じわじわと西から東、南から北へとゆっくりとしかし確実に進行してくる‘桜前線’は
まるでダイヤルアップ時代の56kbのようで、ある意味キュートだ。
この北の街でも、桜のニュースが聞こえてくるようになった。
ただ、私は昔から余り桜が好きではなかった。
先ず、ソメイヨシノのあのぼんやりした曖昧な色が好きではなかった。
桜並木として群れをなせば、それなりの美しさを見せるが、ひとつの花そのものをじっくりみると
たいしたことはない。
散り際の潔さが礼賛されるのも気に入らない点だ。
悲しい歴史の流れに巻き込まれた犠牲者には申し訳ないが、どうしても戦時中を想起させる。
作詞:西條 八十
作曲:大村 能章
一、
貴様と俺とは同期の桜
同じ兵学校の庭に咲く
咲いた花なら散るのは覚悟
見事散りましょ国のため
五、
貴様と俺とは同期の桜
離れ離れに散ろうとも
花の都の靖国神社
春の梢(こずえ)に咲いて会おう
一番の歌詞は知っている人も多いだろうが、五番の歌詞は、私自身も今日はじめて知った。
この歌詞はなにかと興味深い。
いま、まさに問題になっている、中国や韓国の反日運動のひとつの要因である靖国神社が
出てくる。
そういえば、東京の桜の開花宣言の基準とされる標本木も確か靖国神社内にある筈だ。
>春の梢(こずえ)に咲いて会おう
この歌詞を見て、思い出すのはこれだ。
桜の樹の下には
梶井基次郎
桜の樹の下には屍体が埋まっている!
これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。
『桜の樹の下には屍体が埋まっている!』
この一文は有名だが、本人も31歳で夭逝している。
学生時代に初めて読んだ時は、一瞬ムムムと思ったが、直ぐに「単に奇を衒ってるな」と
冷たく反応したものだ。
年を重ねて、或いは病気をして、昔ほど桜を厭う自分はいない。
1年の時の経過を実感する意味ではそれなりに貴重な存在かも知れない。
ところで、25年前の今頃は入行した銀行の新人研修の真っ最中だった。
研修の打ち上げでは、「同期の桜」の歌詞を替えて(兵学校→○○銀行)
みんなで肩を組んで歌ったのを記憶している。
まさか、今でもやっていたりして・・・
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