2005年7月8日金曜日

眼鏡なき人生の終焉~初めて買った老眼鏡~

50年近く、眼鏡に縁の無い人生だった。

‘ひょっこりひょうたん島’の‘博士’に代表されるように(←古すぎ)、眼鏡と言えば、
博識・博学のシンボルであり、ガリベンキャラの必需品だった。

私も、若い頃は、あんなに勉強したのに(笑)、それよりに何より、ディーラーとして20年近く、
情報のモニターの刻々と変化する細かい数字を凝視し続けたのに・・・
遺伝のせいなのか、視力は極めて健全だった。

妻も、息子が生まれて、
‘視力だけは、父親似になってくれれば・・・’と何度口にしたことだろう。
(‘だけ’ってなんだよ、‘だけ’って)

ほんの一時期、片目だけ0.8とかに低下したことがあるが、基本的には1.0~1.5の
ゾーンに収まっていた。

1.5~2,0のハイスコアを記録してた頃もあったので、遠視だったのかも知れない。

遠視と言えば、電車の中で、車内の3つ先の中吊り広告を見ながら、連れに
‘へ~、ほにゃららってほにゃららなんだ’と言うと、連れは妙に熱くなって、
‘絶対に見えるはずがない、おまえは事前に見たんだろう’と嫌疑をかけられた。
‘じゃあ、俺がこれから、全部読むから行って確かめてこいよ’
本当に、確かめに行った彼は、‘ほんとだった’と力なく戻ってきた。

一番近い広告がようやく見える人から見れば、まさに信じられないことだったのだろう。

逆に、‘見える人間’からすれば‘見えない人間’の気持ちや行動が理解できない、
というか、想像できない。

誤解を招く表現になるかも知れないが、あの昔ながらの視力検査票の
トップにある0.1の‘あ’が、見えないというのが、想像できない。
見えない人は、どんどん前に近付いていくが、私には全く信じられない光景なのだ。
(私としては逆に、どれだけ後ろに遠ざかって見えるか挑戦したい位だ)

‘目が悪いと、夜景はキレイだよ’と自慢されたことがある。
自然にソフトフォーカス・モードにでもなるのだろうか。

そうそう、日頃から眼鏡をかけている人間は、サングラスをかけても似合う。
顔が、ナリポン並みに‘非シャープ系’でも似合って見えるのは羨ましい。

まあ、こんな身体になってスキーもできないし、サングラスとは無縁の人生になったから、
関係ないけどね。

そんな私も、加齢とともに、細かい文字を読むのに苦労するようになってきた。
先ず、家電量販店のチラシの細かい字が読めなくなった。
その後、昔の文庫本の文字サイズが読みづらくなったことに気付いた。

で、或る日100円ショップに行った時に、老眼鏡を発見。
それなりに、デザインも強度も種類があり、どれにしようか迷った。
10分くらい選んでいただろうか。

で、はたと気付いた。
‘俺はひとつ105円のブツを買うのに、なんでこんなに悩んでいるんだろう。
今まの人生で、眼鏡にかけた金なんてゼロなんだから贅沢をしよう。’

そうして、‘大胆‘にも、最終候補に残っていた4つの老眼鏡を、‘オール・マイン’したのであった。

‘こちら、4点でお会計は420円となります。’

眼鏡をかけた、レジのオバサンがちょっと怪訝そうな目で私を見た(笑)

因みに、進学競争が激化している中国では、その影響で、視力低下が急速に進行しているらしい。
大学生の70%が近視だという報告もある。

日本は、単に学力も視力も低下しているだけなような気がするが・・・(-_-;)

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