2005年7月30日土曜日

楽天個人情報流出でスパムメールが急増?~個人情報の‘お値段’~

私は昨日も書いたように、楽天ではクレカ決済を一度も利用した事は無い(筈)。
楽天も認めている、流出元のAMCというところでの購入履歴も無い。

しかーーーーーーーーし、あの後、2ちゃんのニュー速にいったら、気になるレスを発見。
最近、H系、出会い系のスパムメールが来るようになって困っています、
としてそのメールをコピペしてあったが、それが、私の場合にも当てはまるのである。
当該スレの中でも、複数の人間が、‘俺も・・・’、‘俺も・・・’とレスを入れていたが、
そう言う意味では‘俺も・・・’なのである。

軽々には言えないが、これって、もしかして、これって楽天の登録メアドが漏洩したことから、
起こっているとか?

ところで、個人情報の漏洩は、ネット社会になる前にもあった。

子供が、小学校に入学する時期になると、それっぽいDMが数多く送られてきたし・・・。

私が、現役時代は、会社にも様々なセールスの電話が架かってきていた。
会社や所属部の番号ならいざ知らず、ごく少数の人間にしか明かしていなかった、
私の専用番号にも架かってきていた。(←誰かが俺を売ったのか)

あと、大学の同窓であることを強調した電話もあった。

これらは、色々な名簿から集めた情報だったのだろう。
先ずは、大学の同窓会名簿があるだろうし、外銀、或いはディーラーの名簿とかもあった。

実際、新橋にはそういった名簿を商売にしている店があった筈だ。

電話のほとんどは、投資案件だ。
忙しければ、一言で済ませていた。
‘いいですか、あなたにとってこの電話は仕事でしょうが、私にとっては仕事を邪魔するものです。
威力業務妨害に該当しますよ。’

ところが、ディーラーなんて相場が動かなければ、客の来ないラーメン屋と同じで
暇なんてもんじゃない。

そんな時に、勧誘電話が架かってくる‘飛んで火に入る夏の虫’になることがある。
特に‘儲け話’だ。

まあ、一番多かったのは‘節税目的のワン・ルームマンション’だったような気がするが。

先物取引の勧めなんてのは、思う壺。
相場やチャート用語を駆使して、相手を質問攻めにすると、もう、どっちにとって
‘迷惑電話’なのか分からなくなってしまう。

そうやって、知的に相手を追い詰める事もあれば、

‘えっ?4%?、なんだショボイな。俺なんか今、全財産8%で回してるぞ。
あんたも、やってみたら、紹介するよ。今は《和牛》が一番、元本保証だしな’

と、完全に相手をおちょくり。
それだけで、相手は戦意を失う。

戦意と言えば、とにかく執拗な電話で悪名高かったのが‘レーサムリサーチ’という会社だ。
会社の代表と直通、おまけに自宅の電話番号が知られていたが、
自宅には夜の10時でも平気で架けてきた。

同じリストに基づいて何人もいる担当者が勝手に架けて来るから、
一日に複数の電話がということもあった。

流石に怒り心頭で、相当強硬な抗議を行い、そのリストから除外させたが・・・

ディーラー仲間、10数人で飲んだ時に、話題に出したら、半数以上が‘攻撃’にあっていた。
まあ、社名にあるように、セールス対象リストの‘リサーチ’には長けた会社だよな、
と冗談を言っていたものだ。

だから2001年にJASDAQに上場したと耳にした時は、耳を疑った。

不良債権化した不動産の流動化等で、時流にのったのだろうが、
あの迷惑セールスを平気で行っていた体質がどう変わったのか。
逆に言えば、あの執拗なセールスがあったからこそ上場までこぎつけたのか(笑)

身体を壊し、無職になり、穢土を離れ地方に住んでいると、
電話のセールスも‘歯ごたえの無い’ものばかりだ。
まあ、平日の日中は主婦や老人を対象にしたものだから、そんなもんだろうが・・・。

そういう意味では、個人情報もその個人の属性によって‘価値’が違うだろう。

一部の報道では、今回の楽天の個人情報が1件=3000円とあったが、
今のナリポンのだったら、30円がいいところかも・・・。

来年から公表されなくなることが決まった、高額納税者の名簿なんてピンポイントだよね。

因みに、気のせいかも知れないが、懸賞やアンケートで‘無職’とすると、
消費者金融の売り込みメールが送られてくるような・・・。

そういう意味では、そういう情報を対価に懸賞とかが存在するのだろうと、
割り切る必要があるだろう。
だから、その手のモノに参加する時は、基本的に‘虚偽情報’‘フリーメール’にしている。

それから、チョッと気になるのが、楽天ブログのプロフィールにもある‘誕生日’情報。
なんだかんだと言っても、いまだに暗証番号につかっている人が多いらしいし、
電話での軽いタッチの問い合わせの時に、本人確認を‘生年月日’で行う場合もある。
積極的に公開する必要はないというか、リスクを避けるべきではないかと思うのだが・・・。

まあ、芸能人・有名人は検索すると一発でわかるからしょうがないけど、
‘無名人’は敢えてしなくても・・・

それにしても、楽天の対応はスローだな。
例の‘髭記者’でも連れてきて‘社長だせ~~~~~’とでも、やって貰う(笑)

2005年7月29日金曜日

楽天市場個人情報流出、かたや284件、かたや10万件~新語‘楽天的’の意味は?~

楽天がプロ野球に参入して、予想通りの苦戦を強いられている状況をみながら、
ある種の‘判官贔屓’の意味も込めて‘楽天的’という言葉を勝手にナリポン的解釈をしていた。

楽天的=基本的には実力がなく負け組みだが、その分勝ったときには、誰よりも勝利の喜びを味わえる事

しかし、今回報じられている、個人情報流出事件では洒落にならない体質が暴露されるかもしれない。

先ずは、毎日新聞の記事だが、これを読むとかなり深刻な問題だと感じる。

<楽天市場>流出データには下着の色やサイズまで

 「カラー…ブラック&レッド」。インターネット上の仮想商店街「楽天市場」から流出した顧客データには、注文した下着の色やサイズまで記入されていた。クレジットカード番号を含む20項目以上のデータが入った情報を購入した関係者の一人はデータを示しながら「流出データは10万件以上のはずだ」と語った。別の関係者は「詐欺目的で購入した」と証言。クレジットカード番号を含む大量の顧客情報流出は、底知れぬ被害拡大を招きかねない。
 関東地方の振り込め詐欺グループの関係者は今年5月末ごろ、「楽天の関連企業を辞めた」とされる人物から大量の顧客情報の購入を持ちかけられた。同時期、関西の暴力団関係者にも同一人物からの働きかけがあったという。合わせて50万件以上が売却されたという情報もある。
 今回、流出したデータには、クレジットカードの有効期限や購入した商品番号、宅配時刻の指定などをする備考欄なども含んだ詳細なものだ。住所も北海道から東京、大阪など、ほぼ全国に及ぶ。楽天は「カードの不正利用は確認されていない」としているが、関係者の一人は「カードの支払いは約1カ月後だから、被害が発覚するのはこれから」と話している。
 また、別の関係者は「1年半ほど前に、閉店するという楽天市場の店舗から『データを持っていても意味がないから』と持ちかけられ、200件ほど購入した」とも証言した。この関係者はカード番号を悪用して「自分で運営するアダルトサイトに登録させ、毎月5000円程度の会費を徴収できる。本人はパスワードを知らないから、仮に被害に気づいてもなかなか解約できない」と悪用の手口を明かした。
 このほか、不正なネットショッピングなども可能だが、関係者の一人は「今回のデータは、16ケタの番号から暗証番号を含んだ情報を割り出し、完全なカードを作る技術を持った東南アジアのグループに流れたと聞いている」と話してる。(毎日新聞) - 7月28日11時37分更新


これに対して、楽天側の公式見解は、

本日複数のマスコミにて、「楽天市場」に出店している店舗の取引に関わる
個人情報7万件から10万件が流出した可能性がある、との報道がなされました。
弊社において現段階で確認できたことを申し上げます。

本日午前7時現在、本件に関し確認できた個人情報の流出件数は161件増えて、
284件でございます。


う~む、子供の頃、メイデーとかの集会で、主催者側発表2万人、警察調べ5千人とかいう
ニュースを聞きながら、悩んだことがあったが・・・。

いまや、あの読売体質だって、観客数を実数で発表しているじゃないか。

それにしても、284件と千件ならまだしも、284件と10万件という数字の乖離は尋常ではない。

勿論、確認できている‘実数’という表現を用いているし、
法律上の問題も考慮しての事かもしれない。

しかしながら、印象としては、今回の事件が‘おおごと’ではないと
したがっている意図が見え隠れして、気に入らない。

さっき貼った、公式の見解のリンクもトップページの最上部、ロゴの隣に位置しているが
文字の大きさは‘並’だ。

言い方は悪いが、年利3.5%と低視力者でも見えるような大きさで掲げ、
これでもかという小さな文字で、為替相場のリスクに触れている
外貨預金のセールスと変わらない。

テレビのニュースは見ていないが、社長はなんらかの会見を行っているのだろうか。
まあ、個人的な経験で言えば、こういう状況では逃げまくるのが
IBJ出身者に見られる傾向だが・・・(笑)

今回の情報流出に楽天本体の人間が絡んでいなければ、
白を切り続けようと言う魂胆なのだろうか。

確かに‘個人情報等の取り扱いについて’では逃れられると
思っているかも知れない

当グループは、サービス提供者に対し、個人情報保護法を遵守し、お客様のプライバシーに配慮した個人情報の取り扱いをすることを規約などで義務づけております。しかしながら、サービス提供者がこれを遵守することを保証するものではありません。詳細につきましては、サービス提供者にお問い合わせください。


今回の事件も、一部の不埒な‘サービス提供者’によって齎されたもので、
楽天は一切関知しないこと、としたがっているだろうか。

だから、真相が明らかになるまでは‘謝罪’も行わないのは、法律的観点で言えば
意味のある‘戦略’なのかもしれない。

しかし、その‘戦略’の陰で、失う可能性が高い‘信頼・信用’には気付いてないのだろうか。

昨年、やはり最大66万件の情報流出の可能性があったとして、売り上げ130億円を失ったとされる
‘ジャパネットたかだ’の潔さ、真摯な態度の方が、好感度は高い。
(と言いながら、一回も買ったことは無いけどね)

楽天的=物事をすべてよい方に考えていて、のんきな様子。

なら、まだ可愛げもあるが

‘楽天的’(新語)=目先の利益を失うことを恐れ、その場しのぎの対応しかしないこと。

なんて、やめて欲しいね。

このブログが無くなると、ナリポンも悲しいし・・・。

因みに、私は楽天ではクレカ決済を一度も行ってないが、決済経験のある人で
不安を感じる場合は、クレカの会社に直接コンタクトをとって、番号を変えて貰うといいかも。
楽天の名を出すと、本来は有料のところでも無料でやってくれるらしい。

2005年7月28日木曜日

裏日本は何が‘裏’なのか~‘裏’には‘裏’の価値がある?~

日本地図を見てみよう。
そして、日本列島が1枚のピザだと考えてみよう(チョッと傾いてるけどね)。

トッピングをするのは、どっち?

