝いをしている、女マブダチが一人いる。
ただ、ある年、彼女と誕生日に連絡を取れない状況が生じたのだ。
彼女はイギリス留学をしていた。
留学中は電話でお祝いが出来たのだが、その年の誕生日は、なんと留学を終え、
日本に帰る飛行機の中にいる、ということがわかった。
エール・フランスで一旦シャルル・ド・ゴールに飛び、そこからNRTへ飛ぶという。
‘う~む、何とか、誕生日その日に、祝う方法はないものか’
松井の連続出場記録じゃないが、なんとかしたくなった。
早速、日本のエール・フランスに電話。
事情を話して、ミールに何か工夫ができないか打診。
しかし、日本発ならば日本支社でなんとでもアレンジできるが、
向こう発だと無理だと、言われた。
そこで、諦めずに食い下がるのがナリポンの持ち味。
‘でも、あなたも同じ状況で、何らかの形で誕生日のお祝いをされたら、
感激しませんか。
人間ってサプライズがあると、感動は増しますよね。
何かコストを伴うなら、利益をのっけた分を払う用意があります。
もし、それでそのサーヴィスが実現しなくても、ノー・クレイムを約束します。’
相手の女性もスマートだった。
‘わかりました。何か方法がないか検討して折り返し連絡します。’
結局、金が絡んだものは無理と言う事だが、カードを届けることは可能
(但し、実際に届くかどうかはノー・ギャランティ)と言う結論。
ド・ゴール空港で乗り換えて、着席した彼女に封筒は無事届けられた。
ただ、思わぬものを手にした彼女は、誰か身内に不幸でもあったのではと恐怖したそうだ。
で、実際開封して、カードを開くと
♪チャンチャンチャン、チャ、チャチャチャチャチャ、チャチャチャチャ、チャーチャチチャ♪
字にしたところで、何の曲か分る訳ないけど、実は‘巨人の星’のオルゴールヴァージョン。
音に驚き、慌ててカードを閉じたらしいが、その年の彼女の誕生日も、なんとか祝うことができた。
その後も‘連続記録’は続いている。
最近は、携帯もあり、メールもありで容易に確実にキャッチできる分、
逆にあの年味わったような‘楽しみ’は無くなった。
私自身は、病気をしてからは毎年、無事に誕生日を迎えるたびに‘メデタイ’と思うようになった。
ただ、周りの人間は相変わらず‘メデタクナイ’と思っているから、祝ってくれない。(笑)
そうそう、誕生日ネタで気にいっているのは、お笑いの‘いつもここから’のネタ
年齢をいくら切り捨てたところで、人生は斬り捨てられない。
そして、その人達の誕生日に、毎年何かしていますか?
そもそも、人は、加齢とともに誕生日を祝う感激を失っていく。
子供の頃は、お互いに誕生日会を開いて祝っていた。
自我に目覚める、或いは恋心が芽生える、青き十代には、
誕生日は、何らかの‘心情’を相手に伝える、絶好の日だった。
20歳前後(←前はダメだろ)になって酒を飲むことを覚えると、誰かの誕生日は飲み会を催す、
格好の理由となった。
それが‘社会’に出て仕事をするようになり、お互い忙しくなり、
或いは‘結婚’をして家庭を築く頃になると、次第に誕生日を祝い合う機会が減っていった。
幼稚園の頃に比べたら、関わりあう人間、知っている人間の数は、飛躍的に増えている筈なのに、
誕生日をネタにしたイベントは寧ろ減っていくのだ。
そして、更に歳を重ねると、その傾向は顕著になって行くのだ。
人はある程度の年齢に達すると、異口同音に自分の誕生日なんかちっとも目出度くないと言う。
寧ろ、ひとつ歳を重ねることにより若さを喪失するネガティブイメージを持ってしまう。
確かに、1年経つ毎に、心身ともに‘成長’していく若い時代と比べると、
寧ろ、1年ごとに何かが‘退化’していくようなマイナス・イメージを抱いてしまう。
だから、そういう歳に達した連中に‘誕生日おめでとう’と言っても返ってくる言葉は
‘全然目出度くないよ’になってくる。
まあ、自分もそうだったが、こういう反応をし合っていると、段々と‘おめでとう’と言う事が、
ディスカレッジされていく。
すると、昔はきっちりと‘暗記’していた相手の誕生日も‘忘却の彼方へ’となってしまうのだ。
そんな中、ナリポンが一度も忘れず毎年誕生日にお祝いをしている、女マブダチが一人いる。
ただ、ある年、彼女と誕生日に連絡を取れない状況が生じたのだ。
彼女はイギリス留学をしていた。
留学中は電話でお祝いが出来たのだが、その年の誕生日は、なんと留学を終え、
日本に帰る飛行機の中にいる、ということがわかった。
エール・フランスで一旦シャルル・ド・ゴールに飛び、そこからNRTへ飛ぶという。
‘う~む、何とか、誕生日その日に、祝う方法はないものか’
松井の連続出場記録じゃないが、なんとかしたくなった。
早速、日本のエール・フランスに電話。
事情を話して、ミールに何か工夫ができないか打診。
しかし、日本発ならば日本支社でなんとでもアレンジできるが、
向こう発だと無理だと、言われた。
そこで、諦めずに食い下がるのがナリポンの持ち味。
‘でも、あなたも同じ状況で、何らかの形で誕生日のお祝いをされたら、
感激しませんか。
人間ってサプライズがあると、感動は増しますよね。
何かコストを伴うなら、利益をのっけた分を払う用意があります。
もし、それでそのサーヴィスが実現しなくても、ノー・クレイムを約束します。’
相手の女性もスマートだった。
‘わかりました。何か方法がないか検討して折り返し連絡します。’
結局、金が絡んだものは無理と言う事だが、カードを届けることは可能
(但し、実際に届くかどうかはノー・ギャランティ)と言う結論。
ド・ゴール空港で乗り換えて、着席した彼女に封筒は無事届けられた。
ただ、思わぬものを手にした彼女は、誰か身内に不幸でもあったのではと恐怖したそうだ。
で、実際開封して、カードを開くと
♪チャンチャンチャン、チャ、チャチャチャチャチャ、チャチャチャチャ、チャーチャチチャ♪
字にしたところで、何の曲か分る訳ないけど、実は‘巨人の星’のオルゴールヴァージョン。
音に驚き、慌ててカードを閉じたらしいが、その年の彼女の誕生日も、なんとか祝うことができた。
その後も‘連続記録’は続いている。
最近は、携帯もあり、メールもありで容易に確実にキャッチできる分、
逆にあの年味わったような‘楽しみ’は無くなった。
私自身は、病気をしてからは毎年、無事に誕生日を迎えるたびに‘メデタイ’と思うようになった。
ただ、周りの人間は相変わらず‘メデタクナイ’と思っているから、祝ってくれない。(笑)
そうそう、誕生日ネタで気にいっているのは、お笑いの‘いつもここから’のネタ
『コノヤロー、‘わたし44だけど四捨五入すると40よね’って言ってんじゃねぇーぞ、コノヤローメ』
『コンニャローメ、おまえ来年なったら、‘わたし45だけど四捨五入すると50よね’って言うのか、コンニャローメ』
年齢をいくら切り捨てたところで、人生は斬り捨てられない。
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