何故隠れなきゃいけないのかは微妙な世界だが・・・(^。^)
私の友人の一人息子が大学進学で親元を離れる。
CMで
「これから一人暮らし」
「お父さん、泣いてた・・」
「寂しいもんね」
「 違う、お金かかるから!」
というのがあるが、この前一緒に飲んだ時、彼ははっきりと『寂しい』と言っていた。
余りに素直な物言いにやや驚いたが、その時思い出したのが、さだまさしの案山子という曲だ。
元気でいるか 街には慣れたか
友達できたか
寂しかないか お金はあるか
今度いつ帰る
城跡から見下ろせば 蒼く細い河
橋のたもとに 造り酒屋のレンガ煙突
この街を綿菓子に 染め抜いた雪が
消えればお前が ここから出て
初めての春
手紙が無理なら 電話でもいい
金頼むの 一言でもいい
お前の笑顔を 待ちわびる
お袋に聴かせてやってくれ
元気でいるか 街には慣れたか
友達できたか
寂しかないか お金はあるか
今度いつ帰る
山の麓煙はいて 列車が走る
木枯しが雑木林を 転げ落ちてくる
銀色の毛布つけた 田圃にぽつり
置き去られて 雪をかぶった
案山子がひとり
お前も都会の 雪景色の中で
ちょうどあの案山子の様に
寂しい思い してはいないか
体をこわしてはいないか
手紙が無理なら 電話でもいい
金頼むの 一言でもいい
お前の笑顔を 待ちわびる
お袋に聴かせてやってくれ
元気でいるか 街には慣れたか
友達できたか
寂しかないか お金はあるか
今度いつ帰る
寂しかないか お金はあるか
今度いつ帰る
歌詞だけ読んでもいまいち実感がないが、メロディーにのせると中々泣ける曲だ。
ところが、私はこの曲に関してさっきまで大いに誤解していた。
この曲は、父親の立場で歌っているのかなと思ったが、実際はさだまさしが台湾大学に留学した
実の弟をモデルに書いた歌詞だったそうだ。
そうだとすると親子愛というよりは、兄弟愛の世界になるが・・・(^。^)
大学時代、私はこんなシーンに出くわした事がある。
それが、冬休みだったのが春休みだったのかはっきりしないが、
帰省して再び東京に戻る列車の中での出来事である。
途中駅で乗ってきた、青年(私よりはちょっと年上に見えた)が、
窓際に座っていた私のところにやってきた。
彼の席は私と同じ列のD席、私がA席。
「すみません」の一言も無く、私の体を押し付けるようにして窓の外を見ている男を
正直鬱陶しい奴だなと思った。
そもそも彼が何のためにそんな事をするのか理解できなかった。
すると、彼は、突然窓の外に向かって一生懸命手を振り始めた。
窓の外は、田んぼが深い雪に覆われた銀色の雪原だ。
その雪原の中に、ひとりゆっくりと手を振っている女性の姿があった。
きっと彼の母親に違いない。背後に1軒の家があった。
息子はあらんかぎりの速さで手を振るが、母親は距離が離れているせいか、
まるでスローモーションの映像を見るように、ゆっくりとゆっくりと手を振っている。
広い広い雪原の中にぽつんと立ち、ゆっくりと大きく手を振っている。
当時の遅い在来特急でも、彼等に十分な時間は与えなかった。
母の姿が完全に見えなくなるのを確認した彼は、相変わらず無言だがぺこりと頭を下げて
自分の席に戻った。
彼がさっきの駅から乗車してから10分も経っていなかった。
小一時間前に、家で十分に別れを惜しんだ筈なのに、
この親子には惜しむべき愛がまだまだあったのだろう。
私は、気をきかせて席を譲ってやれなかった自分をちょっと後悔し、
同時に数時間前に別れた母の事を思い出したのだった。