そうだよね。
日本海側だよね。
でー、トッピングする方が‘表’だよね。

でも、その日本海側を‘裏日本’と呼んでいる(た)。
一時期は、平気で使っていたが、一種の‘差別用語’の類ということで、いまは余り使われていない。

‘低開発国’はダメで‘開発途上国’と言うようになったのと同じかどうかは、知らんが・・・。

‘裏日本’という表現についての解説は、色々とあるが、新潟市長が書いていた記事が簡潔。

裏日本は本来地理用語として、19世紀末に登場しました。それ以前は日本海側を「内日本」、太平洋側を「外日本」と呼んでいたそうです。東京に首都を置いた明治政府は「外」という言葉を嫌って「表日本」を自称したのでしょうか。
 地理用語だった裏日本は、次第に社会的・経済的格差の概念を込めた言葉として20世紀に定着します。30年ほど前から公式の場ではほとんど使われなくなりますが、裏日本のイメージはいまも生きています。


へー、もう30年もオフィシャルには使われていないのか。
じゃあ‘裏日本’と言う表現自体も、知らない人が結構いそうだ。

ところで‘山陰’と言う表現は、OKなのね。
島根・鳥取は‘裏日本’で‘山陰’って、ダブルだね。

えっ、そういうオマエも、こんな記事を書いてるくらいだから、どうせ‘裏’があるんだろ、って?

それは、ノー・コメント。

ヒント:海に沈む、夕陽を見なければ詩人になろうとは夢見なかった

でもね‘裏’=ネガティヴって言う発想も、短絡的だよね。
魅力的な、響きもあるじゃない。

・裏技(視聴率もとれる)
・裏メニュー(表より、安くて美味そう)
・裏本(なつかしい)
・裏ビデオ(見たことな~い←????)
・裏金(もらったことな~い)
・裏街道(途中からそうかも)
・裏話(大好き)
・裏口入学(しなかったから浪人した)

相場の世界でも、まあどっちかと言うと株の世界だが、有名な格言として

『人の行く 裏に道あり 花の山 』

と言うのが有る。

一方で、英語の世界では、飽くまでもトレンドに逆らってはいけないとする

“The trend is your friend”

と言うのもあるが・・・。

そうか、コイントスでも英語では

“Heads or tails”

‘表’は頭で‘裏’はしっぽだからなあ。
魚だって、しっぽより頭だもんな。

野球でいうイニングの‘表’と‘裏’も、英語だと

“top”と“bottom”だもんな。

やっぱ‘裏’のイメージは低いのかな~。
でも‘裏日本’出身と言えば世界レベルの‘グッド・ガイ松井秀喜’がいる。

‘表日本’出身なんて‘イチロー’位しかいないだろ。
(←また、そっちの話しに持っていくのかよ)

2005年7月26日火曜日

携帯電話の話し声を迷惑だと感じるのは何故か~ナリポン的思いつき分析~

ナリポンは今時では珍しく、携帯電話を持っていない。
理由は簡単、1年の、98%はベッドで過ごすから、枕元の固定電話で済むからである。

ただ、元気で現役の頃は、持っていた。
持ち始めたのは、95年か96年だから、比較的早い段階で所有した方だろう。

当時は、バイブレーター機能もなかったから、着信音を轟かせるか、携帯そのものを
オフにするかの選択しかなかった。

性能も良くなく、通話の時の相手の声も、聞こえづらい事が多かったから、
勢い‘大声’で話す事が多かった。
これは、相手の声が聞こえにくいと大声になる‘耳が遠くなった老人’と同じ現象だろう。

他人が‘大声’で話すと気になるのに、自分が‘大声’になっているのを他人に注意されると、
チョッとした逆切れ状態になったりもする。

そもそも、携帯の普及率も低い頃だから、持っていない人間からみれば
あたり構わず着信音が鳴り、大声で話す姿は、文字通り‘傍若無人’にうつった筈だ。

その後、携帯の普及率は劇的に高まり、年齢によっては、持ってないだけで‘変人’扱い
されそうな世の中になっている。

そういう、世の中になっているのに、相変わらず、携帯電話の利用を迷惑行為と考えたり、
不快だと感じたりする人は多いようだ。

運転中の利用は、法的にも規制されているし、病院や飛行機等の誤作動が懸念される場所、
或いは本来静寂な環境であるべき場所での利用を避けるのは、当然なことだと言える。

ただ、人が、普通に会話をしている場所はどうなのだろうか。

例えば、飲食店とか・・・

(社)日本民営鉄道協会が実施している‘駅と電車内の迷惑行為ランキング’では、
最新では2位になったものの、それまでは‘携帯電話の使用’がずっと1位だった。

う~む、それで‘喫煙所以外での喫煙’が9位かよ・・・<`~´>

例えば、電車の中で、女子高生が二人(A子とB子)で会話をしていたとしよう。

一方で、同じような声の大きさで、ひとりの女子高生(B子)が携帯で話をしていたとしよう。

声の大きさが同じだとすると、‘騒音’としての会話の量は、二人の場合の方が
多いに決まっている。

電話の場合

A子「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

B子「エッ、それってマジ、ヤヴァくない
それで、それで、イケメンって誰に似てるの。」

A子「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

B子「エェェ、それってかなりビミョーじゃん、
で、なんでエロイってわかったの?」

A子「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

B子「それって、けっこうフツーだよね」


あ~た、こんな会話の半分だけ聞かされたら、人間は怒りますよ。
A子が、何を言っているのか分からないから、どっかで絶対苛立ってしまうと思うけど・・・。
(←確かに、そんなのおまえだけだよ、とは言えないな)


これが、電車内の会話だとすると、

A子「今度来た、英語の教師、まだ28で、マジ、イケメンなんだけど、
それが、けっこうエロイらしいんだ。」

B子「エッ、それってマジ、ヤヴァくない
それで、それで、イケメンって誰に似てるの。」

A子「そ~ね、どっちかって言うと、‘もこもみちが3で’、
‘劇団ひとりが7’って感じかな。」

B子「エェェ、それってかなりビミョーじゃん、
で、なんでエロイってわかったの?」

A子「それが、ウチに来る前の学校でさ~(略)」

B子「それって、けっこうフツーだよね」


ほら~、こっちだと、聞いてても、両サイドの情報が入るから、話の全貌が見えて
なんか落ち着くでしょ。
あ~た、ナリポンだったら、話が面白かったら、1駅や2駅乗り越しちゃいますから。
(←流石に、それはおまえだけ、と言える)

でも、この勝手な分析って、結構当っているような気がするけど・・・。

もし話し声が‘騒音’だから、迷惑だとしたら、リアルで会話される方が、ずっと迷惑でしょ。

電話の場合、片一方の方しかないから‘騒音’としては半分なのに、不快に感じるのは
‘話がみえない’苛立ちからじゃないかな。

ほら、人間って災害時とかでも、情報の欠如でパニックになる動物でしょ。

2005年7月24日日曜日

‘憮然’‘姑息’‘ムーディー’‘フリマ’~言葉の誤用、誤解について~

この時期になると、文化庁が「国語に関する世論調査」の結果について発表する。

先日、発表された分では・・・

「青田買い」→「青田刈り」など、中高年ほど“誤用”

 「青田買い」よりも「青田刈り」、「汚名返上」よりも「汚名挽回(ばんかい)」など、本来とは異なる慣用句を使う人が、中高年に多いことが12日、文化庁が発表した国語に関する世論調査で判明した。

 若者の方が正しい使い方をする人が多く、文化庁は「中高年は言葉を知っているがゆえに、混同してしまうのでは」と分析している。

 調査は、今年1~2月に、16歳以上の3000人を対象に実施。「青田買い」「汚名返上」「伝家の宝刀」の3語について、正しい表現と本来とは異なる表現のどちらを使うか聞いた。その結果、「青田買い」を使う人が29・1%だったのに対し、34・2%は「青田刈り」を使うと回答。「汚名挽回」も44・1%で、「汚名返上」(38・3%)を上回った。本来の「伝家の宝刀」は41・0%で、「天下の宝刀」(25・4%)を上回った。

 年齢別に見ると、30代以下では、「青田買い」が多いが、40代でほぼ同じ割合になり、50代で逆転。「汚名返上」も、10~20代は正しく使う人が多かったが、40代の5割が「汚名挽回」とした。

 文化庁によると、「青田刈り」は、辞書によっては容認しているが、「汚名挽回」「天下の宝刀」は誤用とされる。若者に“模範解答”が多かったことについて、文化庁は「授業で取り上げられることが多いからでは」としている。

詳細は、文化庁の「国語に関する世論調査」の結果について、へどうぞ。


ナヌッ、中高年のナリポンとしては聞き捨てならない。
というか、どこのアフォな中高年を対象にしたんじゃ。

そもそも、言葉尻をとらえたり、揚げ足を取ったりするのが、嫌いじゃないナリポンは、
それなりに理論武装は怠らない。(←まあ、それでも結構間違えるけど)

学生の頃、授業で習ったことだけでは不十分だ。

実は、シンガポールから帰国して、転職した先の上司が、日本語の薀蓄にうるさかった。
飲みに行っても、自慢げに披露していた。
で、或る日、彼の机の上にあった‘タネ本’を発見したのだ。

