debateというとdiscussに較べて、より攻撃的なニュアンスがある。
実際、debateの語源は古期フランス語の‘戦う’という意味だそうだ。
ナリポンはディベイト好きだ。
テーマが喫煙なら否応無く熱くなりそうだ。
ただ5年前と今では立場がまったく違う。
恐らく、私の人生で最大の宗旨替えは喫煙に関してかも知れない。
他のことは、左に振れていたものが、中立かやや右といった程度なのに、
喫煙に関しては思いっきり左から極端な右に振れた感じだ。
18歳から吸い始めて、44歳で急性心筋梗塞を発症するまでの間、ひたすらに赤いラークを吸い続けた。
初めは、1日1箱程度だったが、30歳過ぎからは50~60本が平気になっていた。
じっとモニターを睨みながら、持ってるポジションに振り回されるディーラーという職業柄のせいもあっただろう。
飛行機のチェックインカウンターでは、
‘Smoking or Non-smoking?’と訊かれると‘Heavy smoking, please!’と答えて、
相手を笑わせて悦に入っていたものだ。
最も‘酷い話’は、最後にいたスペイン系の銀行で、ビルの持ち主の森ビルの要望もあり、
社内を全面禁煙にしようとした時だ。
禁煙化の流れは理解するが、狭くても喫煙スペースの確保をするように強硬にマネージメントに要請した。
ある場所を確保してくれたが、結局、‘離席中に相場が動いたら大変だぞ’と、
プロフィットセンターらしい奢ったエゴを通し、ディーリングルームは喫煙可と認めさせた。
幸い、部屋は隔離されており、業務上の性格から部外者が入れないように
ドアロックが付けられていた。
部員の諒解を得る時、明らかに嫌煙の女性がひとりいることは承知していたが、
‘ボスの威力’で押し切った。
2000年2月、急性心筋梗塞に襲われる。
救急車の中で、救命士にたばこの本数を訊ねられたが、50本と答え呆れられた。
川を渡らず踏みとどまったが、以来たばこは1本も吸っていない。
同じ年の秋、父親が喉頭癌なのが判明。
手術で声帯ごと摘出するか放射線治療かの選択を迫られるが、結局うまい具合に後者が
ワークして、腫瘍を退治できた。
だが、その後今度は肺に悪性腫瘍が見つかり、昨年の6月に死去した。
父も50年以上喫煙を続け、本数も40本ペースだった。
癌の種類で、喫煙が寄与する割合は、喉頭癌,肺癌,咽頭癌の順に高いとされているが、
見事に‘術中’に嵌ったと言える。
こうして、2箱、3箱親子は煙を愛した手痛いしっぺ返しを喰らうのである。
私は、長生きして欲しい周りの人間で、喫煙習慣のある人達が私と同じ轍を踏まないように、
‘禁煙の勧め’を行ってきたし、今も行っている。
彼(女)等の最初の反応は、何故か決まって
‘あれだけスパスパやっていた、オマエに言われてもなぁ’
そりゃあ、逆だろ。
あれだけスパスパやってた俺だからこそ、あの俺が止めるくらいだから、
みんな真剣に禁煙を考えるべきだし、禁煙をすべきだろう。
防犯のノウハウを知るためには泥棒に訊くのがいちばん(←ちょっと違うか
結局過去5年間の‘布教活動’で、完全禁煙したのは2人だけ。
友達一人と妻だ。
息子は親2人分の‘煙害’にあった幼児体験のお陰で、絶対たばこは吸わないと言っている。
因みに、昨日亡くなった二子山親方も愛煙家だったとのこと。
口腔底癌も発病者の8割近くが喫煙者とする研究がある。
喫煙の他に飲酒も発症の原因になるそうだ。
あ~ぁ、日本も公共施設は勿論、レストランとかも全面禁煙にしている‘禁煙先進国’の
仲間入りを果たすのはいつのことだろう。
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