もはや、ラーメンブームではない。
〔boom=ハチの羽音〕
にわかに景気づいたり突然人気が出たりある事柄が急に盛んになったりすること。
ラーメン王として武内伸氏が登場するのが90年代初頭、それから2000年頃までは
ブームと呼んでも相応しいかもしれないが、それ以降はブームと呼ぶには定着しすぎている。
色々な店が凌ぎを削り、激しい競争を行い、個別の店の消長はあるが、ラーメンそのものは
確実に隆盛を維持している。
私が今日紹介する店は、ブームの中で生まれた店ではない。
創業は1955年、私が生まれた年と同じだ。
学生の時、友人が永福町に住んでいて、そいつのアパートは風呂付だったので時々泊りがけで
遊びに行った。
駅前にある、大勝軒にはいつも行列ができていて、否応無く気になる店だった。
いまでこそ、行列のできるラーメン屋は珍しくはないが、当時は余り無かった。
学生の強みで、行列の少ない時間帯を選んで行ってみた。
普通盛が確か330円かなんかで、大盛りが30円か50円増し。
食欲旺盛な年頃だったし、それだけの値段差ならばということで、大盛りを注文したが、店員に
「初めてなら先ず普通盛りの方が・・・」と言われ、渋々普通盛りにした。
出てきたらーめん(ここでは中華そば、或いは約しておそばと呼ぶ)は確かに量が凄い。
今では極めて一般的な、魚出汁も当時は珍しく、独特の臭いが鼻を攻める。
スープは熱々を通りこして、直ぐに舌を火傷してしまうほど、熱い。
麺を相当食べたつもりなのに、やっと平らになるだけだった。(当時は麺が350g?今は290g)
正直、色々な意味で苦痛だった。
猫舌の友人にはもはや‘拷問’と言ってもいい感じだった。
店を出た時は、もう二度と来ないだろうな、と思った。
それでも、定期的に彼のアパートに遊びに行く生活の中で、或る日、ふともう一度行こうと思い、
渋る彼を誘った。
どこか、チャレンジメニューに挑むといった趣だった。
1回目よりは、美味く感じたし、量の克服もなんとかできた。
そんな風な事を重ねているうちに、段々と虜になっていき、彼のアパートを訪ねる最大の理由付けが
永福町・大勝軒の中華そばという事になった。
その後、彼は別の大学の医学部を再受験し合格、東京を離れた。
それでも、店にはコンスタントに通った。
何度か、何人かの友達を連れていったが、‘初体験’で気にいる人間は少なく、否定的な感想を
聞かされるのも嫌気がさすので止めた。
そんな中、当時、付き合い始めた彼女だけは、何度となく連れて行かれるうちに嵌っていった。
最初の頃は、麺の一部を私が引き受けていたが(←男はこんなことで男気を証明したがる)、
段々とその量が減り、しまいにはひとりでやっつけられるようになった。
パブロフの犬ではないが、行列に並びながら魚出汁の香りを嗅ぎ、店内でさらに待たされる間に、
ズルズルと啜る音に刺激されると、条件反射的に‘瞬間胃拡張’になるのだ。
就職した後も、2ヶ月に3回位のペースで通っていた。
シンガポールに赴任してた5年間は勿論無理。
現地にあった、南天という和メシ屋の支那そばは結構いけたが、矢張り及ばない。
2年半経って、2週間のホームリーヴで帰国した時は、2度永福町に行った。
この店にはおみやげと称して、店と同じスープを冷凍させた商品がある。
店で食べた方が美味しいと思い、敬遠していたが、心臓をやってからは、あの行列に並ぶ
体力を失い、おみやげのお世話になる。
穢土を離れた今は、おみやげ専門だ。
先週末から、ヤンキースが西地区での試合になり、昼飯時が自ずと禁足。
それに合わせて、おみやげを発注した。
昔、果敢に食べた店での一人前(2玉)を、今は妻と二人で一玉ずつ食べる。
店で食べると1杯1050円、幾ら2玉とはいえ、この値段はなにかと物議をかもす。
おみやげは容器代がかかるので、1セット1100円。
それをふたりで食べるから1杯550円になるが・・・。
私にとっては、金額の多寡では計れない思いがこの中華そばにはある。
味的に言うならば、正直今の時代もっと美味いと感じるラーメンもたくさんある。
ただ、30年来、私の人生の山、谷を共にしてきたような‘味わい’を持ったラーメンはここだけだ。
そう言えば、文中にある‘付き合い始めた彼女’とは、なんのことはない妻だ。
彼女も、あのラーメンを30年近く食べる運命になるとは思わなかっただろう。
2005年5月18日水曜日
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