‘知ってるようで知らない日本語(ごま書房)’、確かシリーズになっていて、
5冊くらいあった筈だ。

そこで、私も早速購入し、‘予習’に専念し、いつもの彼が問題を出しても、
殆ど正解を出すようになった。

そうなると、出題者や他の回答者も白けてしまい、やらなくなってしまった。

‘確信犯’、‘役者不足’、‘おざなり’と‘なおざり’、‘気がおけない’、‘小春日和’、
‘情けは人の為ならず’とか、所謂、日本語誤用初級クラスは軽々クリアーできる。

今回発表になった、‘汚名返上’、‘伝家の宝刀’は楽勝。
‘青田買い’は記事中の説明にもあるように、

【青田買(がい)(―ガヒ)】

2 〔俗に〕最終学年になって間も無い学生と入社契約を結ぶこと。〔誤って、「青田刈り」とも言う〕


だから、設問そのものにやや難があると思うが・・・。

今年は、いいんです。
でも、一年前の同レポートには驚かされた。

‘檄を飛ばす’は知っていた。
しかし‘姑息’と‘憮然’は、自分でも今までの人生で、誤用しまくっていた。

こそく【姑息】
―な
〔「姑」は ちょっと、「息」は やむ・それでいいの意〕 根本的に対策を講じるのではなく、一時的にその場が過ぎればいいとする様子。その場しのぎ。
用例・作例
―な手段

ぶぜん【憮然】
―たる
―と
〔「憮」は、失意の形容〕
1 自分の力に余るという表情で、ためいきをつく様子。
用例・作例
―としてあごをなでる
2 意外な出来事で、ぼんやりする様子。暗然。


このふたつは、私だけじゃなくて、マスコミとか物書きとかプロも殆どが
‘誤用’しているような気がするのだが。

もちろん、政治家も連発している。

これって、私が間違った意味で勝手に‘誤用の意味’で解釈しているだけで、
プロの人達の一部では‘正しい意味’で使っているのかなぁ。

どうも‘誤用’が身に染み付きすぎて、どうやって使ったらいいかマジでわからない。

ナリポンは、ヤンキースが3連敗して‘憮然’とした。(←これだと、どっちの意味にもなるなぁ)

ヤンキースの敗因は‘姑息’な投手起用だ。
ダメだ、どうも、ピンとこないな。

因みに、いま、最もピンとくる‘正しい誤用’?は

笑福亭鶴瓶は総合司会者として‘役不足’だ。


私が、ずーーーーーーーーーーーーーーっと、誤用として笑っているのは、‘ムーディーだ。

とても‘ムーディー’なバーで、カップルに絶対オススメ

雰囲気の良いという意味で使ってるつもりなのだろうが、これが全く逆の意味。

moody

━ 【形】
1. むら気な, 気分屋の
Why are you so moody? なぜそんなに気まぐれなのか.
2. むっつりした, 不機嫌な, ふさぎ込んだ (比較 日本語でいう「ムードのある」の意はない)
She's sometimes moody. 彼女は時々ふさぎ込んでいる.


男に、それっぽい店に連れて行かれたら

‘きょうの私ってとってもムーディー’とでも言って、相手の知的水準を試してみるのも
面白いかも。
但し、アフォな男が勘違いして‘強引な技’に出てきても知らないけどね(笑)

あと、私の経験から言うと、みんなが知ってそうで意外に知らない言葉‘フリマ’

‘フリマってなんの略か知ってる?’
‘フリー・マーケットの略でしょ、そんなの簡単じゃん’
‘じゃあ、そのフリーってどういう意味か知ってる?’
‘「自由な」って意味でしょ、どうしたの突然、こんな簡単な問題出して・・・’


えっ、あなたも、そう思ってた?

ヒント:跳ねる、痒い

不親切だけど、わからない人は自分で調べてみましょう。
そういう、苦労が伴ってこそ、人間は覚えるものですから・・・

一旦、覚えたら、このネタひとつで、今週いっぱいは、周りの人間相手にきっと、楽しめますぞ・・・(^。^)

2005年7月22日金曜日

電車男を待つ君・・・伊東美咲~♪去年よりずっときれいになった~♪~

2ちゃんねるから生まれた‘電車男’だが、本が出版され、映画になり、
今度はテレビドラマにもなった。

本は、息子が過去一年で唯一‘読書’した本、私も借りて読んでみた。

映画は観ていない。

テレビドラマが極めて好評のようだ。
第2回(7月14日放送)の放送は、視聴率週間ランキングでは、ドラマ部門は勿論、
芸能部門で第1位に輝いている。

我が家でも、家族3人が、それぞれ別のテレビで観ている。

エルメス役の、伊東美咲。
江口ファンの私の記憶にあったのは、フジ月9であった、‘東京ラブ・シネマ’だが、
長身(171cmだって)でスタイルもよく、顔も整っている割に、どうも惹かれるものがなかった。
役柄としては、積極的に洋介にアタックする役だったと思う。
むしろ、今回も共演している、白石美帆の‘健気さ’の方が印象に残っている。

ところが、今回の‘電車男’では、美咲ちゃんが、なんか凄く綺麗にみえてしまった。

そもそも充分に美人なわけだし、前回みたときから2年経ってるし、その間、映画‘海猫’で
濡れ場を演じたり(←実際はカットされ期待はずれだったらしいが)、
或いはプライベートでも‘進化’していたのかもしれない。

逆に、健気だった筈の白石美帆が、本来の素のイメージ通り?の‘ヤリヤリ’になっている。

で、なぜ今回、伊東美咲が綺麗に見えるのか・・・。

それは、‘エルメス’が‘性格美人’だからなのではないか。

ダサい男である、‘電車男’の示した勇気に感動し、
それを一歩踏み込んだ形で‘恋愛感情’まで昇華させる。

‘容姿美人’の上に‘性格美人’ときたら、もうこれは完璧な‘美人’だ。

‘エルメス’のような女性の存在は、世の独身男、‘彼女いない男’に可能性を与える。
ただ、その可能性を過信するのは、禁物だし、逆にそこで‘勘違い男’になると、
いっそう‘ダサダサ’になる危険も大いにはらんでいる。

‘電車男’役の伊藤淳史。
惜しい、同姓かとおもいきや、‘とう’が違う。

こいつの印象は、カロリーメイトの‘がんばれワカゾーだ。

それにしても、‘エルメス’より身長が9センチも低いとは・・・
映画、‘海猿’にも出演していたらしいから、今回のドラマは‘猿’と‘猫’の共演?

このドラマのヒットで、伊東美咲はブレイクするかも知れない。
今回は、素人のお嬢さん役だから、演技力は余り必要ない。(←むしろ無い方がイイ?)
そういう意味では、女優として大成するかは疑問。

ただ、‘エルメス’の好感度も‘借用’してCMクイーンになる可能性は充分だ。

あと、このドラマのヒットで考えられる事。

この‘電車男’のお陰で、痴漢や迷惑行為を見かけた時、
‘妙な計算’をしながら突然‘勇敢’になる男たちが増殖するかもね。

2ちゃんねる=悪質匿名掲示板という構図を好んで作りたがる、マスコミ連中が多いが、
この‘電車男’で、若干イメージもかわるか、或いは新人さんの流入があるかもね。

‘きぼんぬ’ってどういう意味ですか?ってね(笑)

2005年7月21日木曜日

原辰徳が解任されたときに吐いた‘生’言葉~原監督復帰待望論渦巻く~

巷では、原辰徳の巨人軍監督復帰の話が持ち上がっている。

先日、報道ステーションにコメンテーターとして出ていた、元検事、‘カミソリ堀田’
と言われた同氏が、古館の質問にキッパリと答えた。

‘以前は、ずっと巨人ファンをやっていましたが、おととしの8月の原解任騒動で
ファンをやめました。’

東京地検特捜部時代にロッキード事件で田中首相の捜査に当たり、その辣腕振りから
未来の検事総長間違いなしといわれながら、突然ボランティア活動に身を投じた男の言葉だ。

まるで、昔の検事としての血が騒ぎ、あの時解任に動いた読売首脳を‘断罪’しているようだった。

実は、私もあの8月を最後に、30何年続けた、それも熱狂的なファンをやめたひとりだった。

私の場合は、そもそも松井の抜けたジャイアンツに興味を失っていたせいもあったが・・・

原辰徳の選手時代の印象は、正直あまり良くない。
整った顔と爽やかな雰囲気で‘若大将’と呼ばれていたが、
巨人の4番として史上4番目の試合数に出場しながら、通算打率0.279、HR382本、
個人タイトルも打点王1回だから極めて平凡だ。

私は1989年の日本シリーズ(巨人―近鉄)の第5戦を観戦していた。
実は、私にとって初めての東京ドーム観戦だった。

巨人がいきなり3連敗し、例の‘ロッテより弱い発言’(加藤)があったシリーズだ。

第5戦のチケットをN生命のオバサンから貰っていたのだが、あのまま4タテを食らったら、
フイになるチケットだった。

そもそも3連敗の戦犯に原が上げられていた筈だ。
そして、私が観た第5戦で、原がレフトギリギリの満塁ホームランを放った。
大歓声の中、私の右後ろにいたかなり年配の女性が、涙をボロボロ流していた。
長嶋監督時代でもなかったし、原にも特に思い入れはなかったが、その女性の涙に思わず、
つられてしまったのを覚えている。

原の引退セレモニーは、いかにも彼らしかった。
‘夢の続き’発言もまさに若大将イメージだ。

HNKのコメンテイターをしていた時も、余り印象は良くなかった。

栗山ほどではないが、与田並みに、人のことを悪く言わない。
解説そのものも、サッカーの井原並に陳腐でつまんなかった。

1999年、ヘッドコーチとして長嶋監督の下で務めるが、なんせ太陽の元では、
存在感を感じさせるにはことはできなかった。

2001年、長嶋監督が勇退し、後任に原監督の就任が決定。

2001年といえば、私が穢土を離れて、当地に‘下野’した年だ。

その年末、古くからの友人から声がかかり、原辰徳のチャリティートークショーに誘われた。
同期で元全日本ラガーとの‘友情’で現役引退後から続いているそうだ。

ノーイベントな人生の中、喜んで出席。
なかなかのしゃべりで、突然の質問に対しても、洒落もありウイットも有りの返答で、
NHK時代のイメージとはかなり違った。

翌年、いよいよ、監督としての1年目。

原が掲げた‘ジャイアンツ愛’は、長嶋が1年目に掲げた‘クリーンベースボール’と
同じ臭いがしたので危惧したが、結果はペナントも、日本シリーズもぶっちぎりの勝利だった。

