運転免許証の更新の知らせがきた。
ナリポンが免許を取ったのは、大学4年生の卒業直前の冬だ。
その時期、他の連中は、海外旅行するのが流行っていた。
免許の発行、普通は自宅へ郵送なのだが、いち早く手にしたく出来上がりの日に
府中の試験場まで態々取りに行った。
車を持っている友人と一緒だった。
そして、免許証を手にした私が運転をして戻ってくる筈だったが、
小一時間運転したらぐったり疲れてしまい、結局は友人が運転した。
‘俺って、運転に向いてないかも・・・’
それから1年後の冬、仕事が終った週末スキーをしに苗場に行った。
通常ならば、私は運転しないのだが、その時は連れが睡魔に襲われそうになり、
前橋を過ぎた辺りで運転を代わった。
まだ関越道なんて高速は無い時代の一般道だ。
トラックが2台私の前にいて、さすがの私も追い越そうとした時だ。
1台目を追い越そうとした時に、その前の1台が急に停車しようとした。
取り敢えず1台と思っていた私は慌てて2台目も越そうとしたのだが、
その時対向車(トラック)がやって来て、激しいパッシングと警笛。
よく覚えていないが、私は一瞬死ぬと思って頭を下げたかもしれない。
結果的には、トラック2台に挟まれて‘川の字’状態になったものの接触は無かった。
車を停めた私は全身が震えて止まらなかった。
その一件以来、マジで運転が嫌いになったというか恐怖を感じてしまった。
シンガポール支店に転勤になってディーラーになった。
他の部署の日本人は3台あったカンパニー・カーに分乗して通勤していたが、
ディーラーは朝早く、夜遅かったので自力で運転するのが慣行だった。
そこで、何年ぶりかに運転するのだが、その時間帯の道は空いていたのでなんとかなった。
ただ週末の買い物とかは駄目、混雑するショッピングセンターの高層駐車場とかはパニックだった。
4ヶ月後に、妻がやってきた。
彼女は大学1年の時に免許を取得、中古車ながら直ぐに車を持って、
以来、輝かしい運転歴を有していた。
‘あぁ、この女と結婚してホントによかった、一生俺のショファーだな(笑)’
通勤も朝はカンパニー・カー、帰りはタクシー利用ということになり、
私は車の運転から完全に解放された。
日本に帰国後は車を所有しなかったが、その後、子供ができたのを機に購入。
そこで一念発起し、再度運転に挑戦したが、結局長続きせず駄目だった。
近所のゴルフ練習場に行くのが関の山だった。
‘要するに、運転が下手糞、それを知っているから余計に不安になる’
その後、心臓をやってしまったから、今の車は10cmも動かした事がない。
‘健常な頃だって、ドキドキ運転だったのに、今じゃ一発で心臓発作だよ’
おかげで人生、無事故・無違反。
ゴールド免許制度が出来て、何度目の更新だろう。
‘実態の無いメッキだらけのゴールドだな’
もはや、返上してもいいのだが、身分証明書としての価値はある。
当然だが、人生で一度も女性をドライブに誘ったことが無い。
つーか、運転しながら口説くなんて芸当は絶対無理だし、
ハンドルを汗べっとりにして運転している余裕の無い姿をみて惚れる女なんて居ないだろうし(-_-;)
2005年11月1日火曜日
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