2005年5月14日土曜日

日経新聞・春秋の真意は?ブロガーは死ね?~♪おいらはブロガー♪~

この1週間は、まさに激動だった。
コメントもトラックバックも数多く頂いたが、気になったの記事‘ブログとマスコミ’があった。

ここに飛ぶと、冒頭に日経新聞の春秋(4月30日)の引用がある。

日記風の文章をネットに書き綴(つづ)る個人のホームページを「ブログ」という。ウェブとログ(記録)を組み合わせた造語だ。自分の情報を日々せっせと発信する“ブロガー”がここ1年ほどで増殖し、国内で200万人を超えたそうだ。

▼たしかに調べ物で検索すると個人サイトが大量に引っかかる。「さっき出張から戻った」とか「村上龍の新作を読んだ」とか、たわいない内容にがっかりすることも多い。名前や素性は明かさないが、それでもボクやワタシの話を聞いてほしい自称評論家やタレントがパソコン画面の向こう側にひしめいている。

▼有名になりたいのか。自分に酔っているのか。書き込みに精を出す40代の男性に聞くと答えは意外だった。「誰も読んでくれなくていい」。何者かが自分を見ているという状態をつくり出す。そこで体験や思いを言葉にすれば自らを律することができ、仕事や生活に励みも生まれるという。

▼同じ構図をエルサレムの「嘆きの壁」で見たことがある。ユダヤ教徒は体を揺すりながら壁の「向こう側」に延々と語りかけていた。宗教の違いはあっても、自己と、自己を見守る超越者を言語でつなぐ行為が「祈り」だろう。情報化時代の神はネットの闇にも宿る。人を煽(あお)るのではなく、声を聞くだけの神であってほしい。


‘増殖’だの‘ひしめく’と言う語感は、まるでブロガーが虫けらかばい菌のようだ。
筆者がネット空間にブロガーという虫けらどもが溢れるのを、文字通り‘苦虫’を
かみつぶして見ているのだろう。
検索すると、その虫けらどもの‘うんこ’にぶち当たって邪魔くさい、と言いたいのだろう。

紙を使った活字媒体である新聞の人間が、時代の先端であるネット空間に溢れるブロガーどもを、
必死になって追い払おうとしているのか。

もし紙媒体に身を置く筆者が、衰退の道が見えている新聞の将来性を憂慮し、
なんとか新興勢力の台頭を抑えようとしているなら、まだ可愛らしい。
数字は知らないが、日本は世界的にみても、新聞の普及率が高いだろう。
宅配システムが寄与している部分もあるだろう。
直ぐ、アメリカではという言い方は好きでは無いが、アメリカでは実際新聞離れは進んでいる。
無料新聞を配布しているところもある。
固定電話の加入率が激減し、携帯電話オンリーの生活が進行しているように、
宅配で新聞を購読する生活も変わっていくだろう。

嘆きの壁のくだりは、正直私の読解力では意味が分からない。
『ブロガーのような糞素人がネットで垂れ流す質の低い情報は無視して、筆者のような
プロが流す上質な情報を黙って聞いてろ。』と言っているような気がするのだが・・・。

言論の自由が保障されている日本で、日経新聞のコラムニストが、まさか本気でそんな
‘たわいもないこと’を主張するとは到底思えないし・・・。

恐らく宗教家でも信者でもない筆者が、多分一度だけ眼にした光景をまるで虚仮脅しのように
使っているのも、ある意味痛々しい。

そう言えば、ブロガーとコラムニストって結構被っているかも・・・。
プロのつまらないコラムを有料で読むくらいなら、もっとアジのある文書を無料で読める
ブログは絶対優位だし・・・。

ところで、過去1週間の電話取材の際、私は必ず相手に‘ブログってご存知ですよね’と尋ねた。
相手がテレビ局や新聞社や出版社の人間だから、‘ご存知ですよね’と使っていたのだが、
途中から‘ブログってご存知ですか’にチェンジした。
驚くべきことに全く知らない人もいたし、殆どは‘一応は知ってますが・・’のレヴェルだったからだ。

その昔、‘インターネットってよくわからん’と異口同音に叫んでいたオヤジ達と同じだ。

既存のマスコミは例えば、2ちゃんねるのある一面性を捉え、‘悪質な匿名掲示板’と呼ぶ。

どの業界も、既得権を侵す存在は脅威なのだろうが、既存のマスコミの倫理を含む低落振りは、
私のようなド素人によって、この1週間だけでも放送、新聞、出版の各分野で暴露された
ではないか。

♪おいらはブロガー、やくざなブロガー♪
♪おいらがおこれば嵐を呼ぶぜ♪


いやいや、これは単に、ゴロがよかったから替え歌にしただけで、
嵐を起こせるなんて思っていませんよ。

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