その年は、日本一監督だし、もう来ないだろうと思ったが、忙しい中をさいてやって来てくれた。
彼のしゃべりも、結果を伴っているから、益々滑らかになり、出席者も賞賛の拍手を惜しまなかった。

そして、翌年、あのなんとも醜悪な解任騒ぎの結果、原監督は‘辞任’した。

さすがに、‘今年は来ないかな’と思いきや、そういう下世話な予想を嘲笑うように登場した。

2001~2003年、どの年も、こられないグッド・リーズンがありながら、あの男はチャリティーをするために、やってきたのだ。
そういう、コミットメントの仕方にはある種の‘男の美学’さえ感じてしまった。

実質解任された年の彼のトーク。

‘みなさんが、いま何を聞きたいかは承知しています。
正直、わたしも話したいことはいっぱいあります。
しかし、わたしは、その話したいことは全部墓場に持っていくと決めました。’

確か、こんな内容だったと記憶する。

この記事のタイトルで、なんとも思わせぶりな引っ張り方をしたのは申し訳ないが、
これが、原辰徳なのだ。

その物言いからは、巨人と断絶する意思は感じられなかった。

監督を経験した原の野球解説は聞いていても、まるで監督気分で面白い。
とにかく、ディサイシヴなのだ。

選手としては一流とは言えなかった原だが、監督として一流になる可能性は充分にあると思う。

考えてえみれば、原辰徳は、常に父であり監督である原貢氏をみて育ってきたのだ。
環境的にもDNA的にも、監督としての素養はあるのではないか。

選手としては一流だったが、ベンチの中で、まるで‘他人事’のような顔をしている堀内。
‘今日はよくないですね’の超マイナス思考の江川、‘気合だ~’一辺倒の中畑。

原が次期監督候補として浮上するのに不思議は無い。

原も自身のホームページ‘ファンのみなさんへ’で否定している。

相場の世界でも、通過の切り下げ・切り上げ、公定歩合の変更の可能性を訊ねられて、
まともに答える要人はいない。
逆に否定されれば否定されるほど、その可能性が高まるのが通り相場だ。

去年はスキップした、原のトークショー、今年は出席したくなりそうだ・・・(^。^)

そうそう、明日は原辰徳の誕生日だ、結婚なら誕生日に‘入籍’なんてこともあるが・・・(>_<)

2005年7月14日木曜日

青葉のラーメン~食の‘知的所有権’について考える~

5月の話だが、中野の人気ラーメン店、‘青葉’の店主が、
‘秋葉家’というラーメン店の経営者に監禁、暴行されていた事件があったらしい。
加害者は、‘味も商売も教えたのは自分なのに、挨拶も謝礼もないのは許せない’としている。

まあ、二人が知り合いであることは間違いないらしいが、
それ以上の事実関係はわからない。
(状況的には、あの‘仙人’が一方的に悪いと思うけどね。)

中野の青葉は、私が穢土に棲んでいた頃は、お気に入りのラーメンだった。
初めて食べたのは、1998年。

洗いざらしの白地に赤い文字の暖簾、銀座8丁目にでもありそうな
古いカウンター・バーのような作りで席数も10足らず。
エアコンもなく?外気が自由に出入りする。

そんな戦後間もないような(←みたこともないのに)レトロな店。

あれで、こてこての(笑)支那そばでも出てくればイメージぴったりなのだが、
出てきた一品は、なんとも味わったことのないテイスト。
特製でトッピングされている、具も中々の味だ。

作っている主人はメガネをかけ、マスクをかけて(←胡椒アレルギーの説あり)、
きちんとした手さばきで仕事をしている。
大袈裟に言えば、外科医の如くだ(←確かに大袈裟だ)

この、青葉が生んだスープは、魚系(かなり濃厚)と動物系とを合わせた、
‘ダブル・スープ’と呼ばれ、一躍脚光を浴びる。

つけ麺も2度試したが、ややインパクトに欠け、‘べんてん’や‘丸長’の方が好き。
で、その後は、具もウマい特製中華そば一辺倒。

2001年、穢土を離れる前にも思い出の一杯として食べたが、その後は、支店も増え、
今は、中野本店も芳賀氏本人以外が作っているらしい。

東池袋、大勝軒もそうだが、規模の拡大によって、より多くの人間が食する機会が生まれる一方、
その拡大が質の維持を阻害することもありそうだ。

ところで、青葉のラーメンについては、いわゆる青葉インスパイア系と呼ばれる店が多数ある。
青葉のラーメンを美味いと思った人々が、それに触発されて、似たような方法で、
似たような美味いラーメンを目指した結果だ。

‘触発’されたとすれば聞こえは良いが、有り体に言えば、パクッたということにもなりかねない。

だが、青葉の芳賀氏は、そういう店の店主相手に、謝礼も求めてないだろうし、
監禁、暴行もしていないだろう(笑)

中野の青葉を知る前は、‘青葉’、‘ラーメン’の検索ワードを私の頭に打ち込むと、
それは旭川にある青葉だった。

初めて行ったのは、1988年の2月だ。
5年間、南国シンガポールに‘軟禁’されていた私は、もうスキーがやりたくてやりたくて、堪らなかった。

友人の薦めで、旭川ステイのツアーに・・・、確かにスキー場を日替わりで選べるし、
夜は、旭川の町で、飲んだり喰ったりできる。

飲んだ後に、‘青葉’を探し当て、入ろうとしたら、なんとちょうど閉店しようとしていた。
なんとか主人に頼み込んで、入店。

魚出汁の香りと独特の食感の低加水麺、うまいと感じた。
店を閉めようとしていた筈の主人が、食べ終わったのに色々と話しかけてくる。
お客が自由に書ける雑記帳を渡され、感想と住所、氏名を書いた。

確か、北海道を旅行する若者向けのサーヴィスメニューがあった筈だ。
昔の‘カニ族’を相手にした名残かも知れない。

とにかく、この店主、初代ラーメン王の武内伸の寒いギャグではないが、
‘スープの基本はトリガラじゃなくヒトガラ’を地でいく感じだった。

その後、礼状みたいな奴が届き、東京に支店を開いた時には、案内状も届いた。

その旭川の青葉、開業は1947年、私が通った(3回だけ)時は2代目、今は、3代目がいるらしい。

ところで、ここのスープは何のことは無い、開業以来ずっと、ダブル・スープなのだ。

味わいは、中野の青葉とは随分と異なるが、ダブル・スープという概念では先駆だ。

というか、私が単に無知なだけで、旭川の青葉以前に、ダブル・スープを始めていた店が
他にあるかもしれない。

そう考えると、食における‘知的所有権’ってどうなんだろう。

人形町の‘玉ひで’が、日本中で作られる親子丼に課金したら、どうなるか。

とんかつ(カツレツ)にキャベツを添えるだけで、銀座の‘煉瓦亭’に
挨拶をいれなきゃならないのか。

あぶらそばをメニューに加える時は、武蔵境の‘珍珍亭’の許可が必要なのか。

より美味い食を求めて、真剣に努力を重ねている人たちには申し訳ないが、
食べる一方の人間からみれば、広く食文化の発展の為には、
料理人達が、是非、‘太っ腹’になって、我々の胃袋を満たして欲しいものである。

2005年7月13日水曜日

続々・林美雄を忘れない~それは小林千絵ちゃんのお陰だった~

ナリポンは、お気に入りの日記にもある、
タレントの小林千絵ちゃんと友達だ。
当時ニューヨークに住んでいた共通の友人を通じて知り合った。

初めは、その友人が帰国した時に3人で会うだけだったが、
そのうち千絵ちゃんとふたりでも、逢うようになった。

そう、ナリポンのつきあいの基本、ツーショットでカウンターが
実現したのだ。
彼女とは、初対面の頃から、‘会話’が成立した。
こういう、会話のセンスは私にとっては極めてキーになる要素で、
そういう人間が相手だと、
おまけに、お互いの未知の部分が多いときているから、
会話がエンドレスに続く。

実際、逢う頻度は高くはなかったが、一旦逢うと、深夜、
或いは明け方まで話し込んでいた。
10時間飽きずに話せる相手というのは、私の人生でも、
そう多くは居ない。

で、ある時、千絵ちゃんの携帯が鳴って、彼女は席を外した。
戻ってきた彼女は、

‘ごめんなさい、前に一緒に仕事をしてたTBSの人から・・・’

で、なんていう番組?とか話をしているうちに、私は驚嘆した。

‘えっ、林美雄ってあのアナウンサーの?’
‘知ってるの?’
‘知ってるなんてもんじゃないよ。深夜放送の大ファンだったよ’

実際、林美雄と小林千絵は94年~95年TBSラジオ
‘午後はどーんとマインド’(月~金曜午後1~4時)で
一緒の仕事をしていた。

その話を聞いて、私は、そわそわし始めた。
それまで、千絵ちゃんが斎藤慶子、生稲 晃子、高橋ひとみ、等の女友達の話をしても、
びくともしなかった私が、言わば‘自戒’を忘れて、呟いてしまったのだ。

‘林美雄か、是非一度でいいから会って飲んでみたいなぁ’

それから、間もなく、私の夢は実現する。
96年の8月だったと思う。

全員に近いということで、全日空ホテルの地下で待ち合わせた。
どこで飲むかについては、予め私が、7~8軒の候補を、カードに店の特徴と共に書いて、
林氏に見せた。(←A型ナリポンらしいね)

彼が、選んだのは、俳優座の側の焼き鳥屋だった。
一本一本、実に丁寧な仕事をする店で、ささみをレアに焼いて本わさを載せる奴がウマい。
ワンメーターのタクシーの中で、こりゃあ、‘下落合焼き鳥ムービー’じゃなく、
‘六本木焼き鳥ムービー’だなと洒落ていた。

店について、コの字型のカウンター席の角を占拠、千絵ちゃんを挟んで3人座った。
千絵ちゃんが改めて、私のことを紹介してくれたが、

‘銀行員らしくない格好だね’

の一声(←どっか、ネガティヴ・トーンなんだよね)

確かに、当時まだ余りポピュラーではない、マオカラーのジャケットを着ていた。

‘外資系だし、ディーラーだから・・・’

