10年前の今日、1995年3月20日、地下鉄サリン事件が起こった。
その時、我々夫婦は友人夫婦と2度目のアスペンでのスキーを楽しんでいた。
直前の週末に日本を離れていたのだ。
現地のテレビニュースでも大々的に報道されていた。
英語は大体理解できたが、事態そのものが自分の想像力を超越した部分があった。
社長職にある友人が、会社から新聞記事を毎日FAXで送らせるように指示。
事件の恐ろしさを実感していった。
もし休暇中ではなく、通常通り出勤していたら・・・
私は地下鉄有楽町線の永田町で降り、議員会館のところの出口から地上に出て、
首相官邸の前を通り、溜池交差点の脇を通り、目標のビルへと到着する。
現場には近いし時間的にも被っているが直接被害に遭う可能性は無かったといえる。
ところが、私には一人兄が居るが、その兄は当時、所謂霞ヶ関の役人で、
丸の内線の霞ヶ関駅を利用していた。
もしかしてと思ったが、新聞記事を読む限り該当が無かったのでわざわざ確認はしなかった。
帰国後分かったことだが、兄もその日から東南アジアに出張のため出勤していなかったそうである。
田舎の母は、すべての事実を知らされてこう呟いたそうだ。
「海外さ行くときは気をつけれと言うけど、今回は2人とも海外に居て安全だったのか・・・、
わがらね世の中になったなぁ」
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