2005年5月29日日曜日

極私的競馬小史~あえて競馬の市民権を考えてみる~

競馬は市民権を得たのか。

1977年、主婦と生活社が‘angle’(アングル)という情報誌を創刊した。
創刊直後、フリーライターを募集とあったので、‘ペンをパンにかえる’夢の一環として応募してみた。

試験会場には、若干名の採用に200名ぐらいの応募者がいたように思う。
私のような素人のみならず、いわゆるフリーランサーのライター或いはその卵も
多数応募していたらしい。(後でわかったことだが)
事前に提出した履歴書の他、当日の‘小論文’で採用が決まる。

試験官がその‘小論文’の問題を黒板に書いた。
「10万円を自由につかったデートコース(日帰り)」

うーむ、中々いい考えが浮かばずに、悩んだ。
なんとしても陳腐な事を書くのは避けたかったが、当時は美味い食べ物屋に知識など皆無だったし、
10万使うという現実味が湧かなかった。

自分のわからない世界を背伸びして書くくらいなら、熟知しているものを書いた方がいい。
そこで思いついたのが、

‘競馬場de10万円’

枯葉を踏みしめながら並木道を歩き、赤レンガのレストランで食事をするのではなく、
ハズレ馬券を蹴散らしながら、赤鉛筆を手にしたオッサン達を横目に、牛丼を喰う。
男が競馬をやりながら自分をどうマネージするか、女はじっと観察すればいいし、
男は男で、当たり、ハズレで一喜一憂する女をみて、感情の保ち方を観察できる。
もし、競馬そのものを知らなくても、知らないものに対峙したときの対応能力を、
お互い観察すればいい。
無くしてもいい10万円をどう使うか、どう残すか。
歯の浮くような言葉を重ねても見えない貴重な‘真実’が見えるに違いない。

ってな感じで、なんとか時間内に纏めた。

どうせ、飛行機で札幌に行って味噌ラーメンを喰うとか書いた連中が多そうだったし、
そういう意味では、自分の切り口は新鮮かなとも思った。

逆な言い方をすれば、いまでこそデートで競馬場に行く事は、普通の事だが、当時は
とんでもない‘奇手’だったということにもなる。

それで、肝心の合否だが、本来結果は郵送される筈だったが電話が架かってきた。
正式な合格者ではないが、不合格者でもない。
取り敢えず、大学の学食の企画を考えているので、第1弾を私の大学でできないか、
とのことだった。

いかにも‘奇手’が奏功したような中途半端な結果だった。

結局、3回、ページ数にして約6ページの仕事をして、初めてペンで金を稼いだ。

いま、もし全くおなじ状況で、おなじ問題が与えられ、そのデートコースを競馬場にしたら、
なんとも陳腐な発想で補欠合格も無理だろう。

そういう意味では、あの30年近い昔に比べれば、確実に競馬は‘普通のこと’になった。
JRAのCMでも中居やさんまを起用している。

では、本当に市民権を得たのか。

私は、3度の転職を経験しているが、そのうちの2回は、既に話がまとまっており、
履歴書の提出は、極めて形式的なものだった。
だから、趣味の欄にはスキーの他に‘飲酒’‘競馬’‘詩作’と記入した。
勿論、遊び心もあったが、それが掛け値なしの自分だという主張もあった。
担当者は、何故か飲酒や競馬はスルーして、‘詩作’に反応して私の顔をじっとみた。
「あのぅ、詩は別に顔で書きませんから・・・」

だが、3度目の転職は3ヶ月近く悪戦苦闘。
ヘッドハンター通しの話が殆どだったが、中々決まらず結構落ち込んだ。
そんな状況下では、履歴書の趣味の欄に‘飲酒’や‘競馬’と書く勇気も根性も無かった。
相変わらず‘詩作’とは書いて、顔を‘凝視’されていたが(笑)

履歴書の趣味欄に堂々とは書けない‘競馬’は真に市民権を得たと言えるのだろうか。

因みに私は、いまは競馬はやっていない。(PAT維持のために年2回位はやるが)
最後に大当たりをしたのは、あのサイレンススズカの悲劇の天皇賞秋だ。
オフサイドトラップもステイゴールドも大好きだったので、この2頭を軸に買ったら、なんと
この2頭で決まり、馬連は120倍の万馬券。
武豊騎乗のサイレンススズカの単勝は1.2倍だった筈だ。
穴狙いの人間としては消えて欲しい一番人気だったが、まさかあんな消え方をするとは
思ってもいなかったし、願ってもいなかった。

今日のダービー、その武豊が騎乗したディープインパクトが見事なレースっぷりで
単勝110円の人気に応えた。
馬券を買っていない人間でも十分に感動できる光景だった。

今日のあのようなレースを観て、なにか感動を覚えない人間がいる限り、競馬が市民権を得る事は
無理なのだろうか。
或いは、G1だけは既に市民権を得ているのだろうか。

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