千絵ちゃんがフォローを入れるが・・・

林氏は久々に会った千絵ちゃんとしきりに話したがっていた。

私は、話に加われないまま、林氏の顔をずっと見ていた。

思えば、この人の声はさんざん聴いていたが、顔を見たことは、
一時期、松崎しげると西田敏行が即興で歌うTV番組(←今日調べたら、‘ハッスル銀座’)の
司会をしていた時しかないんだ。

パックの中では、たしか、自称‘村野武範似’だと言っていたと思う。
(右上の写真をみれば一応納得か)

目の前の林美雄は、事前情報の通り、両切りのショートピースを上手に吸ってはいたが、
もうオジサンの風情だった。(下の写真の通り)

しきりに、全国各地の競輪場巡りについて話していた。

千絵ちゃんは、相変わらず必死になって、話を振ってくれていた。
林氏もひとしきり、千絵ちゃんとの話も終ったせいか、或いは流石に所在無げにしている
私に気を遣ってくれたのか、耳を傾けてくれた。

‘あなたのお陰で、どれだけ多くの若者が感化されたか’を語ろうとも思ったが、
そんなのは今までに、うんざりするほど聞かされてきたに違いないと思い、
ミドリブタパックを最初に降板した時の、エンディングを再現してみせた。

あなたの最後のパックイン、番組のエンディングに向けて、あなたが歌った。

『回転木馬』

ぐるぐる回る  回転木馬~♪
いつでも世界が  祭りの様に
陽気に回って  愉快にさせる
回転木馬は、ぼくらのことさ~♪

当時の自分には予想外の選曲だったが、あなたの声が次第に涙声になって
私も、しまいにゃボロボロ泣いていましたよ。


‘あぁ、そんなこともあったなぁ’

自分も忘れていた20年以上前の出来事を再現されて、少し感慨深げだった。

さらに、ひとまわり上の先輩に向かって、私は大胆にも或いは不遜にも言い放った。

‘私も、振り返ると、一番必死に仕事をしたのは27~33歳のあたりです。
あの頃頑張った遺産で、その後はやっているようなもんです。’

‘ディーラーも年をとって偉くなった人は、自分では相場を張らずに部下の管理が
仕事になるんですよ。でも、林さんもそうでしょうけど、やっぱり現場ですよね。’

実際、当時の彼は、管理職でデスクワークが中心、レギュラーの番組も、千絵ちゃんとのが最後で、
その後は持っていなかった筈だ。

彼は、若造の生意気な言い草に、特に言葉ではコメントしなかったが、
勝手な自己解釈では、目は相槌を打っているような気がした。

店に居た2時間弱の時間で、私がまともに参加できたのは、30~40分かな。

高くは無い勘定を私が済ますと、彼は

‘じゃあ、次回は、ぼくが赤坂の餃子屋で・・・’

と言ってくれた。

店を出て、彼と別れた後、千絵ちゃんと飲みなおした。

‘ごめんね、なんか、がっかりしたでしょ’

彼女は、まるで、愛想の無い亭主を持って困っている奥さんのように謝罪した。

‘とんでもない、青春時代の憧れの兄貴分に会えて、本当に嬉しかったよ。
どれくらい感激しているかは、彼にも千絵ちゃんにも想像できないと思うよ。
だって、俺も自分でわからないくらいだから(笑)
いやぁ、これも千絵ちゃんのお陰だ。知り合えて良かったよ。’



今日、一応ブログで、実名を出す事に仁義を切ろうと思い、久々に千絵ちゃんに電話してみた。

‘全然問題なしで~す’

ついでに、ネタ探しもした。

一緒に、飲みに行った時に、こう言われたそうだ。

『今はこうだけど、昔は‘かみそりヨシオ’と呼ばれてたんだぞ。』
『俺に触ると、怪我ずるぜ、ってね。』

若い頃は、ブイブイ言わせてたのか、
いや、ミドリブタだからブヒブヒかも(笑)

あと、恐怖のハシゴ酒で店を転々とする癖があったらしい。
で、飲むとけっこうベロベロになるらしい。

それから、50の手習いではないが、日本舞踊を習い始め、
発表会で息子さんと一緒に踊ったそうだ。


ところで、命日に合わせて3日連続で、林美雄を取り上げたけど、過去2日の反応はイマイチだね。
アクセス数は普段と変わらないというか、寧ろ多かったりするのだが・・・。

トラバ相手を探しても、見つかんないし、あれだけの存在でも3年経つと、
こんなものかとチョッとガックシだったなぁ。

或いは、ミドリブタ世代とブログ世代とは合致しないのかな。

因みに、2000年代のカリスマって誰かいるの?

ぶっぶ~ (´・ω・`)

2005年7月12日火曜日

続・林美雄を忘れない~愛はいつも束の間、今夜遠く旅立つ♪~

高々、局アナの林美雄に何故、‘70年代深夜放送のカリスマ’等という、
称号が与えられるのか。

当時、時代を共有した、単なる懐古趣味のファンの評価だけでは、無理な話だ。

彼が、パックイン・ミュージックで取り上げたモノやヒトが素晴らしかったのである。

彼を論ずる時、サブ・カルチャーとかカウンター・カルチャーという言葉を使う人が居る。
確かに、彼が好んで取り上げた、音楽や映画や人物は、当時は陽の当らないものが多く、
サブ(副次的)であり、カウンター(対抗的)であったといえるかも知れない。

ただ、私はそういう文化論で、林美雄を‘解析’するのは余り好まない。

彼は、単に‘いい趣味’をしていたのだ。

‘まだ売れてないけど、こいつの歌いいと思うんだよな。’
‘あの映画館でしかやってないんだけど、この映画しびれるんだよな。’

もちろん、それらを発見する為には、彼自身、個人として相当のエネルギーを使ったと思われるが、
その自分の趣味や考えを、午前3時~5時という微妙な時間に電波に乗せて、
日本国中に発信できる喜びもあったに違いない。

彼自身が、言いたいことは一杯あるのに、売れてない駆け出しの評論家だとすれば、
ああいう場を与えられたのは、仕事を超越した遣り甲斐があったのではないだろうか。

彼の趣味は、多くの人に受け入れられた。
私も、大半のモノは素直に、共感したが、中には、どうも‘趣味の合わない’モノもあった。

ただ、段々と林美雄そのものに心酔していくと、その‘合わないモノ’すら
無理矢理、合わせてしまう自分がいたような気がする。

もう、その段階で、私にとっての林美雄は充分にカリスマ性を持つ存在だったのだ。

だが、林美雄のカリスマ性、それは、彼がいちはやく見出した‘原石たち’が、
後に光り輝く存在になることにある。

その多くの‘原石たち’は、もし林美雄が光を当てなくても、
その光を自ら発することができたかも知れない。

ただ、彼の力によって、或いは、彼によって動かされた多くの人々によって、
より確実に、より速やかにしたことは間違いないだろう。

☆ユーミン
最も、メジャーなのは、ユーミンだろう。
はじめて聴いた、‘ひこうき雲’や‘ベルベット・イースター’は
正に初体験でストライクゾーン。
あのユーミンでさえ、アルバムを3枚出して、やっとブレイクするのは
3年後の‘ルージュの伝言’。
私は、先取り組みの‘奢り’もあって、なんで、ズッチャチャ・ズッチャチャの
あの曲なんだよ、もっと、いい曲があるだろう、と極めて不機嫌だった。
その後の彼女の活躍は、語るまでもない。

74年に作った、‘旅立つ秋’は、パックインを降板する(1回目)林美雄に
捧げた歌で、お別れの会でも、ユーミン自ら歌った。

☆石川セリ
ミドリブタのパックインといえば、先ずは映画‘八月の濡れた砂’。
監督は、タンポポで歯周病役で出演していた、故・藤田敏八だ。
そしてそして、その主題歌を歌っていたのが、石川セリだった。
ハスキーでセクシーな声に魅了されていたが、その後、写真をみて納得。

因みに、井上陽水と彼女は、林美雄の本番中のスタジオで初めて出逢って、
結婚に至る。


☆山崎ハコ
初めて聴いた時、もう地球の裏側まで落ち込みそうな‘暗さ’に圧倒された。
ギターの弦の音も、彼女の声も原始に訴える感じだった。
ブレイクしきれなかったから、ミドリブタで出逢わなかったら、
知らずに終ったかも知れない。
何を隠そう、私が人生で初めて買ったLPは山崎ハコだったのだ。


☆原田芳雄
ヨシオつながりか(笑)
役者としては勿論知っていたが、歌手としての彼を知ったのはパックのお陰だった。
‘りんご追分’‘プカプカ’が有名だが、私のお気に入りは‘愛情砂漠’


☆タモリ
あの伝説の、‘四カ国語麻雀’を初めて聞いた。
いまは、昼の番組で楽隠居のイメージがあるが、当時のタモリの独創性は秀逸。
ミドリブタの‘苦労おーかるローカルニュース’は、タモリのツギハギニュースとかの
芸に、しっかりと継承されたと勝手に思いこんでいるナリポン。


☆おすぎとピーコ
正直、あまり印象にないが、ブレイク前にミドリブタに呼ばれていたらしい。
実は、林美雄の訃報を、朝のワイドショー(とくダネ)で、オズラさんが
オープニングトークで取り上げた。
他局のアナを激賞したオズラさんも偉いが(あの時はズレてなかった)、
ビハインドにいたピーコが本番中にも拘らず、泣いていた姿が印象的だった。


☆藤竜也
‘花一輪’
‘蛍の子と書いて蛍子(けいこ)と読むんですよ’

将来娘ができたら、名前はこれしかないと一瞬思ったが、
幸せが薄そうなのでやめた。


林美雄については、まだまだ書き足りない。

おまけに、その後、ある人のおかげでナリポンの人生始まって以来の、
とんでもない‘至福の時’が訪れるが・・・それはまた、別の話・・・ぶっぶ~ (´・ω・`)

2005年7月11日月曜日

林美雄を忘れない~あの夏の光と影は何処へ逝ってしまったの♪~

林美雄、通称ミドリブタという名前を聞いて、反応できる人がどの程度いるだろうか。
世代的にも限定されるだろうから、恐らくかなり少ないのではないか。

彼は、元TBSのアナウンサーで3年前の2002年7月13日に、58歳で逝ってしまった。

その時、その訃報を伝える活字は、こんな感じだった。

‘70年代深夜放送のカリスマ’

‘最後のアナウンサーらしいアナ’

