ナリポンは別に本田美奈子のファンでもなんでもない。
世代的に違うし、そもそもデビュー当時は日本にいなかった。
だから、知っていると言えば、陳腐ながら例のへそだしルックで歌って
大ヒットした‘1986年のマリリン’や‘oneway generation’、
その後ミュージカルに進出し‘ミス・サイゴン’でキム役を演じた事ぐらいだ。
しかし、昨日この訃報を知ってからは、何故か悲しい気持ちでいっぱいだ。
それは何故なのか・・・
見た目で言えば‘夭逝’と言ってもおかしくない若さのせいなのか。
不治の病と言われた病気が治る病気と認識され、
実際に彼女も克服したかに思えた後の急死だったせいなのか。
アイドルから脱皮し、常に向上しようという強い志を持ち、ミュージカル、クラッシック
と成長・進化を遂げていながら、志半ばで逝ってしまった無念さが伝わってくるせいなのか。
彼女の死に、コメントを寄せていた工藤夕貴にもそういう、志の強さを感じる。
映画‘ヒマラヤ杉に降る雪’でのハツエはなかなかのものだった。
ラスト法廷のシーンは何度もリプレイで観た覚えがある。
テレビでは訃報を伝える時に、本田美奈子自身が歌う‘アメージング・グレイス’を
BGMで使っていた。
18世紀に生まれた曲だが、日本でポピュラーになったのはテレビドラマ‘白い巨塔’で
使われたお陰かもしれない。
病院を舞台にしたドラマか・・・。
自分の葬式に使って欲しい曲ランキングでも、この曲は常に上位に入る。
‘実際の彼女の葬儀ではどんな音楽が使われるのだろうか’
‘臍だしルック’でブレイクした彼女が‘臍帯血移植’で一度は元気になった、
という言葉遊びは我ながら下品だ。
しかし、若くして逝ってしまった彼女には‘ご褒美’もある。
その悲劇性を伴った死のせいで、残した作品がいっそう感動的にフリーズされたまま、
永遠に残るのだ。
もっと生きて、もっと色々な活躍を期待したかっただろうが、もう逝ってしまったのだ。
それでも、彼女の作品は、歌声は永遠に残る。
尾崎豊もそうだし、hideもそうだし、ナリポン的には例のジム・クロウチがそうだし、
マイナーだが大塚博堂もそうだ。
私は今日はじめて聴いた、彼女の曲の虜になった。
ひとつは‘つばさ’という曲だ。
もう1曲はミス・サイゴンで歌った‘いのちをあげよう(I'd give my life for you)’だ。
正直、彼女の死の直後に聴いたことにより、感動が増幅された可能性は高い。
特にファンでもなかった私の心にもこれだけ響くのだから、
本当のファンには堪らないだろう。
考えてみれば、私は、約2年間帝劇のあるビルにあった米銀にいた。
ミス・サイゴンのポスターも見ていたし、帝劇のすぐそばの洋食屋やうなぎ屋には
よく通っていた。
今の私は、何故リアルで彼女の舞台を観なかったのかと思っているが、
人生後からそう思うことはいっぱいある。
2005年11月7日月曜日
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