2005年5月21日土曜日

コントラクトブリッジ~妻がプチ家出~

4年目前に、一家で穢土を離れることを決断する時に、妻にとっての最大の‘難敵’は、
お袋に先立たれた義理の父の面倒をみることより、大好きなコントラクトブリッジができなくなる事
だったかも知れない。

コントラクトブリッジってな~に?トランプを使うの?

コントラクトブリッジについて

世界に於けるカードゲームの普及ぶりは我々日本人にはちょっと想像もつかない程で、特にブリッジは室内ゲームのサッカーと言われるほどに盛んです。英国の文豪サマーセット、モームがブリッジを評して「人間の知恵が現在までに考え出した最も楽しめるかつ最も知的なゲーム」といっています。さて「ブリッジ」といいますと日本人は「セブンブリッジ」を連想しますが、世界の人達が夢中になっているのは「コントラクトブリッジ」のことです。ブリッジは「碁」や「将棋」とおなじ知的ゲームですが、「社交性」という他のゲームにはない特色があって、欧米では友人や隣近所との交際を深めるのに欠かせない程役だっています。

我が国では外交官、海軍士官、商社マン等主として海外生活の経験者の間で戦前から親しまれてきましたが、1953年に日本コントラクトブリッジ連盟(JCBL)が誕生しおおいに普及しました。会員には日本の文化人、著名人が多数名をつらねています。


彼女がブリッジを覚えたのは、シンガポールに住んでいた5年間だ。
海外の主要都市には日本人クラブという組織があるが、そこのソサエティでブリッジに出会い、
嵌っていったのだ。

なにしろ、学生時代から、我々野郎衆を相手に、徹夜麻雀に付き合っていた女だから。
最初は、くわえ煙草で、「ロン!高め!」と言いながら牌を倒されて友達たちもビビッていたが・・・。

シンガポールでは旦那は仕事でニューヨーク市場まで追いかけるから、ほぼ毎夜帰宅は12時近い。
仕事じゃなければ、飲み会でやっぱり帰りは遅い。

おまけにノーキッドだから、もう遊び放題。
ゴルフに嵌るご婦人も多いが、元々怠け者だから、ブリッジと麻雀のテーブルゲームに専心。

帰国後は、さっそくブリッジ連盟に登録、先に帰国していた元シンガポール組の仲間をベースに
輪を広げていく。
四谷、六本木、五反田、大塚とかにブリッジセンターがあったが、なんだかんだで週4~5日
通う優雅な生活。

私に、
「いいねぇ、‘なにも’専業主婦は・・・、おまけに‘育児(意気地)無し’だし・・」
と皮肉られたのが気に入らなかったのか
そのうち、ディレクターといって、まあ雀荘のオバサンのようにゲームに参加せず全体のプレイを
仕切るバイトも始めた。
これが、時給ベースにすると中々の効率の良さ。

その後息子が生まれ、さすがに控えめになるが、幼稚園の年長以降からは、ジワジワと活動開始。
公式大会とかにも積極的に参加するようになった。

そんな中での穢土からの都落ち。
残念ながら当地にはブリッジクラブは存在しない。

Yahoo!のオン・ラインゲームで出来ると聞いて、パソコンを購入するも、どうも面白くないらしい。

そこで、連盟の人脈も通じて、地元テレビや新聞でブリッジの楽しさを紹介するとともに、
興味のある人を募集。
そうそう、ちょうどソルトレイクシティ―オリンピックの前だったが、ブリッジが公開競技として行われ、
将来冬季オリンピックの正式種目になる可能性を話題にしていた。

反応は鈍かったがそれでも10人弱のオバサン達が集合。
市の公共施設を使って、週一回ブリッジを楽しんでいる。

で、そんな彼女が年に2回、昔組んでいたパートナーと参加する公式大会があり、
1泊2日で‘遠征’するのだ。
昨年、父親が他界したので今後は機会が増えるかも知れない。

ところで、コントラクトブリッジは4人でプレイし、向かい合って座った人同士が味方になり、
2人一組で競い合うゲーム。
パートナーと向かい合うさまを、‘橋’に見立ててbridgeと呼ぶとの説もある。

心臓疾患で身体を動かすスポーツがいっさい出来ない私が、所謂マインドスポーツである
コントラクトブリッジを始めても不思議は無い。

でも、妻は妻で、もううんざりするくらい付き合わされている男をパートナーにして、
せっかくの自分の至福の時を台無しにするほど、愚かではない(笑)

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