良く有り勝ちだが、若くして、逝ってしまった人間への、やや過剰な礼讃とも
言える表現かも知れない。

ただ、私の青春時代を語る時に、この男は絶対必要な存在だ。

当時の私は高校生で、受験勉強に明け暮れる毎日。
その頃、当然のように嵌ったのがラジオの深夜放送だった。

プロ野球の実況を探して、懸命にチューニングしても、よく聞こえない‘普通の夜’の時間帯を過ぎ、
‘深い夜’の時間帯になると、突然クリアーに聴こえてくる。
電波のトラフィックが軽くなるせいなのだろうか。

同じ事は、ラジオの向こうにいる送り手とリスナーの関係にも当てはまる。

夜という静寂の中で、聴く言葉や音楽は、昼の喧騒の中で聴くそれらに較べて、
遥かに大きな‘力’を伴って伝わってくる。

そもそも、夜というだけで、人は不安になったり、感傷的になったりする。
だから、深夜放送というのは、もうそれだけで、リスナーに対してある意味アドヴァンテージを、
持っているのだ。

おまけに、当時の私は、‘ちょっと触られた’だけで、心身ともに実にイージィに、
‘勃起’する年頃だから、ツボを捉えられたらすぐさま、虜になってしまう。

当時、我々の周りで、最も人気があったのは、野沢那智(声優、アラン・ドロンの吹き替え)と
白石冬美(巨人の星の明子ねいちゃんの声)がやっていた、通称‘ナチチャコパック’。

リスナーからの手紙で構成されるが、3時のエンディングに向けては、ほぼ100%泣いてしまう、
‘感動モノ’を紹介する。
仕上げは、ポールー・モーリアの‘シバの女王’、投書の最大の盛り上がり部分と重なり、
涙の量をさらに増量させる。

その、感動に浸っていると、なんとも奇妙なテンションの声が・・・


月夜のブタは恥ずかしい
ずんぐり影が写ってる
ガニマタ足で坂を降り
夜空見上げりゃ、星ふたつ
ぶっぶ~ (´・ω・`)



3時から始まる、パックイン・ミュージック第2部を担当した、
ミドリブタこと林美雄との出逢いがそこにあった。
因みに彼が起用されたのは、同期だった久米宏が体調を壊した事によるらしい。

ナチチャコパック組みの中から、この林美雄の2部への評価が次第に高まっていく。
ちょうど、干支で一回り違う、兄貴分の登場に我々は興奮し、感動するのだ。


実は、今日は、午後4時頃から、この日記を書くべき準備を始めたのに全然進まない。

まるで、引越し荷物の荷造りをしながら、懐かしい手紙や写真が出てきて、その都度、
深い思い出に浸っているような感じだった。

という訳で、今日はここまで・・・ぶっぶ~ (´・ω・`)

2005年7月10日日曜日

サンバンナガシマは安楽死、ヨバンマツイは未勝利~仕掛け人は野村茂雄~

先週末、昔の競馬仲間からメールが届いた。
添付ファイルは、福島開催のある未勝利戦の出馬表。
15番枠にヨバンマツイ

馬主欄を見て二度ビックリ。
馬主の名前は野村茂雄

苗字が‘月見草’で、名前が‘ひまわり’だ・・・(^。^)

で、この馬主名で、ググッたら、他にサンバンナガシマという馬を発見。

あぁ、確かに、その馬名は聞いたことがあった。

2000年、江藤の加入により、長嶋監督の背番号3が復活。
宮崎キャンプ中の2月12日に、江藤へのノックでお披露目。
ただ同月、26日には、サンバンナガシマが調教中に骨折し、安楽死処分となっている。

なんとも、縁起の悪いスタートになったが、その年、長嶋巨人はON対決を制して、日本一になっている。

ところで、この競走馬の名前で言えば、色々と面白い話がある。

私が、実際に競馬をやっていた頃、リアルで面白いと思ったのは・・・
ある日の最終レースに、肝っ玉母さんというテレビドラマで有名だった、
故・京塚昌子さんが馬主の‘マサコサン’という馬が出走。
同じレースに‘タカシクン’という馬も出ていたのだ。

レース実況が最高。
~先頭を行くのはタカシクン、それを追って2番手にはマサコサン、
マサコサンが3馬身差まで詰めるも、タカシクンが再び逃げて引き離す~

逆ナンしようと、マサコサンが頑張ったけど、タカシクンの好みじゃなかったみたい・・・(>_<)

しかし、あの時代はまだその程度だった。

その後、小田切有一という、鬼才の名づけ人が登場するのである。

ノアノハコブネ
オシャレナワタシ
ギャフン
ハデニヤロウゼ
ミテミテ
イヤダイヤダ
コレガケイバダ
クウテネテ
ヨウシヤッタ
オレハマッテルゼ
カゼニフカレテ
マジ
ソレガドウシタ
コワイコワイ
カミサンコワイ
ウソ
オモシロイ
ワラワセテ
ドンナモンダイ
エガオヲミセテ
ロバノパンヤ
オジサンオジサン
ツイニデマシタ
ナゾ



なんとか厳選しようとしたが、無理矢理絞ったのにこの数だ。

ノアノハコブネはG1のオークスを勝っているし、名前としても思想がある。

まあ、ナリポンはこんな感じだから、G1に相応しくない名前だとか、野暮なことを言うつもりはない。

それどころか、こんな名前を実況アナが真剣に連呼しているのを想像していると、
ほくそ笑んでしまう。

~先頭は、‘オジサンオジサン’‘オジサンオジサン’、しかし、内をついてやってきたのが、
‘カミサンコワイ’、大外から伸びてきたのが‘イヤダイヤダ’・・・
さあ、3頭の激しい叩きあいになった。~

~なんと勝ったのは、ブービー人気の‘ウソ’2着は‘ナゾ’でしょうか、3着に入ったのは‘マジ’、
1番人気の‘ソレガドウシタ’は4着です。
5着には‘コレガケイバダ’・・・、今日のメインレースは大波乱になりました。~

私が、いま馬を持ったら付けたい名前は、‘レッツゴーヤンキース’
あぁ、ダメだ、10文字になってしまった。
字数は9文字以内という制限があるのだよ。
ハイセイコーの産駒で、見事にダービーを制した‘カツラノハイセイコ’も本当は
最後に‘-’を付けたかったに違いないが、文字制限でダメ。

まあ、実況を聞いていると、結構、みんな伸ばしてたけどね。

2005年7月9日土曜日

ワタミが禁煙居酒屋オープンの意義~いきなりヘアー・ヌードレベルの実験~

3日前の夜、私はほぼ2ヶ月ぶりに飲みに出かけた。
一緒に飲んだ3人のうち2人は、古くからのダチで、もう一人はそのダチのダチだ。

2人は、私の前では基本的には煙草を吸わない。
事情を知らないもうひとりが煙草を吸おうとした時も、いち早く事情を説明して、
禁煙を要請してくれた。

こうして、私の席では誰も煙草を吸わなかったが、その小料理屋の他の3つの席には
全席に喫煙者がいた。

私と煙草の関係については、
世界禁煙デー~あなたが好きだから‘嫌煙’の仲~を、読んでくれると嬉しいのだが、
そんなのメンドイという人の為に簡単に説明すると・・・

18歳で喫煙開始(常に赤いラーク)
⇒本数はじわじわ増えて30代では40本、その後は50~60本ペースに
⇒44歳の時に急性心筋梗塞で死線をさ迷う
⇒心筋の70%が壊死
⇒心臓疾患で身体障害者1級に認定される
⇒発病後は当然、自分は完全禁煙、友人にも禁煙を勧奨する

で、話を戻すと、その飲み屋にはいつもより長く3時間くらい居た。

勘定を済ませて、外にでるや否や、3人は、シュボ、シュボと煙草に火をつけていた。

私はいつも通り、2次会には加わらずに家路についた。
家に帰ってきて、ありゃりゃと思ったのは、鼻の中が煙草臭いことだ。
まるで、自分で吸ったような感じだった。

煙のあった飲み屋で感じた臭いが、煙とは無縁の自分の空間に居ることによって、
逆に際立って蘇ったのだろうか。

夜中になっても、臭いが一向に消えない。
そこで、シンガポール時代に身につけた、‘万能薬タイガーバーム作戦’で
鼻の中に塗ってみたが、それも時間の経過とともに威力無し。

むむむ、必殺タイガーバームでも歯が立たないとは・・・恐るべし・・・(-_-;)

翌日になっても、まだ臭った。
それを意識したせいか、体調までマジでおかしくなった。
夜になって、やっと解放されたが・・・。

折角、同席した3人が我慢して協力してくれたのに、あれっだった訳だから、
‘至近距離’でスパスパやられたら、堪らなかっただろうな。

次回は場所をもっと真剣に考えないといけないな、と思っていたら、
こんなニュースを発見した。

居酒屋チェーンのワタミ(本社・東京都大田区)は8日、
全面禁煙の居酒屋「手づくり厨房(ちゅうぼう)」の第1号店を
東京・赤羽に18日に出店すると発表した。全面禁煙は
公共施設や交通機関では広がっているが、
「居酒屋チェーンでは初めての試み」(同社)という。

 1号店は101席全席が禁煙席。どうしてもたばこを
吸いたい時は店内に設ける1坪ほどの喫煙スペースを利用する。
喫煙しない20代後半~40代のサラリーマンやOLが
主なターゲットだが、全面禁煙にすることで子供連れの
取り込みも狙う。

 同社によると、03年5月に健康増進法が施行されて以降
「禁煙の店を作ってほしい」との要望が急増している。
「喫煙者にとってお酒とたばこは切り離しにくく、一種の挑戦だが、
かなりの需要がある」(社長室)と判断した。反響を見て、
来春までに20~30店を出店することも検討中だ。(毎日新聞)


私は、このワタミグループの店には一度も行ったことがないが、
この試みは素直に評価できるし、画期的と言って良いだろう。

何が画期的か、わかりやすい事例、そうヌードグラビアで説明してみようか。

病院・公共施設・交通機関で全面禁煙=水着姿はオーケー

主に食事を提供する飲食店で全面禁煙=胸・お尻はオーケー

主にアルコールを提供する飲食店で全面禁煙=ヘアーヌードはオーケー

個人の家以外の全ての建物内で全面禁煙=あらゆるパーツがオーケー

地球上から煙草が消滅=もう何がなんだかわかりましぇん


えっ?なに?かえってわかりにくくなったって・・・

だから、喫煙者は、禁煙化の流れは規制されるという被害者意識に襲われるだろうから、
逆に、解禁の例をあげて、その程度を比較してみたんだけど・・・駄目?

