仙台の新生児誘拐犯が要求した身代金は6150万だった。
この中途半端な金額はどうやら犯人の負債額と符合するらしいが、
昨夜のテレビでは橋下弁護士が、札の重さに配慮した金額を選択したのではないかと、
根拠もない説を展開していた。
余り多くの金額を要求しても、重くて扱いきれないというのだ。
‘う~む、確かに金は重い’
私は、みんなが中々経験したことのないような‘金持ち’だったことがある。
大学を卒業して、日本の銀行に就職したが、最初に配属になった支店は、
機械化や合理化の進んだ今では想像できないだろうが、行員だけで100人以上いる大店だった。
現金を扱う部署を、資金班(出納係り)と呼んでいたが、そこだけでも10人以上いた。
恐らく、本店の次に多かったのではないだろうか。
それぐらい、現金の取り扱いの多い支店だった。
私も当初、約3ヶ月この部署の所属だったが、ひたすらお札と硬貨の中で奮闘していた。
余剰な現金は本店に送り(現送)、不足な現金は受け取る(現受)が、
その時に現金輸送車と銀行の間の運搬を担当するのが男子の新入行員の仕事だった。
当時の1万円札は聖徳太子だったが、100枚の束を10個でさらに太い帯封で
1000万のブロックを作る。
ズック地でできたバッグにはこのブロックが20個入る。
そのバッグを両手に持つと、それぞれ2億で合計で4億円だ。
で、その重さだが、1000万のブロックが約1キロ、2億で20キロ、
4億で約40キロということになる。
これを毎日、時には1日に2~3度やっていると‘金持ち’なんて嫌だぁ~ってことになる。
1968年の3億円事件は1万円札だけじゃなかったから、単独犯だとすると結構キツイだろうな、
と考えたりしたものだ。
札の他に、麻袋にはいった硬貨もあった。
100円玉が、4000枚入って40万円、重さ的にはやはり20キロぐらいだったと記憶している。
他の、硬貨の麻袋を10本近く台車に載せて、運びそれを降ろす様は、
今なら、お笑いの次長課長のマグロネタを彷彿とさせる。
そんな肉体労働をさせられて、五月病になりかける同期もいたが、直ぐに係りは変えられるから、
後から思えばいい経験だ。
そう言えば、当時どこかの銀行で、100玉の麻袋が強奪され(それも確か2袋)
犯人が抱えて逃げたと、聞いた時は、犯人の体力に驚いたものだ。
‘ラグビーかアメフト経験者かな(笑)’
実際、先月川越で70歳の男が郵便局を襲い、硬貨25万円分(10キロ)を持って
逃走しようとしたが、重さに耐え切れずに御用となったケースがあった。
ディーラーになると何百億だろうが何千億だろうが、すべてブック上の金額だから、
‘重さ’の実感はない。
それだけの金を動かして、結果的にネットでいくらのP&Lがあるかが肝心だ。
そして今は病人のナリポン・・・
運動負荷をかけるのは最も心臓に悪いが、重い物を持っても心臓がバクバクする。
自分の部屋に飲み物専用の冷蔵庫があるが、2リットルのペットボトルを2個持つとやや辛い。
3個以上の時は、2往復する。
我ながら非力な自分が情けない・・・(-_-;)
‘人命は地球より重い’と言ったのは、赤軍派相手に交渉に応じた時の首相、
福田赳夫だが、今回も、誘拐された赤ちゃんの命が守られたのはなによりだ。
一方で、今の世の中、別の意味で‘金は重い’とするネオ重‘金’主義が
蔓延っているような気がする。
勝ち組と負け組みの差別化が、金だけで安易に語られている。
IT長者が耳目を集め、株の誤発注に乗じて二十億を稼ぎ出した男が脚光を浴びる。
主婦が株のディ・トレードに没頭し、子供向けの株式講座が開かれる。
元ディーラーの私が言うのも奇妙な話だが‘額に汗して働く文化’が崩壊していくようで、危うい。
正月の福袋に‘IT長者の心を射止めるファション’というのがあったが、
それに群がっている女達の姿は、どうみても美しくなかった。
2006年1月9日月曜日
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