と言っても、20年前のこと、シンガポール在住の頃だ。
さすがに20年前の記憶となると頼りない。
そこで、検索してみたらゲームの詳細が判明、まったく便利な時代だ。
ゲームは1985年、2月23日、シンガポールのナショナル・スタヂアムで行われた、
W杯メキシコ大会アジア予選、シンガポールvs日本。
サッカーの試合でお金を賭けることなんて無いんだが(メシとか酒とかはある)、その時は
友人のO氏から誘われて、シンガポールに0.5ゴールのハンディをあげるポジションを
400シンガポールドル(当時で5万円強)持った。
O氏は同僚のローカル達相手に2000ドル以上持っていて、流石に多額なので一部を私に
譲ったのだ。
で、試合当日、O氏夫妻と3人で観戦に行った。
調べたデータによれば日本のメンバーは
松井清隆 松木安太郎 石神良訓 加藤久 都並敏史 西村昭宏 宮内聡 内山篤 木村和司
柱谷幸一 原博実、監督は森孝慈。
前半、日本はフリーキックの魔術師、木村和司がコーナーキックを直接ゴール。
‘ヨッシャー’と思ったが、前半終了間際に、1点返され同点に・・・。
ありゃ、同点だと0.5ゴールのハンディが効いて賭けは負け。
O氏はハンディ1ゴールのポジションも持っていたから、もっと大変。
1ゴールのハンディって事は、1点差で勝ってチャラ、2点差以上でやっと勝ちになる。
ちょっと嫌な感じで、ハーフタイムを過ごしたが、結局後半、開始早々に、柱谷幸一と原博実が
決めてくれて3-1で日本の勝利。
我々の賭けも大勝利。
試合が終って、さあ、どこに繰り出そうかと思案していたところで、N川という当時、
シンガポールで最も真っ当な寿司屋の主人に声を掛けられた。
O氏は接待で頻繁に利用する上客だった。
‘これから、うちで関係者だけの祝勝会やるけど、来る?’
‘えっ?いいの、勿論いくいく’
我々3人はカウンターの隅っこに、当事者達はテーブル席と一部カウンター席に・・・。
何故かゲームで笛を吹いた審判の姿も(試合後だからいいの?)
最初は、おとなしくしていた彼等も、サプライヤーのアシックスのお兄ちゃんが盛り上げ始めた。
それより、なにより、松木安太郎がしきり始めて宴は最高潮に・・・
そう、多分、都並?も一緒になって・・・。
クールな木村や加藤久のところにいって、酒を注いで歌い始めた。
♪今宵こうして飲めるのも、木村さ~んのお陰です。木村さんよ有難う。木村さんよ有難う♪
で、その後、全員で手を叩きながら‘どどどどどどどどど・・・・’ と喚く間に、木村さん
(指名された人)はグラスを一気に飲み干すのだ。
私には初耳の歌だったが、簡単に覚えられたので、その後の宴席では何度か使わせてもらった。
関係者が終ると、我々にどうですかと言ってきて、我々も‘どどどどどどど・・・’ をやった。
そう、あの松木安太郎は昔っから、ずっと、こんな感じで、今も変わらないんです。
きっと、サッカー通の人達に言わせれば、あの松木安太郎の絶叫は全く解説の体を
なしていないと、批判の対象になるだろう。
‘さあ、チャンスボールだ、決めろ!あ゛~おしい’
‘ここは集中、集中、お゛~あヴない’
‘いいですね、いいですよ、そこだ~、ウ゛~だめだ’
飲みながら、テレビの前で叫んでいるサッカー大好きオヤジとなんら変わりない。
昨日の試合、大黒のシュートがGKのパンチングでゴールラインを、もう割っているのに
‘はいれっ!!!’だもんね。
ゴルフのパットならまだ分からん訳でも無いが・・・まあ、夢中なんだよ。
でも、湿度70%のバンコックで、あの能天気の湿度0%の安太郎節もいいんじゃないの(笑)
野球とサッカーじゃ、解説のスピード感が全然違うけど、ここんとこBSフジのMLB中継で
福島良一とアキ猪瀬の‘薀蓄競争’に付き合っていたから、超単純な安太郎もいいかなと・・・。
ところで、安太郎って、小、中、高校途中まで暁星なんだね。
確かにサッカーの名門だけど、おぼっちゃんの匂いもすると思ったら、
実家は小伝馬町で、明治初期から続く老舗のうなぎ屋だそうだ。
もう、周りは当然だが、自分でも監督の適性が無い事は自覚しているだろう。
ただ、チビッ子サッカー教室とかには最適なキャラでああることは間違いない(笑)
‘松木安太郎はこのまま能天気でいいんですか?’
‘いいんです!!あれでいいんです!!というか、もう、かわれないんです!’
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