実際に言えるのは、禁煙先進国も、最後に規制するのは、バーとかパブとかの
酒を提供する場所だったという事だ。

そういう意味では、居酒屋の全面禁煙化というエクスペリメントは意義深い。

問題は、この1号店が採算の上で、どういう結果を出せるかどうかだ。
東証1部上場のワタミとしては、このような方針を示す事で、採算上は多少赤でも
企業イメージを売る広告だとすれば、充分にペイする訴求力はある。

ただ、アイルランドのパブ全面禁煙では、売り上げが相当落ち込んだらしい。

1号店が失敗に終れば、‘ああ、やっぱりな’という‘ブレーキ’がかかる恐れがある。
一方で、採算上も黒になるような利用者からの支持があれば、一挙に加速化する可能性がある。

ほら、一旦、ヘア・ヌードがオーケーだとわかったら、水着やおっぱいだけで
勝負してる連中だって、あせるでしょう(笑)

そういえば、あの薬物依存の清水健太郎が歌っていた‘失恋レストラン’
誰か、‘禁煙レストラン’でも歌ってみる?

♪けむたけりゃ、ここでお食べよ・・・♪

2005年7月8日金曜日

眼鏡なき人生の終焉~初めて買った老眼鏡~

50年近く、眼鏡に縁の無い人生だった。

‘ひょっこりひょうたん島’の‘博士’に代表されるように(←古すぎ)、眼鏡と言えば、
博識・博学のシンボルであり、ガリベンキャラの必需品だった。

私も、若い頃は、あんなに勉強したのに(笑)、それよりに何より、ディーラーとして20年近く、
情報のモニターの刻々と変化する細かい数字を凝視し続けたのに・・・
遺伝のせいなのか、視力は極めて健全だった。

妻も、息子が生まれて、
‘視力だけは、父親似になってくれれば・・・’と何度口にしたことだろう。
(‘だけ’ってなんだよ、‘だけ’って)

ほんの一時期、片目だけ0.8とかに低下したことがあるが、基本的には1.0~1.5の
ゾーンに収まっていた。

1.5~2,0のハイスコアを記録してた頃もあったので、遠視だったのかも知れない。

遠視と言えば、電車の中で、車内の3つ先の中吊り広告を見ながら、連れに
‘へ~、ほにゃららってほにゃららなんだ’と言うと、連れは妙に熱くなって、
‘絶対に見えるはずがない、おまえは事前に見たんだろう’と嫌疑をかけられた。
‘じゃあ、俺がこれから、全部読むから行って確かめてこいよ’
本当に、確かめに行った彼は、‘ほんとだった’と力なく戻ってきた。

一番近い広告がようやく見える人から見れば、まさに信じられないことだったのだろう。

逆に、‘見える人間’からすれば‘見えない人間’の気持ちや行動が理解できない、
というか、想像できない。

誤解を招く表現になるかも知れないが、あの昔ながらの視力検査票の
トップにある0.1の‘あ’が、見えないというのが、想像できない。
見えない人は、どんどん前に近付いていくが、私には全く信じられない光景なのだ。
(私としては逆に、どれだけ後ろに遠ざかって見えるか挑戦したい位だ)

‘目が悪いと、夜景はキレイだよ’と自慢されたことがある。
自然にソフトフォーカス・モードにでもなるのだろうか。

そうそう、日頃から眼鏡をかけている人間は、サングラスをかけても似合う。
顔が、ナリポン並みに‘非シャープ系’でも似合って見えるのは羨ましい。

まあ、こんな身体になってスキーもできないし、サングラスとは無縁の人生になったから、
関係ないけどね。

そんな私も、加齢とともに、細かい文字を読むのに苦労するようになってきた。
先ず、家電量販店のチラシの細かい字が読めなくなった。
その後、昔の文庫本の文字サイズが読みづらくなったことに気付いた。

で、或る日100円ショップに行った時に、老眼鏡を発見。
それなりに、デザインも強度も種類があり、どれにしようか迷った。
10分くらい選んでいただろうか。

で、はたと気付いた。
‘俺はひとつ105円のブツを買うのに、なんでこんなに悩んでいるんだろう。
今まの人生で、眼鏡にかけた金なんてゼロなんだから贅沢をしよう。’

そうして、‘大胆‘にも、最終候補に残っていた4つの老眼鏡を、‘オール・マイン’したのであった。

‘こちら、4点でお会計は420円となります。’

眼鏡をかけた、レジのオバサンがちょっと怪訝そうな目で私を見た(笑)

因みに、進学競争が激化している中国では、その影響で、視力低下が急速に進行しているらしい。
大学生の70%が近視だという報告もある。

日本は、単に学力も視力も低下しているだけなような気がするが・・・(-_-;)

2005年7月6日水曜日

シラク曰く‘英国は料理がマズイ国で、信用できない’~五輪勝者はそのロンドン~

料理のまずい国は、信用できるかどうかは別問題にして、
‘イギリスは料理がマズイ’は、やはり‘定評’だろう。


最高の人生は、アメリカ人の収入で、イギリス人の家に住み、日本人の妻をもらい、中国人の料理を食べる。

最悪の人生は、中国人の収入で、日本人の家に住み、アメリカ人の妻をもらい、イギリス人の料理を食べる。


様々なヴァージョンがあるが、料理に関して言えば、イギリスのイメージは日本の住宅と同様に、
不動の‘評価’を得ている。

(アメリカ人の妻が酷そうなのは、わかるけど、日本人の妻がイイってのは、いにしえの話の
ような気もするなぁ。)

ロンドンは6~7回行っているはずだが、いつも仕事がらみで、滞在期間も多くて3,4日だ。
初めて行ったときは、不味いという‘偏見’は充分に承知していたが、それでも先ずは経験、
ティピカルな英国料理にチャレンジした。

★フィッシュ&チップス・・・そもそもタラは嫌いじゃないのでまあまあ。
何度かリピートしたが、店によっては油の悪さがモロに感じられる。
あと、ひとりで注文すると、ヴォリュームがありすぎてやっつけるのに苦労。

★ロースト・ビーフ・・・日本でもお馴染みの料理、グレイビーソースは流石と思わせる
場合もあったが、そもそも日本の牛肉と較べると落ちる。

★各種パイ・・・羊の肉、キドニー(牛の腎臓)、ビーフ等があるが、乾ききっている感じで、馴染めなかった。

☆スコーン・・・アフタヌーン・ティの主役のお菓子。バターとジャムの他に、
独特なクロテッドクリームも塗るがこのクリームが絶妙で、ロンドン出張の時は必ず機会を作るようにした。

まあ、これだけで、結論付けるのは無理があるが、スコーン以外は確かに余り美味しいとは言えなかった。

外食は、インドやイタリアンはそれなりに良い店があった。
43歳の誕生日を迎えた、フレンチも悪くはなかった。

ただ、日本料理は、高い割りに不味い印象が強い。

もずく酢が(£5)、揚げだし豆腐(£8)も出して居酒屋並みの味じゃ、
1£≒200円が泣いてしまう。

シラクがイギリスより、不味いとしたフィンランドにも行ったことがある。
5月16日の日記にも書いたが、世界中のディーラーが集う、世界フォレックス大会が、
ヘルシンキで開催された時だ。

不味いとは思わなかったが、昼も夜も変化がないし、それが何日か続くと流石に飽きてしまう。

人口が100万の都市には日本レストランも、中国レストランも数軒しかない。
日本レストランは店の前まで行ったが、食欲の湧く店構えではなく、中華レストランを試したが、
これが大ハズレ。

一方で、その後に行った、インドは大当たり。

そう、メシの不味い地域、或いはヴァリエーションの少ない地域に行った時に、
意外に当たりの確率が高いのはインドだと思う。

イタリアのヴェニスでもそうだったし、あの謎のトライアングルで有名なバミューダでも
インドは当たりだった。

チキンさえ手に入れば、他は結構保存しやすい食材で、レシピも単純なせいかも知れない。

私は残念ながら、ドイツには行った事がない。
イギリスはいつも、メシが不味いと非難されているが、ドイツはどうなのだろう。
日本のドイツレストランに行った経験だけで言うならば、味的にもヴァリエーション的にも、
かなり乏しい印象なのだが・・・。

実際、ある知人(女性)がドイツを2週間弱旅行して、なんと5キロも痩せた例を知っている。

今回のシラクの発言は、当然ながら2012年のオリンピック開催地争いを意識したものでも
あったのだろう。

これまた、当然のようにマーフィー様の法則が思いっきりワークして、開催地は、

THE CITY OF LONDONに決定!

