今は情報リテラシーという概念が存在するが、昔は情報のアンテナの高低を論じたものだ。
K君は情報のアンテナの高い人間だった。
今日、私の4月16日の日記にコメントを入れてくれたのが、その(未確認だが)K君だ。
彼は私の最初の転職先であるスイス系の銀行で同僚だった、
正確に言えば私の部下の1人だった。
約1年半後、私は米系に再び転職するが、その後彼も転職を模索した。
結局、同じグループ内の証券への転職を果たす。
その時相談を受けたりもしたが、彼の転職先のヘッドが私と都銀時代に
同期だった男だという縁もある。
結婚式にも呼ばれ、スピーチもした。
ナリポンの得意技の結婚式忌避用語てんこ盛りのスピーチで場内は爆笑。
新婦側の関係である有名な歌手も出席していたが、彼が私のスピーチを聞いて
「銀行員にしておくのは勿体ない」と言ったとか、言わなかったとか・・・。
私は相変わらず、『売った・買った』、『上がった・下がった』の極めて原始的なディーリングを
続けていたが、K君は所謂デリヴァティブと呼ばれる金融派生商品を含め、
最新の金融テクノロジーを身につけ成長していっていた。
顧客や機関投資家がらみで私もそのような商品に巻き込まれる事があったが、
恥ずかしくて訊けないような初歩的な事柄を含め、彼は私の貴重な‘知恵袋’として
快く教えてくれたものだ。
収入面でも私を軽く追い越していった、そういう意味では実にナイスな転職だったと言える。
仕事以外で彼との接点は所謂グルメ情報である。
いまでこそ、ネット情報を含めれば処理しきれない情報が氾濫しているが、
あの頃は情報も乏しかった。
陳腐化された名店情報に、山本益弘がひとり独自の斬りこみを入れて注目を集めていた頃だ。
あの時代でも、K君のグルメ情報は実に新しく、なおかつハズレが少ないものだった。
時間的なラグをおいてその後評判店になる新店や、逆に歴史があり名店の名に恥じない
実を伴った店の選択が実に上手かった。
全幅の信頼をおいていた私は、彼と二人で行く店は常に彼に任せた。
大阪出身の彼は当然ながら関西情報も豊富で、私が出かける際に尋ねると、
なんとも味のある店を紹介してくれた。
京都の「近為」や神戸の「青辰」等極めて印象深い店も彼の助言によるものだ。
彼は相場の世界でもグルメの世界でも情報のアンテナが極めて高かった。
仕事面で言えば、彼はより多くの市場参加者と話す事を心がけていたように思える。
より多くの人と話しをして、かつその情報を還流させて、新たな情報源となり、更に情報を収集する。
その中で、とるべきリスクを決断する手法だったように思える。
私は、逆に経済指標やニュース、チャートの分析を独りで行い、
決断する‘ひとりよがり’タイプだったかもしれない。
K君にこのブログの存在を知らせたのは1ヶ月前だが、初めて書き込んでくれたのが、
やはりグルメ情報だというのがなんとも彼らしい。
おまけに、その店はホリエモンも御用達ときているからまさに彼らしい。
でも、世間が騒ぎ始める頃にK君はきっとこう言うに違いない。
「あそこも良いけど、最近は込みすぎて・・・、だったら○△×にできた良い店が一軒あるんですよ。」
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