2005年6月1日水曜日

今日はとても辛くて、悲しくて・・・~穢土から届いた訃報~

今日の記事はとても辛くて悲しい。

私が書いた3月8日の記事~或る異業種交流会を懐かしむ~に出てくる、N氏から昨夜メールが届いた。
I氏が、胃癌で30日の夜に亡くなった、と言うのだ。

実は2週間ぐらい前に、N氏と電話で話す機会があり、その時、I氏が2月頃から入退院を
繰り返していると聞き、ふたりで‘嫌な感じだね’とは言っていたのだ。
病名は知らないと言っていた。

だが、まさかその予感がこんなにも早く‘的中’してしまうとは・・・

私は自分が襲われた心臓の病気は、‘狩猟民族’のように人を瞬時に殺し、
癌は農耕民族のようにジワジワと死に追いやる・・・が持論だった。

ただ、それは私の両親のように70を過ぎた人間の場合であって、ちょうど50歳になったばかりの
I氏の肉体は、癌細胞からみれば‘フレッシュ’だったのであろうか。

今日の全国紙各紙には2行の事務的な記事が掲載されていた。
おくやみの記事なんて、そんなもんだろうと言われれば返す言葉が見つからないが、
愛の無い無機質な言葉の羅列に、的外れを承知で‘苛立ち’を感じた。

I氏と初めて会ったのは、1995年末、それから私が穢土を離れる2001年8月までの間に、
100回位は飲んだろうか。

最後には、私曰く‘都落ちを偲ぶ会’、彼曰く‘前途を祝う会’を企画実施してくれた。
それ以来、ほぼ4年間、一度も当地を離れていない私は、勿論彼とも会っていないが、
その間にやり取りしたメールはしっかりと保存されている。
昨夜、読み返してみたが、彼の声が聞こえてきそうだった。

仕事に忙殺されるような状況にあればまだしも、無職の身障者の私には悲しむ時間があり余っている。

そういう時は、音楽に浸るのが私の癖だ。

ヤンキース戦だけはテレビ観戦したが、超久々の松井のHRもチームは負けて意気消沈。
でも、もしふたりとも元気だった頃なら、こういうタイミングでI氏から電話が架かってきて、
‘松井にもやっと1本出たし、軽く行きますか’と誘われるパターンだ。

今日聴いたくさんの曲、曲を聴きながら、目を閉じる必要も無く、いろいろな光景が浮かんだ。

・Those were the days (悲しき天使)Mary Hopkin

Those were the days my friend
We thought they'd never end
We'd sing and dance forever and a day

・Yesterday When I Was Young (帰り来ぬ青春)Charles Aznavour

Yesterday when I was young
The taste of life was sweet as rain upon my tongue I teased at life as if it were a foolish game

・Time in a bottle (タイム・イン・ア・ボトル)Jim Croce

If I could save time in a bottle
The first thing that I’d like to do
Is to save every day
Till eternity passes away
Just to spend them with you

・春なのに 柏原芳恵

春なのに お別れですか
春なのに 涙がこぼれます
春なのに 春なのに
ため息、またひとつ

・旅立つ秋 荒井由実

夜明け前に見る夢 本当になるという
どんな悲しい夢でも 信じはしないけれど
明日霜がおりていたなら それは凍った月の涙
秋は木立をぬけて 今夜遠く旅立つ
今夜遠く旅立つ

・世情 中島みゆき

世の中はいつも 変わっているから
頑固者だけが 悲しい思いをする
変わらないものを 何かにたとえて
その度 崩れちゃ そいつのせいにする


私自身は体力的に移動には、やはり不安を感じ穢土にはいけない。
線香をあげることもできず、一本の花を献ずることもできない。
無念だが、遠くからでも精一杯合掌するしかない。

そういえば、休会宣言をした時のN氏のメールの最後の文言。
さりげない表現だが、いま再び読み返すと心に響く。

「再び会えたら、 喜びは大きくなる。」

長い人生、
たった一度しか会えない人がいます。
もし、 再び会えたなら、
ドラマチックだとおもいます。
もし、 再びお話できたなら、
喜びは、もっと大きくふくらむことでしょう。

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