まあアスリートには美食、飽食は禁物だからちょうどいいかも・・・(笑)

2005年7月3日日曜日

続・語っても語り尽せない‘長嶋茂雄’をあえて語ってみる~その‘歴史的存在’~

ある歴史の講師が、授業が始まるや否や、黒板に
‘1974年10月14日’と書いた。
‘50年後に、100年後に、或いは300年後にも、この日の持つ意義が語られる。
それが、歴史というものだ。’

私には、余りにも簡単な数字の並びだったが、周りの女子学生は特に、
男どもも、キョトンとしていた。
まさか、‘経済史’の講師が‘長嶋茂雄の現役引退の日’を話題に持ってくるとは
想像できなかったのであろう。

昨日の日記に、ブログサーチでトラックバック相手を探した私は、正直ガックシだった。

大半が長嶋茂雄に、或いは、彼のドーム観戦に否定的だったのだ。

‘どうせ読売の客寄せに使われているだけだろう’

‘いつまで、O.N.に頼ってるんだよ’

中には、‘老害’という言葉を遣っている輩もいた。

確かに、私のようないわゆる‘長嶋信者’からみても、長嶋茂雄‘尊重’ではなく、
長嶋茂雄‘偏重’、或いは‘過剰な依存’ではないかと思えることはある。

去年のアテネオリンピック、(絶望的なのは明らかなのに)ギリギリまで監督としての出場の
可能性を引っ張ったり、いまだに、北京も‘長嶋ジャパン’で行くという方針を打ち立てたり・・・
そういう形での‘復帰’には私個人としても疑問を感じる。

ジェネレーションによって価値が異なる事も充分に理解できる。

ただ、長嶋茂雄は明らかに‘歴史的な存在’である。
それも、類稀なる‘別格の存在’だ。


私は、‘長嶋世代’ではない。
現役時代の活躍を知る、最後の世代かも知れない。
私より、ちょっとだけ若い妻(と言っても、いまや完全なオバサンだが)でさえ、
知っている長嶋は2割5分の打者だった、と言う。

去年の6月に亡くなったオヤジは、長嶋世代よりは上だった。
ただ、3月に長嶋氏が脳梗塞で倒れた時は、自分の体調以上に心配し、アテネを案じていた。

死が近づいて、意識レベルが著しく低下した中でも、‘長嶋’‘巨人’の単語には反応をみせた。

‘巨人が勝ったよ’と言えば、微かに笑顔をみせてくれた。(ように見えた)

私は、一瞬、壮大な嘘で、オヤジを喜ばせようかな、という衝動に駆られた。

‘長嶋が元気になって、監督やって、金メダルを取ったよ’

最終的には、嘘はつかなかった。
いや、私が迷っている間に、嘘をついても相手には通じない状況になっていたのだ。

今日、ドームに現れた、長嶋茂雄。
相変わらず、お洒落だった。
ただ、歩き方や、口元には後遺症が・・・

それでも、絶やさぬ笑顔は素敵だったし・・・

私の涙腺は、予想に反して堪えた。

ただ、いつも抱いているあの疑問が、頭を過ぎった。

これだけの国民的なヒーローに国民栄誉賞を与えるのは、
やはり亡くなった時なのだろうか


まあ、時の政権の気まぐれで決められる賞に、殊更、価値を認める必要も無いのだろうが、
長嶋茂雄ほど、あの賞にふさわしい存在はないと思うのだが・・・

‘老害’だと非難する連中も、その辺は‘異議な~し’だろう。
現在の価値を云々するのは自由だが、‘歴史的な価値’には、是非従順になって貰いたい。

どうせなら、受賞をして喜ぶ長嶋茂雄を目にしたいじゃないか。
これだけのグッド・リーズンがありながら、その‘きっかけ’が訃報以外には
ないと言うのは、あまりにも悲しすぎないか。

2005年7月2日土曜日

語っても語り尽せない‘長嶋茂雄’をあえて語ってみる~ミスターが明日復活~

私の50年近い人生で、最も愛を注いだ相手は、家族でもなく、恋人達でもなく、朋友達でもない。

それは‘長嶋茂雄’だ。

勿論、一方的で自分勝手な愛であり、相手は、その愛の存在さえも知らない。

ただそういう片思いだからこそ、常に自分のペースで安定した愛を築けたのだ。

彼の姿を、テレビで、あるいは球場で、その活躍を、ラヂオで、あるいは活字で・・・
人生の中で、どれだけの時間がそういったことに費やされたことだろう。

それだけ、大きな存在ならば、松井ばかり騒いでないで、今まで何故、
長嶋茂雄を取り上げなかったのか。

確かに行間に滲ませることはあっても、一度も本格的に書いたことはない。

答えは簡単だ。
その存在が大きすぎて書けないのだ。
どう表現しようと、どう説明しようと、なにか重要なものが欠落しているような気がして、
満足できないのだ。

そういう意味では、過去に私のラブレターを貰った女性達には、済まないが、
便箋2~3枚で伝えられるような‘代物’ではないのだ。

今まで、どれだけのプロの書き手が長嶋茂雄について、その思いの丈を書いてきたろう。
彼らも、どこかで自分達の筆の足りなさを感じているかもしれない。

とかなんとか、しきりに言い訳しながらも(笑)、長嶋茂雄について書いている今日の自分。

私にとって、最高の感動シーンは長嶋の現役の引退の日だ。
但し、あの有名なスピーチではなく、ダブルヘッダーの第一試合が終わって、
長嶋が外野スタンドのファンの為に、球場を一周するシーンだ。

テレビの実況が、
‘長嶋が泣いています、スタンドが泣いています。’
と語りながら、終には、自分の実況が涙声になってしまうところが涙を誘う。

当時、この引退場面がレコードになって発売された。(きゃぁ、レコードだって)

いつも麻雀をする友人の家にもこのレコードがあって、私の調子が良くなって勝ち始めると、
奴等はこのレコードをかける。

もう何度も使われている作戦なのに、いつも同じ場面でメソメソしてしまうのだった。
友人たちは、そんな私を追い込む。

‘おっと、涙で牌が見えません’

1975年の監督1年目、長嶋茂雄のいない、長嶋巨人は歴史的な記録で最下位に沈む。
(47勝76敗7分)

私は、友人と後楽園での最終戦をジャンボスタンドで観戦した。
平日のディゲーム、しかも消化試合とあって、スタンドはガラガラなんてもんじゃなかった。
そのちょうど1年前には、満場のファンの中にいた長嶋とは対極にあった。

‘私は今日ここに引退を致しますが、我が巨人軍は永久に不滅です’

それは、まるで、‘永久’と‘永遠’の使い方を、間違えたペナルティを受けたような光景だった。

見るからに暴走族っぽいお兄ちゃんが、ハチマキに
‘来年は優勝だ!’と書いて大声を出していた。
確か試合に勝った?(終った)時に、そのお兄ちゃんと握手をしながら、3人で
‘来年は絶対に優勝するぞ、おぉ!’と雄叫びをあげた筈だ。

明日、ミスターが、長嶋茂雄が、東京ドームにやってくる。

元気に復活していても、やや痛々しい復活でも、その‘御姿’を目にしたときに、
私の涙腺が堪えられるとは、到底思えない。

2005年7月1日金曜日

我が人生の‘壁’を飾った人々~松井秀喜の‘分身の術’~

偶数月が終ると、我が部屋の松井秀喜が、‘分身の術’を使い‘増殖’する。
今朝、その‘術’によって、松井秀喜が5人になった。

(えっ?何言ってるのこいつ。ヤンキースの試合が2日も無くて発狂したのか)

実は、MLB公認の松井秀喜のカレンダー(2100円)が部屋にあって、
カバーの他に、2ヶ月分で1枚の構成になっていて、都合7枚の松井の写真がある。

2ヶ月経つと、カレンダーをビリビリっとやる訳だが、終った分を棄てるなんて
一種の‘不敬罪’に該当するから、1枚のポスターとして、きちんと壁に貼り付ける。
穢土に棲んでいた頃の狭い部屋なら貼るスペースも限られるが、
幸いここ厭離庵の壁は充分に広い。

このカレンダーを入手する時に、ヤフオクで落としてくれた友人が遊びに来た時
‘どうせだったら、もう7枚貼っちゃえば?’
と言われたが、2ヵ月毎の‘ビリビリ’の作業を通して、月日の流れも感じたいので
それはやめた。

(あぁ、それにしても今年のヤンキース、10月は何してるんだろう)

ところで、私の人生を振り返った時、自分の部屋の壁を誰が飾っていたか。
そもそも、自分の部屋ができたのは、中学1年の時に家を新築した時だ。

当時は、各地のペナントを集めるのが流行っていて、自分が買うだけでなく、
誰かが何処かに行った時の、おみやげにもなっていた。

部屋ができたことにより、眠っていた、そのペナントたちが壁一面に張られた。

ただ中3あたりから、ペナントはガキっぽいと感じて、熱が冷めてしまった。

それに替わって、登場するのが映画のポスターだ。
高校に入って、映研に所属すると、‘使用済みポスター’は勿論、支配人の機嫌次第では
新品も無料で手に入った。
思いつくだけでも

明日に向かって撃て!
真夜中のカーボーイ(←カウじゃない)
ある愛の詩
ライアンの娘
ベニスに死す
スケアクロウ
エルヴィス オン ステージ
小さな恋のメロディ
ひまわり
風と共に去りぬ
1000日のアン
ボルサリーノ
サウンド・オブ・ミュージック
(その他いっぱい)


まあ、供給が十分だから、気分次第でチョコチョコ変えていた。
番外編では、ジャネット・リンなんていうのもいたなぁ。

ただ、部屋のドアに縦に2枚、‘不動の座’を占拠していたのは
リバイバルで観た‘暗くなるまで待って’

あのオードリー・ヘプバーンが盲目の役を演じ、アラン・アーキンに襲われるサスペンスだが、
へプバーンの大ファンだった私は観てるだけで、マジで‘守ってあげたい’という気分になる映画だった。
あの薄いピンクのセーターの彼女が、いつもポスターの中に居た。

上京すると、映画のポスターはお金を出さないと買えない。
4畳半だから、ポスターを貼る壁が限られている。
あと浪人の身であったせいもあって、ポスターとは縁のない生活。

その後、大学生になって、ポスターの‘源’はパチンコの景品。

一時、血迷って、‘桜田淳子’なんてのもあったが、基本はちょうど現役引退した‘長嶋茂雄’

実は、あるポスターを手に入れながらも、結局、壁に貼られること無く、押入れに眠ったのがある。
矢張り、パチンコ屋の景品で手に入れたものだが、あの時代(1970年半ば)を生きた男なら
絶対見覚えのあるポスターだと思う。

可愛い女の子がヌードで、両手でリンゴを持ち、ちょうど‘核心の部分’を隠しているやつ。

名前は流石に、忘れたが、‘りんご’‘ヌード’でググッたら即ヒットした。(←便利な世の中じゃ)
彼女の名前は‘麻田奈美’

私はこう見えても(←どうも見えないけど)、超小心者で、パチンコ屋のオバサンに、
あのヌードポスターを頼むだけでも勇気が必要だった。

で、結局は友達が来たら時になんとなく恥ずかしいだろうなと思い逡巡し、
その後は、一応、女友達なんかもアパートに来るようになって益々無理になって、
封印したままになった

いまさら興味はないが、最近、あの頃の作品を再編集した写真集が出版されたみたいだ。

ところで今年(2005年)の松井のカレンダーは去年のプレイ中の写真からチョイスしたものだけど、
あの、なにかね、‘億が一’松井がオフにどっかにトレードなんて場合は、写真はどうするのかね。

移籍先のユニフォームでも着て、素振りしたりポーズをとったりして、‘O.K.牧場’なんてやるのか?
やっぱ嫌だね、それ。