10年前の1995年4月19日に円相場は、1US$79円75銭を記録した。
実際は、79円台での取引は続かず、瞬時に反転した。
その日のある夕刊紙の見出しがデカデカと『円急騰70円台突入』だった。
確かに79円75銭も70円台に違いないが、流石夕刊紙らしい扇情的な見出しに苦笑したものだ。
実際の記事を読めば、恐らくそれらしい専門家の意見として
『この円高傾向は続くだろう、年末には50円も視野に入れておくべきだ』なんて
書いてあったに 違いない(笑)
為替相場の中に身を置いていた私も、特に80円で円高トレンドが終焉するだろうとは思って
いなかったが・・・、というかどうなるかなんて全く予見不能だったというのが正直な所だ。
結果的にはこの日を境に、相場は反転する。
夏場にかけては、大蔵省国際金融局長、榊原英資氏が円安誘導を様々な形で行い
100円台を 回復する。
氏は、良くも悪くもそれまでの官僚とは全く違ったタイプ。
市場心理を読み、米当局者やヘッジファンドの雄ジョージ・ソロス等の人脈を活かし世界中の
ディーラー達を翻弄した。
で、ついたニックネームが‘ミスターYEN’、マスコミも榊原番と呼ばれる記者を配して
その発言を 競って配信した。
秋に定例で開かれたいた、本店(マドリード)でのチーフディーラーミーティングでも、
私の顔をみるとみんなが彼のことを話題にしたがった。
ドイツ人は‘サカギヴァラァ’と言い、スペイン人は‘ミスタージェン’と言っていた。
その後、円相場はややおとなしくなるが、97年、98年と円安が進み、
8月11日に147円64銭を 記録する。
80円でドルを買い、147円で売れば67円の為替差益。
米ドルと円の金利差による利息収入の差額も考えるとさらに利益は増す。
いや、別にそんな外貨投資は別としても、海外旅行を例にしても8万で買えるか、
15万近く必要かと言えば、こりゃエライ差になる。
2000年以降は、年間の値幅も20円無く、去年は13円、ことしに入っても値動きは乏しい。
ただ1985年にはあの有名なプラザ合意で、その後の持続的な円高のトレンドを生んだし、
1995年には80円の円高。
10年おきに、何か大きな出来事が起こっているが、今年はその2005年。
現役の為替ディーラーもタイトなレンジ相場を予想している人達が多いだろうが、
そういう時こそ、なにかとんでもない事が起こり易いとも言える。
私がディーラーになった頃は、ディーラーと言えば車屋さんと誤解されるのが寧ろ普通だった。
為替相場のニュースも余程の動きがなければ取り上げられず、今のように定時ニュースに
必ず相場情報コーナーがあるなんて、正に隔世の感がある。
元ディーラーがニュースを見聞きして気になるのが、円/ドル相場という言い方。
一応米ドルが基軸通貨だし、レートの表示方法から言ってもドル/円相場という方が適当。
上昇か下落を示す矢印の向きも、当然逆になる。
まあ、自国通貨を主役にしたい気持ちがわからんでもないが・・・。
慶応の学生は‘早慶戦’とは呼ばず‘慶早戦’と呼ぶのと同じ感覚。(←ケイソウだと変換不可
ところで、法政vs 慶応の場合、法政の人間は、やっぱり○○○○戦っていうのかな(笑)
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