私が子供の頃は、今の子供達と違って夜更かしの習慣が無かった。
それが、何歳だったか記憶は定かではないが、初めて12時過ぎまで起きて
除夜の鐘を耳にしたのは、結構遅かった。
2年続けて、睡魔に襲われ失敗していた。
元旦の朝に起きて、お袋に‘なんで起こしてくれなかった’
と八つ当たりすると、‘何度も起こしたよ’と言い返されていた。
他のことならば、いくらでも取り返しがきくが、何しろ除夜の鐘は1年待ちだから、
自分でもやりきれない。
おまけに、次の年もやっぱり失敗してしまった時には、相当落ち込んだものだ。
そして、ついに初めて生の鐘の音を聞いたときは達成感を味わったが、やはり直ぐ寝てしまった。
中学以降になると、真夜中に友達と初詣に出かけるようになった。
一年中で唯一‘夜遊び’感覚を堂々と味わえる貴重な時間だった。
‘盆と正月’と言うが、子供の頃は、まさにそのふたつが毎月の小遣い以外の
‘臨時収入’に恵まれる数少ない機会だから心が躍ったものだ。
‘もういくつ寝るとお正月♪・・・はやくこいこいお正月♪’
という童謡があるが、別に凧を揚げたり、コマを回したりするのはいつでも出来る訳で、
欲しかったのは‘お年玉’だったのだ。
‘たしかに我が家の愚息も今日は妙にイイ感じだった’
大学を卒業して、銀行に勤め始めたが、まだあの頃は、土曜日も半日働いていたし、
年末も31日まで出勤していた。
銀行員1年目も31日まできっちり働き、冬のボーナスで両親のために買った、
カーディガンとマフラーをバッグに詰め込んで、その夜の寝台特急で帰省した。
列車の通路の折りたたみ椅子に座って、ビールを飲んでいると高校の同期に何年振りかに遭った。
入った大学は知っていたが、就職先は知らなかった。
尋ねると、やはり某都市銀行だった。
で、ふたりで酒盛りを始めていると、またひとり同期が現れた。
仕事を尋ねると、これまた某都市銀行だった。
そして、もうひとり(私は顔と名前は知っていたが話したことはなかった)が現れた時は、
もう疑うことは無かった。
案の定、某信託銀行員だった。
別に全車両をチェックした訳ではないが、同期の連中で遭ったのが全員、
銀行員という‘必然’に苦笑した。
もし、飛行機の中でスッチーが医者を探すように、
‘お客様の中に、銀行員のかたはいらっしゃいませんか?’とやったら、
もっとゾロゾロ現れていたに違いない。
当時は、帰省といえば時期が集中し切符を確保するのも大変だったが、
電車の中で新年を迎える寝台車は人気がなく、簡単に切符が取れた。
ナヌッ!
そんなに銀行員ばかりが乗っていた乗り物は寝台車じゃなく‘護送船’だったんじゃないかって?
確かに、そんな時代でしたなぁ(笑)
それでは、みなさん、良い年を!
2005年12月31日土曜日
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