一匹の巨大な虫に変わっていて、卒業式に行けなくなっていた~
大学4年、卒業を前にして内定していた都銀の担当者から電話があった。
‘どう、元気にしてるかい。ところで、卒業の方は大丈夫だろうな’
‘はい、大丈夫だと思います’と答えた。
しかし、ここから超A型の血が騒ぎ始める。
成績の良し悪しは兎も角、3年までで単位は相当確保していた。
4年の前期を終えた時点では、単位数だけで言えば必要以上に修得していた。
但し、専攻の2コマだけは後期にしか修得できないものだった。
そして、そのうち一つでも落とせば、卒業はできないという状況にあった。
試験を終えた印象としては、‘まあ、間違っても不可ということはないだろう’だったのが、
人事部からの電話で突然不安になった。
「3月○日に卒業認定者を発表します」というのが教務課からの掲示。
その日まで、どれくらいあったのだろうか、10日か1週間か・・・。
電話で直接教授に聞いても教えてくれないよ、という話を聞いた。
思案した結果私が取った行動はこうだ。
往復はがきを購入。
往信には自分の心境を書き、可能ならば試験の結果を教えて下さいとお願いした。
返信用はブランクのまま送ることに何故か躊躇し、思いついたのが、
結婚式や同窓会で見たことのあるあのスタイルだ。
そうした方が、相手も楽に違いないと・・・。
・ 「可」以上
・ 「不可」・・・レポート等での救済策有り
・ 「不可」・・・レポート等での救済策無し
「可」以上か「不可」の選択の他に、救済策の有無も‘盛り込んだ’自分のアイディアを
自画自賛していた。
これによって、万が一「不可」の時でも、救済される可能性があるかないかを知る事ができる。
はがきを投函して、3日後にはK教授から、4日後にはS教授から返事が届いた。
K教授は「可」以上の部分全体を囲み、丁寧に他の2行を抹消していた。
まさに、出欠の連絡の時と同じ流儀だ。
S教授の方は、「可」
こうして私は、運命の正式発表の日の数日前に、自分の‘卒業’を確認した。
仲の良い友人達にも顛末を話したが‘面白い’と喜ぶ者、‘よくやるよ’と呆れる者、様々だった。
実は話はこれで終らない。
卒業して、数ヶ月した頃、大学の研究室に残った友人からある‘事実’を知らされた。
S教授が新入学した学生相手に、最初の授業の冒頭私の往復はがき事件を話したそうだ。
その口調は怒りに満ちており、
「諸君が4年後卒業する時点で、あのような程度の低い学生にはならないように・・・」
と私を完全なる悪例として、釘を刺したそうだ。
極めて深刻な面持ちで話す友人を相手に、私もさすがに少しは動揺したが、
それでもその場は‘sense of humorの違いだね’と強弁した。
その後私も社会人になり、年齢も重ねてきた。
今になって、あの時私のしたことを振り返ってみると、S教授の怒りをやや理解できる自分も居る。
一方で、未だにその事件をネタにしている(カフカの変身⇒可・不可の返信)
自分も居る訳でやはり感覚が違うのかもしれない。
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