[焼却炉内に2遺体]1人は80歳男性 自殺の可能性
福井県大野市七板の旧火葬場の焼却炉内で7日、白骨化した2人の焼死体が見つかった。県警大野署の調べで、歯の治療痕などから1人は近くに住む無職の男性(80)と断定。もう1人は行方不明になっている男性の妻(82)とみて身元の確認を急いでいるが、同署は状況から自殺とみている。
調べでは、7日午後2時ごろ、近所の人が、火葬場横に、エンジンがかかったままでクラシック音楽が流れている無人の乗用車が止まっているのを不審に思い同署に通報。駆けつけた署員が焼死体を発見した。
車は男性の所有で、車内にあったガソリンスタンドの給油伝票7枚の裏面には、親族への思いのほか、「午後8時ごろ、妻とともに家を出る。火葬場で1時間待つ。炭、たきぎの準備をする」などと書かれていた。また、男性の自宅からは日記帳も見つかり、11月7日の欄には「午前0時40分ごろ点火する」などの記述があった。
さらに8日になって、男性から同市役所に郵送の手紙が届き、中には「遺産はすべて市に寄付します」などと書かれていたという。同署はこれらの状況から、7日ごろ、自ら火をつけて自殺を図った可能性が高いとみている。
近所の人によると、男性は妻と2人暮らし。子どもはおらず、妻が数年前から糖尿病を患い足が不自由だが、男性が一人で介護を続けていた。旧火葬場は平屋のブロック造り。地区の共同墓地近くにあり、30年ほど前まで地区住民が使っていたが、現在は使われていないという。
色々な捉え方が出来る出来事だ。
自殺そのものの是非を語る人もいるだろう。
こういう老人が、こういう選択しかできなかった福祉、政治に問題があるとする人も居るだろう。
益々深刻化する‘老老介護’の限界を示す好事例だとすることも出来るかもしれない。
恐らく、冷静な分析としては子供もいない老夫婦が‘老老介護’の結果
共倒れになり死を選択した、で‘正解’かも知れない。
私にも、勿論‘正解’は解らない。
まあ、ずるい話だが、社会問題としても政治問題としても語らず、或いは道徳問題にもせず、
ひたすら、この二人が実際に死に至る情景だけを思い浮かべてみる。
周到に計画され、その計画通りに躊躇も無く実行されている。
燃料になる炭や薪を準備する。
準備を終えて、実際に点火するまで、ふたりはどんな会話をしたのだろうか。
内側からは閉められない焼却炉の扉を閉めるために縄を用意していたらしい。
点火は二人が載った、金属の隙間から容易にできたらしい。
熱さは病苦より苦しくなかったのだろうか。
具体的にどの曲かはわからないが、自分達へのレクイエムを流す演出も怠り無い。
しかし、生きたまま焼かれるふたりの魂を落ち着かせ、鎮めるのに十分だったかはわからない。
専門家が何故白骨化したか疑問だとしているが、とにかく二人は真っ白になった。
そして、その翌日、遺産は市に寄付する旨の手紙が届く。
私は、この男の壮絶にして完璧な自己完結の人生に、ある種のシンパシーを覚える。
勿論この実行が、男の独断的な美学ではなく、妻も納得していたという前提だが・・・。
もう、何年前の話か忘れたし、細かい事は記憶に無いが、
夫が既に死んでいるのにアルツハイマーの妻が何日間も食事を与えていたという事件があった。
発見された時にも、温かな食事が置かれていたという。
私の両親は‘幸い’4年前と1年前に他界している。
母に先立たれた父は、我が家が下野して面倒をみた。
我々夫婦の場合はどうか。
もう既に病気の私だが、もし‘億が一’80過ぎまで生き延びて、
同じような状況になったら妻はこう言うに違いない。
‘死んでも嫌よ、あんたとなんか・・・’
そうなのだ、先ずありえないことを考える前に、熟年離婚のことでも考えるべきだ(笑)
1 件のコメント:
私達も子供に恵まれませんでした。私は主人をひとり置いて先立つ事は出来ない、主人より一日でも遅く死ねたらと思います。もしも主人が亡くなれば一緒に棺にいれてほしいと常に願っております。焼却心中の老夫婦は幸せではなかったろうかと私もあのように死ねたらと思います。おばあちゃんは優しい旦那さんのうでの中で死ねて幸せな生涯だったと思います。この死は悲しくも有り又美しくも有り、まるでドラマのシーンのようです。美化するわけではないけれど感動的です。一生忘れられない出来事です。
コメントを投稿