2005年3月29日火曜日

ナリポンとつけめん~あの名店がトラウマに~

私が初めてつけめんを食べたのは1985年の1月。
シンガポール赴任時代に2週間のホームリーブ(一時帰国)の時である。
店は、ご存知の行列店、東池袋の大勝軒。
平日の昼過ぎなら、少しは空いているだろうと思って1時半過ぎに列に並んだが
結局食べられたのは、3時近くだったように記憶する。

ここでは、つけめんとは呼ばずに‘もりそば’と言うが、それを注文。
店内は極めて雑然としており、正直、衛生的とも言えない印象。
さあ、件のもりそばが運ばれてきた。

白っぽい太い麺は、水切りがしっかりされてなく麺そのものも柔らかい。
つけ汁は、酸っぱいのと砂糖の甘さが分離した感じでそれまで味わったことのないもの。
チャーシューは、マナガツオのソテーのように分厚いが、パサパサしており肉かどうかも判らない。

要するに、一言で言えば、全然美味しくない。
いや、美味しくないどころか、量的にも多くて食べているのが苦痛以外のナニモノでもない。
じゃあ、残して帰ればいいじゃないか、とも思うが、そこはA型。
店の人や、周りの客たちの目が気になるのだ。
必死の思いでほぼやっつけて店を出た。

これが完全にトラウマになって、つけめんに対する思いは無くなった。
そもそも、冷たい麺に、熱いつけ汁とういう組み合わせが、日本蕎麦の鴨せいろ以外は
無理なんだと納得していた。

それから、10数年つけめんは一度も食べなかった。
で、ある時、兄と話していたら、「美味いラーメン屋があるぞ」と言い出した。
「ラーメンもつけめんもどっちも美味い」と言う。
「いやぁ、つけめんなんてもう一回で懲りたよ、大勝軒で・・・」
すると、彼も大勝軒は全然合わなかったが、ここは違うと言い始めた。
店の名前は、『麺屋ごとう』、なんとあの大勝軒出身の兄弟が開業した店だそうだ。

初めて、ごとうに行った時は、弱気にラーメン(中盛り)にしたが、スープ、麺とも大当り。
チャーシューだけが、本家に近いパサパサ系だったが、総合点ではかなりの高得点。
で、程なく再訪した時に、終につけめん(特製もりそば)を注文。
うま~い、麺そのものの美味さを味わえる。
ということで、10数年に及ぶ、つけめんトラウマから解放された。

師匠の店でトラウマになって弟子の店で解放されるのもなんとも面白い話だが・・・(^。^)

その後はつけめんマニアになり各店を食べ歩く。
で辿り着いたツートップが、べんてん(高田馬場)と丸長(桜台)だ。
他には道頓堀(成増)も好きだが、実は一番多く通ったのは野方にあるGという店。
やはり東池袋大勝軒出身。個人的にはラーメンもつけめんも大好きだし値段も安いのだが
行列店ではない。

穢土を離れる時に、困ったのは当地にはつけめん文化が無いという事。
実際つけめんを出す店もあるのだが、麺が弱いし、つけ汁も薄く、ざるラーメンといった感じで、
東京の美味いつけめんに慣れた舌を満足させるものではない。

Gの店主に地方発送の可能性を打診するも、丁重に断られた。
その次食べに行った時もお願いするが、やっぱり駄目。

う~む、家族全員つけめんの無い生活は嫌だと言う。

そこで、ナリポンは行動する。
Gのある地域の宅急便の営業所を調べた。
着払いの伝票を10枚用意して、必要事項を全て記入した。
エクセルで管理表を作った。
その上で、もう一度Gに赴き、
前金で取り敢えず、2万円預けます。
この表で管理してください。
ここに電話すれば宅急便が取りに来てくれます、この着払いの伝票を渡せばそれでお終いです。

あそこまでやられたら、流石に先方も根負けして承諾してくれた。

今日の昼は、その取り寄せた、Gのつけめん、うま~~~い。
冬の間は頼んでなかったので、まさに春を告げるつけめんだ。
Gの店主もこれほど喜ばれてるとは想像もしていないだろうな。

北国のゴルファーがこの時期、今年初のコースに出て春を感じるように、
我が家はGのつけめんで春を味わう。

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