病気で現役を退いた後は、いわゆるスーツを着る必要が無くなった。
スーツを着るときに使っていたお気に入りの腕時計があった。
ある人からプレゼントされた、キクチタケオのデザインのやつだ。
10年近く使っていたが、最初の内は2年に1回ペースでやっていた電池交換だが、
次第に‘老衰’したせいか、或いはそれをくれた人と会う機会が無くなっていったせいか、
電池交換のインターバルが短くなっていた。
おまけに、この電池交換は街の便利屋さんでは無理と言われ、
ちゃんとした時計屋に行く必要があった。
スーツを着なくなって、その時計をしなくなって、ある日見たら、死んでいた。
‘道具って、使わないと死ぬよな’
カジュアルで使っていた時計は、スキーヤー仕様の物だった。
マリーンスポーツが大の苦手で潔癖症のナリポンは、
どうしてもダイバーズ・ウォッチをする気にならなかった。
‘水深200Mまで大丈夫って言われてもなぁ、きっと普通に死んでるし~(-_-;)’
で、ある日偶然見つけた、スキーヤー仕様の時計・・・、即購入した。
何処が、スキーヤー仕様かと言えば、先ず着込んだ上からでもはめられるようにベルトが長い。
それになんと氷点下30℃でも大丈夫としてある。
‘はめている私が氷点下30℃でどれだけ生きていられるかは別問題だが・・・(-_-;)’
そういう意味ではマグロの冷凍庫の管理人はどうしているのだろうか。
あそこはマイナス50℃の世界だ。
ところで、今年の春ある人から貰ったカタログで選べるギフト(たぶん2万円)で、
腕時計を手に入れた。
これが、いわゆる電波時計ってやつでいつも正確な時刻を示す。
おまけに、太陽電池で充電するタフソーラーとかいう仕組みで、電池の交換が要らない。
その昔、クォーツ腕時計が初めて発売された時の値段は45万で、大衆車1台より高かったそうだ。
電波時計も最初は10万以上したが、いまは数千円で買えるものもある。
正確であることを競ってきた歴史があるわけだが、電波時計のように、
常に正確な時を刻むのもある意味味気ない。
待ち合わせに遅れても、時計に責任を転嫁することもできないし、
予め5分程度故意に進めておいて、少しだけ余裕のある行動をしようなんて考えも通用しない。
正確なだけでなく、光がある限り動き続けるのも便利だがある意味可愛げがない。
‘ご主人様が逝った後もぬけぬけと生き延びるなんて、
なんて忠誠心のないやつなんだ’
悲しみの余り、発狂してとんでもない時刻を示すとか、
ご主人様の臨終を告げる医者の声にあわせて、その臨終の瞬間でチクタクを止めるとか、
何か人間味に溢れ、面白みのある時計はないものか。
次の主人を探した所で、こんなもんは形見としての価値も無いから、
一生虚しく、誰の腕の温かさも知らず、無意味に正確な時刻を刻み続けるだけだ。
2005年11月12日土曜日
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