そこでの松井の発言は、いつもの松井らしい誠実さを感じさせるものであった。
ところで、この交渉の過程で、サンスポのようにいかにも売れそうな
危機感を煽るタイトルの記事を乱発したところもあるが、
逆にしっとりとしっかりと松井秀喜を語っているところもあった。
経済紙である日経新聞である。
日経ニューヨークの朝田武蔵という人が書いている。
読んだ方も多いかもしれないし、ブログで取り上げるにはややタイミングを失った感じもあるが、
未読の人には是非読んでもらいたい。
その朝田氏の記事だが、松井とのインタヴューで気になったところがいくつかある。
-シーズン終了からほぼ1ヶ月。一番印象に残っている場面は?
「思い出すのは最後の打席。それしかないですよ。」
これは、まさにそうだろうな。
もし、HRを打てば逆転のチャンスだったし、惜しい当たりではあったが、
一塁へ駆け込んで、アウトを宣告されて時に、ヤンキースの2005年が終った訳だから・・・。
自分が活躍してヒーローになった良いシーンより、こういう悪いシーンの方が、
特に松井の場合は心に残るんだろう。
-敗戦後、ジョー・トーレ監督話した?
「(遠征地からニューヨークに着いて)飛行機を降りた時に一緒になった。
僕はあの試合打てず、チャンスで凡退したから謝った。『I'm sorry 僕の責任だった。』とね」
「そしたら『NO、NO、NO』って言ってました。『お前のような熱いハートを持ってる選手は、なかなかいない。常にチームのことを考えてくれる選手はいない』って言ってくれてた。」
まあ、この辺は二人が築き上げてきた信頼関係を考えれば、驚くべきことではない。
今回の残留でも、トーリは現場の声として松井の必要性を主張しただろうし、
松井も記者会見で言及しているように、トーリが監督として残ったのは、
ヤンキース残留を決心するひとつの大きな要因となった。
-3年目を終えてヤンキースへの思いは。
「ヤンキースっていうのは、やっぱりみんなのものですよね。
僕はヤンキースの選手かもしれないけど、選手はヤンキースというチームに何も期待しちゃ駄目です。
それほど特別な存在です。巨人と比べて?ちょっと違うなあ。もっと特別な存在だと思うなあ。
世の中にいろんなスポーツのクラブチームがあるでしょうけど、ある意味総合的には世界中で一番かもしれない。ヨーロッパに野球はないですけどね。」
読解力の無さと、生来の‘遅読’のせいで未だに半分くらいしか読んでいないが、
先日手に入れた本‘くたばれ!ヤンキース’を読んでいると、
ヤンキースの‘突出した特異性’は、想像を超越している。
その真っ只中にいる松井が‘特別な存在’と感じるのは当然だと思う。
「契約延長?正直まだ決めてない。選手として一番評価しれくれるところでやりたい。
ニューヨークだから、この街にいたいというのはあんまり無い。あと、ある程度は勝ちに近いチームにはいきたいですよね」
この記事が掲載されたのが、11月8日だが、ヤンキースに拘泥しないニュアンスを
思いっきり出している。
この辺が、ひとつの戦術としての‘ブラフ’にも見えてしまったのだが・・・。
-今の夢は。
「そうやっていわれると、これっていう夢はないですよ。毎年、勝ちたいし、もっといい選手になりたいけれど、
それが夢かっていわれるたら、分かんないですよね。ほかの人たちに夢を持って頑張ろうとかいってるかもしれないけれど、自分の夢は何かといわれたら難しい。夢っていうよりも、自分の夢が使命みたいになっちゃってますよね」
この辺の答えが、いつもの松井に較べると‘歯切れの悪さ’を感じる。
子供たちを集めては‘自分の夢を持って頑張りましょう’と言っているのが松井だ。
ただ、私は、この松井の‘歯切れの悪さ’に、逆に本音ベースの人間味を感じてしまう。
-松井秀喜とは。
「松井秀喜でいることによって、自分の感情のままに動けない事は多々あります。しょうがないことですよね。
松井秀喜は公共物?認めざるをえないですよね。窮屈な思いもしなくちゃいけない。
自分にとって、受け入れたくないことっていっぱいあるじゃないですか。でもそれは受け入れなくちゃいけない。
自分自身としてはある程度、なんでも我慢できる」
「本当の松井秀喜っていうのは、自分でも何なのかよくわかっていないですよ。多重人格だと思われるかも
しれないけれど、自分でもいろんな側面の松井秀喜がいると思っている。でもそれによって、いろいろなバランスを取っているんじゃないかと思っている」
「松井秀喜をやめたくなったことはないです。楽しいときは楽しいですよ。僕しか出来ないことは、いっぱいあるわけだから。
ヤンキースのユニホームを着て、ヤンキースタジアムに立てる人間なんて、そんにいないわけだから。最高に幸せな一瞬だし。」
「今幸せか?難しいですね。世界一の環境で野球ができるってことが幸せって感じるんだったら、幸せでしょうね。
それができるんだったら、何でも我慢できるっていう人間だったら、間違いなく幸せでしょうね。
そういう意味では幸せかもしれないですね。
松井らしさを醸しながらも、本音ベースも窺えるのが良い。
‘松井秀喜は公共物?認めざるをえないですよね’はまさに至言だ。
‘本当の松井秀喜っていうのは、自分でも何なのかよくわかっていないですよ’
も正直な本音だろう。
松井番としていつも松井の傍にいながら、真髄に迫るような記事を書けない連中に較べると、
この日経の朝田氏の記事はまさにグッド・ジョブだ。
やはりある程度距離感があったほうが、モノはよく見えるのか・・・
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