今の若いジェネレーションーの人間には信じられないだろうが(ジジクサイ)、我々がガキの頃は、
1年中で、ケーキを食べられる機会というのは、誕生日とクリスマスしか無かった。
我が家は4人家族だったが、誕生日の並びが最悪だった。
11月30日から1月8日の間に全員の誕生日があったのだ。
従って、1年365日のうち、ケーキを食べられる期間がこの40日間に集中していた。
おまけに、両親の誕生日は12月の20日と26日だったのだ。
えっ、1週間に3回?と思いきや、おとなの論理はいつも‘狡猾’だ。
20日の分は‘もうすぐ、クリスマスでしょう’と言われ、
26日の分は‘クリスマスで食べたばかりでしょう’と言われる。
振替休日制度が無い頃、祝日が日曜日と重なると、思いっきり損した気分になったものだが、
この誕生日とクリスマスのケーキも同じように損した気分だった。
祝日はその年によって変わるが、誕生日は不変だから、毎年同じ不幸に襲われていた。
それでも小学校の頃は、一時期、誕生会が流行り、おかげで夏にもケーキを食べられた時は、
感激したものだ。
段々と自我に目覚めると、食い気より関心の対象は異性に向けられるが、
カードやチープなプレゼントを交換する程度で、クリスマスは引き続き家族と過ごしていた。
メイン・ディッシュは鶏のモモだった。
それが、高校卒業後、上京して一人暮らしをすると、状況は一変する。
野郎同士で鍋パーティなんてのもあったが、そのうち誰か女性と過ごすようになっていた。
積極的にホワイト・クリスマスを求めて、スキー場へ行く事も何度かあった。
結婚して、直後にシンガポールに転勤になり、妻が3ヶ月遅れでやってきたのが、
ちょうどクリスマス・イブだった。
確か、今思えば余りにも臭すぎて、ここに披露する勇気も無い言葉を吐いた筈だ・・・(-_-;)
海外で味わうクリスマス、街のイルミネーションは華やかで心が躍ったが、
何しろ常夏の国、気温30度の暑さとクリスマスを結びつけるのには違和感があった。
30代の一時期は‘第二の青春時代’を満喫していた。
有名レストランの予約に奔走し、2日間で、昼、夜あわせて3回のメシを
違う相手と喰ったりした過激な年もあった。
日本のディーラーはクリスマス期間は海外市場が休場だから、ヒマなのだ。
その後、ガキが生まれ、ちっちゃなツリーも飾ったりしたが、
それも彼がサンタがいると信じていた頃の話だ。
私の心臓が冒されてからは、それなりに食材には投資をするが、ずっと家メシだ。
そして、今日・・・50回目のクリスマス・イブ
先ず、朝一番でぶっ飛んだ。
辛坊がやってるウェーク・アップが年末大激論というのをやっていたので見た。
私が無能と決め付けている岩田のほかに、コメンテイターてんこ盛り状態だった。
朝っぱら、ここまで不機嫌になれるのかという、禿げの三宅に驚いていたら、
今日、初めて知った‘化け物’を見て頭が割れそうになった。
川条志嘉という女で先の衆議院選挙で初当選した。
全身が選挙カーの拡声器みたいな感じで、声がでかいだけで、論理も何もありゃしない。
三宅に‘あんた、馬鹿か?’と言われていたが、馬鹿というより、
精神的に病んでいる感じだった。
‘精神科医の香山エリも同席していたけど、一度診てもらったら・・・’
どうせ、タイゾーのように比例区だろうと思ったら、なんと大阪2区じゃないか。
2,3分話しただけで、十二分に‘カミングアウト’していると感じたのだが、
私の感覚がずれているのだろうか。
彼女のような人間を選んだ選挙民が正直理解できない。
それにしても、この前の証人喚問での渡辺‘無能’といい、今日の川条志嘉といい、
なんであんな奴等が議員をやってられるのだろうか。
‘イブの朝一番で、トナカイならぬとんでもない志嘉(シカ)を目にしてしまったな(笑)’
今夜のメニューは?と聞いたら、なんと塾があるので(6~9時)、
食事は3人バラバラになるとのこと。
(冬場は妻が車で送迎するので、彼女は酒を飲むためには塾終了後に食べる。)
だから、クリスマスメニューは明日だそうだ。
いま、こうして過去50回のクリスマスを振り返ってみると、素直にその時、その時の人生が、
縮図のように投影されているような気がする。
病気になってノー・イベントな毎日を送っている私のクリスマスに、
何も劇的なことは起こらないのは当然だ。
いやぁ、待てよ。
今年の生活で大きく変わったとすれば、このブログの存在だ。
そうそう、読者のみなさんメリークリスマス
特に、今日の記事を読んでくれた人にはプレゼントだ、ほれっ!
2005年12月24日土曜日
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