2005年11月20日日曜日

どん底の‘Q地’から見事な復活を果たした高橋尚子が再び光り輝いた日~東京国際女子マラソン優勝~

むかし、或るマラソンランナーが言っていた。
日本人は沿道で応援する時に殆どの人が『がんばれ』としか言わない。
声援は有り難いが、自分は十分にがんばっているという自負があるから、
時に鬱陶しく感じることがある。

このコメントを聞いたときは、それなりに納得したのだが、きょうの高橋尚子の復活劇を観ていたら、
あのコメントはやはり二流の選手のもの(名前は忘れたが男)だと実感した。

高橋尚子は1998年に悪条件のバンコク・アジア大会で圧勝して以来、一気にブレイクし、
2000年のシドニーオリンピックでは、驚異的な高視聴率の中、見事に金メダルを獲得した。

彼女はアスリートにしては饒舌で、話す内容も素直で受け入れ易く、
師弟関係にあった小出監督とのからみでも人気があった。
その人気や好感度に押されたのか、不人気の森喜朗内閣が勢いで国民栄誉賞まであげてしまう。

しかし、2003年、今日走った同じ大会で、2位に敗れると(日本人1位)、一転する。

まあ、格上だし、なんだかんだいってもアテネ五輪の代表に選ばれると
自他共に思っていたのに反し、代表選考で漏れたのだ。

その後は心身ともに不安定な状態が続き、現役続行すら危ぶまれる状況もあった。

あれだけの人気があり実力もあったのに‘走らない高橋尚子’は、
まるで人が棲んでいない家が荒れていくように、輝きを失った。

あれだけ人々を感動させた彼女の発する言葉も、同様に輝きを失い、
何処かわざとらしく嘘っぽく聞こえてくるし、Qちゃんスマイルもどこか白々しく見える。

今回も直前になって、突然の記者会見で右足を故障しているが強行出場する旨を発表した。
彼女らしい正直な言動も‘負けた時の言い訳’じゃないかと‘下衆の勘繰り’を呼んだ。

そして今日の本番だ。
完走すらできないのではと懸念する声もあった中、強い強い勝ち方を見せた。

3人での並走から、一挙にスパートをかけ、おまけに見る見る内にその差を広げていった時は、
正直‘玉砕的’にも思えたのだが、結局後続に追い上げられることもなく、独走でゴールインした。

2年間のブランクを埋める雪辱の勝利に、インタヴューでも饒舌だった。

2年間走ることができなかったが、多くの皆さんに支えられて
ここに帰ってくることができた。
沿道からの声援も背中を押してくれました。

この6月にチームQを結成してから、
唯一つ、高橋尚子復活とか順位だとかタイムとかって言うよりも、
この2年間本当に皆さんに支えられて、
一度は陸上を辞めようと思った時にも、
本当に暗闇の中でも夢を持つことで、
本当に一日一日を充実した、時間を過ごすことが出来ました。
なので陸上関係なく、今暗闇にいる人や悩んでいる人、
本当に一日だけの目標でも3年後の目標でも
なんでも目標を持つことで、凄く、一歩一歩、一日が充実すると思います。
どうか夢を持って、一日を過ごして欲しいと思います。
そして、小学校中学校の子は勿論なんですけれども、
30代、そして中高年の皆さん方も、24時間という時間は
皆さん本当に平等に与えられたチャンスの時間です。
もう二度と来ないこの一日の時間を精一杯、
そして充実した楽しい日にしてください。
今日は皆さんのおかげで私はとてもいい日になりました。


単なる苦労人の言葉では響かない音も、辛酸を舐めた勝者の言葉は数倍響く。

やはり沿道からの声援は力になるのだ。
特に今日の彼女には大きかっただろう。

実は、私は未明から体調を崩し、超久々に心臓がバクバクして、完全に病人モードだった。
食欲も無く、テレビを観るのもしんどかったが、このマラソンは気になって後半から観た。

彼女のレースっぷりに感激し、ややメソメソしてしまったが、おかげでやや元気を取り戻した。
ブログ更新も病気を理由に数行で流そうと思っていたが、
ちゃんと書こうと思わせる高橋尚子ネタを見つけることができた。

しかし、所属先のファティンという会社から優勝したら1億円の特別ボーナスが出ると言う
契約になっていたことは余り話題になって無い。

もしお金がインセンティヴだったとしても、それはそれで素晴らしい事だ。

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