ピザーラの、モントレー&ゲッツのハーフ&ハーフのMサイズ。
個人的には、ピザよりはケンタを頼んで軟骨探しをする方がいいのだが、当地ではケンタが
デリバリーサーヴィスを行っていない。
で、今日はナリポンとピザの歴史を振り返ってみた。
初めてピザなるものを口にしたのは、多分高校生の時の冷凍ピザだと思う。
特に美味いとも不味いとも感じなかったような・・・。
ある女性の出現で、ピザは一躍キーワードになる。
中学・高校と同期だった彼女は、高2の時にAFSでアメリカに留学した。
帰国後、勉強に関して相談があると言われ、会うようになった。
最初の頃は、屋上でランチ(←きゃー、青春)だったのが、次第に学校帰りに茶店に行くとか
映画に行くとか、図書館に行くとか(←きゃー、うぶい)に・・・。
留学中の話で、よく彼女が口にしたのがピザの美味さ。
そうなると、男はまるで愛の証明はうまいピザ屋を探す事だと勘違いしてしまう。
今のようにネットで検索という訳にもいかず苦労したが、ピザ専門店は1軒しかなかった。
他に、茶店で2軒、ホテル系列のレストランで1軒って感じだったと思う。
我々は次々に、ピザ制覇に向かったが、今思えばすべて冷凍ピザだな。
ピザを頼む時の彼女は飲み物を‘コーク’と頼む、当時はコカコーラかコーラと言う言い方が
一般的だったから、注文を受けた人間が戸惑う。
今思えば、単にイヤな女という感じもするが、何せ恋に落ちている男からみると
‘コーク’と言う響きまでが美しく感じてしまう。
綺麗な指先でピザのチーズを器用にクルクルと捌くのも堪らなかった。
上京した私は、物知りの友達がピザの元祖はここだ、と調べ上げてくれた
六本木の‘ニコラス・ピザハウス’へ行く。
窓の外の、高速道路に目をやりながら、‘あぁ、俺も花の東京にやってきたんだな’と実感した。
帰りには、レジのそばにあったニコラスの紙マッチを大量にポケットに入れた。
1年遅れて、東京にやってきた、例のピザ姫。
半年ぐらいは不定期ながらも会っていたが、決め手を欠く曖昧な恋は終わった。
一方で、ピザの食生活への浸透振りは実に鮮明だった。
喫茶店では、王道のスパゲティ・ナポリタン、スパゲティ・ミートソース、ピラフ、に並ぶ
存在になった。
夜のパブやコンパ(←確かこう言ってた筈)でも、チキンバスケット、フライドポテトを脅かす
存在になっていった。
ピザ食べ放題が売りのシェーキーズも出店ラッシュだった。
家でも1980円で買ったオーブントースターに冷凍ピザを打ち込んでいた。
ただ、今思うと、全部ミックスピザだった、ピザ=ミックスピザだったのだ。
1985年11月、プラザ合意以降の相場で銀行の収益に貢献した褒美に、シンガポールから
ニューヨーク&シカゴへ出張する機会をもらった。
ニューヨークでの滞在中、ずっとアテンドしてくれた同期のディーラーから聞いた話。
「そう言えばさ、この前ニューヨークに来た奴がピザ屋に行って、ワン・ピザ・プリーズって言ったら、店員がシュアとか言ったまでは良かったんだが、その後店員にトッピングはどうするか英語で聞かれて、そいつ意味がわかんねぇからイッツ・オケ、ドント・ウオリィ、とか返事したから最悪。
で、おまえ知ってる?直径40~50センチもあるチーズだけのプレインピザが出てきたんだぜ。そいつもそいつだけど、店も店だよな。」
エライ目にあったマヌケちゃんも、直径15~20センチのミックスピザで育った世代だったのか(笑)
ところで、昔は、ピザとくればタバスコだったが、一旦あの乾いたレッドペッパーの味を覚えると
断然乾いた奴の方がいい。
まったく同じではないが、ファイヤーイーターという南ア産のものが結構イケる。
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