2005年6月6日月曜日

ミネアポリスへ弾丸ツアー~ナリポンは何をしに行ったのか~

私は、人生で一度だけ、所謂弾丸ツアーをしたことがある。
時は1991年の11月、ところはミネアポリスだ。

当時、私はある米銀にいたが本店が自分達の国内不良債権処理のために、国際部門を売却。
その結果、東京支店のディーリング部門は閉鎖と決まった。
30~40人いた部員の中で、私はナンバー4の立場だったが、逃げ足の速い上の連中が
‘華麗に’逃走したために、最終的な閉鎖を任されることになった。

最終的な閉鎖時期が決まり、私も転職活動に本腰を入れ始めたが、余り芳しい状況にはなかった。
そんな中、或るヘッドハンターが持ってきた話が、銀行、証券と言った純粋な金融ではなく、
世界的な穀物メジャーのC社の東京法人の話だった。

実際、必要としていた人材は日本株絡みの裁定取引を行う人間だったらしいが、こういう
人材会社の人間がよくやる手で、‘取り敢えず一回会ってみてくださいよ’と
両者を引き合わせたのだ。

人生で人との邂逅では第一印象を重んじるし、第一印象は外さないと自負している
(←驕っているとも言う)ナリポンだが、
フィナンシャルのヘッドのK氏は風貌も考え方もなかなかユニークで、魅力のある人間だった。
何度か会う内に、彼も私に一定の評価をしてくれた様子だった。
人事担当者との面接も行った後、K氏は彼のスタッフのほぼ全員と私を近所の居酒屋で
飲ませた。
チームで働くという意味では、スタッフの私への印象も大事なファクターと考えるのがK氏流らしい。

その後、K氏から電話を貰いその週の予定を訊かれた。勿論完全にオープンだった。
‘じゃあ、あさって本社に行って面接してください。’と言われた。
それはつまり、東京レヴェルでの合格を意味した。
それにしても、なんという手際の良さなんだろう。

ミネアポリスは飛行機の街で、ノースウェストの一大ハブだ。
東京からダイレクト便で約13時間、ビジネスクラスを用意してくれたが、
普段と違い余り寝られなかった。

空港からホテルへ直行。
ディーラーなんて普段から24時間体制だから、時差ボケなんてないんだが、数ヶ月間
ディーリングもしてなかったせいか、思いっきりボケてしまった(笑)
眠い筈なのに、ろくに寝られず、朝になってC社の本社に向かった。

街から郊外に向かうのだが、郊外というよりは‘森’の中へむかっていく感じ。
リスとかの小動物もいるし、銀色に輝く池には水鳥の姿も・・・。

日本でも軽井沢に棲んで、首都圏に通勤している連中がいるが、こりゃ逆パターンだ。

その森の中に、溶け込むように立つ本社社屋。

フィナンシャル部門の最高責任者との面接も予定されていたが、体調不良を理由に
ドタキャンされた。
それでも、それ以外の人間と3~4回の面接をこなした。

たが、面接しながらはっきりと自覚できていた。

‘相手は興味を持っていない’
‘俺も言いたいことを言えてない’

面接を‘特技’にしている筈なのに・・・。
新卒で都銀に入ったのも、少ない‘優’の数をカバーする‘面接力’があったからなのに・・・。

消化不良のまま面接を終え、ホテルに戻り、その足で空港へ・・・。

ミネアポリスの街もなんにも見ねあぽりす・・・(>_<)

その年は、ミネソタ・ツインズがメジャー史上初の前年最下位からのワールドチャンピオンに輝いた。
当然、空港のショップにはツインズ・グッズが溢れていた。
特に興味はなかったし、意外に値段は高いしスルーの筈だったが、タオルの真ん中に
丸い穴を開けただけの、ヨダレカケを発見し思わず購入。
前月の10月に、初めての子供が生まれていたのだ。

‘あぁ、このままだと無職のパパになるな’

1泊3日の‘面接’の結果は予想通りにNOだった。

K氏は、‘やはり本社は株関係の人材に拘ったみたいだ。わたしの力不足で申し訳ない’と
言ってくれた。

不採用になったが、K氏は最後まで魅力溢れる人間だった。

数ヵ月後、K氏も‘適材’を採用できたと聞いたし、私も‘適所’に落ち着くことができた。

ところで、見ることができなかったミネソタを味わえる映画がある。
コーエン兄弟のFARGO(ファーゴ)という映画だ。
アカデミーでは主演女優賞と脚本賞も獲得した逸品とされるが、余り好みではない。

ただ、‘アメリカの冷凍庫’と呼ばれる同地区の冬を味わう事はできる。

‘冬のミネソタ’‘寒流ブーム’なんていかが?

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