その日神保町の本屋に行き、その頃の誘惑のひとつに見事に負けて友人とパチンコ屋に入った。
台を選ぼうと店内を巡っていると、なんとあの松本清張氏がいるではないか。
殆ど小説など読まない理系の友人ですら、一見して氏だと分かった様子だった。
氏の両側の席は既に埋まっていたが、その隣の席は空いていたので、すかさず座った。
真横から見ると、当にあのドン・ガバチョ唇。
やはり特有の空気がそれほど華々しくはなく然し確実に流れていて、私はかなり興奮した。
程なく彼の玉は尽き、席を立った。
当時は席で玉を買うことなどできず、数箇所にしかない玉貸し機で玉を得る。
新しい玉を仕込んだ彼は元の台には戻らず私の視界から消えた。
慌てて追跡した。
台を決めて座った彼は玉の入った箱から皿の部分に玉を入れようとした。
その時、手際が悪く数個の玉が皿からこぼれて床に散った。
すると、氏は懸命に身体をかがめて落とした玉を拾い、やや遠くに転がった玉も回収した。
確か玉は当時、1発3円だったと思う。
結局彼は玉を増やすことなく敗戦した。気持ち顔つきは不幸そうに見えた。
店を出ようとする彼を見て我々は手元にあった玉をポッケに入れ、尾行した。
尾行といってもただ彼の後を歩いてついていっただけだが、推理小説作家を尾行するというのは
妙な感覚だった。
数分後、彼は小さな古本屋に入ろうとしたが、立ち止まった直後くるりと振り向いて、
我々を睨みつけたのであった。
一瞬ビビッたが、同時にある種のコミュニケーションを取れたような興奮を感じた。
そんな‘事件’があった翌朝、新聞をみると所謂「所得番付」が発表されており彼が
作家部門で1位なのを知ったのである。
なんというタイミングの妙だろう。
こぼしたパチンコ玉を拾っていた姿や、結果すってやや不機嫌そうにしていた顔を思い出した。
『パチンコ屋の中では玉を増やして、ドル箱を足元に置いている人間が最強であり幸福である』
なんてつまらない人生観まで感じてしまっていた。
彼がどんなに所得があろうが、例えば10万円分の玉を買って箱を一杯にしても、
心は満たされないだろうな、と浪人生の私は妙に納得していた。
因みにその年の作家部門は
1.松本清張
2.司馬遼太郎
3.遠藤周作
4.五木寛之
5.小松左京
6.有吉佐和子
7.川上宗薫
8.石川達三
9.井上靖
10.北杜夫
中学時代は北杜夫をよく読んでいたし、その後は松本清張と石川達三を読み漁っていたなぁ。
松本清張の納税額が昭和48年で2億、49年で3億、それに対して、西村京太郎の1億5千万は
少ない。
これは税率が大いに影響していると思われる(75%⇒37%)
ところで、作家との遭遇の偶然は更に続く。
それから数日後、既に現役合格(私の志望校)を果たし梅ケ丘のマンション住まいの親友を
訪ねた。
浪人で4畳半共同トイレの私とは対極の環境にあったが仲が良かった。
その梅ケ丘の駅前で、今度は中村真一郎氏と出くわしたのだ。
娘さんなのか、或いはお孫さんなのか、それとも愛人なのか、極めて上品なお嬢さんと
腕を組んで歩いていた。
更に驚くべきことに、その時の私は氏の最新刊である『四季』を手にしていたのだ。
その必然性が何とも素敵だった。
新聞の書評を読んで衝動的に買った本だった。
それまでは顔は勿論、名前すら知らなかった作家だ。
結局彼の作品はその一冊しか読んでない。
あの数日間で遭った二人の作家。
その後の人生で色々な有名人に遭ったことがあるが、作家に遭った記憶は特段無い。
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